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デミアン

2009年03月12日 21:05

『ヘッセ』著 高橋 健二 訳 新潮文庫 233ページ

「私は自分の中からひとりで出てこようとしたところのものを
 生きてみようと欲したにすぎない。なぜそれがそんなに困難だったのか」

本書の冒頭にある言葉は、この本を読み終わったときに読み返すと感慨深い。
この小説は自我を追求する主人公シンクレールの物語。
哲学的な話で最初はテーマが分かりづらかったけれど、
すこしニーチェ的な、下手をすれば危険な思想に結びつきそうなテーマ。

少年シンクレールは、友達同士の集まりでよくある「悪いことの自慢話」に加わっていた。
不良の一人に目をつけられないよう、とっさに嘘の話をでっちあげてしゃべるが、逆にその嘘をゆすりに使われる。
今更、嘘ともいえずに従うしかない彼は、毎日つらい日々が続言いていた。

しばらくたってのち、シンクレールはデミアンにであう。
デミアンはとても早熟していた。周りの者を寄せ付けず、先生に対してさえ自分の意見を言い、
時にはやり込めることもあるほどの大人びた子どもだった。
彼はシンクレールの悩みを、何がしかの行いによって解決した。
つらい日々、それは突然に終わりを告げたのだった。

物語の最初の方で、シンクレールは世界には2種類あることをデミアンに教えられる。
1つは規律や戒律、祈りが支配する善の世界で、そこには父母、やさしい姉たちが属していた。
もう1つは反対に俗なもの、犯罪などを包含する悪の世界。すなわち、前述の不良が属す世界だ。
この考え方を知ったシンクレールは、青年になるとそれがいっそう明確な心理だと感じられた。

神は半分だけに存在してはいけないのだ。世界の善だけを要求する神は本当ではない。
「汝の欲することをなせ」、という理論に通じるところがあるかもしれない。
たとえば、子孫を生み増やすことは称賛されているのに、性行為自体はけがらわしい扱いを受ける。
その矛盾に気がつけば、自我を追求する真理に流れるのは当然だ。しかし、たいていの人間はそれができない。

「ぼくは自分の夢の中に生きているんだ。ほかの人たちも夢の中に生きてはいるが、
自分自身の夢の中ではない。それが違いだ」

彼があこがれた女性をモデルに絵を描いたとき、その姿はデミアンに見え、自分にも見えた。
シンクレールはデミアンに影響されていたのではなかった。
つまるところ、彼の思想は最初から自己から出てきたものだったのだ。
すべての人間の生活は自己自身への道である。どんな人もかつて完全に彼自身ではなかった…。

そして冒頭の一文へ繋がる…。
この本はできたら二回読んだ方がいいと思う。
自分に立ち迷う青春時代に読むと、大きな影響を受けていたかもしれない。
戦後という地盤の上で、ドイツの青年たちに与えた影響を考えると、
この本がキリスト教よりも救い求めるに値する書物となる事は頷ける。


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