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世界の支配者

2009年11月30日 23:55

ジュール・ヴェルヌ』著 榊原晃三 訳 集英社文庫 267ページ

集英社のジュール・ヴェルヌ・コレクションの最後の翻訳。
ヴェルヌが亡くなった年の、前年に書かれた作品。
ひっぱった挙句に、アッサリ終わる感じで、拍子抜け感はあるけれど、奥が深い。

<あらすじ>
アメリカ、グレート・エアリー山で、謎の事件が起こる。
火山性ではない地面の揺れが起こり、山の頂に噴火のような火を見たという証言が起こった。
また、周辺の村人たちの中には、「鳥が羽ばたくような音」を聞いたという者もいた。

警察官のストロック警部は、グレート・エアリー山の調査に乗り出す。
その山の内輪を調査し、現象の原因が火山なのか、それともまた別の理由なのかを調べるためだ。
しかし、山は岩壁がそそり立ち、結局はその内輪を見る事は叶わなかった。

その後、あいついで奇妙な事件が次々と引き起こされる。
ミルウォーキーでの自動車レースでは、300キロの速度で競争車を追い抜く、謎の自動車が現れた。
海上では、どんな船も出す事ができないスピードの高速船が現れた。
また、山に囲まれた湖の底では何かが水の底で振動し、水面を波打たせていた。

アメリカ政府は、それらの現象を、一つの乗り物だと断定した。
すなわち、高速の自動車であり、船であり、潜水艦であると結論付けたのだ。
それはなんという科学力、原動力だろうか!各国政府は乗り物を高額で買い取るため、
その未だ謎の人物に、正式に声明を発した。その乗り物の原理を知る事が出来れば、
どれほど軍事力の強化につながるだろうか。競り値は上がる一方だった。
しかし、謎の人物は傲慢な態度で、その申し出を断る手紙をアメリカ政府に送りつけた。

「わが輩の乗物を獲得するために提示された価格を絶対的かつ決定的に拒否する。
 新旧両大陸は知るべきである。わが輩には絶対に対抗できぬ事を -世界の支配者-」

この返答に、彼は「悪」とみなされた。逮捕状が出され、指名手配となった。
ストロック警部はこの事件にあたった。そして、乗物が接岸したと報告が入った湖へでかけていく。
しかし、乗物に乗っていた乗組員と撃ち合いになり、警部は乗物に連れ去られてしまう。
彼がその中で出会った人物…それこそ、かつて飛行船「あほうどり号」で時の人となった、征服者ロビュールだった。
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「征服者ロビュール」に引き続いた続編。また、拉致されてます。ヴェルヌは誘拐が好きだね。
1作目の「あほうどり号」から、さらに進化し、「エプヴァント号」という乗物になっています。
陸、水上、海底、空と4つのモードで対応可能で、まさに夢の機械。
ヴェルヌはこれまで色々な発明品を登場させていますが、これは最上、最強クラスです。
動力は、やはり電気。その仕組みは、空気中の微量な電気を動力にしているのだとか。
ちなみに、ノーチラス号もその原理で動いているらしいです。初めて知りました。

今回感じたのは、ヴェルヌの科学に対する考え方の変化。
元来、科学の発展に期待を持てるような小説を書いていたヴェルヌですが、
晩年になるにつれ、その科学を「悪用」する人物が増えていきます。

本作では、ロビュールは「エプヴァント号」を「悪用」はませんが、世論には「悪」とみなされます。
各国は軍事力のために(科学を戦争に使うために)、乗物を手に入れようと競り合いますが、
ひとたび、「エプヴァント号」が手に入らないと分かれば、手のひらを返して指名手配をかけるのです。
当時の戦争を見て、「科学は悪用されるものだ」とヴェルヌは痛感していたのでしょう。
1作目「征服者ロビュール」の中の、「諸君はまだおのれの利害しか考えない。国と国とが手を結ぶには、
まだ機は熟していないらしい」というセリフは白眉。二作目にして活きてきます。
この人間の愚かさをさりげなく描いているヴェルヌはさすが。晩年の心境も如実に表れています。

そして、もう一点はロビュールを見たときの、自然に対する科学の限界。
ロビュールは1作目では、若年気質のいやみっぷりを見せるような人物でしたが、
今回は打って変わって、セリフもほとんど無く、狂人チックなキャラクターへ変貌しています。
彼は、科学に対する傲慢な自信を持ち続け、最終的に嵐に挑んで乗物もろとも墜落して死んでしまう。
今でもクローンなどの科学のタブー分野は一つの論点になるけれど、
すでにヴェルヌもこの科学が侵してはいけない自然の境界線を感じていたのだろうと思う。
そして、ヴェルヌの答えはロビュールの死という形で明確に出ています。

作品の中で、ストロック警部がロビュールに、自分をどこへ連れて行く気だ?と
問いかけるシーンがありますが、その時、ロビュールは無言で空を指差します。
嵐に飛びこんでいくときに、ストロック警部は「法の名のもとに…!」と彼を止めようとしますが、
上を目指しすぎた科学(者)を、「これ以上いくな!」と引きとめようとする姿にも見えます。

