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旧約聖書物語

2008年07月31日 23:22

『谷口江里也』著 ギュルダーヴ・ドレ画 アルケミア出版 431ページ

私はすっかりドレ画と谷口さんの織り成す世界にハマったようです。
アルケミア出版から出ている大型本、豊富な絵と共に読みやすく話を綴ったこのシリーズは、
本棚を飾る事のできる価値ある一冊だと思います。
「神曲」、「寓話」に続き、ドレの描く版画を豊富に収録した今回の題材は「聖書」。
人類になくてはならなかった物語、そして今まで一番人々に読まれてきた物語といってもいい聖書に、ドレが挑む!

ドレの作品は、どれも版画の可能性を究極まで追い求めている。
彼の活躍した時代は新しいアート、写真が登場した時代でもある。
そんな中で、ドレは版画によって物語を場面ごとに描き、新しい表現を生み出した。
絵を連続で映すのは、まさに私たちが見ているテレビの原理だが、それの原点でもある。
ドレの描く細かな表現は、写真に劣らず木版とは思えない完成度の高いものばかり。
今回もおなかいっぱい楽しめました。

さて、翻訳の方は谷口さんの手腕が今回も光る。
有名なストーリーが多いだけに、簡単にしすぎると翻訳者の個性が出すぎるし、かといってありきたりな書き方もつまらない。
そこらへん、難しすぎる言葉を使わない谷口さんらしさも出て、読みやすい文章でした。

内容はご存じの通り、アダムとエバの創世記から始まって、アブラハム、ヤコブと繋がり、
モーセの出エジプト、ヨシュア記、サムソンの出てくる士師記、ダビデの活躍が有名なサムエル記、
ソロモンなど有名な王が続く列王記、そして預言者たちが綴ったストーリーへ展開する。

列王記くらいから、王様の名前も立ち替わり入れ替わりで、ややこしくなってくる。
内容的は、王様が他宗教になびく→天罰が下る→信仰に厚い王様が出現→またその後継ぎが他宗教になびく、
この繰り返しのような気がする。要するに、一気に聖書の中身が政治的になり、物語から世界史へと内容が変化していったのだろう。
やっぱり絵的にも面白いのは前半の創世記~出エジプト記。
あらかじめ知ってる内容が多いだけに、絵を存分に楽しむことができました。

預言者たちの所に入ってくると、神様の嫉妬深さがMAXに。
自分を信じない民衆にかなり厳しいお言葉を下す。読んでると嫉妬深い女みたい。
いいわよ、いいわよ、私を信じないなら疫病流行らせちゃうんだから。
後で私を頼っても助けてやらないからね。後悔しても遅いわよってな感じ。

さて、こうして読んでいると、ふっと思う。
歴史上、今まで色んな宗教が発展してきたけれど、どうしてこの聖書が一番受け継がれたのか。
世界中に似たような伝承があるので、それをまとめた…という意見もある。
しかし、それだけでは説明がつかない。
やはり詩的でストーリー性豊かな物語が、大衆に受けたのだろう。
そして、それを政治に利用したという点も見逃せない。

新約聖書になると、隣人愛とかも含んできて、哲学的な面が入ってくる。
旧約聖書は純粋に物語として楽しむこともできる、ユーモアに溢れた話が多い。
こういう本は、目で見て楽しめる、読んで楽しめるの二重まるな入門書だと思います。


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ハックルベリー・フィンの冒険(下)

2008年07月30日 22:26

『マーク・トウェイン』著 西田 実 訳 岩波文庫 268ページ

筏で何日もミシシッピ川を下っていくハックと、黒人奴隷のジム。
ひょんなことから同行することになったペテン師2人も加わって、彼らの旅は続く。

上巻の参照はこちら→http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-143.html

上巻の紹介の時に、「アメリカ文学は人間性の重みが薄い」と私見を述べましたが、
下巻に入って少し違った印象を受けました。それは、作者自身の変化があったのでしょうか?
執筆に7年を要したこの作品は、大きく分けて三つの場面で構成されています。

最初は父親のもとを抜けだして、逃亡奴隷のジムと一緒に筏で旅に出たあとの数日間、
そしてのんびりやっていた2人にペテン師が加わり、その汚い金儲けの手伝いをした日々、
最後にトム・ソーヤーと協力して、捕まったジムを助ける冒険。

