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シーシュポスの神話

2008年05月31日 01:15

『アルベール・カミュ』著 清水 徹 訳 新潮文庫 206ページ

「異邦人」ですっかりやられてしまったカミュ。
独特な世界観はどうして生まれたのか、その理由が垣間見える作品でした。
異邦人はこちらから↓
http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-37.html

作品全体から受けたイメージは、「この世界の不条理を追求する作家」といえばいいだろうか。
その矛盾を前にして、カミュは逃げずにすべてを受け入れている。
不条理。何度もこの本で出てくる言葉なので、一応定義を書いておくと、

「理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死に物狂いの願望が
 激しく鳴り響いていて、この両者がともに相対峙したままである状態」

…何のことかよく分からん(笑)。
作者は形而上学的なものの中でも、より身近なものを一番に追及している。
第一に取り上げるべき不条理…それは「自殺」であると。確かに私たちにとって、
なんだかよく分からない難しい哲学より、誰にでも起こりうる問題を提起してもらった方がいい。
カミュに言わせれば、ガリレオの地動説で、天が動こうが地が動こうがどうでもいいのである。

では自殺の不条理とは一体何か。
自殺は「生きるに値しないので死ぬ」という前提がある。
(それ以外の場合、例えば政治的な主張のために死ぬ…などを除いて)

己を殺すのは、つまり生活の苦労をするまでもないと告白することである。
毎日の習慣(といわれるもの)から抜け出し、それを「くだらなくて」「無益なもの」と認めることである。
しかし、人間は死んでも「無」になるだけである。「無」にはすがるものは何もない。
ならば自殺は生きる苦労の根本的な解決にならない。

生きてても「無益」だと認め、「生きる」の反対「死ぬ」を実行しても、「無益」の解決にならない。
この矛盾だ。つまり、不条理だ。今まで自殺をした人は、「自殺が有益である」という
論理的な結末まで行き着いて自殺を実行したのか?いや、そうとは思えない。

たいがいの人間は、これまでその不条理に対して、体をかわして生きてきた。
それはつまり、死後に楽しい世界、天国や最後の審判があると信じる事によって、
「苦しくても生きるための理由づけ」をしてきた。

つまり、人間は「自殺か、希望か」そのどちらかしかないということになる。

カミュはその対極を論理によって統一させようとはしない。
なので、自殺もしないし、神を信じる事もしない。不条理の挟間に身を置いている。
彼の作品、異邦人を読んでいてもそうだが、決して不条理に答えを求めていない。

「それ、ここに立ち並ぶ樹々、その肌の粗い手触りをぼくは知っている。
 ここに流れる水、その味をぼくはしみじみと味わうのだ。夜、草と星々は
 あのように匂い、時として夕暮れに心が和らぐこともある。
 そんなふうにして、世界の力とそのさまざまな現れを身にしみて感じているとき、
 その世界をぼくはどうやって否定できよう」

なんだか、その姿勢にホッとしてしまう。不条理を追求するが、
「対極の統一」は求めていない。死ぬか、死後の希望かなどは選ばずとも、
そのままの世界を…美しい世界を受け入れようという姿勢に。

作品中には、キルケゴール、ドストエフスキー、ニーチェ、カフカなど、
多くの作品がテーマに取り上げられているので、キャパが広くない私は
読んでいても分からないことが沢山ありました。
少し勉強が足りなかったかなあ…と、反省。これからも日々精進です。


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三姉妹探偵団2 キャンパス編

2008年05月29日 21:37

『赤川次郎』著 講談社文庫 293ページ

前回、珍事件に巻き込まれて、家は丸焼け、身近な人は殺されて…と、
散々な目にあった三姉妹が、今度も事件に巻き込まれる。

前回のあらすじはこちら↓
http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-120.html

今回の舞台は一番上の姉、綾子の大学で開かれる文化祭。
なぜかイベント担当にあたってしまった不幸な?綾子。
およそ務まることのない役目を負わされている割に、本人は暢気なもの。
あと一週間あるし、それまでにどこかのプロダクションに電話して、タレントをよべばいいんでしょ?と気楽なものだ。