テーマが重い内容なだけに、やはり人間描写の苦手なところが目立ちました。
晩年になって、読みやすさもさすが円熟してきた風がありますが、
その円熟と共に、人間味の部分も合わせて描きだして欲しいのが残念なところ。
ロビュールが狂人になってしまったのも、描きやすい「狂人」というキャラで終わらせてほしくなかった。


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征服者ロビュール

2009年11月29日 02:14

ジュール・ヴェルヌ』著 手塚 伸一 訳 集英社文庫 265ページ

海、地底とくれば、「空」をテーマにしないわけにはいかないでしょう。
おそらく、読んだら誰もが「海底二万里の空ヴァージョン」だと感じると思います。
登場人物が拉致されて、世界中を引き回されるというパターンも酷似してます。
発表順から行けば、「地底旅行」、「海底二万里」、そして本作となります。

<あらすじ>
世界各地で、空からトランペットの音色が聞こえてくるという事件が起きた。
各国天文台は、その正体を突き止めようとするが徒労に終わった。
また、これまた各国の尖塔に旗がくくりつけられるという珍事件が起こる。
誰もこの真相を突き止めることはできず、推測が飛び交うだけだった。

ある日、アメリカのフィラデルフィアで、気球主義者たちの集会が開かれていた。
彼らは、気球につけるプロペラを、前につけるか、後ろにつけるかで言い争いをしていた。
そこへロビュールと名乗る男が会場の中に、さっそうと現れた。
彼は熱狂的な気球狂たちを前にして、「私は空気より重いもので空を支配した」と宣言する。

彼は今にもリンチに合いそうな状況だった。非難され、怒号を浴びせられた。
その事件があった夜、さらに大きな事件が起こる。
会場から帰宅している途中に、気球主義者の代表格である、
プルーデントとエヴァンズ、そして召使いの一人が突然誘拐される。

彼らが連れていかれた先は、空の上だった。
すなわち、空の征服者ロビュールの飛行船、「あほうどり号」の客人となっていた。
そしてフィラデルフィアを飛び立った「あほうどり号」は、大空の世界一周旅行へ出かけるのだった。
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「飛行」は人類が昔から夢見てきた事ですから、古代から神話や物語でも多く語られてますが、
ファンタジーや、超自然的な力ではなく、現実に人間自らの力で飛ぶ可能性が
広がったのがちょうどヴェルヌの生きた時代。気球はとっくに成功していたし、
ライト兄弟ライトフライヤー号で初飛行に成功したのは、ヴェルヌの死ぬ2年前。

ポーや、シラノ・ド・ベルジュラックも飛行機械の登場する小説を書いてますが、
ヴェルヌが先人に影響されて、さらに進化した飛行機械「あほうどり号」で物語を作ったのは、
空想科学小説の父としては、当然の成り行きだったのでしょう。

さて、今回の注目ポイントはもちろん、この飛行機械「あほうどり号」。
ヴェルヌを沢山読んだ人なら、この「あほうどり号」のエネルギーが何によって動いているか、
早い段階で分かってしまうと思います。もちろん、そう、電気です。
船体は紙でできており、現代でいえばパルプにみたいなものでしょうか。
独立した推進プロペラと、上昇プロペラで走行はコントロールされ、時速200キロまで出力可能。
何十日も燃料補給なしで飛び続ける飛行船…という設定だから、現代の飛行機械で、
「あほうどり号」に匹敵するものは無い。現実的に電池でこれを作るのは無理な話だけれど。

ロビュールは、気球主義者の二人に「空気より重いもの」の方が、空を駆ける事に適していると、
認めさせるために拉致するわけですが、作品の中で気球をこれでもかと、こき下ろしています。
「気球に乗って五週間」という作品があるように、気球自体は決して嫌いな訳ではないと思うのですが、
その操作方法や、風の抵抗力などに、すでに限界を見ていたのだろうと思います。
そして、いつかは機械が飛ぶだろうと確信していたに違いないヴェルヌ。
事実、現代では飛行機が世界中を飛び回り、ロケットは月まで人類を運んでいます。
手塚治虫さんがエスカレーターが無い時代に、それらを描いていた…というエピソードが思い出されますね。

面白い事には面白いのですが、「海底二万里」に比べて、単調になりがちなのは致し方ない。
サイクロンや、火山噴火、雷などの予想できる範囲の現象が描かれるので、
人類がまだ完全に知る事が出来ない海底に比べると、小説の材料が少ないのだろうと思う。

また、ロビュールがどうして空を飛ぶのか、拉致した二人を最後にはどうしたいのかなど、
結局「よく分からない」で終わってしまう。続編の「世界の支配者」でもロビュールという人物は謎のまま。
ネモ船長は、世捨て人になった理由などの設定や、人間像も描かれているが、今回それがない。
このままでは、気球主義者を拉致したのも、「気球より飛行機の方がいいのだ」ということを、
無理やり分からせるために、いつまでも船から降ろさない強情っぱリな印象だけが残ってしまう。