トム・ソーヤーがまた出てきて、どうして一緒に冒険をすることになったのかは、
本編を参照して頂くとして、この三つの場面では明らかに物語の雰囲気も変わっているし、
ハックの心の悩みとか、ジムの人情溢れる人柄とか、ハックとトムの対照的な性格などが読み取れます。
7年という「産みの苦しみ」の中で、人間味を楽しめる作風に変化しています。

最初の段階で、ハックは逃亡してきた奴隷のジムと一緒に旅をしますが、
この時代、逃亡奴隷を匿う事は重大な犯罪だったので、それを告発すべきかどうか、
ハックは深く悩みます。でも、優しいジムと一緒にいると、自由にしてやりたい気持ちになる。
そんな揺れる気持ちが表現された、人間味のある作品になっていました。

この本を読むにあたって、一番いいのはやっぱり「トム・ソーヤーの冒険」と対で読むことだと思います。
この二人、似ているようで実は正反対。

トムは色々な小説を読んで、それに憧れて自分で冒険を作り出していましたが、
ハックは実際に起こった事件に巻き込まれて、それを自分なりに頭を使って乗り切っています。
あきらかに見かけを大事にして、カッコいい冒険をしようとするトムと、
できたら事件なんか起こらずにのんびりやりたいと思うハックは、どっちかというと現実主義。

「トム・ソーヤーの冒険」は子供向けの本もたくさん出されていますが、
「ハックルベリー・フィン」の冒険は、児童書ではあまり見かけません。
私もハックの冒険は大人向けの印象を受けました。

汚いペテン師の仕事や、くだらない怨恨、せせこましい教会でのお説教と、教育。
「なんてったって筏ほどいいところはねえな」。
ハックの自由に生きる生き方は、靄が渦巻く社会生活と対照的である。
大人向けと思える所以は、ハックが文字を通して読む私たちに、
その安堵感溢れる筏へ乗せてくれるような気がするからだ。


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脂肪の塊

2008年07月28日 22:59

『ギ・ド・モーパッサン』著 水野 亮 訳 岩波文庫 93ページ

モーパッサンの処女作。長編の「女の一生」を読む前に、こちらから手始めに読んでみました。
短編ながらも、人間のエゴイズムを強烈に見せつけられる作品で、質の高い小説だと思います。

時代はモーパッサンの生きた普仏戦争時代。
プロイセン(のちのドイツ)とフランスの戦いは、プロイセン側が勝利し、
この小説の舞台となったのは、おそらく戦後フランスを占領下に置いていた時代。

フランスのブルジョア階級の夫婦3組と、修道女2名、
民主主義で革命家のコルニュデ、そしてあだ名が「脂肪の塊」という太った娼婦が一人。
この10人がル・アーヴルまでの乗合馬車に乗っている人たちだった。

娼婦と上流階級と尼僧。すごい組み合わせで、最初から異様な雰囲気が想像できる。
馬車の中には軽蔑の眼差しが交わされただろう。何故かこういった場面に出くわすと、
人間は自分より劣っていると考えられる人種(それも間違いなのだが)と、
よりその差を拡げたいと考えるようで、上流階級の婦人連は、3人すぐに打ち解けたようだった。

雪のさなか、のろのろと進んでいく馬車。
予想に反して次の街に着かず、全員が空腹を覚えた時、娼婦がおもむろに食事を始めた。
他に誰も食べ物は持っていない。何かしら気になる視線を覚えたのか、娼婦は全員に食料を振舞う。
瞬く間に無くなってしまった食事だったけれど、それを機に娼婦は会話の輪に入り、馬車の中は打ち解けたようだった。

やっと夜、街に着いた馬車は、ドイツ士官の検査を受ける。
占領されているフランス側にとっては、緊張の一瞬だったが、特に問題もなく宿泊は許可された。
その日の晩、娼婦はドイツ士官の呼び出しを受ける…。

次の朝、馬車は出発できずにいた。
その理由はドイツ士官の気まぐれから来たものだった。
つまり、娼婦に情交の相手を迫ったけれど、いわば占領軍側の将校と関係を持つ事を彼女は拒み、
それが原因で、相手を務めるまでは馬車の出発はさせないという腹だった。

