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日本人とユダヤ人

2009年02月28日 11:52

『イザヤ・ベンダサン』著 角川文庫 264ページ

一時期有名だった問題の本。
どう問題だったのかと云えば、この本を詭弁であるとして、
「にせユダヤ人と日本人」という著が出版されているほど。
作者のイザヤ・ベンダサン氏は、山本さんという日本人。
日本で育ったことから、日本人より日本語がうまい…などと本の中ではユダヤ人の設定だが。

日本人の民俗学なのだと思うが、偏りすぎているかなという印象。
言い方も、もう少し丸ければここまで批判は来なかったのではないかなあと。
日本人は春夏秋冬があることから、せわしなく生きている…という説明で、

「これは先祖伝来のことだから今更それを大変だと言ってもはじまらないが、
 外部から見るとつくづく大変なことで、怠け者やノロマには生きて行けない世界である。
 確かにこの世界では、「ノロイ」ということは無能ということであり、従って何としても勤勉で、
 少々せっかちにならざるを得ない。「何事もアラーのおぼしめし」などといって、
 戸口でのんびり水たばこを吹かしていれば、日本では確実にあの世に行ってしまう。
 やはり、小さなキセルにせわしげに煙草をつめ、長火鉢のふちでせっかちにカンカンとたたいているのがふさわしい。」

遊牧と農耕の民の違いがそうさせるというのが作者の主張らしい。
キリストが馬小屋で生まれたのも、日本人にしてみれば、「なんちゅうとこや…」と思うが、
遊牧民族にとっては”神聖なところ”なのだ…となる。たしかに一理はあるが…。
一片だけを見た意見に思えなくもない。

日本人には「日本教」という根柢の宗派があり、曰く
「人間らしい」とか、「人間味のある」とか、「非人間的」という言葉がそれを表している。
人情を重んずる民族であるが故、忠臣蔵は人気がある。
ソレが普通なので確かなことは言えないが、他の国の人に人情がないことはないだろう…。

まあ、宗派はともかく、キリスト・ユダヤ今日の本来の捉え方は勉強になりました。
ヨハネの黙示録に出てくる、「青ざめた馬」(Pale green)は、「みどりがかった黄色の馬」の間違いなんだとか。
たしかに四つの生き物が出てきて、「白い馬」、「赤い馬」、「黒い馬」、「青ざめた馬」というのは唐突だ(笑)。

そういう興味深い部分はありましたが、総合的には「ま、アイデンティティを見直すにはいいかもネ…」ぐらい。
民俗学を一般化したという点では、この本を読まずにはおれないでしょうけれど。
「にせユダヤ人と日本人」の方も、いずれ機会があれば手をつけてみることにします。


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食卓はいつもミステリー

2009年02月26日 22:35

『阿刀田高』著 新潮文庫 243ページ

阿刀田氏の作品といえば、「~を楽しむために」、「~を知っていますか」などの
解説書シリーズが私の阿刀田始めでした。
新・旧の聖書からスタートして、アラビアンナイト・コーラン…
最近ではダンテやチェーホフといった個別の作家の入門書が出てるので嬉しい。

本来短編小説の天才といわれている作家のショートストーリーをあまり読んでないのは
失礼にあたるかもしれないですね。阿刀田さんの才能は他のジャンルにも及んで、
エッセイ・長編なども書いておられる。

今回のはジャンルにすればエッセイになるのだと思う。
そのタイトルにもあるように、「食」に関する色々な意見を4~5ページほどの短い文章の中に綴っておられる。
全部で45話あるけれど、1つのテーマでよくここまで多岐にわたった話題を広げたものだなあと。
ここはやはり、「閑話休題」がお好きな阿刀田さんらしい。
よくネタに困らなかったものだと野暮な意見は無用ということか。

話はそりゃもう枝葉のように広がり、「食欲」、「食事の夢」、「消化」、「美食」、「語源」、「習慣」と
いささか無理やりな気がしないでもない(笑)。ただ、話はあちこちに飛ぶ割に、
最後はなぜかうまいこと調和して形が整っている。生ハムとメロンを最初に食べたとき、
初めは本当にあうのかしら…と疑ってかかる感じから、ほほぅ…これは旨い、と変化する妙に似ている。

