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小公女

2009年12月10日 23:45

バーネット』著 川端康成野上彰 訳 角川文庫 294ページ

まず、訳者にびっくり。昭和33年の初版です。今は新潮のがメジャーでしょうか。
別に、TBSでドラマが始まったから読みたくなった訳じゃありません。
イジメ、恋愛…面白味を出しやすい素材を前面に押し出してる印象を受けるので、なんか違うなと(笑)。

<あらすじ>
公女のように裕福な家庭に育ったセーラ・クルー。
彼女の母親は小さい頃に無くなり、大尉の父親とインドで生活をしていた。
物語は、セーラがロンドンのミンチン女子学院に入学するところから始まる。

大金持ちの令嬢とあって、寄宿舎では特別待遇を受け、それを妬む人もいたが、
想像力豊かで面白く、誰にでも優しく接するセーラは学校中の人気者だった。

しかし、11歳の誕生日に突然、父親が死んだ事が告げられる。
父親のクルー大尉は、ダイヤモンド鉱山の事業に失敗し、全財産を無くして死んだのだ。
セーラの生活は一転、屋根裏部屋に住まいは移され、召使いとして働くことになる。

毎日がつらく、叱りつけられたり、あざけりを受けるセーラ。
しかし、彼女の想像力はつらい日々の生活に負けず、自分が小公女のつもりになったように、
激昂せず、罵られても丁寧に受け答え、優しさを忘れないようにふるまうのだった。

ある時、隣の家にインドから紳士が引っ越してくる。
この富豪はセーラの父親とダイヤモンド鉱山を共同経営した友人だった。
父親は死んだあと、鉱山は一転して成功し、セーラの財産は何倍にも増えていたのだ。
インドの紳士は、そんな事を露とも知らずに生活しているであろうセーラを捜し求めていた。
運命は二人を引き合わせた。セーラは父親の友人に引き取られ、再び幸せを手にしたのだった。
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書く事がないくらい、有名で、王道な話ですから、ちょっとイヤラシイ角度で感想を書いてみます。

この作品は使いやすい。子供向けにも、大人向けにもすることができる。

まずは「理想像」に仕上げる事ができるセーラ。
どんなに理不尽な怒られ方をしても、「公女はこうあるべき」という信念に基づいて、
常に凛々しく、腹を立てることをせず、怒っている相手ではなく、自分の憎悪との戦いをする。
そんな事が11歳まで、夢のような生活をしていた女の子にできるはずは無い。
子供の教訓小説としてなら、この「理想像」が一番わかりやすくていい。
しかし、世の大人が読むには「ホントに、こんな事が出来るかな?」と穿ってしまう。

この学校の経営者、ミンチン先生はセーラを学校の評判のために、おだてにおだてる。
実費で誕生日のパーティーやプレゼントを用意し(父親の破産で、その立て替えたお金は返ってこないが)、
父兄たちの前ではセーラにフランス語を朗読させたり、行進のときには一番前に立たせたり。
このミンチン先生の姿は、経営者として「あたりまえ」で、当然の行動。
ミンチン先生は作品の中では「悪者」の役柄だけれど、これが現実世界では「普通」。
むしろセーラの人間離れした、年齢にふさわしからぬ振る舞いに違和感を覚える。

そこを埋めてくれるのが「人間味」のあるセーラ。
人形を投げつけて、「お前なんかただの人形だ!」と八つ当たりをしてみたり、
意地悪をいうクラスメイトを、思わず殴ってみたくなったり、
こういうシーンが入ることで、セーラがぐっと身近になる。
父親が死んだと知る直前に、クラスメイトと交わした会話が、印象的。

「あんたがこじきで、屋根うらに住んでいるとして、それでも空想をしたり、何かになったつもりになれて?」
「もしこじきなら、なおさら、いつも何かを空想したり、何かになったつもりでいなきゃ、ならないわ。
 でも、そんなにやさしいことじゃ、ないでしょうけど」