ロビュールは最後に、「科学といえど、人間の理解を越えて先に進んではいけないらしい」と
皮肉を言って去っていきますが、読者からすれば結局、お前こそ何だったんだ、となる。
「彼は未来の科学者である」とヴェルヌは最後に答えとして書いているけれど、
それ以上の人間像を設定していなかったとすれば、単に飛行機と旅行の話で終わってしまう。
舞台設定ができている作品だけに、そこがしっかりしていれば「海底二万里」クラスの小説に
昇格できていたと思われるのが残念。「海底二万里の空版」と二番煎じに評価されてもしょうがない。

全体的には、先日紹介した「銃撃事件」の前に書かれた作品で、さっぱりした明るさもあって、
私個人の意見では、ヴェルヌらしいな~と思えるので好きな部類に入りました。
山脈の説明がえんえんと続くところも多く、趣味が分かれる作品かもしれません。
話は飛びますが、ヴェルヌのアメリカ揶揄は今回も炸裂しちゃってます。ありゃ~。
ヴェルヌの作品を読んで、アメリカの人は怒ったりしないのか心配です。


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カルパチアの城

2009年11月27日 00:42

ジュール・ヴェルヌ』著 安東 次男 訳 集英社文庫 255ページ

先日紹介した、「甥に打たれた銃撃事件」の後に書かれた作品。
この事件があった1886年を挟んで前後に作品を分けたときに、前半に「海底二万里」や、
「地底旅行」「気球に乗って五週間」などの壮大な冒険作品が揃っているのに対して、
後半は「地軸変更計画」、「世界の支配者」など暗い(というか、穿った姿勢の)作品が多い。
事件があった後は、「もうアミアンからでない」と妹へ手紙を書いたヴェルヌ。
旅行好きだったにも関わらず、自家用ヨットも売り払って、内にこもる生活へシフトしている。
今回も、その後半の作品の一つに数えられるもの。

<あらすじ>
トランシルヴァニア地方に、打ち捨てられたカルパチアの城。
極端に迷信を信じる封鎖的なこの土地では、何年もこの城には幽霊が住んでいると信じられ、
人々を寄せ付けていなかった。しかし、ある日、羊飼いのフリックは城から煙が上がっているのを発見する。

この城の探索に名乗り出たのは、若き林務官のニックだった。
彼が、村の代表たちを前にして出立を宣言したとき、部屋には不気味な忠告がどこからともなく響き渡る。
「城ニハ行クナ…サモナクバ、オマエニハ、不幸ガフリカカルダロウ!」
かくして城にたどり着いたニックに、本当に不幸が訪れる。
彼は人間には理解できない奇怪な現象によって、意識不明の痛手を負った。

折にこの地方を訪れていたテレク伯爵は、この事件を村人から聞き出す。
その際、カルパチアの城の持ち主が、ロドルフ・ド・ゴルツ男爵だったという事を知る。
テレク伯爵は、その名前に驚愕する。なぜなら、その昔、伯爵はイタリアのナポリで、
ラ・スティラという歌姫をめぐって、ゴルツ男爵とは因縁の関係にあったからだ。

テレク伯爵は、ナポリに滞在していた当時、ラ・スティラとの結婚を控えていた。
彼女の舞台へは気味が悪いほど毎日顔を出していた、男がいた。
それはまさしく、カルパチアの城の末裔である、ゴルツ男爵だった。
引退を前にした最後の舞台で、終幕のセリフを言い終わったラ・スティラは、突如吐血して死んでしまう。
数日後、ゴルツ男爵から、テレク伯爵に届けられた手紙には、「彼女を殺したのはお前だ」と書かれていた…。

真相を確かめに城へ潜入したテレク伯爵は、そこで死んだはずのラ・スティラの歌声を聴くのだった。
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楽天的な雰囲気は前期に比べて無いものの、講義的なところが抜けて読みやすくなった後期の典型。
城に入る頃には、本の4分の3くらいは終わっているので、最後があれれーというアッサリな感じでした。

トランシルヴァニア地方の迷信深さは、本当なんでしょうか。物理学で証明できない事は無いという
スタンスのヴェルヌには、こういう迷信深い村人たちを登場させてるのは、皮肉にしか見えません。
最後の段階で、科学によってすべてのネタは明らかにされるのですが、結末と差をつけるためか、
作品中に、「こういう迷信深い人たちは、いくら説得してもしょうがない」というくだりも多く見られます。

そういう意味では、「ほーらね、摩訶不思議な事はいくらでも科学で作り出せるのさ」という、
ちょっと嫌味な印象を受けますが、それもそのはず、本書の最初にヴェルヌ自身明言しています。

「わたしたちはいまや、なに一つ、不可能なことはない、なに一つ不可能はなくなった、
 といってまずさしつかえない時代にいる。たとえわたしたちの物語が、
 今日はまだありそうでなくとも、明日になれば、未来の財産たるさまざまな科学的手段によって、
 ありうるものにかわるかもしれない。(中略)もはやこれ以上伝説がつくりだされる気づかいはない」

