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点子ちゃんとアントン

2009年12月26日 00:54

エーリヒ・ケストナー』著 池田香代子 訳 岩波少年文庫 204ページ

ケストナー三連発。
電車の中で読むと、児童文学の表紙丸出しなので、ちょっと恥ずかしい。
「エーミールと探偵たち」「エーミールと三人のふたご」の二作の間に書かれたもの。

<あらすじ>
お金持ちで、想像力が豊かすぎる元気な女の子、点子ちゃん。
(本名はルイーゼ。生まれて一年、全然大きくならなかったので、点子ちゃんというあだ名がついた)
お父さんはステッキ会社の社長で、お母さんは自由気ままに贅沢暮らしをしている。

点子ちゃんには、アントンという男の子の友達がいた。
アントンのお母さんは病気でベッドから出る事が出来ない。
アントンは料理や家事をして、夜中にこっそりお金も稼いでいる。

夜中にどうやってお金を稼ぐかと言うと、靴ひもを街頭で売る仕事だ。
点子ちゃんも、夜中に養育係のアンダハトさんと街中へ出かけて、
アンダハトさんの彼氏にあげるため、マッチ売りの少女のお芝居をしてお金を稼いでいる。

ところが、点子ちゃんが物乞いでお金を稼いでいるところをお父さんに見つかってしまう。
同時に、アンダハトさんの彼氏が、点子ちゃんの家に強盗に押し入ろうとしている事実も
発覚して、最後には善良な人が救われて、悪い人はそれなりの罰を受ける結末に終わる。
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点子ちゃんのおちゃめぶりが、キュート。
ケストナーはどうしてこうも、キャラ作りが上手なんでしょうね。
壁に向かって、マッチ売りの少女の練習をする女の子…という設定は面白い。

この物語は、16の章からなっていますが、それぞれの終わりに「立ち止まって考えたこと」という、
ケストナーの人物や人生に対する考察が、子供に語りかけるように書かれてあり、それが特に面白い。
「義務について」、「誇りについて」、「空想について」、「勇気について」…という具合。
ケストナーがナチスに圧力をかけられていた…というのは前に少し触れましたが、
平和に何が必要なのか、ケストナーはやんわりとこの「立ち止まって考えたこと」で伝えています。

この物語は、結局は悪人が裁かれて、善人は幸せになるという結末を迎えますが、
彼の時代では、現実は必ずしもそうではない。将来、公正な世界が実現するために、
「みんなは、ぼくたちおとなのほとんどよりも、きちんとした人になってほしい。
 正直な人になってほしい。わけへだてのない人になってほしい。かしこい人になってほしい」
と、最後の考察、「ハッピーエンドについて」で述べています。

こんな明るい話が、ナチス政権下で描かれていたのかと思うと、すごいなあと思う。
エーミールのシリーズにしてもそうだし、彼の描く作品には、「正しい子供」が、
将来を担ってほしいという気持ちが込められているのだなあと感じます。

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エーミールと三人のふたご

2009年12月24日 00:34

エーリヒ・ケストナー』著 池田香代子 訳 岩波少年文庫 297ページ

「エーミールと探偵たち」の続編。エーミールの物語は、この第二作目で完結です。
前作とは、少し印象も変わって、ちょっと大人の要素も盛り込まれていました。

<あらすじ>
前回の事件から、2年後の物語。
あの後、彼らの活躍は有名になり、映画として上映されることにもなった。

一作目ではほんのわき役だったイェシュケ巡査は、警部になっていて、
エーミールのお母さんと結婚したいと申し出ていた。
(エーミールのお父さんは、彼が小さい頃に亡くなっていた)
複雑な気持ちに揺れていたある日、かつての探偵仲間の教授から手紙が届く。

そこには、教授の大叔母さんが亡くなって、彼が海辺の屋敷を相続した事、
夏休みにみんなでまた、集まって泊まりに来ないかという事が書かれていた。
かくて仲間は再開し、たのしい休みを過ごすことになった。

