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罪と罰(中)

2007年11月07日 23:09

『フョードル・ドストエフスキー』著 江川 卓 訳 岩波文庫 364ページ

名作の中巻。上巻までのあらすじは下記を参照して頂くとして、
http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-21.html

殺人を犯したその後の話が進んでいく。

田舎から結婚のために出てきた妹の婚約者とひと悶着起こし、
さらに心配する家族にも警戒心を持ち始める。
その後の展開としては、娼婦をしている娘のソーニャと関わりを持つようになるのだが。。。

一番おもしろかったところは、殺人事件の捜査官とのやり取り。
あきらかに主人公のラスコーリニコフはスレスレの証言をしている。
しかし、彼は犯罪がバレると見越してやけっぱちになってる訳でもない。

「あの殺人の部屋に行って、血のことを訊ねたのは、
 熱に浮かされてやったことじゃない。ちゃんと意識があってやったことです!」

こんな風に罪を犯した人が、自分の事をあからさまに主張するだろうか。
ひとつは彼が頭脳明晰であるという事も考えられるが、
罪の意識に対してドストエフスキーの意見が反映されているようにも思える。

「プラトンやニュートンの発見を世間に公表することが妨げられるのなら、
 数十人、数百人の犠牲はいとわない。むしろ、犠牲があっても、
 それは世に出すべきものである。ナポレオンやマホメットといった
 人類の法を作り上げてきた人達は、少なからず犯罪者である」


作者に関しては、刑務所に入っていた経験が作品にも生かされている。
刑務所の生活で、自分の罪とは?という問いかけがなされていたのではないか?

それは、推測にとどめておくとして、気になるのは今後の展開。
タイトル通り、罰が待っているのか?捜査官との薄氷の渡り合いは続くのか。

この巻では、私がやったんだ!という他の人物が出てくる。
読者側としては、犯人が誰だか分かっているだけに、
それが捜査官の一つの手なのか、偶然なのか、すべてが疑わしくなってくる。

しかし、読んでいるうちに、この「殺人に対しての明確な罪」というのが、
何も刑法における処分だけではない事を思い知らされる。

ラスコーリニコフは不信感から家族をも捨ててしまおうとしているし、
どんな事にも疑惑の目でもって生きていかなければならなくなっている。

そして娼婦の娘との交流。作品の中でラスコーリニコフはこの娘に
聖書の「ラザロの復活」の場面を朗読させている。
ドストエフスキーの深い思惑は私には読み取れる訳ないが、
朗読している娘を同類、または上から見て優越感を感じるような気持で、
ラスコーリニコフが接していると思えてならない。

色々な見方ができ、さらに内容も先が気になってしょうがない。
ラスコーリニコフの罰はどういう方面へ展開していくのか。
次はいよいよ最終巻に突入します!!


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