ルーマニアの古城…といって思いつくのは、「ドラキュラ」ですね。
作品の第一印象は似てますが、ストーカーの書いたこの作品の3年前に、すでに本書は書かれていました。
解説で矢野浩三郎氏が述べているが、同じ題材でもストーカーの書いたドラキュラとは反対に、
ヴェルヌは迷信の闇に科学の光を当てようとする姿勢を崩さない…という意見は的を得ています。

よくヴェルヌはSFの始祖と評価されているのを見かけるけれど、私はちょっと違うかなと感じてます。
上記の文章にしてもそうだけれど、あくまでも「科学的可能性」の範囲からヴェルヌは飛躍しない。
つまり、科学で証明できないような、異次元ワープや、タイムマシンなどは登場しない。
(ここらへん、ウェルズと対比している論文を読んだら面白いのだろうなあ)

電気があれば、なんでもできる!と言っていたヴェルヌは、これからの科学の発展を見据えて、
空想を膨らませて小説にしていた。科学の可能性を信じて、実現を確信していた。
人類がいつか月に行くだろうということを、「月世界へ行く」で。
潜水艦で海底を冒険するだろうということを、「海底二万里」で。
SF小説と、空想科学小説は、同義ではない。あくまでもヴェルヌは「空想科学小説の父」だという事です。

話が飛び過ぎてしまいましたが、今回も近代的発明品として映写機が出てきたりしています。
物語構成をもった映画が1902年に作られたことを考えたら、この先見の明はすごい。
晩年になって、悪者が科学を用いるという作品が増えて、傾向は変わったのものの、
発想の原点は、やはりヴェルヌらしいと思わせる作品でした。


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必死の逃亡者

2009年11月24日 23:31

ジュール・ヴェルヌ』著 石川 湧 訳 創元推理文庫 281ページ

お次の舞台は中国。ヴェルヌ自身は旅行も頻繁にした人ですが、
中国に行ったことは無く、地名間違いなども見られる作品。
(と言っても、読んでる分には何が間違いなのか分かりませんが…)

当時の先進国がこぞって中国へ進出している時代のこと、
まだ未知の世界だった中国は大衆の関心を引いたでしょうね。
「八十日間世界一周」にしてもそうだし、ヴェルヌの小説が成り立つ理由は、
「中途半端にしか世界が知られていない」というのがポイントになるのだと思います。

<あらすじ>
大金持ちの金馥(キンフー)は、何不自由しない生活を前に、人生に退屈を覚えていた。
婚礼を前に控えたある日、その全財産の大部分を占めるカリフォルニア中央銀行の株が
大暴落したという一報を受ける。しかし、彼は動揺しなかった。

まずは許嫁に、この哀れな男を忘れてくれるように手紙を出した。
彼は、裕福こそが許嫁を幸せにできるのだと信じて疑っていなかった。
そして、保険会社へ赴き、彼の自殺をも保障する(すごいな!)多額の保険に入る。
しかし、意外な結末は、今度は彼を死から逃げ出させることを余儀なくさせる。

やがて、金馥は苦労を知り、生きる事に幸福を見出す男へと変わっていく。
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人生に無頓着だった主人公が、苦労を通して幸福を知る…という筋立ては、
教訓小説として素直に面白いですし、スタンダードだったと思います。
ただ、人生に飽きて…という設定は、およそ中国人気質に合わない気がしますが…。
そして、「必死の…」というほど必死でもなかったですね~。サメと戦うところくらいでしょうか。
「チャンセラー号の筏」を読んだ後では、どうも悲壮さのレベルが違うので比べちゃいますね(笑)。

サブキャラクターの保険会社社員二人(アメリカ人。最後の別れの淡白さはまさにアメリカ的)、
召使いの孫(スン)を連れての4人旅。人間ドラマが苦手なヴェルヌらしく、今回も淡々としてます。
これはヴェルヌの良いところでもありますが、悪く言えば「単純」な傾向。
子供向けに編集されやすいという理由もそこにあるのかもしれないですね。
わずかに「アドリア海の復讐」や「チャンセラー号の筏」で、人間ドラマが描がかれるくらいでしょうか。

巻末の解説を書いてる石川布美さんは、翻訳をされてる石川湧さんの娘さん。
解説の内容はともかく、ヴェルヌの生涯について、簡潔にまとまってあったので、
ヴェルヌの少年時代から、晩年の変化についてざっと知りたい方にはお薦め。


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地軸変更計画

2009年11月19日 00:38

ジュール・ヴェルヌ』著 榊原 晃三 訳 創元SF文庫 242ページ

タイトルがまずインパクトありますよね。原題は「上もなく下もなく」。
とにかく無茶苦茶な計画と、呆れた登場人物たち、皮肉な結末。
夢とロマンの作家ヴェルヌらしくないと、発表当時から言われていた作品。
女性からバッシングうけそうな、「科学は男の世界だ!」的な態度も相変わらずです。