見るに見かねた妹の夕里子はおせっかいにも、妹の珠美を使って手伝うことに。
前回一緒に行動した刑事の国友の紹介で、数年前には売れっ子だった歌手の神山田タカシを呼べることになる。
神山田のマネージャー黒木が舞台の下見に来たが、そこで事件は起こる。

とつぜん黒木の頭上にハンマーが落下してくる、もちろん黒木は死亡。その場に居合わせたのは綾子のみ。
誰が殺したのか、動機は何なのか。黒木の奥さんが神山田とデキている事から、その線での殺人かと考えられたが、どうやらそうでもない。

そして第二の殺人。大学教授の梨山の奥さんが文化祭開催場所の講堂で殺される。
そこに残されていた人間は、文化祭委員の石原茂子だった。

この二つの殺人、関係していないように見えるけれど、どうもおかしい。
いつもの探偵本能が目覚めてピンとくる夕里子。綾子を狙った爆弾騒ぎも起こり、
ますます捜査に乗り出さないわけにはいかなくなってきた。

三姉妹の性格が前回にもまして特徴を帯びてきて、夕里子は相変わらずのおせっかいぶり、
珠美はお金にまたがめつくなって、今回最後には姉に負けない推理力を披露する。
そしてなんといっても長女の綾子が大活躍。自分が危うく殺されそうになっても、
「いい天気ね~」なんて言ってるから大したもの。綾子の中では「自分は悪い事をしていないんだから、
殺されるわけない」と妙に純粋なところがあって、殺されそうになっても「何かの間違い」で済ませてしまう。
ただ、その純粋さがあるからこそ、綾子にしかできないこともあって、夕里子の推理もそこに助けられる事があったり…。

「三姉妹」というタッグがこの二巻にきて、とても前面に出されていく。
この作品、推理小説でなく他のジャンルでも十分に楽しめるのではないかなあ…。
第三巻では今度は末っ子の珠美が活躍します。


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寓話2

2008年05月25日 17:17

『谷口江里也』著 ギュルダーヴ・ドレ画 アルケミア出版 237ページ

先日紹介した、ラ・フォンテーヌの「寓話」二巻。
今回も80話を収録。一巻は下記を参照してください↓
http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-123.html

一つ一つは短い話といえど、読み進めながらあれこれ考えていると、
結構読みごたえがあるもの。面白くてすぐに二巻に取り掛かりました。
男の着ている外套をどちらが脱がせることができるか…有名な「北風と太陽」の話とかも載っていて、とても懐かしい。
子供のころ読んだ時には、ただ面白い話と思っただけなのになあ…。
ウサギとカメの話の考察も載っていて、興味深かったです。
勝敗が見えきった勝負をしても、周りからはさげすみの目で見られるだけ。
ウサギは最初からそんな事をするつもりはなく、本当はカメの方から持ちかけた勝負だった。
ウサギはまんまと騙されて…とかなんとか。

80話を読んでみて、不思議なことにウーンと手を止めて考えてしまう話は、どこか似ているものが多く、
私の場合は男女の関係の話とか(笑)、人間はなんて無知でちっぽけなんだろう…というのを示唆している話に惹かれるようです。
心のどこかで、そういうのを反省している自分がいるんでしょうか?そう思いたいものですね。

今回も一話だけご紹介します。

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「ハゲワシと戦争」

ハゲワシは何故か戦争好きだ。
それもしょちゅう仲間同士で戦争をする。
もちろん負傷者が出るし、死者だって出る。
なのに戦争をする。

どうして戦争が好きなのかも、その原因もよく分からない。
必ずお互いを悪く言い、それぞれが正当性を主張する。
悪いのは相手側であって、それも徹底的に凝らしめないといけない程ひどいらしく、
だからこうして戦争をするのだという。
そうしないと、善悪の基準や社会ルールが成り立たないのだとか。