一度は愛想よくした馬車の面々は、それを知るに及んで…。

教養がつくほど、人間は自分の手を汚さずに、思う方向へ物事を運びたがるのだ。
娼婦に対して、「結果がすばらしいのであれば、手段がどれほど罪深くても許される」と、
遠巻きに話を進めていく人間たち。
娼婦は悩んだ。気分が悪くなった。しかし、決意した。

反吐が出るほど、モーパッサンの描く人間模様は容赦がない。
人間観察がかなり鋭い。イライラするが、完成度には感服する。
とても処女作とは思えない。「女の一生」も期待できそうな予感がします。


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神秘の島 第三部

2008年07月27日 11:30

『ジュール・ヴェルヌ』著 大友 徳明 訳 偕成社文庫 396ページ

普段は続きものでも連続して読まずに、色々な本を並行して読んでいくのが好きなのですが、
今回ばかりはおもしろすぎて、第三部まで一気に読んでしまいました。
ジュール・ヴェルヌの『神秘の島』。ついに、今まで起った不思議な力の正体が明らかに…!

第一部→http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-141.html
第二部→http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-146.html

グラニット・ハウスの住民たちは、新しい仲間を迎えてリンカーン島での三年目を迎えていた。
ある日、技師は遠くの海面に浮かぶ一隻の船を発見した。
それは驚くべきことだった。この島は世界地図にも載っていないし、
ましてやどの漁船や定期船のルートからも外れている。
考えられる事といえば、その船が海賊船であるということだ。

開拓者たちは、この島が自分たちの故郷と言ってもいいほど大切に思っていたので、
みすみす海賊たちの手に渡すつもりはなかった。
技師と仲間達は徹底抗戦をすることを決意する。
しかし、海賊の数は50人ほど。こちらは六人とオランウータンと、犬のトップだけ。
技師がどんなに知恵を働かせてみたところで、苦しい戦いは免れないだろう。

開拓者たちの一番の脅威は、海賊船に搭載されている最新式の大砲だった。
侵略者たちは、話し合って和解するなどという気はさらさら無く、
その圧倒的な力の差を見せつけるように、グラニット・ハウスに大砲を撃ち込んできた。

勝利は絶望的かと思われた。
しかしその時、またしても神秘の力が彼らを救うことになる!!

ヴェルヌはこうした神秘的な力というアイデアを用いながらも、登場人物たちがそれを、
神様の力だとか、ファンタジー的な扱いをすることを全くさせない。
あくまでも「誰か」が人為的に開拓者たちを助けているのであり、
いつかはその人を見つけ出して、謎を明らかにするという事を何度も技師に言わせている。
そこが陳腐にならずにいいんだよなあ…。

漂流して、無人島で色々工夫を重ねて生き抜いて…というテーマは、
ヴェルヌが好んで用いたストーリーだし、ヴェルヌ以前に発行されている、
ロビンソン・クルーソーでも前例があるエピソードだ。

しかし、その同じようなテーマの中でも、この神秘の島について作者は絶対的な自信を持っていた。
無から有を作り出す工程が、ロビンソンと同じ漂流者でもなぜか新しく感じてしまうのだ。
それは、不思議な力のアイデアを絡めたせいでもあるし、この小説がとても科学的で、
ヴェルヌの知識が最大に発揮されていることもある。
もちろん、大人も子供も楽しめる小説だけれど、これは是非大人の方に読んでもらいたい内容。

自分たちが作り上げたものへの愛着や、祖国への想い、
どんな時でも冷静に行動して、現実を見据えて行動する力など、
多くの事を学べるとともに、勇気をこの本からもらうことができます。

「神秘の島」は、同じヴェルヌの作品の「海底二万里」、「グラント船長の子どもたち」に
関連する内容になっています。同じ登場人物が出てきたり、過去が語られたり。
一冊だけ読んでも充分楽しめる内容になっていますが、三冊とも是非読んで頂きたいところです。