世界名作劇場」の「小公女セーラ」なんかは、前者の「理想像」部類に入り、
原作は後者として読むことができるが、詰まる所どちらがいいのかと言えば、もちろん後者。
完璧は違和感を覚える。反対に、不完全さゆえに読者は共感を持つ事が出来る。

私に、この考えがふっと浮かんだのは、作者バーネットの
「一生涯わたしの作品が、売れなかったためしはない」という晩年の言葉による。
およそ小公女を書いた作者が言ったセリフとは思えない印象を受け、
人は分からんものだなあ…と、作者のミンチン先生的な一面を見たかなと感じたもので。


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ドイル傑作集3 恐怖編

2009年12月07日 21:51

コナン・ドイル』著 延原謙 訳 新潮文庫 175ページ

ドイルが晩年にまとめたというテーマ別作品集も、これで最終巻。
「ミステリー編」「海洋奇談編」で、正直パッとしない作品も多々あったのですが、
「恐怖編」で持ち直したか。本来のドイルらしい良作が拝めたので嬉しい。

収録は以下の6作品。
・大空の恐怖     ・革の漏斗
・新しい地下墓地  ・サノクス令夫人
・青の洞窟の怪   ・ブラジル猫

「恐怖」と一言に言っても、どういうタイプのものが登場するかと言えば、
一つは「怪物」のような非現実的なもの。もう一つは「人」の怖さ。
前者は「大空の恐怖」「青の洞窟の怪」で、他の作品が後者に分類しても
いいのではないかと思われます(かなり無理やりですが)。

ドイルの時代なら、「怪物」が出てくる小説は他にいくらでもあっただろうし、
それらの土台がある事を考えれば、「怪物」のストーリーに典型すぎるところがあると思う。
「大空の恐怖」に関しても、ハードボイルドヘミングウェイ的)な領域まで及ぶわけでもなく、
「結局何だったんだろう、この話は?」となってしまう。

注目したいのは、「人」の恐怖。
「新しい地下墓地」、「サノクス令夫人」などは、オチが読めるものの、
いわゆる「期待通り」に話が進んでも飽きさせない内容で見事。

特に「サノクス令夫人」に関しては、100ポンドのお金に浅ましく惹きつけられ、
思いもよらない手術をしてしまう医者の、ちょっとした心境など巧みに捉えています。

さらに注目したいのは、舞台設定。
古代ローマの地下墓地、考古学的資料が散乱したような部屋…など、
ゴシック趣味が話にとてもマッチしていて、作品としての雰囲気が良い。
「ミステリー編」「海洋奇談編」と、中途半端なイメージしか描けないような、
作品もありましたが、ここにきてやっと本家がお目見えした感じですね。
さくさく読んで、印象にも残る傑作が揃っていると思います。


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世界の支配者

2009年11月30日 23:55

ジュール・ヴェルヌ』著 榊原晃三 訳 集英社文庫 267ページ

集英社のジュール・ヴェルヌ・コレクションの最後の翻訳。
ヴェルヌが亡くなった年の、前年に書かれた作品。
ひっぱった挙句に、アッサリ終わる感じで、拍子抜け感はあるけれど、奥が深い。

<あらすじ>
アメリカ、グレート・エアリー山で、謎の事件が起こる。
火山性ではない地面の揺れが起こり、山の頂に噴火のような火を見たという証言が起こった。
また、周辺の村人たちの中には、「鳥が羽ばたくような音」を聞いたという者もいた。

警察官のストロック警部は、グレート・エアリー山の調査に乗り出す。
その山の内輪を調査し、現象の原因が火山なのか、それともまた別の理由なのかを調べるためだ。
しかし、山は岩壁がそそり立ち、結局はその内輪を見る事は叶わなかった。

その後、あいついで奇妙な事件が次々と引き起こされる。
ミルウォーキーでの自動車レースでは、300キロの速度で競争車を追い抜く、謎の自動車が現れた。
海上では、どんな船も出す事ができないスピードの高速船が現れた。
また、山に囲まれた湖の底では何かが水の底で振動し、水面を波打たせていた。