では、その戦争でどちらかが勝ったとして、
勝った方の言い分が優先されたとしよう。
すると負けた方が間違っていたと反省して、
勝った方のルールに合わせていくのかというと、
そう上手くいったためしはない。
むしろ、相手に屈した悔しさが次の戦争を引き起こす
要因となってることだって少なくない。

そうして戦争は繰り返され、繰り返されて、憎しみだけが深まっていく。
だからハゲワシはこれから先も激しく憎み合うのかというと、
一羽一羽に聞く限り、どうもそれを望んでいるわけでもないらしい。

戦争の主役は男のハゲワシだが、妻もいれば子供もいるし、あるいは恋人もいる。
むろん傷ついたり、死んだりすることで嘆き悲しむハゲワシはたくさんいる。
どんなに怖い顔をしても、傷つけば血を流し、悲しければ泣く。

考えてみると、うんざりするほどの血が流れた。
なのにどうして、ハゲワシは戦争をするのだろう。
血や涙をいつまでも流し続けるのだろう。

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歴史で繰り返してきたことを、こんな端的に愚かしいことだと表現できたものでしょうか。
動物がしているのを見ると笑えてしまうのに、私たちは武器をもって真剣にやっているのですね。
ドレはこの話に、戦争に行く一家の主を描いています。家族がその人にすがっています。
ドミノを止めるように、どこかでこの連鎖をストップできたらいいのですが…。


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不思議の国のアリス

2008年05月23日 21:24

『ルイス・キャロル』著  矢川 澄子 訳 新潮文庫 181ページ

一時期べらぼうに飛び出る絵本が、ネットで紹介されて話題になってました。
アリスはいつの時代でも人気者です。
どうしてあの物語は、あんなに人を惹きつけるのでしょうか??
今回原作を読んだけど、文章は易しくてとっても読みやすい。

ある日、木陰でお姉さんが本を読んでいるのを眺めていたアリスは、チョッキを着たウサギが
「大変だ!大変だ!遅刻しそうだ!」と言いながら走っているのを見つけます。
その兎を追って穴に落ちたアリスは、下へ下へどこまでも落ちていきました。

体が大きくなったり小さくなったり、訳の分からないお茶会に参加したり、クロッケーをしたり。
皆さんも、絵本で何度も見たことがあるでしょうね。
残念なのは英文が全く読めないこと。本当は言葉遊びがふんだんに散りばめられている文も、
日本語にしてしまうと楽しさ半減。翻訳泣かせと言われるレベルは、シェイクスピアといい勝負かも。

私がいつもルイス・キャロルを読んで感じるのは「奇妙な薄気味悪さ」。
後書きから引用すれば、
「筆者の心にあるものは始終≪少女の孤独≫ということなのです」

誰と話してもまともに会話が成り立たない夢の世界。
アリスの冒険した世界はおよそ常識というものが通用しない。
ただ一人、アリスだけが意味の分からない会話に不機嫌さを表すだけ。
起ることも、登場人物の行動も摩訶不思議だし、これがトランプの兵隊や、
チェシャ猫のような動物で繰り広げられなかったら、気持ち悪いったらないでしょう。

でも、なぜかこの「奇妙な薄気味悪さ」が、現実から遠く引き離してくれる特効薬になるようで、
その世界観に引き込まれてしまうんです。不思議です。

この話には深い意味がある…とはよく言われますが、残念ながら私には読み取れません。
フロイトがどうとか、詩が沢山盛り込まれてるとか、深読みすればするほどできるのでしょう。
あんまり現実的な眼でアリスの世界を見たくない気もしますが…。

