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ソドム百二十日

2008年11月14日 01:06

『マルキ・ド・サド』著 澁澤 龍彦 訳 河出書房新社 312ページ

う~~っ、やっと読みたかった一冊に手をつける事ができました!
マルキ・ド・サドは、サディズムの語源になった人物。
その放蕩生活と過激な本の内容のおかげで、牢屋暮らしばっかりしてたというから、なんともスゴい。

彼の作品のほとんどが獄中で書かれたものだけれど、「ソドム百二十日」もその一つ。
ソドムとはご存知の通り、旧約聖書の中に出てくる淫蕩の街の名前。
「天空の城ラピュタ」でも、ムスカ大佐が言ってましたね。
「旧約聖書にあるソドムとゴモラを滅ぼした天の日だよ」…と。
その正体は同性愛。自慰をして精液を無駄にすることすら嫌うキリスト教は、
ましてやアナルセックスなんてもってのほか!!という訳。ソドムは神に背く街だったのです。
そして信心深いロトの家族だけを避難させて、天の日によってソドムとゴモラの街は滅ぼされるのでした…。

サドの生きた時代はフランス革命期。新しい哲学も生まれた時代だけど、キリスト教の影響は大きかったはず。
そんな時代の中で、こんな背信的な話を書いてたら、そりゃアンタ捕まりますがな…!

実際のところの内容はどうなのか。

殺人と汚職によって莫大な私財を築きあげたブランジ公爵と三人の仲間は、
「黒い森」と呼ばれる人里離れた城館で、42人の男女と共に120日に及ぶ大饗宴を催す。
8人の少女、8人の少年、8人の巨根男、4人の語り女、4人の老婆、4人の公爵たちの妻、
そして召使たち。それらが集まって、乱交の限りを尽くすのである。

集められた少年・少女の美しさと言ったら筆舌に尽くしがたいほど。
どの子供も家柄よく、教養豊かで、その美しさゆえに待つ運命を露ほど知らずに過ごしていた。
誘拐されてきた彼らは、考えうる限りの肉の奉仕を強制されることになる。
神への祈りは万死に値する。礼拝堂は排便のときのみ使用され、しかもその排便行為も
主人たちの許しが無ければ行う事が出来ない(もっとも許しを得れることはまれだった)。

ブランジ公爵はじめ、主人になる四人の仲間がどれほど淫蕩の為だけに財産を用いたか、彼らの生活ぶりを見ればよく分かる。
一週間に4回の宴会を行い、最初の宴会はもっぱら男色の快楽であった。
20~30人の若い男しか出入りが許されず、四人の仲間はその男たちに自分の尻を突かせて快楽を貪る。

二番目の宴会は女の宴会である。まことに不潔極まりない放蕩の限りをつくす道楽にも、彼女達は黙って従わなければならない。
三番目は醜悪物の宴会、そして四番目は処女の宴会だった。
処女といっても後ろの趣味を持つ彼らは見る側に立つことが多く、そういった場合は下男達が彼らの代わりをなした。
このように、彼らの生活ぶりだけでも、これから始まる120日間の饗宴が世にも恐ろしいものであるか予想できる。

最終的にどういう風に物語が進んでいくか…実は結末がないのである。
獄中で書いたために紙がなかったのか、草案だけは見つかっているけれど、
実際に饗宴が始まる手前で物語は終わっている。残念なことは確かだけれど、
いや、これでもう充分です、はい。かなりおなかいっぱいになりました。

あまりに無感覚、あまりに完全な痴愚。
人は欲望を抑制されると、ここまで逸脱した想像ができるのかと、恐ろしくなります。
さすが有名なだけはある作品。文学としての価値は私には分かりませんが、強烈な印象を残してくれることは間違いないです。


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