<あらすじ>
189×年、アメリカ政府は北緯84度より北の土地を(それを土地と呼べるのなら)競売に掛ける。
未だ北極が未知の世界だった時代。多数の冒険者の限界が北緯84度だった。
アメリカ政府は、「北極実用化委員会」という謎の集団を代理に立てる。
この奇妙奇天烈な競売に参加したのは、6カ国。特にすべての領土は自分たちのものだと
言わんばかりのイギリスが、アメリカに対して対抗意識を燃やしていた。

北極実用化委員会は、何を目的に北極を買おうと言うのか。
かつて陸であったと推測される北極には、今後人類がもっとも必要とする資源、
石炭の鉱床があるはずだ。彼らは、それを掘り起こすのが目的なのだ!
一平方マイル10セントから競りはスタートし、彼らは希望通り、イギリスを排して落札するのだった。

北極実用化委員会というのは、かつて月への宇宙旅行をなしとげた「大砲クラブ」の仮の姿であった。
会長バービケインをはじめ、ニコル大尉、そして書記のJ・T・マストンたちが主なメンバーだ。
落札に負けた各国は、挑発的に問いかけた。「どうやって人類未踏の土地へ行き、厚い氷を掘るのか!」
それに対し、バービケインはこう答えた。「地球の新しい支点を見つけ、地軸を立て直すのだ!」と。

「そう!木星にいるように」
軌道に対してほぼ垂直な自転軸を持つ木星のように。北極に行けないなら、北極に来てもらおうではないか!
地軸の傾きがなくなることで、季節の変化は無くなり、北極にも太陽が降り注ぐであろう!

当初、アメリカ世論はこの計画に歓喜の声を持って答えた。
しかし、計画の準備が秘密裏に進められるにあたって、人々の不安は募りだす。
地軸の大幅な変更に伴い、標高の変化による窒息死、水没による溺死という問題が出てきた。
世界は恐慌に襲われ、連邦政府は大砲クラブに調査委員会を差し向ける。
これらの計画すべての計算した天才数学者、マストンは逮捕され、手帳も押収される。
そこには、地軸を変更させる方法が、緻密な計算式とともに書かれていた!
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「大砲クラブ」のメンバーといえば、「月世界旅行」と「月世界探検」のシリーズもので登場。
今回はその主要メンバー、バービケイン、ニコル大尉ではなく、書記のマストンを主人公に設定。
前に紹介した「月世界へ行く」は、「月世界探検」にあたります。月へ同行したミシェルは登場しません。

ヴェルヌらしくない…と最初に書きましたが、主人公たちが「悪者」になっている珍しいパターン。
弾道学の追求や、資源から得る利益のため…という理由で地軸変更するわけですが、
その影響に比べて、それを行う理由が軽すぎる。石炭のために、地球が豹変していいのかってね。
ヴェルヌがわざとアメリカ人を「無茶苦茶」に書いて、滑稽にしているとしか思えない(笑)。
ちなみに今回のフランスは「いい立ち位置で様子を見ている」役。
各国のバカらしい争いに、祖国フランスを入れてないあたり、ちゃっかりしてますね。

今回は巻末の牧眞司氏の解説が、かなり参考になりました。
こんな夢あふれる作品を残しているヴェルヌも、甥に銃で撃たれた1886年の銃撃事件から、
編集者のジュール・エッツェルの死…と不幸が続き、晩年は人間不信の気があったそうです。
キャラクターの性格が、シリーズものの前後でかなり違う…という変化が作品に生じているとか。
たしかに、以前読んだ「月世界へ行く」と打って変わって、悪者の立場になった「大砲クラブ」のメンバーに、
戸惑いを感じえませんでした。人間描写もそれほど深くないので、一概に言えませんが。

そして今回もリアル主義が炸裂です。無茶な内容に真実味を持たせるためでしょうか、
気合入ってます。本作を書くため、必要な計算を大枚はたいて数学者に依頼したんだとか。
オチに関しては、勘のイイ人なら、読んでる最中に、だいたい見えてくるとと思われます。
ところで、私は未だに「月世界旅行」を読んでません。順番、また間違えてしまいました…あらら。


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チャンセラー号の筏

2009年11月16日 01:05

ジュール・ヴェルヌ』 榊原 晃三 訳 集英社文庫 286ページ

これも、今年に入って新装版になったもの。
カバーイラストは「気球に乗って五週間」に引き続き、別天荒人さんによるもの。

ヴェルヌの船好きが、大いに発揮されてる作品。生まれ育ったのは港町ですもんね。
トップマスト、トゲルンマスト、帆桁…と名称が出てくるものの、さっぱり分からない…。
「船の歴史事典」を本気で買いたくなった。ヴェルヌは勉強欲を書きたてる作家ですなー。

<あらすじ>
1869年、乗組員、乗客23人を乗せたチャンセラー号はアメリカを出発した。
しかし、積んでいた積荷に火災が発生。少ない空気で徐々にだが確実に火事は進行していく。
人々はギリギリまで乗船していたが、ついには筏を作り、船を捨てたのだった!