作家ならではと思う話として、エッセイの中で「柿の種」が好きだと書けば、
知人やメーカーから大量の柿の種が送られてくる。紅茶が好きだと書けば、
お歳暮に大量の…チョコレートが好きだと書けば友人が…。
と、目下何年分かの贈り物が届けられる。
いくら好物でもここまでくると…と、この先はハッキリ「きらいになる」とは書いてない。
けれど、タイトルは「好きな物を嫌いにする法」。
締め方は「おや、また玄関でブザーが乱暴に鳴っている」と、さすがに上手い。
送ってくれた人に失礼にあたらない、憎めない落とし方。

物語ではないのでストーリー性はないものの、起承転結の妙技が光る。読みやすい。
気軽に手にして、サクッと終わる。あいかわらず子気味よいです。
こういう作品を読むと、作家の人となりがよく分かりますね。


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ツキを呼び込む「論語」の成功法則

2009年02月22日 21:14

『植西聰』著 成美文庫 246ページ

「己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ」
「一を聞いて以て十を知る」
「古きを温ねて新しきを知る」

論語といえばこれらの有名な言葉。
礼に始まって礼に終わる…とかアバウトな認識でしたが、
こういった言葉も論語の中にあったんですね。知りませんでした。

イメージとしては「すっごい常識人だなこの人…」という感じ。
良い指南書の”抽象的”さもあって、応用のきく書物でした。
ビジネスには勿論、下手な相談に乗ってもらうより、落ち込んだ時に
元気づけるためにもいいと思います。

最初こそ卑屈にみてしまって、「そんなこと言われんでもわかるわ~」と
考えてしまうんですが、素直な気持ちで読んでると心に入ってくる。
これが孔子のすごいところなんだろうなあ…。
基本的に、色々学んでも「それができないから苦労してるんだよ…」
という帰結になるんですが、この中の一つでも心がければこの本の価値があったかなと。
正直言ってしまうと、この類の本は沢山あって、底本にあるのはやっぱり
孔子とか孫子とかになるんだろうなあと思います。

こういうありがたい話ですから、当時のエピソードとかがもっと多ければ
よかったかもしれません。実践的に作られてるせいか、
「こういう上司いますよね…」という例えに持っていかれることが多いので、
少し俗っぽい気がしました。肝心の「ではどうすればいいか」という思考に促されないので。

ある程度の年齢になると、こういった指南書はどうしても斜めに見てしまうので、
もっと若いころにたくさん読んどけばよかったなあと思います。
たとえそれが実践できなかろうと、人間の根本になる教えだと思うので。

それとは意を異にして、積極的に読んでほしいなあと思う人は、
ビジネスで失敗しそうになってる、または失敗して悩んでいる人。
私がまさにそれでしたが、効果絶大でしたよ(笑)。


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走れメロス

2009年02月19日 22:09

『太宰治』著 新潮文庫 300ページ

太宰治の作品を読んでると、人生の浮き沈みがそのまま投影されてて面白いですねー。

自殺未遂して、ヤク中になって、今度は女と入水自殺。
自分だけ生き残るも、最後にまた自殺。
その経歴からくるインスピレーションは強烈なものだったに違いない。

今回読んだのは以下の9作品。

・ダス・ゲマイネ  ・満願
・富獄百景     ・女性徒
・駈け込み訴え  ・走れメロス
・東京八景     ・帰去来
・故郷

自伝と言ってもいい作品が多く、東京八景以下三作品は太宰治の人生を知る上で外せない。
文献的重要性もさることながら、その告白とも懺悔ともとれる語り口は、読んでいると時間を忘れます。
読者をその人生に同化させてしまうというか…この自伝のやり口はすごいなあと思いました。
とりわけまだ若いころの作品なんかは、太宰治の芸術にに対する葛藤なんかが読み取れるので興味深かったです。

代表作「走れメロス」は、自殺未遂後の再出発をした時に書かれたものだけど、
「この時はのびのびしてたんだろうなあ…」と苦笑してしまう。
暴君に対し、自分の親友を身代わりに立てるメロス。
「自分が三日目の日没までに帰ってこなければ、この友を殺せ」
と死刑の人質に置いていく。

これなんか、もし自殺前に書いてたらメロスは友を裏切ってたんじゃないか?(笑)
この時期だからこそ書けた…そんな気がします。

日本文学っていうのはこういうところも面白いんだな…。
有名作家同士のやり取りが作品の中に生きてたり、海外の影響を受けてたり・・・。
シェイクスピアが英語でないとその良さが分からないように、
日本文学はやっぱり日本人の体に合うのだろうなあ…。