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神秘の島 第二部

2008年07月24日 21:38

『ジュール・ヴェルヌ』著 大友 徳明 訳 偕成社文庫 394ページ

無人島に漂流した開拓者たち。
彼らの生活はより文明的に発展していった。

第一部の参照はこちらから↓
http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-141.html

五人の遭難者、つまりサイラス・スミス技師と、記者のジュデオン・スピレット、
水夫のペンクロフ、博識な少年ハーバート、そして黒人奴隷のナブと犬のトップ。
彼らの生活は日増しに良くなってきていた。その島にはリンカーン島という名前が付けられたが、
遭難者たちは今では遭難者ではなくなっていた。必要なものはなんでも自然から作り出すことができたし、
必要とあればエネルギーだって作ることができた。それは水力を利用したエレベーターであったり、
風力で風車を回して小麦をひいたりすることだった。
原始的ではあったけれど、何事にもスタートがある。それを知っているかどうかが問題なだけで。

幸い、サイラス・スミス技師の知識は百科事典そのものだった。
彼の知らない事は全くないかのように思われた。必要と思えるものは創り出されていったし、
ガラス作りや、冬に備えての羊毛の服、それに菜園や家禽飼育場も整備された。
彼らは祖国に帰れるものなら帰りたいと思うだろうけれど、
いざこうして開拓していった島を離れる時が来るならば、大きな寂しさを味わう事になるだろう。

彼らは流されてきた漂流物の六分儀で、この島がタボル島という無人島に近い事を知り、航海を試みる。
そこで出会った一人の野蛮人は、リンカーン島に連れて帰られサイラスたちの仲間になった。
もう一人、オランウータンも飼いならされて、仲間はしだいに増えていった。

ところで、サイラス達はこの島が無人島であると確信していた。
それは島全体を冒険してみて分かったことだが、まったく人が訪れた気配もなく、
船が漂流した形跡もないからだ。しかし、この島にはいくつも不思議な事件が起こっていた。

まず一つ目は、サイラスが最初に上陸したときに、波にさらわれたのだが、いつの間にか洞窟に運ばれていたこと。
役に立つものばかりが、防水加工までされて漂流物として流されてきたこと。
時たま犬のトップとオランウーランが、井戸に向かって奇妙な唸り声をあげること。
そして極めつけは、航海をして帰ってくるときに、目印のかがり火がたかれていたこと。
航海中、島に残っていたサイラスは、火など灯したことはないという。では誰が?

この島には誰かいるのだろうか。この神秘の出来事をすべて説明できるような。
偶然にしてはおかしすぎる。かならず何かがある。サイラスはそう考えていたが、
今のところ何も手掛かりがつかめなかった。

いよいよ、神秘の島の正体が明らかになるか???と思ったところでもどかしく第三章へ。
本当に1ページめくるたびに発見の連続。この本を読んでいると、自分が無人島に漂流しても、
何とかやっていけそうな気分になるから不思議です。いや、もちろんそんな簡単でないのは分かってるんですが。
それくらい、現実的、科学的に小説は進んでいくのです。その中で唯一合点がいかない不思議な出来事…。

こうしてヴェルヌの作品を読んでいると、すべての生活は自然に繋がっているのだなあと実感させられます。
私が食べているパンも、一粒の小麦から栽培して、栽培するには畑を耕す必要がある。
耕すには鋤がいる、鋤を作るのには鉄がいる、鉄を作るのには窯がいる…。
人類みな兄弟と言いますけれど、何かしら私たちの生活は間接的にいろいろな人に支えられているんですね。

その原点に冒険心、興奮と共に立ち戻らせてくれるヴェルヌ。偉大な作家です。


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ゲーテ格言集

2008年07月23日 23:32

『ゲーテ』 高橋 健二 編訳 新潮文庫 212ページ

ファウスト、若きウェルテルの悩みなど、偉大な作家であり、詩人でもあるゲーテ。
今日引用される言葉の中には、彼が残した作品や手紙からとったものも多い。

私が大学の頃に、先輩から聞いた言葉、「急がずに、だが休まずに」。
試験勉強でてんやわんやだった私に、この言葉は大いに助けになりました。
弟子がゲーテの82歳の誕生日に送った印形に刻まれていた言葉だったそうですが、
この本を読んで初めて知ることができました。

ゲーテは作家であるとともに、詩人でもあると述べたけれど、
さらに科学や自然、色彩研究などにも精通していたとされる。
本書はそんな多彩にわたる彼の格言を、カテゴリー別に掲載している。
私としては、カテゴリーではなく、それが書かれた年代順に並べていて欲しかったというのが正直なところ。
多彩にわたるゲーテの才能を、年代順という並びにしてしまうと、煩雑になってしまうかもしれないが、
彼が残した格言が、経験した者しか語ることのできない言葉であるからこそ、
恋愛、仕事、人生観などを、順を追って感じてみたかったのだ。

