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仏教(下)第二部 教理

2008年08月15日 11:43

『ベック』著 渡辺 照宏 訳 岩波文庫 168ページ

上巻では仏陀についての紹介と考察が主だった本書は、下巻で仏教の教理に移る。
上巻参照はこちらから→http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-153.html

仏教は瞑想に始まり瞑想に終わる。
人が生きてる理由とか、死んでいく理由とか、哲学的な事を仏陀は求めた訳ではない。
その答えを求めるよりも実際に瞑想をして、二度と輪廻で生まれ変わらないように
俗世への欲望を捨てる事が第一であった。仏教は実践的な宗教なのだ。

信者の中には、そういった哲学的な疑問の回答を聞きたがる人もいた。
しかし、仏陀はその危険性を知っていた。すなわち、質問者をその答え、
言葉の中に束縛し、心の解脱を妨げることを。

仏陀といえば、仏像とかに見られるように、瞑想をしているイメージがありますが、
実際にその瞑想の中身はどうなっているのか。
仏教の最終目標は「解脱」。いわゆる「涅槃」と呼ばれるものです。
色々な欲望を捨てることによって、輪廻の生まれ変わりの輪から抜け出す。
その為、瞑想をして欲望を捨てる。欲望のすべてが無くなった時が、「解脱」である。

解脱へ至る道にはいくつか道程があって、予備段階を入れると5つの道がある。
まず第一は「信仰」。仏陀の説法で道を踏み出す決意を固める。
簡単に言うと、贅沢な暮しを辞めて坊さんになるということ。
托鉢をして、瞑想をして、清楚で正しい生活をする道へ踏み出すこと。

第二は「戒律」。決意をした後は実行に移す。
言葉も坊さんらしく丁寧に話し、性交を避け、解脱へ向けて努力する。
最終的に欲望をなくすことが大事なので、イメージにあるような「苦行」を必ずしも勧めていない。
仏陀もその昔、苦行をもって欲望を捨てようとしたけれど、途中で「これは違う」と思って辞めている。
その人が、苦行によって欲を切り捨てられるならいいけれど、絶対にしないといけないという訳ではない。

第三は「瞑想」。精神を集中して瞑想にふけると、何も聞こえなくなるという。
仏陀が瞑想をしている時に、その傍に雷が落ちたことがあったが、瞑想中の仏陀には何も聞こえなかったという。
瞑想にも段階があり、上の段階に行く毎に神様の世界を通ったりすることができる。
最終的な解脱に至ると、人は神より偉くなることができる。

第四は「英知」。瞑想にふけることで、人は神通力や千里眼といった能力も手にすることができる。
神様の世界を通っていくのだから、むしろそれ位はできて当然の世界になってくるのかもしれない。

第五は「解脱」。人間の宿命である、「病む」、「老いる」、「死ぬ」の輪廻から脱する。

最後の方になってくると、なんだか現実味のない話になってくるので、
シュールな宗教だと思っていただけに、少し拍子抜け。
本の方は、文献も多く、文章全体も読みにくく論文的。
底本が古い割に内容はしっかりしていると思うけれど、
最後の方で作者自身仏教信仰の厚さが見える気がするので、そこが残念。

仏教を知るという意味では参考になりましたが、もう少し簡単な本でも良かったかなと思います。
最近は宗教が徐々に生活に浸透しているので、「世界の神様がわかる本」とか、書店で見かけますね。
ああいった本でも十分仏教の面白さは分かるのではないかなという気がしました。


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