あの富獄百景だってそう。昔から富士山になじんで、
どこかで心の誇りにしているであろう日本人でないと、あの良さは分からないんじゃないか…。

まだまだ日本文学には未熟な私ですが、徐々に…
「おもしろくなってきたなあ…」と実感するのです。


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桜の園

2009年02月17日 23:55

『チェーホフ』著 湯浅 芳子 訳 岩波文庫 101ページ

またまた、ロシア。アトーダ式チェーホフを読んだ後なので、
このタイトルを見たらつい手を伸ばしてしまいました。

阿刀田高→「チェーホフを楽しむために」

戯曲スタイルなので、若干名前がややこしいですが、なんとかクリア。
最初に”四幕のコメディ”と書いてあって、おや?と思う。

外国で経済的に行き詰まったラネーフスカヤ夫人は、実家へ帰ってくる。
故郷には「桜の園」という美しい領地があったが、それすらも競売にかけられようとしている。
そんな窮地にありながら、イマイチ貧しいという実感のない夫人は、
乞食に金貨を恵んでやったり、舞踏会を催したりと、金使いが荒い。

最終的に桜の園は、別荘地をして利用するため人手に渡ってしまう。
トントンと木に斧を当てる音が聞こえて幕が下りるのが何とも寂しげ。

哀愁…チェーホフを読む時のキーワードのようになってますね。
奴隷解放後のロシア、その社会変動を描く暗い物語…に見えるけれど、
読んでみると意外に軽かったりする。ところどころに笑いが散りばめられてる。
しかもちょっと高度で、笑うというよりかは苦笑に近いところもしばしば。

ラネーフスカヤ夫人を子供のころから慕ってきたロパーヒンは、もともと奴隷の子だったが、
今では商売に成功して大金持ち。夫人に世話になった恩から、桜の園を別荘にして利子を返すことを
ひっきりなしに提案するが、夫人はいまいち反応が鈍い。現状がわかっていない。

私が思うに”コメディ”なのはこの部分。どんなに深刻な問題としてロパーヒンが訴えても、
元貴族の緊迫感のなさといったら、その温度差が哀愁を通り越してコメディになってしまう。
最初から最後まで温度差、温度差、温度差…なのである。

お得意の微妙な男女関係も相まって、深読みを誘う作品。
一つ一つの会話の掛け合いが面白いので、地味な割には場面が活きてくる。
チェーホフの作品群では、完成度が1、2番と言われるのも、もっともなできばえだと思います。


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外套・鼻

2009年02月16日 23:16

『ゴーゴリ』著 平井 肇 訳 岩波文庫 140ページ

ちょっと最近ロシア波が自分にきてます。次はゴーゴリ。
う~ん、ロシアいいわあ。地味なくせにじわじわくるわあ。

話的に好きなのは「外套」。ユーモアがあるのは「鼻」。
どっちかというと後者のほうが有名ですよね??
芥川の「鼻」とは、揶揄の姿勢などが同じニオイを感じさせます。

理髪師のイワン・ヤーコウレヴィッチは、ある朝パンを食べようとすると、中から常連客の鼻が出てきた。
びっくり仰天、どうしたものかと思い、困り切った末に川へ投げ込む。
さて、鼻の持ち主は八等官のコワリョフ氏。こっちは朝起きてみると自分の鼻がない。
こちらも仰天して、何度も触ってみるが、のっぺりした皮膚があるだけ。
あわてて探しに出かけてみるが、見つけた鼻は何と自分より立派な紳士を装ってるではないか。
ついかしこまって「あのぉ…あるべきとこに戻ってほしいんですが…」と頼んでみるも、
「はあ?何いってのあんた」とにべもない。そうこうしてるうちに逃げられてしまった。

新聞に広告を出したり、警察に行ったりしてみるが、もとよりそんなことに対応できるわけもなく…。
結局ある朝、唐突に鼻は元の鞘に納まって、何事もなかったことで話は終わるのだが…。
なんともこの短い話の中に皮肉が詰まってることでしょうか。

鼻の付く言葉といえば、「鼻が高い」「鼻につく」「鼻をあかす」、、、などありますが、
基本的に名誉・名声にかかわることが多いのかなあと考えたら、なんとなくこの話の面白さが倍増する気がしませんか?
このコワリョフ氏って本当にしょーがない人で、うぬぼれの塊みたいだから笑える。
まず、鼻が亡くなったことで困ってることと言えば、第一に「だって、婦人連と遊べないジャン!」って、アンタねー。

戻ってきたら戻ってきたで、今までの困り果てた態度はどこへやら、堂々として以前よりうぬぼれが強くなったみたい。
無くなったことで学んだことなんて全然ない。
逆に独立した鼻氏の立派な紳士然ときたら…。
ここらへんのスパイスの効き具合は絶妙。