しばしば、ゲーテは正反対の事を述べている。それは、心境の変化だったのか、
それとも文面では読み切れない、奥深い考えがあっての事なのか、それは分からない。
しかし、ミーハーな若かりし頃を諌めるような詩が書かれていたり、
晩年には、お爺さんが若い人へ教訓を垂れるような詩になっていたりする。

過ちは誰にでもあるから、大いに間違うといいよ。
そんな風に優しく、厳しく伝える姿勢が励みになる。

『人は少ししか知らぬ場合にのみ、知っているなどと言えるのです。
 多く知るにつれ、次第に疑いが生じてくるものです』

『願望したものを持っていると思いこんでいるときほど、
 願望から遠ざかっている事はない』

『物の分った賢明な人々が、老年になって学問を軽んずるとしたら、
 それは彼らが学問と自身とに要求するところが多すぎたからである』

こういう詩を考えつく人は、一体どういう人なんだろうと思う。
そうなると、自然にゲーテの一生にまず興味がわく。
ここでそれを語る必要はないので省略するけれど、
少なからず、若かりし頃の抑えきれない情熱、反発、間違いがあった人生だったようだ。
人と大きくかけ離れた人生ではない。

天才ゲーテといわれる人の、人間味溢れる人生を見たとき、
なんだか嬉しくなってしまうのは、私だけだろうか。
ゲーテを少し知りたい、そんな方にお薦めの一冊です。


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ハックルベリー・フィンの冒険(上)

2008年07月17日 20:57

『マーク・トウェイン』著 西田 実 訳 岩波文庫 278ページ

ハックルベリーといえば、あのトム・ソーヤーの友達。
浮浪児で学校に行かず、自由気ままに毎日を暮らしているハックは、みんなの憧れの的。
前回の『トム・ソーヤーの冒険』では、財宝を見つけて6千ドルという大金持ちになったトムとハック。
お金は町の判事さんが管理しているけれど、ハック自身はちっとも関心がないみたい。

『トム・ソーヤーの冒険』はこちらから↓
http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-117.html

一躍有名になったハックは、未亡人に引き取られて、今までの気ままな生活から、
学校へ行って読み書きをして、普通の家庭の教育までを教えてもらえることになった。
けれど、タバコは吸えないし、お行儀作法やら食事の前のお祈りやら、
ハックにとっては窮屈極まりない生活だった。

ある日、これまた浮浪者で飲んだくれの父親が、ハックがお金持ちになったことを知って引き取りに来る。
もちろん、お酒のお金が必要だからというのは目に見えている。
ハックは一計を案じて、黒人奴隷のジムと一緒に筏に乗って街を抜け出した。

筏でミシシッピ川を何日も下り、釣りをしたり、昼寝をしたり、泳いだり、
時には途中の街に寄ったり、難破船の捜索をしたり…。
どこまでもどこまでも下流へ旅をしていく。

何日も川を下る旅をするなんて、日本に住む私たちにはあまり想像が出来ない。
アメリカのこういった自然を感じる文学は、どうも雄大すぎて馴染めないのが残念なところ。
しかし、南北戦争時代の、何となくゆっくり時間が過ぎていくような生活にあこがれを感じる。
この小説には目的がない。ハックはどこへ行く当てもなく、いつか故郷の町へ戻りたいという気持ちもない。
ただ、一日一日を自由に過ごしているだけだ。

大型船とぶつかって、川に投げ出された時、たまたまそこの岸の近くの家にお世話になることもあった。
何不自由なく、毎日おなかいっぱい食べれて、着るものもあるけれど、結局のところハックは筏の生活へ戻る。
裕福な生活が、実は色々な制約で縛られているという事を、気が付かないまでも感じているかのように。

そんな風に生きているハックだから、同じ少年でもトム・ソーヤーとは少し違っている。
どこか現実的に物事をとらえるようなところがあって、子供だけれど発想は大人びている。
面白かったのは、ハックが父親から教わったこと、

「とうちゃんから教わった事は何もないけれど、とうちゃんと同類の連中と付き合うには、
そいつらの勝手にさせておくことがいいってことだけは、教わった」
こんなハックだから、頭の良さは抜群。とっさの嘘も得意で、色々と危ない場面も切り抜ける。
まさに、「冒険」というタイトルに相応しい内容。

