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NHKスペシャル 四大文明[メソポタミア]

2008年06月08日 00:34

『松本 健・NHKスペシャル「四大文明」プロジェクト』編著 NHK出版 254ページ

ようやく四大文明の2つ目に取り掛かる余裕ができ、手に取ったのはやはり「メソポタミア」。
前回のエジプトはこちらから→http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-52.html

バベルの塔に代表されるジッグラトや、楔形文字、ウルの秘宝、ギルガメシュ叙事詩などはメソポタミアの産物。
また、世界で最古の文明であることや、文字を最初に開発したのもメソポタミアと言われている。

「メソポタミア」とは、古代ギリシャ語で「二つの大河に挟まれた土地」と意味する。
チグリス、ユーフラテス川はどちらもトルコのアナトリア高原を水源としている。
イラクを南へ流れ、2つの川は合流してペルシャ湾へ注いでいる。
以前このブログでエジプト文明を紹介したが、エジプトはナイル川の氾濫をそのまま受け入れることで、川と共に生きてきた。
反対にメソポタミアは、川を整備し、水を引き、人が手を加えた文明であると言える。

大きく分けて、メソポタミアは4つの文明に別れる。シュメール、アッカド、バビロニア、アッシリアである。
初期の文明としてはシュメールが挙げられ、ウルやウルクはそこで栄えた都市である。
イラクといえば灼熱の乾燥しきった砂漠を思い浮かべる人は多いだろう。
何故こんな土地に、人類最古の文明が誕生したのか。この歴史に触れるとき、誰もが抱く疑問だ。

その答えは「麦」にあった。

人の手による耕作は、元は全てそうであったように、野生種からであった。
野生の麦を発見した人類は、人工的に栽培を始める。
しかし、川の上流で、天水に頼った農業は、気候による偏りが多い。
麦作技術を持った人々は、肥沃な河口の泥を求めて南下をはじめる。
そして、シュメール文明の原型が築かれたのだという。

しかし、文明が発展するために必要なことは、安定した食料が確保されるという前提がある。
南部へ移動するほど雨量が少なくなるイラクでは、気候の厳しさは増すばかり。
そこで生まれたのが灌漑農業である。運河を掘って大河から水を引き、安定的な食糧を確保していたことが、
当時の地図からも分かっている。つまり、気候に恵まれた場所では特に新しい発想は生まれず、
条件的に恵まれない場所の方に、かえって革命的な新技術が生まれたのだから、人間の知恵には驚きだ。

川と人との関わりは、このようにして形作られたわけだが、建物の方はどうだろう。
我が家にはブリューゲルの「バベルの塔」のパズルがデカデカと飾ってありますが、
モデルになったのはもちろんバビロニアのジッグラトである。
メソポタミア文明の王朝は、多くがこのジッグラトの建設を行っていた。

現在に残るウルやニップールのジッグラトの写真を見ると、何か違和感を覚える。
砂漠の中にポツンとある崩れたレンガの塊。そう、周りに建物の材料となりそうなものが無いのだ。
大河の河口の低地で栄えたシュメールには、石も木材も存在しない。
あるものは砂だけであり、人々は泥から作ったレンガを専ら建築に利用した。

今日でも用いられているレンガは、木の枠に泥を入れ、空き地に並べて天日干しにするだけという、いたって簡単なもの。
そして、レンガとレンガの間に塗りこめられ、セメントの役割を果たすものには、
地面から不気味にボコボコと噴出している「瀝青」だ。天然のコールタールである瀝青は、日本の別府の「地獄めぐり」の様子に良く似ている。
資源が少ない土地で、こうして人知によって都市が作り出されていくというのは、とてもロマンがあることです。
そして、レンガ作りに必要な水や、高度を増すための麦のおが屑。やはり根底にはそれを支える川の存在があったのです。

さて、メソポタミアで忘れてはならないのが、「ハンムラビ法典」の存在でしょう。
完全に残っているものとしては、世界最古の法典で、「目には目を、歯には歯を」で有名ですね。
現在ではパリのルーブル美術館所蔵になっています。この法典の内容を知るとき、
(奴隷などの差別的前提を除けば)、その完成度の高さに驚かされます。
例えば、製造物責任法。日本では1995年にPL法によって具現化されたものが、
この時既に取り入れられており、被害者救済の立場に立って法典が作られているのだからスゴイ。

土地柄、このように厳しい環境であるにもかかわらず、メソポタミアは多くの歴史的重要物を残してきた。
しかし、この国の治安は湾岸戦争に例を見るように、極めて不安定だ。
ウルのジッグラトに至っても、多国籍軍の戦闘機から発射されたミサイルが近くに着弾し、
破片が飛び散って出来た穴が400以上もあり、生々しい。
また、戦時中に駐在していたアメリカ兵らは、遺跡を掘り返し「土産物」を持ち去ってしまった。
今現在も入国チェックは厳しく、調査が再開されない遺跡も多い。

古代の遺産は人類全体の宝。古代メソポタミアでも数々の王朝が盛衰し、戦乱が繰り返されてきたが、
その姿は現代の私たちと、どれほどの違いがあるだろうか。


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