ところが、そこでまた、ある事件が持ち上がり…。
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個人的には、前作の方が好きでした。
お金が盗まれて、仲間が集って、捕まえて…というストレートな進行が、
二作目になってから、大人たちのコペンハーゲンの旅が語られたり、
再婚騒動が持ち上がったり…と、少々騒がしい感じがしました。

主人公たちは、相変わらず良いキャラだしてますし、
大人たちの素敵な包容力は、作品に魅力を与えているのですが、
今回は大人に捨てられて置いてきぼりになる少年とか、
(結局、置いて行った方はそのまま逃げてしまう)
再婚する母親の幸せを考えて、自分悲しみを我慢するエーミールとか、
「人生ってつらいもんだなあ」というセリフが、しみじみと語られるあたり、
「少年たちの大冒険」!といった、前作とは違っています。

2年たって、少し大人になった少年たちを書きたかったのかな。
母親の再婚に悩むエーミールに、教授がこっそり相談に乗るシーンなんか、いいなと思います。
「おれたち、ずっと友達でいような、長い髭のじいさんになっても」
これはグスタフのセリフですが、この後の続編が無いのは非常に残念。

岩波のケストナー全集は、高橋健二氏の翻訳ですが、
高橋訳は「~です」「~ます」で、
池田女史の方は「~した」「~なのだ」という訳。
どちらがいいかは分かりませんが、また読み比べをしてみようと思います。


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エーミールと探偵たち

2009年12月22日 00:35

エーリヒ・ケストナー』著 池田香代子 訳 岩波少年文庫 230ページ

小学4~5年生向けの文庫です。高橋健二氏の訳では、
岩波からケストナー全集として全8巻+別巻で出版されてます。
作品自体が児童向けに書かれていますが、大人でも充分楽しめます。

<あらすじ>
おばあちゃんを訪ねて、一人ベルリンへ出かけたエーミール。
しかし列車の中で、お母さんから預かった大切な140マルクのお金を、
グルントアイス氏という人に盗まれてしまう。
エーミールは泥棒を捕まえてお金を返してもらうため、
一文無しで、知っている人も誰もいないベルリンに飛び出します。

まず彼を助けてくれたのは、いつも車のクラクションを持ち歩いているグスタフ。
事情を聞いた彼は、クラクションを鳴らして少年たちを集めてきます。
少年探偵たちは、電話センター班、待機班、追跡班と役割分担を決め、
それぞれの持ち場について、泥棒を見張り続けます。

はたして、エーミールが取られたお金は、無事に帰ってくるのでしょうか。
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妙に背伸びした子供たちが本当にかわいい。
「だって、僕のものは僕のものだもん。他の誰かのポケットに入ってたってさ」
「道徳的には、お前が正しいよ。だけど、裁判所はお前を有罪にする。
 ここんとこ、大人だって分かってないやつはいっぱいいる。だけどそういうことなんだよ」
こういう、ちゃんと正攻法で取り返さなければならないと知っているところが、純粋だなあ。

深読みする必要がないので、やっぱり児童文学だな~とは思うのですが、
ファンタジーとか○○姫…ではなく、普通の日常生活が舞台で、
ここまでイイ作品が書けるのは、何が他と違うんだろう?と思う。
一つはキャラクターが極めて引き立っている事かな。
子供が、子供の域をでないで、登場人物たちのバランスが取れている。
頭のいい司令塔の教授、「てやんでい」が口癖の大胆なグスタフ…。
ズッコケ三人組のバランスの取れ具合と行ったらいいだろうか。あんな感じ。

もう一つは話のまとまり方。起承転結のつけ方が非常にうまい。
セオリー通りですが、子供のころのわくわく感が持続してライトに終わります。
ケストナー自身も作品中に出てきたり、物語構成を考案する模様を描いた序文など、
小気味いいポイントをいくつか入れてくれています。子供も飽きずに読み終わりそう。

作品の中では、理容師をしている母親が登場しますが、ケストナーの母親も理容師。
彼はマザコンであったらしいですが、この作品中にも母親への愛が溢れています。
ナチ政権下で圧迫を受けるも、亡命せずに活動を続けたことなど、興味深い作家です。
彼の生涯については、ケストナー(ナチスに抵抗し続けた作家)が参考として面白そうですね~。
とりあえず全集に収録されている話を全部を読んでみて、気になるようなら買ってみようかしら。
この作品の続編「エーミールと三人のふたご」は、次回紹介します。