もう一つの「外套」ですが、ちょっと印象は変わって主人公が死んでしまうバッドエンド。
ドストエフスキーが「われわれは皆ゴーゴリの『外套』の中から生まれたのだ!」と言ったくらい味わい深い。
たしかに雰囲気が似てるな~と思ってましたが、いやはや、こちらが先輩でした。失礼しました。


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チェーホフを楽しむために

2009年02月12日 22:08

『阿刀田高』著 新潮文庫 379ページ

文庫版が出るのを待ち望んでました!
「チェーホフ?よく分からん!」という感想だった私にとって、嬉しい一冊。

…とても面白いんだけど、何が言いたいかちょっと分かりづらいなー。
それがチェーホフの印象。それが何故なのか分かりました。
阿刀田さんも詳しく「ここはこうでね…」と手とり足とり教えてくれるわけではないが、
この時の作家の背景はこうだったんだよー、この時は苦しんでた時期で…とか、
そういう紹介が推考を重ねる上でありがたい。

「チェーホフは問題提起しても答えは出さない主義」
「ありのままの人間像を書く天才」

あ、なるほど。同じロシア作家でも、トルストイの明確な人生論みたいなのを想像して読んだら、そりゃ違うわ…。
「なんか曖昧な感じ…」そういうのはワザとだったのか…。

曖昧さにおいてはチェーホフの性格にもうかがえて、
彼の男女関係もつかず離れずだったそう。
愛を合理的に見ていたので、女性に対しては淡々としたところがあったらしい。
そう思うと、作品の中に出てくる男女のすれ違いも妙に色彩を帯びてくるんだから面白い。
深読みすればするほど、一つの短編の中に濃い要素を詰め込んでるなあ…と感心する。

最近書店でロシア文学が幅を利かせてるような気がするのは、
私のロシアびいきからくる気のせいなのでしょうか。チェーホフも人気があるとか。
いや、今の世知辛い世の中にピッタリの作家ですがね(笑)。

阿刀田さんの「チェーホフを楽しむために」を先に読んでると、
「そういうことを言いたかったのね!」というのが分かって味わい深くなること必至。
チェーホフは一つ一つの話が短いだけに、サラリと終わってしまうけれど、
それじゃ、すごくもったいない!ということを実感しました。


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シャーロック・ホームズの思い出

2009年02月11日 04:06

『コナン・ドイル』著 延原 謙 訳 新潮文庫 350ページ

はあ~、やっとホームズ先生の本が古本屋で見つかりました。
いやあ、100円棚の中にこの青い背表紙を見つけた時は、
数ある本の中からその部分だけが、やおら光って見えましたよ。
ありがとう、ブックオフさん!!

今回もやっぱりがっつり面白かったです!
ホームズの兄マイクロフトが出てくる「ギリシャ語通訳」や、
宿敵モリアティ教授との「最後の事件」など、ファンにはたまらんです。
「グロリア・スコット号」は探偵業を始めるきっかけになった事件だし、
「マスグレーヴ家の儀式」は仕事を始めて受けた最初の依頼。
まさに「思い出」というタイトルにふさわしい。

この短編集でホームズシリーズはいったん終わりのように見えるが、そこは読み手の許さないところ。
世間からはもっと続きを!という要求が強く、ドイルはその後も多くの作品を残している。

ホームズは読むたびに「探偵小説はこういったものを指すのだ!」と思える。
訳者の延原氏が巻末の解説で書いていた、「探偵小説は読者の注意をひくため、
残忍な殺しが出てくるが、エロ・グロは必ずしも必要ではない」という意見は真髄を突いていると思う。
本来、探偵小説はその推理が面白いのであるから、例えばホームズがパイプを見て、
その持ち主がどんな人物であるか言い当てる推理が醍醐味と言えるのだ。
極端に言ってしまえば殺人すらも必要でない。ただそれが主題に持ってきやすいだけなのだ。

ホームズはいつも初めて会った人がどういう職業で、どんな経歴を持っているか簡単に言い当てる。
こんな「小さな推理」がたまらなく楽しい。そして短編には、そういった要素がたくさん詰まっている。
たまに、もうどうしてもシャーロック・ホームズが読みたくなる時があるけれど、
この不思議な魅力はいかんともしがたい。