ところで、不思議の国のアリスで一番好きなシーンといえば…!
私はトランプの女王に、アリスがこう尋ねる時が大好きです。

アリス「ウミガメモドキとは何ですか?」
女王「ウミガメモドキスープを作るためのものじゃ」

シュールすぎます。とても自己中心的な女王様にメロメロです(笑)。


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空中の城1 魔法使いハウルと火の悪魔

2008年05月21日 19:14

『ダイアナ・ウィン・ジョーンズ』著 西村 醇子 訳 徳間書店 310ページ

宮崎駿&久石譲作品はDVDを揃えているひひです。
「ハウルの動く城」ももちろん持ってます。世間ではイマイチという批評もありますが。
何度目かであの作品のよさがわかる気がします。最初は何のことか分からない設定が多いからでしょうか。

今回原作を読んでみましたが、似ているところもあれば違うところもあったり。
王室付き魔法使いのサリマンが最後に「戦争を終わらせましょ」とアッサリ辞めさせちゃうのが、
なんだか拍子抜けしたものですが、原作では戦争すら起こってません(笑)。
サリマンはちなみに若い男性の魔法使いでした。

あらすじはだいたい同じで、ソフィーが荒地の魔女に90歳のおばあちゃんにされてしまいます。
生まれ育った家を出て、ハウルの動く城に掃除婦として住み着いたソフィー。
暖炉に縛り付けられている火の悪魔カルシファーと取引をして、
ハウルとカルシファーが交わした契約を解こうとします。

ハウルは自分勝手でわがまま。可愛い女の子を見つけては、くどいてばかり。
それでいて、女の子が自分を好きになったかと思うと、振ってしまう。
オシャレ好きで青と銀の三角模様が連なった派手な服を着て、
デートに出掛ける前は二時間も浴槽にこもっておめかししている。
ソフィーが掃除をして浴槽の魔法をめちゃくちゃにしてしまったので、
髪の毛の色がベーコンエッグみたいなオレンジになってしまった時は、
絶望のあまり体から緑色のドロドロを出して抗議する始末。

臆病者なのに、見てくればかりを気にしているハウルに嫌気がさすソフィーだったけれど、
ハウルの素顔を垣間見た時、実は自分が恋をしている事に気がつくのでした。
そして、一緒に荒地の魔女に立ち向かっていくのですが…。

ハウルとカルシファーの契約の謎解きは、映画にもつながるところがあって面白いですよ。
履くと一足で七リーグも進める「七リーグ靴」を履いて、流れ星を追いかけたり、
謎のカカシに付きまとわれたり、犬人間まで現れて…。
少し話がややこしい部分もありますが、気にせずさらっと読めました。
ファンタジー小説としての発想は、動く城や、色々なところに繋がる魔法のドアなど、独創性は充分。
魔法の国のお話なので、もう少し面白い魔法の使い方が出てきたらよかったのになあ。。。

ちなみに映画を見た人は分かると思いますが、最後にハウルの心臓が戻った時、
カルシファーが自由になって飛び回りますよね。星の子はすぐに死んでしまう定めですが、
ハウルの心臓をもらうことによって生き延びていたのです。その心臓が無くなっても、
カルシファーは生きています。あれは映画を見ていて不思議だったのですが、
ようやくその訳が分かりました。原作を読んだ人だけのお楽しみということでしょうか…?(笑)


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カルメン

2008年05月17日 00:32

『プロスペル・メリメ』著 杉 捷夫 訳 岩波文庫 108ページ

なんか、久々の岩波。そういや、最近新潮文庫ばかり読んでましたね。
カルメンという女の名前を聞いた事がない人はいないでしょう。
自由奔放で、恋多きボヘミアの女。男の人生を狂わせ、しまいには殺してしまう女。