アメリカ政府は、それらの現象を、一つの乗り物だと断定した。
すなわち、高速の自動車であり、船であり、潜水艦であると結論付けたのだ。
それはなんという科学力、原動力だろうか!各国政府は乗り物を高額で買い取るため、
その未だ謎の人物に、正式に声明を発した。その乗り物の原理を知る事が出来れば、
どれほど軍事力の強化につながるだろうか。競り値は上がる一方だった。
しかし、謎の人物は傲慢な態度で、その申し出を断る手紙をアメリカ政府に送りつけた。

「わが輩の乗物を獲得するために提示された価格を絶対的かつ決定的に拒否する。
 新旧両大陸は知るべきである。わが輩には絶対に対抗できぬ事を -世界の支配者-」

この返答に、彼は「悪」とみなされた。逮捕状が出され、指名手配となった。
ストロック警部はこの事件にあたった。そして、乗物が接岸したと報告が入った湖へでかけていく。
しかし、乗物に乗っていた乗組員と撃ち合いになり、警部は乗物に連れ去られてしまう。
彼がその中で出会った人物…それこそ、かつて飛行船「あほうどり号」で時の人となった、征服者ロビュールだった。
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「征服者ロビュール」に引き続いた続編。また、拉致されてます。ヴェルヌは誘拐が好きだね。
1作目の「あほうどり号」から、さらに進化し、「エプヴァント号」という乗物になっています。
陸、水上、海底、空と4つのモードで対応可能で、まさに夢の機械。
ヴェルヌはこれまで色々な発明品を登場させていますが、これは最上、最強クラスです。
動力は、やはり電気。その仕組みは、空気中の微量な電気を動力にしているのだとか。
ちなみに、ノーチラス号もその原理で動いているらしいです。初めて知りました。

今回感じたのは、ヴェルヌの科学に対する考え方の変化。
元来、科学の発展に期待を持てるような小説を書いていたヴェルヌですが、
晩年になるにつれ、その科学を「悪用」する人物が増えていきます。

本作では、ロビュールは「エプヴァント号」を「悪用」はませんが、世論には「悪」とみなされます。
各国は軍事力のために(科学を戦争に使うために)、乗物を手に入れようと競り合いますが、
ひとたび、「エプヴァント号」が手に入らないと分かれば、手のひらを返して指名手配をかけるのです。
当時の戦争を見て、「科学は悪用されるものだ」とヴェルヌは痛感していたのでしょう。
1作目「征服者ロビュール」の中の、「諸君はまだおのれの利害しか考えない。国と国とが手を結ぶには、
まだ機は熟していないらしい」というセリフは白眉。二作目にして活きてきます。
この人間の愚かさをさりげなく描いているヴェルヌはさすが。晩年の心境も如実に表れています。

そして、もう一点はロビュールを見たときの、自然に対する科学の限界。
ロビュールは1作目では、若年気質のいやみっぷりを見せるような人物でしたが、
今回は打って変わって、セリフもほとんど無く、狂人チックなキャラクターへ変貌しています。
彼は、科学に対する傲慢な自信を持ち続け、最終的に嵐に挑んで乗物もろとも墜落して死んでしまう。
今でもクローンなどの科学のタブー分野は一つの論点になるけれど、
すでにヴェルヌもこの科学が侵してはいけない自然の境界線を感じていたのだろうと思う。
そして、ヴェルヌの答えはロビュールの死という形で明確に出ています。

作品の中で、ストロック警部がロビュールに、自分をどこへ連れて行く気だ?と
問いかけるシーンがありますが、その時、ロビュールは無言で空を指差します。
嵐に飛びこんでいくときに、ストロック警部は「法の名のもとに…!」と彼を止めようとしますが、
上を目指しすぎた科学(者)を、「これ以上いくな!」と引きとめようとする姿にも見えます。