作者のマーク・トウェインは、この作品を深読みして、教訓などを読み取ろうとすることを拒否している。
この本から教訓を読み取ろうとするものは訴えられたいい。とまで言っている。
それもそのはず。読んでみたら分かるけれど、この本は気ままな旅を一緒に同行している気分になれる。
そこに教訓だのなんだのと、自由に生きるハックに求める事がすでに意味がない。

アメリカ文学は、登場人物の感情や性格、人間性の重みが薄いと言われるけれど、
正直なところ私もそう思う。これは、そういう人物像に重点を置いた物語なのではなく、
自然や、時間の流れにとらわれないきままさ、穏やかさを感じる物語なのだと、そう感じる。


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そして誰もいなくなった

2008年07月15日 18:56

『アガサ・クリスティ』著 清水 俊二 訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 266ページ

とにかく有名なクリスティ代表作。
誰もが一度はこの本のタイトルを聞いたことがあるでしょう。
気がついたら終わっていた感じで、不気味さが始終付きまとった作品でした。

それぞれ見も知らぬ、さまざまの職業、年齢、経歴の十人の男女が、
U・N・オーエンと名乗る一人の男からの招待状を手に、デヴォン州沖にあるインディアン島へ向かっていた。
不気味な、岩だらけの島だった。やがて一行は豪奢な大邸宅へとついたが、
肝心の招待主は姿を見せず、そのかわりに見事な食卓が待っていた。
不審に思いながらも十人が食卓に着いたとき、どこからともなく古い童話がひびいてきた。
つづいて、十人の客たちの過去の犯罪を、一人ずつ告白していく不気味な声が…!
                                     (裏表紙の紹介より)

古い童話というのは、マザーグースの唄にあるインディアンの子守歌。

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十人のインディアンの少年が食事に出かけた。
一人が咽喉を詰まらせて、九人になった。

九人のインディアンの少年が遅くまで起きていた。
一人が寝過して、八人になった。

八人のインディアンの少年がデヴァンを旅していた。
一人がそこに残って、七人になった。

七人のインディアンの少年が薪を割っていた。
一人が自分を真っ二つに割って、六人になった。

六人のインディアンの少年が蜂の巣をいたずらしていた。
蜂が一人を刺して、五人になった。

五人のインディアンの少年が法律に夢中になった。
一人が大法院に入って、四人になった。

四人のインディアンの少年が海に出かけた。
一人が燻製のにしんにのまれ、三人になった。

三人のインディアンの少年が動物園を歩いていた。
大熊が一人を抱きしめ、二人になった。

二人のインディアンの少年が日向に坐った。
一人が陽に焼かれて、一人になった。

一人のインディアンの少年が後に残された。
彼が首をくくり、後には誰もいなくなった。

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交通手段のない島で、取り残された十人が一人、また一人と唄の通りに死んでいく。
この中の一人が犯人なのか、それとも殺人狂が島のどこかで隠れているのか。
それとも、本当に罪を裁く神がいるのか…。

推理小説というカテゴリーではないと思う。
犯人の推測などは逆にこの小説を陳腐な現実感で包んでしまう。
ファンタジー色溢れる童話と、繰り広げられる殺人のギャップ。
クリスティの評価の高さが、その発想性に置かれることは、誰もが認める事だ。

可愛いものが不気味さを併せ持っている事は、ルイス・キャロルの作品でもそうだし、
ホラーを観てても子供のお人形がしゃべったりすることや、日本の「とおりゃんせ」でもよくある事。
「怖もの見たさ」という言葉がある通り、読者は少なからず不気味さを欲しているのだと思う。
さしずめクリスティは、それを自在に操ることができる小説家というところだろうか。

有名だから読むというだけではもったいない作品。
やっと読めて満足です。


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神秘の島 第一部

2008年07月10日 21:13

『ジュール・ヴェルヌ』著 大友 徳明 訳 偕成社文庫 394ページ

5人の人間と1匹の犬を乗せた気球が、嵐に吹かれて太平洋をさまよっていた。
気球のガスは抜ける一方で、高度はぐんぐん下がってくる。
乗組員たちは荷物を一切合財投げ捨てて、どうにか陸が見つかるまで、
この乗り物が持ちこたえるように努めていた。