クレオパトラの鼻がもう少し高かったら、歴史は変わっていただろう。
これはクレオパトラがもう少し美人だったら、もっと歴史を変える事が出来たという意味です。
しかしこんな反論もあるようで、もともとクレオパトラは鉤鼻で、むしろ鼻が高いのを気にしていたのだとか。
つまり、それ以上鼻が高かったら逆に不細工になってしまい、カエサルやアントニウスを
たぶらかすことはできなかっただろう。歴史は今とは違っていたのではないかという反論だ。
そもそも、彼女は絶世の美女というほどの美人ではなかったとか。
七ヶ国語を操り、会話の切り返しが早く、機転の利く女だったので、そういった魅力で男を虜にしたとかなんとか。

話が脱線してしまった。カルメンに関しても、彼女は絶世の美女という訳ではなかったようだ。
しかし、その発する雰囲気が彼女の魔性の魅力を大いに表していた。
言葉で的確に表現することができないが、スペインのフラメンコに見られるような情熱的な女。
好きになった男の為なら命の危険を顧みず、仕事になると女の武器を大いに利用して、
男以上の働きをしてみせる。束縛を嫌い、生きたいままの感情に任せて生きていく。

これは一人の男の一生を狂わせた女の物語。いや、狂わせられたのは一人ではなかったであろうが…。

ドン・ホセはまっとうな兵士だった。ある日、カルメンシタという女を監獄へ送り届ける際、
女の誘惑に負け、彼女を逃すのを手伝ってしまう。
あの女のせいで、俺の人生はおかしくなってしまった…。
憎しみが湧いたと同時に、彼女にどうしてもまた会いたいという感情も湧いた。

「ほんとにおまえさんはバカだよ、ねえ、カナリアの坊や!」
彼女の姿は鮮明に脳裏に焼き付いて離れようとしない。
それから何度か、彼女に会う機会があったが、それもまた失敗だった。
カルメンが部屋へ戻ってくるのを待っていたある日、ちょうどカルメンがホセの上官を家に連れて帰ってきた。
彼の中で何かが弾け、思わず上官を刺殺してしまい逃げ出したホセ。
なんとか彼女の知り合いの家にかくまってもらったが、これからどうやって生きていけばいいか分からない。
カルメンはそれを見て、「じゃあ、私と密輸入業者になりましょ。なあに、見つからないよ」
としゃあしゃあと答える。

こんな事になった原因の彼女を恨みつつ、これからも一緒にいられる事を喜んでしまうホセ。
アンダーグラウンドの世界へ踏み込んだが、カルメンはその自由さから一向にホセの思い通りにはならない。
なったと思うと、腕からすりぬける。イタチごっこの末に、二人が行き着く人生は…。

この男のためなら、何もかもなげうっていい。
そんな人にはいまだに出会ったことはありませんが、一生のうち何人がそんな異性に出会えるでしょうか。
おそらく数万人に一人でしょう。

職を捨て、人を殺し、憎しみつつも愛さずにはいられない。
現実にはそんな馬鹿なと読者は思うけれど、読んでいるうちにカルメンにはそれができるだろうと、
不思議に共感できてしまうのが、彼女の言葉で表せない魅力なのです。


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寓話1

2008年05月15日 22:29

『谷口江里也』著 ギュルダーヴ・ドレ画 アルケミア出版 253ページ

「神曲」のところでも紹介したアルケミア出版のドレ画本。
原文はイソップの寓話をもとにラ・フォンテーヌが書き上げたものを、
現代風に読みやすく翻訳したもの。

寓話とは…ウィキペディアによれば、
「道徳的な教訓を伝えるための短い物語。しばしば、動物などを登場人物とし、
不可解で神秘的な印象を与えることも多い。そのような表現法を寓意と言う」。
童話がその代表例になるのですが、イソップ童話でご存じの通り、有名な話が多いです。