テーマが重い内容なだけに、やはり人間描写の苦手なところが目立ちました。
晩年になって、読みやすさもさすが円熟してきた風がありますが、
その円熟と共に、人間味の部分も合わせて描きだして欲しいのが残念なところ。
ロビュールが狂人になってしまったのも、描きやすい「狂人」というキャラで終わらせてほしくなかった。


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征服者ロビュール

2009年11月29日 02:14

ジュール・ヴェルヌ』著 手塚 伸一 訳 集英社文庫 265ページ

海、地底とくれば、「空」をテーマにしないわけにはいかないでしょう。
おそらく、読んだら誰もが「海底二万里の空ヴァージョン」だと感じると思います。
登場人物が拉致されて、世界中を引き回されるというパターンも酷似してます。
発表順から行けば、「地底旅行」、「海底二万里」、そして本作となります。

<あらすじ>
世界各地で、空からトランペットの音色が聞こえてくるという事件が起きた。
各国天文台は、その正体を突き止めようとするが徒労に終わった。
また、これまた各国の尖塔に旗がくくりつけられるという珍事件が起こる。
誰もこの真相を突き止めることはできず、推測が飛び交うだけだった。

ある日、アメリカのフィラデルフィアで、気球主義者たちの集会が開かれていた。
彼らは、気球につけるプロペラを、前につけるか、後ろにつけるかで言い争いをしていた。
そこへロビュールと名乗る男が会場の中に、さっそうと現れた。
彼は熱狂的な気球狂たちを前にして、「私は空気より重いもので空を支配した」と宣言する。

彼は今にもリンチに合いそうな状況だった。非難され、怒号を浴びせられた。
その事件があった夜、さらに大きな事件が起こる。
会場から帰宅している途中に、気球主義者の代表格である、
プルーデントとエヴァンズ、そして召使いの一人が突然誘拐される。

彼らが連れていかれた先は、空の上だった。
すなわち、空の征服者ロビュールの飛行船、「あほうどり号」の客人となっていた。
そしてフィラデルフィアを飛び立った「あほうどり号」は、大空の世界一周旅行へ出かけるのだった。
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「飛行」は人類が昔から夢見てきた事ですから、古代から神話や物語でも多く語られてますが、
ファンタジーや、超自然的な力ではなく、現実に人間自らの力で飛ぶ可能性が
広がったのがちょうどヴェルヌの生きた時代。気球はとっくに成功していたし、
ライト兄弟ライトフライヤー号で初飛行に成功したのは、ヴェルヌの死ぬ2年前。

ポーや、シラノ・ド・ベルジュラックも飛行機械の登場する小説を書いてますが、
ヴェルヌが先人に影響されて、さらに進化した飛行機械「あほうどり号」で物語を作ったのは、
空想科学小説の父としては、当然の成り行きだったのでしょう。

さて、今回の注目ポイントはもちろん、この飛行機械「あほうどり号」。
ヴェルヌを沢山読んだ人なら、この「あほうどり号」のエネルギーが何によって動いているか、
早い段階で分かってしまうと思います。もちろん、そう、電気です。
船体は紙でできており、現代でいえばパルプにみたいなものでしょうか。
独立した推進プロペラと、上昇プロペラで走行はコントロールされ、時速200キロまで出力可能。
何十日も燃料補給なしで飛び続ける飛行船…という設定だから、現代の飛行機械で、
「あほうどり号」に匹敵するものは無い。現実的に電池でこれを作るのは無理な話だけれど。

ロビュールは、気球主義者の二人に「空気より重いもの」の方が、空を駆ける事に適していると、
認めさせるために拉致するわけですが、作品の中で気球をこれでもかと、こき下ろしています。
「気球に乗って五週間」という作品があるように、気球自体は決して嫌いな訳ではないと思うのですが、
その操作方法や、風の抵抗力などに、すでに限界を見ていたのだろうと思います。
そして、いつかは機械が飛ぶだろうと確信していたに違いないヴェルヌ。
事実、現代では飛行機が世界中を飛び回り、ロケットは月まで人類を運んでいます。
手塚治虫さんがエスカレーターが無い時代に、それらを描いていた…というエピソードが思い出されますね。