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人魚の姫 童話集Ⅰ

2009年12月20日 23:22

アンデルセン』著 矢崎源九郎 訳 新潮文庫 259ページ

寒過ぎて、パソコンデスクの前に座るのが億劫だわぁ…。
本は読んでるんですが…更新頻度が遅くてすいません。

12月はクリスマスも迎えるという事で、優しくなれる本が読みたくなりますね。
…と言っても、アンデルセンの童話は悲しい結末の方が多いですが…。

いわずと知れた人魚姫。子供向けの本で誰でも読んでいる作品ですが、
実際今読んでみても、ちょっと涙ぐんでしまうほど悲しい話です。
あらすじは、いまさら紹介する必要もないですね。
私が読んだ新潮のは、最後に泡になって終わるのではなくて、
人間の魂を手に入れるために、空気の精として生まれ変わるという結末でした。

この本には、全部で16話が収録されています。
・すずの兵隊さん    ・ナイチンゲール
・のろまのハンス    ・イーダちゃんのお花
・モミの木         ・雪だるま
・アヒルの庭で      ・人形つかい
・幸福な一家       ・ペンとインキつぼ
・ほんとにそのとおり!  ・いいなずけ
・わるい王さま(伝説)  ・眠りの精
・アンエ・リスペット   ・人魚の姫

タイトルから分かりますが、人間が主人公でないもののほうが多いです。
ツリーや雪だるまなど、季節もので、人に忘れられてゆくものなど、
それらの視点から見れば、悲しい定めな事に気が付きます。

アンデルセンは、そういった悲しい物語を、ラストに救うことなく、
「そういうものなのです」と半ば諦めのような結末で描く。
読み終えた後に、幸せになった物語はほとんどなかったので、なんでかなぁと思ったのですが、
もともと貧しい家の生まれで、失恋も何度か経験していた…という作者の生い立ちを読んだときに、
なるほどなぁ~と思いました。アンデルセンが信心深い印象を受けるのも、
「死んで天国に行く」、「現世はつらい事ばかり」という所へ行き着く前提なのか。

ユーモアに関しては、小説ならではの醍醐味でした。
本文一ページ目の「すずの兵隊さん」の書き出しから印象的。

「あるところに、二十五人のすずの兵隊さんがいました。
 この兵隊さんたちは、みんな兄弟でした。
 なぜって、みんなは、一本の古いすずのさじをとかして作られていましたから」

児童書では省かれてしまうような比喩や揶揄が、盛りだくさんで楽しめました。


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赤毛のアンの世界 作者モンゴメリの生きた日々

2009年12月17日 00:52

『M・ギレン』著 中村妙子 訳 新潮文庫 205ページ

あと半月で、今年も終わるだとぉ…。
若い頃は一日が短くて一年が長い、年をとると一日が長くて一年が早い…。はぁ。

気を取り直して、モンゴメリ
「赤毛のアン」作者の一生と、彼女を取り巻いた社会、
そして風景などを写真を多数掲載して紹介する本。
材料は作者の日記や手紙をもとにしたものが多く紹介されています。

あんな作品を描く人だから、幸せいっぱいの人だと思っていたんですが、
母親の病死、父親の再婚、継母との不調和と、小さい頃から苦労ををしていたようです。

結婚後も、夫と心の底から分かりあえるという事は無かったようで、
夫が牧師なのに対して、モンゴメリ自身はキリスト教に独自の解釈を持っていました。
宗教は信じるが、基本はドライ。しかし、世間体もあるので、
それら素直な気持ちはペンフレンドにしか明かしていません。

ここらへんのモンゴメリの価値観と言うのは、非常に独立しています。
「私が自分をクリスチャンと呼ぶのは、キリストの教えを信じ、
 それに従って生きようと、自分なりの努力をしているからです」
アンも作品の中で、純粋に宗教に疑問を持ったりする場面がありますが、
そこらへん、作者に似ているのかな?と思ったりもしていました。
が、意外な事にモンゴメリ自身は「アンシリーズ」には、二冊目から飽き飽きしていたらしいです。