一番最初に来たのが、アリとキリギリス。この本ではアリとセミでしたが。
あとは、ツルとオオカミの話とか。平たい皿と、筒のようなコップでスープを勧めるアレですね。

ちょっとよく分からんなあという作品もありましたが、全部で80話収録。ちなみに3巻まであります。
それにしてもやっぱりドレの絵はすごい!一つの話の最初から最後まで絵で表現していったのは、
今でいうマンガのような感じ。いや、ドラマかな。媒体が紙であっただけで。
寓話は動物の話が多いのですが、それを表現するのに人間を描いたりしています。
そこはドレの判断でしたのでしょうが、そこがまた面白い。
こんな風に、この芸術家は教訓を捉えたのか。。。と。

イソップが最初に寓話を描き上げたのにもモチーフがあり、民話であるとか、
もともとあった「おはなし」をイソップが「寓話」の形態で再構築したそう。
ラ・フォンテーヌに関しては、イソップ寓話形式を継承しつつ、
そのモデルを動物に変えたりして、かなり自由に踏襲している。
そして、その100年後。ドレが挿絵を彼なりの理解と解釈でつける。
そしてさらに、谷口さんが現代風に翻訳して、この本の完成である。

数段変化の賜物である。読んでいるととても楽しい。
谷口さんの軽い口調の翻訳で、動物たちが可愛らしく登場しているのに、
話していることはとてもシュール。教訓を与えるイソップと、表現するラ・フォンテーヌ。
そしてドレ画が添えられて…フルコースの完成といった感じ。

折角なので、私がとても面白いと感じた一話を紹介しますね。

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「中年男と二人の奥様候補」

あるところに独身の中年男がいた。
そろそろ結婚でもしようかなと思った時、お金もそれなりにあったので、
それらしい素振りをするとその気になって女はいくらでも寄ってきた。

やがて二人の女を奥さま候補にして、屋敷に出入りさせるようになった。
一人はうら若い女。一人は年増の女。お互いに競い合って譲らない。

ある日、三人でいる時に、どちらともなく二人の女が男の頭の毛の手入れを始めた。
白髪交じりの髪の毛だったので、どちらの女も自分の年齢との釣り合いを考え、
若い女は白髪ばかり抜くし、年増の女は黒い髪ばかりを抜いて、
しまいには男の頭の毛はすっかりなくなってしまった。

男は内心呆然となったが、そこは年を重ねただけあって、落ち着いてこう言った。
「ありがとうご婦人がた。おかげでようく分かった。
 女というものが、男を自分の都合のいいように好き勝手にするものだという事が。
 これが髪の毛だから良かったものの、知らずにどちらかをめとっていたら、
 遠からず丸裸にされるところだった」

こうして二人は締め出され、屋敷には貧相な頭をした一人の男だけが残った。

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さて、あなたはこの中からどの話に興味を持つでしょうか。
そこも人それぞれ違いがあって、面白いものですね。


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野性の呼び声

2008年05月13日 20:58

『ジャック・ロンドン』著 大石 真 訳 新潮文庫 143ページ

犬の小説を読みたいなあと思い購入。
可愛いという印象はなく、一匹の犬が飼い犬から野生のオオカミの群れへ還っていくまでのお話。

アメリカがゴールドラッシュに湧きかえった頃、犬の存在が注目された。
氷が張った地面を移動する時には、とても人間だけでは行く事が出来ない。
そんな時に必要になったのは犬の力だった。

バックは南国犬である。北の国で育ったエスキモー犬と違い、
体の造りも忍耐力も、初めから犬ぞりに向いていた訳ではなかった。

その犬は、幸か不幸か金持ちの家に生まれ、プライドも高かった。
屋敷の使用人がお金のために内緒でバックを売り飛ばしてしまうまでは。
北へ北へ運ばれたバックは、まず第一に棍棒の掟というものを知った。
棍棒を持った人間には注意せよ。どんなに立ちまわって反抗しようとも無駄である。
この世界は力あるものがすべてだ。狡猾さを持って生きていかなければいけない。
恐るべき速さでバックはアラスカに順応していった。