面白い事には面白いのですが、「海底二万里」に比べて、単調になりがちなのは致し方ない。
サイクロンや、火山噴火、雷などの予想できる範囲の現象が描かれるので、
人類がまだ完全に知る事が出来ない海底に比べると、小説の材料が少ないのだろうと思う。

また、ロビュールがどうして空を飛ぶのか、拉致した二人を最後にはどうしたいのかなど、
結局「よく分からない」で終わってしまう。続編の「世界の支配者」でもロビュールという人物は謎のまま。
ネモ船長は、世捨て人になった理由などの設定や、人間像も描かれているが、今回それがない。
このままでは、気球主義者を拉致したのも、「気球より飛行機の方がいいのだ」ということを、
無理やり分からせるために、いつまでも船から降ろさない強情っぱリな印象だけが残ってしまう。

ロビュールは最後に、「科学といえど、人間の理解を越えて先に進んではいけないらしい」と
皮肉を言って去っていきますが、読者からすれば結局、お前こそ何だったんだ、となる。
「彼は未来の科学者である」とヴェルヌは最後に答えとして書いているけれど、
それ以上の人間像を設定していなかったとすれば、単に飛行機と旅行の話で終わってしまう。
舞台設定ができている作品だけに、そこがしっかりしていれば「海底二万里」クラスの小説に
昇格できていたと思われるのが残念。「海底二万里の空版」と二番煎じに評価されてもしょうがない。

全体的には、先日紹介した「銃撃事件」の前に書かれた作品で、さっぱりした明るさもあって、
私個人の意見では、ヴェルヌらしいな~と思えるので好きな部類に入りました。
山脈の説明がえんえんと続くところも多く、趣味が分かれる作品かもしれません。
話は飛びますが、ヴェルヌのアメリカ揶揄は今回も炸裂しちゃってます。ありゃ~。
ヴェルヌの作品を読んで、アメリカの人は怒ったりしないのか心配です。


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カルパチアの城

2009年11月27日 00:42

ジュール・ヴェルヌ』著 安東 次男 訳 集英社文庫 255ページ

先日紹介した、「甥に打たれた銃撃事件」の後に書かれた作品。
この事件があった1886年を挟んで前後に作品を分けたときに、前半に「海底二万里」や、
「地底旅行」「気球に乗って五週間」などの壮大な冒険作品が揃っているのに対して、
後半は「地軸変更計画」、「世界の支配者」など暗い(というか、穿った姿勢の)作品が多い。
事件があった後は、「もうアミアンからでない」と妹へ手紙を書いたヴェルヌ。
旅行好きだったにも関わらず、自家用ヨットも売り払って、内にこもる生活へシフトしている。
今回も、その後半の作品の一つに数えられるもの。

<あらすじ>
トランシルヴァニア地方に、打ち捨てられたカルパチアの城。
極端に迷信を信じる封鎖的なこの土地では、何年もこの城には幽霊が住んでいると信じられ、
人々を寄せ付けていなかった。しかし、ある日、羊飼いのフリックは城から煙が上がっているのを発見する。

この城の探索に名乗り出たのは、若き林務官のニックだった。
彼が、村の代表たちを前にして出立を宣言したとき、部屋には不気味な忠告がどこからともなく響き渡る。
「城ニハ行クナ…サモナクバ、オマエニハ、不幸ガフリカカルダロウ!」
かくして城にたどり着いたニックに、本当に不幸が訪れる。
彼は人間には理解できない奇怪な現象によって、意識不明の痛手を負った。