風のきまぐれに任せ、漂流する筏。刻一刻となくなる、水と食料。
「われわれの置かれているような状況にある遭難者について常に言われていることだが、
 それは本当だった。人は飢えよりも渇きに苦しむのだ。そしてまた、渇きによる死のほうが早いのだ」

極限状態まで落とされた人々は、動物性物質の帽子や、革の策具まで口に運ぶ。
そして、人間の最も野蛮な行為へも走り出すのだった。
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遭難して、飢えて、乾く…この黄金率、またも来ましたね!
ヴェルヌにしては、今回はバタバタと人が死んでいきます。
少年に読ませたいような冒険小説作家のイメージがありますが、
そういう類のものではなく、極限の人間ドラマを描くのが今回の主眼のようでした。

この作品には、実話のモデルがあり、ジェリコーが書いた「メデューズ号の筏」
影響を受けたヴェルヌが、その題材に持ってきたのだそうです。
メデューズ号は1816年にモーリタニア沖で遭難。147人の遭難者のうち、助かったのは15人。
その筏の上では、水や食料が尽きた事はもちろん、狂気や食人が横行していた。
絵画は最後の15人が助かるところを描いたものですが、子供の頃にヴェルヌはこの作品を見て、
強烈な印象を受けたそうです。そこから、この作品につながったのだとか。

日記形式で進んでいくのですが、最後らへんには日記という事を忘れてしまう。
ちょうど作品は前後に分かれ、前半が船が沈没するまで、後半が筏の漂流…という感じ。
王道ストーリーですが、この遭難につきものの要素は確実に面白いし、ヴェルヌには得意分野。
死んだ人間を釣りのエサに使うシーンなどは、胃が悪くなるような感じです。やはり見せ方が上手い。

ヴェルヌも、こういう作品を書くのだなあ…と思いました。
付き合うほどに、新しい一面を見せてくれる作家です。


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インド王妃の遺産

2009年11月13日 00:47

ジュール・ヴェルヌ』著 中村 真一郎 訳 集英社文庫 238ページ

普仏戦争でフランスがドイツ(プロイセン)に負けた後に書かれた作品。
ヴェルヌは超・愛国者ですから、もともとフランス贔屓なところがありますが、
かなりこの作品ではドイツに敵対心を持った書き方がされてます。

ソーセージと、酢漬けキャベツ、そしてビール…という典型的なドイツ食に対して皮肉ってみたり、
何かを新発明するということは、基本的にはゲルマン人には向いてないとか…あららら(笑)。
あとがきで三木卓氏も書いてましたが、ふとヒトラーが説いたゲルマン人の優秀性について、
作品を読みながら考えずにはおられませんでした。どっちもどっちな事してるなァ…(汗)。

<あらすじ>
インド王妃にまつわる莫大な遺産が、二人の相続人に山分けされることになった。
フランス人のサラザン博士は、その遺産を用いて、アメリカ東海岸に理想都市
(というより衛生都市…)を建設し、科学者、芸術家などの、あらゆる教育環境を整備した。

ドイツ人のシュルツ教授は、鋼鉄都市(シュタールシュタート)を創設し、
鉄を精錬し、大砲を生産し各国に兵器の供給を行っていた。

やがてシュルツ教授は理想都市を、ある新兵器で壊滅させる計画を立てる。
鋼鉄都市に潜入捜査のため潜り込んだマルセルは、その秘密を嗅ぎ付ける。
はたして、彼は生きて理想都市に帰れるのか。そして、その野望を阻止できるのか。
-----------------------------------------------------------------------------
印象としてはアッサリ終わった作品。冒険というより、ヴェルヌの科学趣味の典型。
人間関係の描写も浅く、潜入捜査、科学戦争を中心に置く、近未来SF。

何かの本で、ドイルホームズやヴェルヌの作品は、今から見れば設定が時代遅れ…
という解説を読んだことがありますが、「そりゃ、あたりまえでしょう!」と私は言いたい。
だって、19世紀ですよ。当時は未知の世界のSFという事で熱狂されたでしょうが、
それを現代に当てはめるのが無理だというもの。当時の世界観に合わせて読まなければ。

あらすじを読んでの通り、インドは全然関係ないです。
シュルツ教授が、理想都市を破壊するのが、「民族の自然な生存競争に従うため」という、
かなり一方的な恨みによるので、あまりストーリー性には期待できない。
おおまかに言うと、ゲルマン人がラテン人に理不尽な攻撃をしかけるという話ですから(笑)。

脱走シーンのアイデアとかは切迫感があってGood。
セリフではなく、淡々とした描写によってリアルさを描く、ヴェルヌの手腕が光ってます。


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アドリア海の復讐 下

2009年11月10日 20:38

ジュール・ヴェルヌ』著 金子 博 訳 集英社文庫 382ページ

上巻でアンテキルト博士の正体が判明し(まあ、誰でもわかりますが…)、下巻へ。
こういった復讐劇は、あまりネタバレしない方がいいですね。簡単に後半のあらすじを紹介します。