「赤毛のアン」が成功し、出版社から続編を求められていた作者は、
その後に「アンの青春」「アンの愛情」…と言われるままに作品を書く。
しかし、「どうして読者は、嫌気がささないのか不思議だわ」という発言をするくらい、
作者自身はアンにうんざりしていたようで、「あのにくらしいアン」とまで言っています。
アンのずばぬけた想像力や、自然を愛する姿なんて言うのは、
この本を読む限り、モンゴメリ自身とかなり類似しているので、
自分をモデルに描いた作品…というのは誰でも感じるところだと思うのですが。
印象が違うミュージカルの出来栄えや、この作品で有名になった事で
引き起こされる苦労、読者の捉え方の違い…色々原因はあるのかもしれません。

そう考えると、モンゴメリは色々な「仮面」をつけなければ生きていけなかった人ですね。
「こんなの、私の作品じゃないわ」と感じながらも、人気作家としてアンを書き続け、
牧師の妻として、慣習に従った宗教を人に説き…。そして子育て…。
空想の世界と、現実世界のはざまを、行き来して過ごす苦労人という印象を受けます。

かなり沢山の写真は収められており、なかなか楽しめました。
モンゴメリ自身や、彼女を取り巻く人々、それら以外にも、
アンの舞台、グリーンゲイブルズの生活がビジュアルで体験できます。


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小公女

2009年12月10日 23:45

バーネット』著 川端康成野上彰 訳 角川文庫 294ページ

まず、訳者にびっくり。昭和33年の初版です。今は新潮のがメジャーでしょうか。
別に、TBSでドラマが始まったから読みたくなった訳じゃありません。
イジメ、恋愛…面白味を出しやすい素材を前面に押し出してる印象を受けるので、なんか違うなと(笑)。

<あらすじ>
公女のように裕福な家庭に育ったセーラ・クルー。
彼女の母親は小さい頃に無くなり、大尉の父親とインドで生活をしていた。
物語は、セーラがロンドンのミンチン女子学院に入学するところから始まる。

大金持ちの令嬢とあって、寄宿舎では特別待遇を受け、それを妬む人もいたが、
想像力豊かで面白く、誰にでも優しく接するセーラは学校中の人気者だった。

しかし、11歳の誕生日に突然、父親が死んだ事が告げられる。
父親のクルー大尉は、ダイヤモンド鉱山の事業に失敗し、全財産を無くして死んだのだ。
セーラの生活は一転、屋根裏部屋に住まいは移され、召使いとして働くことになる。

毎日がつらく、叱りつけられたり、あざけりを受けるセーラ。
しかし、彼女の想像力はつらい日々の生活に負けず、自分が小公女のつもりになったように、
激昂せず、罵られても丁寧に受け答え、優しさを忘れないようにふるまうのだった。

ある時、隣の家にインドから紳士が引っ越してくる。
この富豪はセーラの父親とダイヤモンド鉱山を共同経営した友人だった。
父親は死んだあと、鉱山は一転して成功し、セーラの財産は何倍にも増えていたのだ。
インドの紳士は、そんな事を露とも知らずに生活しているであろうセーラを捜し求めていた。
運命は二人を引き合わせた。セーラは父親の友人に引き取られ、再び幸せを手にしたのだった。
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書く事がないくらい、有名で、王道な話ですから、ちょっとイヤラシイ角度で感想を書いてみます。

この作品は使いやすい。子供向けにも、大人向けにもすることができる。

まずは「理想像」に仕上げる事ができるセーラ。
どんなに理不尽な怒られ方をしても、「公女はこうあるべき」という信念に基づいて、
常に凛々しく、腹を立てることをせず、怒っている相手ではなく、自分の憎悪との戦いをする。
そんな事が11歳まで、夢のような生活をしていた女の子にできるはずは無い。
子供の教訓小説としてなら、この「理想像」が一番わかりやすくていい。
しかし、世の大人が読むには「ホントに、こんな事が出来るかな?」と穿ってしまう。