折にこの地方を訪れていたテレク伯爵は、この事件を村人から聞き出す。
その際、カルパチアの城の持ち主が、ロドルフ・ド・ゴルツ男爵だったという事を知る。
テレク伯爵は、その名前に驚愕する。なぜなら、その昔、伯爵はイタリアのナポリで、
ラ・スティラという歌姫をめぐって、ゴルツ男爵とは因縁の関係にあったからだ。

テレク伯爵は、ナポリに滞在していた当時、ラ・スティラとの結婚を控えていた。
彼女の舞台へは気味が悪いほど毎日顔を出していた、男がいた。
それはまさしく、カルパチアの城の末裔である、ゴルツ男爵だった。
引退を前にした最後の舞台で、終幕のセリフを言い終わったラ・スティラは、突如吐血して死んでしまう。
数日後、ゴルツ男爵から、テレク伯爵に届けられた手紙には、「彼女を殺したのはお前だ」と書かれていた…。

真相を確かめに城へ潜入したテレク伯爵は、そこで死んだはずのラ・スティラの歌声を聴くのだった。
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楽天的な雰囲気は前期に比べて無いものの、講義的なところが抜けて読みやすくなった後期の典型。
城に入る頃には、本の4分の3くらいは終わっているので、最後があれれーというアッサリな感じでした。

トランシルヴァニア地方の迷信深さは、本当なんでしょうか。物理学で証明できない事は無いという
スタンスのヴェルヌには、こういう迷信深い村人たちを登場させてるのは、皮肉にしか見えません。
最後の段階で、科学によってすべてのネタは明らかにされるのですが、結末と差をつけるためか、
作品中に、「こういう迷信深い人たちは、いくら説得してもしょうがない」というくだりも多く見られます。

そういう意味では、「ほーらね、摩訶不思議な事はいくらでも科学で作り出せるのさ」という、
ちょっと嫌味な印象を受けますが、それもそのはず、本書の最初にヴェルヌ自身明言しています。

「わたしたちはいまや、なに一つ、不可能なことはない、なに一つ不可能はなくなった、
 といってまずさしつかえない時代にいる。たとえわたしたちの物語が、
 今日はまだありそうでなくとも、明日になれば、未来の財産たるさまざまな科学的手段によって、
 ありうるものにかわるかもしれない。(中略)もはやこれ以上伝説がつくりだされる気づかいはない」

ルーマニアの古城…といって思いつくのは、「ドラキュラ」ですね。
作品の第一印象は似てますが、ストーカーの書いたこの作品の3年前に、すでに本書は書かれていました。
解説で矢野浩三郎氏が述べているが、同じ題材でもストーカーの書いたドラキュラとは反対に、
ヴェルヌは迷信の闇に科学の光を当てようとする姿勢を崩さない…という意見は的を得ています。

よくヴェルヌはSFの始祖と評価されているのを見かけるけれど、私はちょっと違うかなと感じてます。
上記の文章にしてもそうだけれど、あくまでも「科学的可能性」の範囲からヴェルヌは飛躍しない。
つまり、科学で証明できないような、異次元ワープや、タイムマシンなどは登場しない。
(ここらへん、ウェルズと対比している論文を読んだら面白いのだろうなあ)

電気があれば、なんでもできる!と言っていたヴェルヌは、これからの科学の発展を見据えて、
空想を膨らませて小説にしていた。科学の可能性を信じて、実現を確信していた。
人類がいつか月に行くだろうということを、「月世界へ行く」で。
潜水艦で海底を冒険するだろうということを、「海底二万里」で。
SF小説と、空想科学小説は、同義ではない。あくまでもヴェルヌは「空想科学小説の父」だという事です。

話が飛び過ぎてしまいましたが、今回も近代的発明品として映写機が出てきたりしています。
物語構成をもった映画が1902年に作られたことを考えたら、この先見の明はすごい。
晩年になって、悪者が科学を用いるという作品が増えて、傾向は変わったのものの、
発想の原点は、やはりヴェルヌらしいと思わせる作品でした。


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