<第三部以降あらすじ>
アンテキルト博士は、エチューヌ・バートリの息子、ピエールを味方につけた。
しかし、その間に失踪してしまった、ピエールの母や、復讐の目的である
サルカニー、トロンタルの二人は、サヴァを連れてどこかへ姿をくらましていた。

博士は彼らを追い、地中海を渡り歩く。彼が拠点としているのは、莫大な金を持って買い取った
アンテキルタ島と名付けられた島だった。そこは防塞設備が整えられ、平和が保たれた理想郷だった。
シチリア、ジブラルタル、チュニジア…各地で博士は復讐すべき人間を追い詰めていく。
-----------------------------------------------------------------------------
地中海をあっちこっち回るには、エレクトリック2号という電気の船が使われるんですが、
今回はそれに限らず、いたるところでヴェルヌの電気至上主義が光ってます。
アンテキルタ島から各地に張り巡らされた電気配線での交信やら、
電気遠隔操作を用いての爆発システムとか…「これからは電気の時代だ!」と作中でも明言してます。

話の展開が後半に入って、少し早急すぎるところが目に付いてしまいました。
「いくらなんでも、そこには気が付くでしょ!」と突っ込みを入れたくなるところや、
偶然にしては都合が良すぎてしまうかな…という部分もしばしば。

私が思うに、ヴェルヌの「十五少年漂流記」とか、「冒険」を主題に置いた作品は、
結局は「めでたしめでたし」が来るのが当然であって、多少の「偶然」や「幸運」は許される。
むしろ、読む側はそれを楽しみにしている風もあると思う。
反面、今回のような復讐劇でこの「偶然」を多発してしまうと、作為が感じられて興を削ぐと思う。

また、ヴェルヌはいい意味でも、悪い意味でも優しい。
最後の最後で、復讐者として鬼になれない主人公たちもそうだし、ストーリーの中で残酷性が薄い。
ここまで執念を燃やして追いかけてきたのになあ…と、感じないでもない。

反面、新しいヴェルヌの境地が見れました。
「空想であるが故に、科学的な根拠を緻密に書いた方がリアルに感じる」
これはポーの影響を受けての作風ですが、そのためヴェルヌには「講義ちっく」な作品が多い。
「地底旅行」のリデンブロック教授、「グラント船長の子供たち」の地理学者パガネルなどが、
その講義の「先生役」として、作品に必ず知恵者として出てくるのはそのため。
あとがきで松村喜雄氏が「後期になるに従って空想科学小説が影をひそめ、
冒険小説の色彩が濃くなり…」と書いてるが、まさに今回の作品はその好例。

ただ、どの作品にも共通して言えるのは、ヴェルヌは友情やロマンに溢れているという事。
科学小説だけ、復讐劇だけ、というのなら、どれも中途半端にしかならなかったと思う。
やはり根底に人を熱くさせる要素が入っているから、ヴェルヌはイイんだよなぁ…。

ちなみに、下巻も博士の催眠術が炸裂。かなり作品の重要部分で用いてます。
研究者の名前も色々出てきていましたので、ヴェルヌは間違いなく信じていたんでしょうね。
空想科学小説の父のオカルティックな一面。まあSFといえば、SFになるんでしょうか。


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アドリア海の復讐 上

2009年11月06日 23:58

ジュール・ヴェルヌ』著 金子 博 訳 集英社文庫 364ページ

ヴェルヌ版、「モンテ・クリスト伯(巌窟王)」です。
これも、集英社のジュール・ヴェルヌ・コレクションの一つ。

冒頭に小デュマに宛てた手紙が紹介されてまして、そこに
「この作品で、わたしはマーチャーシュ・サンドルフを
 <驚異の旅>叢書における モンテ・クリストたらしめようと試みた」
と、書かれています。大デュマを尊敬してたんですね。

作品は全部で第五部。そのうちの、一部、二部が上巻に、三~五部は下巻に収録されています。

<あらすじ・第一部>
1867年、イリリア地方の中心都市トリエステにて、三人のハンガリー人が
独立を取り戻すために陰謀を企てる。その三人の首謀者とはつまり、
エチューヌ・バートリ教授、ラディシュラシュ・ザトマール伯爵、
そして主人公のマーチャーシュ・サンドルフ伯爵だった。

サンドフル伯爵が中心メンバーとなり、決起の合図が出されれば、
ただちに各地で指導者たちが立ち上がることになる手筈が整った。
そして実行に移される前夜、首謀者の三人は突然、警察に逮捕される。

利欲のため、彼らを密告したのは、ならず者サルカニーと、銀行家のシーラシュ・トロンタル。
世間には秘密裏に有罪の判決が出された後、裏切りの事実を知った三人は、復讐を心に誓い、脱獄する。
しかし、バートリとザトマールは再び捕えられ死刑に処せられる。
サンドルフ伯爵も、逃走中に弾丸を受け、アドリア海の藻くずと消えた。
彼らが誰によって裏切られたのか、どうやって密告されたのかは世間に知られる事なく、事件は葬られた。