この学校の経営者、ミンチン先生はセーラを学校の評判のために、おだてにおだてる。
実費で誕生日のパーティーやプレゼントを用意し(父親の破産で、その立て替えたお金は返ってこないが)、
父兄たちの前ではセーラにフランス語を朗読させたり、行進のときには一番前に立たせたり。
このミンチン先生の姿は、経営者として「あたりまえ」で、当然の行動。
ミンチン先生は作品の中では「悪者」の役柄だけれど、これが現実世界では「普通」。
むしろセーラの人間離れした、年齢にふさわしからぬ振る舞いに違和感を覚える。

そこを埋めてくれるのが「人間味」のあるセーラ。
人形を投げつけて、「お前なんかただの人形だ!」と八つ当たりをしてみたり、
意地悪をいうクラスメイトを、思わず殴ってみたくなったり、
こういうシーンが入ることで、セーラがぐっと身近になる。
父親が死んだと知る直前に、クラスメイトと交わした会話が、印象的。

「あんたがこじきで、屋根うらに住んでいるとして、それでも空想をしたり、何かになったつもりになれて?」
「もしこじきなら、なおさら、いつも何かを空想したり、何かになったつもりでいなきゃ、ならないわ。
 でも、そんなにやさしいことじゃ、ないでしょうけど」

世界名作劇場」の「小公女セーラ」なんかは、前者の「理想像」部類に入り、
原作は後者として読むことができるが、詰まる所どちらがいいのかと言えば、もちろん後者。
完璧は違和感を覚える。反対に、不完全さゆえに読者は共感を持つ事が出来る。

私に、この考えがふっと浮かんだのは、作者バーネットの
「一生涯わたしの作品が、売れなかったためしはない」という晩年の言葉による。
およそ小公女を書いた作者が言ったセリフとは思えない印象を受け、
人は分からんものだなあ…と、作者のミンチン先生的な一面を見たかなと感じたもので。


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ドイル傑作集3 恐怖編

2009年12月07日 21:51

コナン・ドイル』著 延原謙 訳 新潮文庫 175ページ

ドイルが晩年にまとめたというテーマ別作品集も、これで最終巻。
「ミステリー編」「海洋奇談編」で、正直パッとしない作品も多々あったのですが、
「恐怖編」で持ち直したか。本来のドイルらしい良作が拝めたので嬉しい。

収録は以下の6作品。
・大空の恐怖     ・革の漏斗
・新しい地下墓地  ・サノクス令夫人
・青の洞窟の怪   ・ブラジル猫

「恐怖」と一言に言っても、どういうタイプのものが登場するかと言えば、
一つは「怪物」のような非現実的なもの。もう一つは「人」の怖さ。
前者は「大空の恐怖」「青の洞窟の怪」で、他の作品が後者に分類しても
いいのではないかと思われます(かなり無理やりですが)。

ドイルの時代なら、「怪物」が出てくる小説は他にいくらでもあっただろうし、
それらの土台がある事を考えれば、「怪物」のストーリーに典型すぎるところがあると思う。
「大空の恐怖」に関しても、ハードボイルドヘミングウェイ的)な領域まで及ぶわけでもなく、
「結局何だったんだろう、この話は?」となってしまう。

注目したいのは、「人」の恐怖。
「新しい地下墓地」、「サノクス令夫人」などは、オチが読めるものの、
いわゆる「期待通り」に話が進んでも飽きさせない内容で見事。

特に「サノクス令夫人」に関しては、100ポンドのお金に浅ましく惹きつけられ、
思いもよらない手術をしてしまう医者の、ちょっとした心境など巧みに捉えています。

さらに注目したいのは、舞台設定。
古代ローマの地下墓地、考古学的資料が散乱したような部屋…など、
ゴシック趣味が話にとてもマッチしていて、作品としての雰囲気が良い。
「ミステリー編」「海洋奇談編」と、中途半端なイメージしか描けないような、
作品もありましたが、ここにきてやっと本家がお目見えした感じですね。
さくさく読んで、印象にも残る傑作が揃っていると思います。


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