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アドリア海の復讐 下

2009年11月10日 20:38

ジュール・ヴェルヌ』著 金子 博 訳 集英社文庫 382ページ

上巻でアンテキルト博士の正体が判明し(まあ、誰でもわかりますが…)、下巻へ。
こういった復讐劇は、あまりネタバレしない方がいいですね。簡単に後半のあらすじを紹介します。

<第三部以降あらすじ>
アンテキルト博士は、エチューヌ・バートリの息子、ピエールを味方につけた。
しかし、その間に失踪してしまった、ピエールの母や、復讐の目的である
サルカニー、トロンタルの二人は、サヴァを連れてどこかへ姿をくらましていた。

博士は彼らを追い、地中海を渡り歩く。彼が拠点としているのは、莫大な金を持って買い取った
アンテキルタ島と名付けられた島だった。そこは防塞設備が整えられ、平和が保たれた理想郷だった。
シチリア、ジブラルタル、チュニジア…各地で博士は復讐すべき人間を追い詰めていく。
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地中海をあっちこっち回るには、エレクトリック2号という電気の船が使われるんですが、
今回はそれに限らず、いたるところでヴェルヌの電気至上主義が光ってます。
アンテキルタ島から各地に張り巡らされた電気配線での交信やら、
電気遠隔操作を用いての爆発システムとか…「これからは電気の時代だ!」と作中でも明言してます。

話の展開が後半に入って、少し早急すぎるところが目に付いてしまいました。
「いくらなんでも、そこには気が付くでしょ!」と突っ込みを入れたくなるところや、
偶然にしては都合が良すぎてしまうかな…という部分もしばしば。

私が思うに、ヴェルヌの「十五少年漂流記」とか、「冒険」を主題に置いた作品は、
結局は「めでたしめでたし」が来るのが当然であって、多少の「偶然」や「幸運」は許される。
むしろ、読む側はそれを楽しみにしている風もあると思う。
反面、今回のような復讐劇でこの「偶然」を多発してしまうと、作為が感じられて興を削ぐと思う。

また、ヴェルヌはいい意味でも、悪い意味でも優しい。
最後の最後で、復讐者として鬼になれない主人公たちもそうだし、ストーリーの中で残酷性が薄い。
ここまで執念を燃やして追いかけてきたのになあ…と、感じないでもない。

反面、新しいヴェルヌの境地が見れました。
「空想であるが故に、科学的な根拠を緻密に書いた方がリアルに感じる」
これはポーの影響を受けての作風ですが、そのためヴェルヌには「講義ちっく」な作品が多い。
「地底旅行」のリデンブロック教授、「グラント船長の子供たち」の地理学者パガネルなどが、
その講義の「先生役」として、作品に必ず知恵者として出てくるのはそのため。
あとがきで松村喜雄氏が「後期になるに従って空想科学小説が影をひそめ、
冒険小説の色彩が濃くなり…」と書いてるが、まさに今回の作品はその好例。

ただ、どの作品にも共通して言えるのは、ヴェルヌは友情やロマンに溢れているという事。
科学小説だけ、復讐劇だけ、というのなら、どれも中途半端にしかならなかったと思う。
やはり根底に人を熱くさせる要素が入っているから、ヴェルヌはイイんだよなぁ…。

ちなみに、下巻も博士の催眠術が炸裂。かなり作品の重要部分で用いてます。
研究者の名前も色々出てきていましたので、ヴェルヌは間違いなく信じていたんでしょうね。
空想科学小説の父のオカルティックな一面。まあSFといえば、SFになるんでしょうか。


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