そして、海面から150メートルも降下したところで、犬が吠えた。
「陸だ!陸地だ!」誰かが叫んだ。
まだ数キロ先ではあるけれど、そこには確かに陸地が見えていたのだった。

勇気を貰いたい時はヴェルヌを読むに限ります。
本当に面白くて、わくわくして、夢中になれる物語です。

アメリカ南北戦争で捕虜になっていた男たちは、ある日気球で脱走を試みる。
しかし、風に流されてたどり着いたのは、人影がまったく見当たらない無人島。
気球を軽くするために、何もかもを捨ててしまった男たちは、文明的なものは何も持たずに上陸する。

島を開拓していく男たちは、まず中心を担うサイラス・スミス技師。
ヴェルヌ小説にはこういった教養が高く、勇気があって、無限の信頼を置けるリーダー核が存在する。
そして、彼の友人のジェデオン・スピレット。彼は南北戦争の記事を壮絶な戦場で書いていた、これまた相当勇敢な記者。
サイラスの元黒人奴隷であったナブは、奴隷解放論者であったサイラスに自由の身にされてからも主人を慕い、離れる事はなかった。
そして、水夫のペンクロフ。捕虜という訳ではなかったが、彼も戦争で足止めを食らった一人だった。
最後がペンクロフの船長にあたる人の子供ハーバート。孤児で今はペンクロフに育てられている。博物学に詳しい教養の高い少年だ。
この5人と、サイラスの優秀な飼い犬トップで、サバイバルな生活が始まる。

イメージとしては十五少年漂流記の大人版。
あれは、船で遭難して孤島に流れ着くけれど、船に載せていた食糧や銃、道具類がある。
しかし、全く何もない状態でこの開拓者たちは始めなければならない。

人間がこのように文明からいきなり切り離された状態に置かれたら、
まず何をしなければいけないだろうか。そう、水の確保、食べ物の確保、寝る場所の確保だ。
水は川が流れているから、そこで飲み水を調達できる。そして最初の食べ物といえば、
海岸の岩にこびりついている貝だった。寝る場所に関しては、偶然見つけた岩の間が風を防げる場所だ。
しかし、ここには料理に使ったり、暖を取るための火がない。これは重要な問題だった。

火打ち石や、木をこすり合わせるという原始的な方法で火をおこすしかないのか?
たった一本だけ見つかったマッチをこする時の緊張感。たったあれっぽっちの物のありがたさを痛感する。

サイラス・スミスは技師であり、鉱物学者であり、科学者であった。
みんな彼に出来ないものはないかと思われるほどだった。彼の指示で確実に島は開拓されていったし、
火をつけるのにも、懐中時計のガラスの間に水をいれ、太陽光を集めて簡単に火を作ってしまった。
そして、生活するにつけ必要となるレンガを粘土で精製し、窯を作り、アザラシの皮で作ったふいごで
島にあった鉄鉱石から鉄を生成する。こうして徐々に開拓者たちは、斧やつるはしなどの道具類を、
ジュゴンの脂肪からロウソクを、また科学の応用を使ってグリセリンまで生成した。

グリセリンで硬い岩を爆発させ、天然の岩の空洞を発見した五人は、そこに住むこととし、
「グラニット・ハウス」と名付けた。そこは風除けや冬の寒さにもぴったりの、まさに理想の住まいだった。

サイラスの感嘆すべき発明は、紹介するときりがない。
ヴェルヌが「空想科学小説の父」と言われる要素が、十二分に詰まった作品。
第二部に向けて、何故このタイトルが「神秘の島」なのかという伏線も張られている。
本当に目が離せない。電車を危うく乗り過ごしてしまいそうになるほど熱中してしまった作品です。


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コーランを知っていますか

2008年07月08日 23:11

『阿刀田 高』著 新潮文庫 375ページ

キリストの生涯といえば、宗教に興味のある方ならよく知っているだろう。
それは、キリスト教の聖典のひとつ、新約聖書にその物語が記されているからだ。
同じような聖典として、イスラム教にもコーランがある。
毎年9月になると、ラマダン月といって断食の季節があるけれど、
その時にイスラム教徒がコーランを黙々と読んでいる姿が新聞にも載っていますね。
月の満ち欠けを見て、急に始まり、金融機関もストップするとかで、
イスラム教徒でない人間からしたらビックリ。