<第二部>
事件から15年後。アドリア海の東岸のラグサの街に、アンテキルト博士という大金持ちがやってくる。
博士の過去は謎に満ちており、どこから来たのか、どこへ行くのか誰にも分らなかった。

彼はこの街に、かつて自分を陥れた一人、銀行家のトロンタルと、
さらには仲間だったバートリの息子ピエール、母親であるバートリ未亡人が住んでいることを知る。
運命の巡り合わせは皮肉なもので、ピエールと、トロンタルの娘サヴァは愛し合っていた。

アンテキルト博士は彼らの仲を引き裂く決心をする。よりによって父親を殺した人間の娘を愛するとは。
その頃にはすっかり密告の報酬を使いはたしていたサルカニーは、
身の安泰を図ろうと、トロンタルに娘との結婚させてくれと要求する。
お互いに過去の秘密と持ち合うため、トロンタルはそれに承諾せざるを得なかった。

サヴァがサルカニーという男と結婚する事を知ったピエールは自殺を図る。
しかし、そこにアンテキルト博士が現れ、彼を眠らせる催眠をかける。
一度死んだと思われたピエールは埋葬されるが、博士は彼を墓から救い出し、
自分が、かつて父親と共にハンガリー独立の陰謀を企てたサンドルフ伯爵であることを明かすのだった。
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いつも淡々としている冒険譚を読んでるので、およそヴェルヌ風ではないですね。
かといってデュマ風かと言えば、そうでもない。音の反響とか、危機迫る描写とか
細かいリアルさは、やはりヴェルヌ的。催眠術が出てきたことにはビックリしましたが…。
ここにきて、そういうオカルト的な手法使っちゃいますか…(笑)。

復讐劇なので、王道ではありますが、そのため土台となる人物の関係がより巧妙にできています。
ストーリー構成も熟成されてきている感じがあって、初期の作品より「文学的」になったイメージ。

モンテ・クリストの復讐劇はこれからが本番ですね。どうヴェルヌ風に料理されるのか。
興奮でハァハァしながら読んでる、気持ち悪い人にならないよう気をつけます。


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気球に乗って五週間

2009年11月05日 00:24

ジュール・ヴェルヌ』著 手塚 伸一 訳 集英社文庫 383ページ

集英社文庫のジュール・ヴェルヌ・コレクションの一つ。
今年に入って、漫画家の別天荒人さんの新カバーで新装版になりました。
イラストになると、人物のイメージが湧きやすい半面、一旦こびりついたら離れませんね。
それにしても面白かった…寝る間も惜しんで読むとはこの事ですね。

<あらすじ>
1862年、ナイルの源流を探るために、サミュエル・ファーガソン博士は
大胆な旅行計画を立てた。それは、気球に乗ってアフリカを東西に横断するというものだった。

多くの冒険者が命を落としたアフリカの地。北から向かった者、南から向かったもの、
未だ完全でない地図を一つにまとめ上げる事が、どれほど名誉があり、重要なことだろう。
博士は、猟銃の名手ディック・ケネディと、従者のジョーを連れて、
アフリカの東岸、ザンジバル島を4月18日に出立した。

ナイルの源流を調査するために、危険な野蛮人のいる土地に降り立つ博士。
「学問のために武器をとって戦った、というのははじめてではない」

はたして冒険者たちの地図は博士の発見によって繋がる事になる。
しかし、アフリカの地は旅人達に過酷な運命を課すことになる。
風のおもむくままに吹かれる気球は、一体どこにたどり着くのか。
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気球は熱気球ではなく、水素ガスを膨張させて上昇したり、加工したりするガス気球。
ヴェルヌが生まれた1828年にはガス気球の実験は成功しているし、
戦争にも利用されいたというから、ある程度の実用化はされていたんだろうけど、
行きたい方向に必ずしも進めるわけではない。
上空では色んな風の流れがあって、気球を上下させて進みたい方向の風の流れに乗れば、
ある程度の進路変更はできるらしい…。でも、やっぱり無謀な旅だわぁ…。

水の枯渇と野蛮人との戦いは…絶対出てくると思ってました。
思ってたのに…予想してたのに…うわーん、なんて面白いんだー!!
この緊迫感たまらないですね。これぞヴェルヌ。うん、ヴェルヌだ(何様…)。

ヴェルヌの作品は、史実に基づいているのが多く、バートンスピークといった人名が出てくる。
バートンといえば、あの「千夜一夜物語」の翻訳で有名な、リチャード・F・バートンです。
今回は特に、そういう色々な名前が出てきて勉強になりました。
ヴェルヌは科学にしろ、史実にしろ、かなりの勉強家だったそうです。

ちなみに、日本ジュール・ヴェルヌ研究会の会誌、「Excelsior!」は、「より高く!」という意味で、
ファーガソン博士が旅立ちの前に、ロンドン王立地理学協会の演説で言ったセリフ。
こういう、未だに忘れられないセリフが、ヴェルヌ作品の中にはいくつかあります。


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