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征服者ロビュール

2009年11月29日 02:14

ジュール・ヴェルヌ』著 手塚 伸一 訳 集英社文庫 265ページ

海、地底とくれば、「空」をテーマにしないわけにはいかないでしょう。
おそらく、読んだら誰もが「海底二万里の空ヴァージョン」だと感じると思います。
登場人物が拉致されて、世界中を引き回されるというパターンも酷似してます。
発表順から行けば、「地底旅行」、「海底二万里」、そして本作となります。

<あらすじ>
世界各地で、空からトランペットの音色が聞こえてくるという事件が起きた。
各国天文台は、その正体を突き止めようとするが徒労に終わった。
また、これまた各国の尖塔に旗がくくりつけられるという珍事件が起こる。
誰もこの真相を突き止めることはできず、推測が飛び交うだけだった。

ある日、アメリカのフィラデルフィアで、気球主義者たちの集会が開かれていた。
彼らは、気球につけるプロペラを、前につけるか、後ろにつけるかで言い争いをしていた。
そこへロビュールと名乗る男が会場の中に、さっそうと現れた。
彼は熱狂的な気球狂たちを前にして、「私は空気より重いもので空を支配した」と宣言する。

彼は今にもリンチに合いそうな状況だった。非難され、怒号を浴びせられた。
その事件があった夜、さらに大きな事件が起こる。
会場から帰宅している途中に、気球主義者の代表格である、
プルーデントとエヴァンズ、そして召使いの一人が突然誘拐される。

彼らが連れていかれた先は、空の上だった。
すなわち、空の征服者ロビュールの飛行船、「あほうどり号」の客人となっていた。
そしてフィラデルフィアを飛び立った「あほうどり号」は、大空の世界一周旅行へ出かけるのだった。
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「飛行」は人類が昔から夢見てきた事ですから、古代から神話や物語でも多く語られてますが、
ファンタジーや、超自然的な力ではなく、現実に人間自らの力で飛ぶ可能性が
広がったのがちょうどヴェルヌの生きた時代。気球はとっくに成功していたし、
ライト兄弟ライトフライヤー号で初飛行に成功したのは、ヴェルヌの死ぬ2年前。

ポーや、シラノ・ド・ベルジュラックも飛行機械の登場する小説を書いてますが、
ヴェルヌが先人に影響されて、さらに進化した飛行機械「あほうどり号」で物語を作ったのは、
空想科学小説の父としては、当然の成り行きだったのでしょう。

さて、今回の注目ポイントはもちろん、この飛行機械「あほうどり号」。
ヴェルヌを沢山読んだ人なら、この「あほうどり号」のエネルギーが何によって動いているか、
早い段階で分かってしまうと思います。もちろん、そう、電気です。
船体は紙でできており、現代でいえばパルプにみたいなものでしょうか。
独立した推進プロペラと、上昇プロペラで走行はコントロールされ、時速200キロまで出力可能。
何十日も燃料補給なしで飛び続ける飛行船…という設定だから、現代の飛行機械で、
「あほうどり号」に匹敵するものは無い。現実的に電池でこれを作るのは無理な話だけれど。

ロビュールは、気球主義者の二人に「空気より重いもの」の方が、空を駆ける事に適していると、
認めさせるために拉致するわけですが、作品の中で気球をこれでもかと、こき下ろしています。
「気球に乗って五週間」という作品があるように、気球自体は決して嫌いな訳ではないと思うのですが、
その操作方法や、風の抵抗力などに、すでに限界を見ていたのだろうと思います。
そして、いつかは機械が飛ぶだろうと確信していたに違いないヴェルヌ。
事実、現代では飛行機が世界中を飛び回り、ロケットは月まで人類を運んでいます。
手塚治虫さんがエスカレーターが無い時代に、それらを描いていた…というエピソードが思い出されますね。

面白い事には面白いのですが、「海底二万里」に比べて、単調になりがちなのは致し方ない。
サイクロンや、火山噴火、雷などの予想できる範囲の現象が描かれるので、
人類がまだ完全に知る事が出来ない海底に比べると、小説の材料が少ないのだろうと思う。

また、ロビュールがどうして空を飛ぶのか、拉致した二人を最後にはどうしたいのかなど、
結局「よく分からない」で終わってしまう。続編の「世界の支配者」でもロビュールという人物は謎のまま。
ネモ船長は、世捨て人になった理由などの設定や、人間像も描かれているが、今回それがない。
このままでは、気球主義者を拉致したのも、「気球より飛行機の方がいいのだ」ということを、
無理やり分からせるために、いつまでも船から降ろさない強情っぱリな印象だけが残ってしまう。

ロビュールは最後に、「科学といえど、人間の理解を越えて先に進んではいけないらしい」と
皮肉を言って去っていきますが、読者からすれば結局、お前こそ何だったんだ、となる。
「彼は未来の科学者である」とヴェルヌは最後に答えとして書いているけれど、
それ以上の人間像を設定していなかったとすれば、単に飛行機と旅行の話で終わってしまう。
舞台設定ができている作品だけに、そこがしっかりしていれば「海底二万里」クラスの小説に
昇格できていたと思われるのが残念。「海底二万里の空版」と二番煎じに評価されてもしょうがない。

全体的には、先日紹介した「銃撃事件」の前に書かれた作品で、さっぱりした明るさもあって、
私個人の意見では、ヴェルヌらしいな~と思えるので好きな部類に入りました。
山脈の説明がえんえんと続くところも多く、趣味が分かれる作品かもしれません。
話は飛びますが、ヴェルヌのアメリカ揶揄は今回も炸裂しちゃってます。ありゃ~。
ヴェルヌの作品を読んで、アメリカの人は怒ったりしないのか心配です。


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