そのコーランを日本人観点で分かりやすく解説したのが、今回の阿刀田さんの解説書シリーズ。
シェイクスピア、新・旧約聖書、ギリシャ神話、神曲…と、これまで色々読んできましたが、
今回のは少し様相が違うような感じがします。

それというのも、コーランは先に述べたように、キリストの生涯を追ったような物語形式ではなく、
マホメットが唯一神アラーから受けた啓示を綴ったものであって、基本的に神の一人称で、
どれだけ神が寛容で慈悲深いか、多神教や偶像崇拝について恐ろしい罰を下すか、
そういったことが語られていく形式である。

新・旧約聖書なんて、そのストーリー性が面白いので、それだけで一つの読み物として
充分通用するけれど、コーランは全体を通してストーリーのあるものは10~20ほどだそう。
そういった訳で、今回の解説書は、マホメットの生涯を中心に、イスラム教全体の決まりや社会情勢、
男女の関係や、昨今のサウジアラビアの観光など、幅広く取り上げられている。

意外だったのは、イスラム教とキリスト教、ユダヤ教はもともと一つの宗教であるという考え方。
コーランには、イエスも出てくるし、もっと前のダビデやソロモン、アブラハムやノアといった
名だたるメンバーの名前も出てくる。これはいったいどういう事なのか?

イスラム教徒からしてみれば、これらの聖人達は、最初からアラーが遣わした預言者たちであり、
マホメットが最後に遣わされたのであるという。つまり、イエスもアラーが遣わしたのであり、
最初から唯一の神はアラーだけだったのだという考え方。
キリスト教徒からしてみれば、「コーランは私たちのいいとこばかり取って」と思うだろうが、
「何言ってんの、真実は一つ。アラーはすべてお見通しなのよ」というところ。
だから、イスラム教徒はキリスト教徒と結婚することは平気だけど、多神教の国、例えば
我々日本人はNGということらしい。これだけ宗教戦争をしているのだから、
なんだか首をかしげてしまうけれど、イスラム教の多数派であるスンニ派は比較的穏健なんだとか。

イスラム原理主義といわれる過激派は、主に少数派のシーア派で、
それでもその中の一部に限られているようだから、イスラム教全体を怖い宗教とみなしてしまうのはいけない。
すでに人口の25%を占めてきているイスラム教は、これからのグローバル社会で
無くてはならないところまで来ている。これらのことや、男尊女卑の問題も含め、今後の課題は山積みである。

ところで、色々と紹介されている中でも面白かったのは、礼拝の事。
法学部だった私は、一度刑務所見学というのに参加した事があるのですが、
日本で罪を犯したイスラム教徒の独房には、なんと絨毯がひいてありました。
一日5回の礼拝が行われ、メッカの方を向いて祈る際に必要な絨毯が、
イスラム教徒には支給されるという。しかも、イスラム教で禁止されている豚肉は、
特別に他の囚人たちと違うメニューで作られるというのだから、手厚い。

話がそれてしまったけれど、この礼拝の時に必ず唱えるのが、
「アラーの他に神はなし。マホメットはアラーの使徒である」という言葉。
コーランはアラビア語で詠唱すると、一種の歌のように聞こえてとても美しいらしい。
この言葉をアラビア語でぜひ聴きたいものです。

他にも、前に「イスラム金融入門」で触れましたが、イスラム金融は利子をとらない銀行取引をします。
イスラム法でそう決まっているから…としか分からなかったのですが、その原因が分かりました。
宗教の決まりには多くが歴史的背景があるものですが、この時アラブ人達の悩みの種だったのが、
ユダヤ人による高利貸しだったとか。なるほど、シェイクスピアのヴェニスの商人でもありましたね。
こういったことを踏まえて、アラーの啓示という形で、マホメットは利子取引そのものを廃止しようとしたのでしょうね。

今まで千夜一夜物語を始めとして、いくつかイスラム教の話を読んできましたが、
知っていると知っていないで随分と理解の幅があることが分かりました。
コーランの入門書ということではなく、こうしてイスラム世界がグローバルに浸透してきている今、
イスラム教の異文化を知るために、阿刀田さんの本はとても役に立つと思います。


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