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銀河鉄道の夜

2009年02月05日 23:43

『宮沢賢治』著 角川文庫 281ページ

宮沢賢治の作品は、こんなに未完のが多いのだなあと驚きました。
というか、「銀河鉄道の夜」が未完だということを知らなかった…。

収録作品は以下の11作で、すべて未完成のもの。
・おきなぐさ            ・めくらぶどうと虹
・双子の星             ・貝の火
・よだかの星(ぶとしぎ)     ・四又の百合
・雁の童子            ・ひかりの素足
・虹の絵具皿(十力の金剛石) ・黄色のトマト
・銀河鉄道の夜

なんか今回は星の話が多かった気がします。
中学校か高校の時に、教科書に「よだかの星」が載っていましたが、
その当時は内容がよくわかりませんでした。
今読むとすごくいい作品だなあと思います。
生き物が生まれること、死ぬことの意味を考えさせられます。

基本的に宮沢賢治の作品では、心の美しいものが星になるというのが
ビヘイビアなのかなと思います。ただ美しいというのではなくて、
悩んだり、悲しんだり、後悔したりという心の葛藤をいうんですが。
テーマは重いし、作風は絵本的だから余計に胸が締め付けられるような気持ちになるというか…。

逆にはっきりと「~は~である!」と示唆される作風でこの味は出せないでしょうね。
万人が楽しめる絵本的作品。読む時期によって感じるところも変わっていく…。
そんな作品群なんだろうと思います。

銀河鉄道の夜は原稿が途中何枚か抜けていて、一番気になる
ジョバンニとカムパネルラが銀河を駆ける列車に乗った瞬間が分からない。
気がついたら銀河鉄道の車窓にいた…てな感じ。
正直、私の想像力では幼稚すぎて幻想的な世界が満喫できませんでした。残念。

面白かったのは「貝の火」。完成度も高くて、読みやすい。
示唆するところはハッキリと分からないのですが、
話の流れといい、結末といい、印象に残る作品でした。


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ドリアン・グレイの画像

2009年02月03日 00:37

オスカー・ワイルド』著 西村 孝次 訳 岩波文庫 397ページ

<あらすじ>
ドリアン・グレイは純粋で美しい青年だった。ヘンリー・ウォットン卿に出会うまでは無垢そのものであった。
彼はウォットン卿から青春のはかなさを教えられる。それは余りにも残酷な教示だった。

折しも芸術家から自分の肖像画を譲り受けたドリアンは、その描かれた自分を見て驚愕する。
何という美しさ。ただ美しいだけではない。その姿を見ればだれもが彼に微笑みかけ、すべてを許す美しさなのだ。

「なんて悲しいことだ!ぼくは年をとって、ぞっとするような、見るも恐ろしいものになる。
 ところがこの絵はいつまでも若さを保つのだ。(中略)これが逆でさえあったなら!
 いつまでも若さを失わずにいるのがぼくで、年をとっていくのがこの絵の方だったなら!」

自らの美しさに気が付いてからというもの、ドリアンは生きることに突然、性急になった。
激しい初恋も経験した。そして残酷な罪を犯した。
その夜、家に帰りついたドリアンが見たものは、残酷な薄笑いを浮かべた自分の肖像画だった…!

その後も彼は沢山の罪を犯す。それに引き替え肖像画はだんだんと醜悪になっていく。
見た目には彼は美しいままだった。まさかあんな純粋そうな青年がと言われんばかりの美しさだった。
しかし、本当は繰り返さないからこそ青春は「美しい」のではなかったか。罪は許されるのではないのか?

やがて彼の周りにはよからぬ噂が立ち始める。
最後に自分の罪を悔い、改める時がきたとして、はたして肖像画はどんな答えを出すだろう。
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「ドリアン・グレイの肖像」という名前の方で有名かもしれませんね、やはり名作でした。

最後の10ページ、恐ろしすぎます。すごく考えさせられるし、作者が相当深く、罪と罰について考えたんだろうと感服します。
醜いものがあるから、美しいものがある。それが欠けた人間の不完全さが鋭く胸に刺さります。
ワイルドが伝えたかった考えというのは、「罰には浄化の働きがある」という言葉に凝縮されていると思います。

この作品の着眼点のよさ、ユニークさ、共に私的にヒットしました。
「サロメ」などを書いた劇作家で、セリフに重さがあり、この作品のテーマがより引き立ったと思います。
発表したときには大ブーイングを受けたみたいですが、「だからなんだい」と作者は自信たっぷりに構えていたとか。
その気持ちもわからないではない完成度だと思います。
多少、文法的に倒置法が多く用いられていたので読みにくいところもありましたが、内容で充分カバーできると思います。


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