バックの中に隠されていた遠い祖先の血が、野生の本能を呼び起こし、
生肉を貪り、血を浴びる興奮を思い出させた。
鞭で打たれ、走らされる北国の犬が可哀そうに思えるのは、
私たちが過酷な北国の生活を知らないからだろう。
少ない食糧で最大の力を発揮し、体は頑強に発達する。
狡猾さが生活に必要になり、それが武器になる。
そして、しだいにそりを引くことが誇りになる。

人間が有能であるほど、犬は人間を信頼し、忠誠を誓うようになる。
しかし、無能であれば軽蔑する。そうさせるのは北国の厳しさ故であり、
絆が強く結び付くか、軽薄なものになるか極端に分かれるのだった。
バックはどちらの人間も経験する。

ダイナミックで血が燃えるような小説です。
ヘミングウェイのようにハードボイルドリアリズム的な印象を少し受けましたが、
彼の作品より情にあふれた、(犬でありながら)人間味のある作品です。


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ジュリアス・シーザー

2008年05月08日 22:35

『シェイクスピア』著 福田 恆存 訳 新潮文庫 188ページ

今まで読んだシェイクスピア作品では、最も私の趣味にあった作品でした。
とても面白く、民政から帝政へ移行するローマの動かしがたい歴史の流れを表した素晴らしい作品だと思います。

時はジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)がルビコン川を渡ってローマへ進軍した後の事。
あの有名な「賽は投げられた」という名ゼリフを残したあとですね。
彼の人気はすさまじく、民衆の心は彼一人に傾いていた。
ローマは成立してからというもの、民主主義を貫いていた。しかし、ここにきてシーザーが
終身独裁官に就任。事実上彼の肩に政治が担われる事になった。
そうなると必ず面白くない人間が出てくる訳で、それがシーザー暗殺の顔ぶれになってくる。

キャシアスはその一人で、ブルータスを唆す役割を担っている。ブルータスは高潔な人間である。
些細な事にも正義を貫く志であるから、彼を持ち上げてシーザーを倒せば、民衆に対して
「民主主義のためにはシーザーを倒すしかなかった」という大義名分を訴えやすい。

キャシアスは言う。
「われわれのローマ、貴様は昔ながらの高潔を絶たれてしまったのだぞ!いつの世にせよ、
開闢以来こんなことがあったろうか、すべての功績がただ一人の男に帰せられるというそんな馬鹿な話が?」
ブルータスの心は動く。

かくて暗殺は実行される。その前日までには不気味な予兆がいくつも現れる。
生贄の儀式に使われた動物の心臓がなかったり、光を放つ人間が大勢突進するのが報告されたり、
不吉な歴史の転換点を思わせる。シーザーの妻も元来現実的な性格だったが、今日ばかりはシーザーに
出かけるのを思いとどまらせようとする。しかし、シーザーはきかない。

話は飛んで、シーザーが倒されて帝政が一度は防がれたと思われるが、その後事実上の後取りにあたる
オクタヴィアヌスがローマ皇帝一世となる。シーザーが普通の人間だったなら、これだけ不吉な予兆が続けば
何かしら恐ろしくなり警戒するはずである。確かに彼は権力を持ち、傲慢になっていたかもしれない。
しかし、私にはそれ以上にこの暗殺が動かしがたい歴史の歯車に組み込まれていたのだと思えてならない。

「ブルータス、お前もか…ならばシーザーよ、死ね!」
我が子のように思っていたブルータスにまでも裏切られてしまうとは…ならばもう私は死ぬ以外になかったのだ。
合計23箇所の刺し傷を受け、シーザーは倒れる。すぐに民衆に向かって弁明の演説をするブルータス。
英雄シーザーが殺されたことに戸惑いを隠せない市民たち。ブルータスは訴える。

「私はシーザーを愛していた。しかし、それ以上にローマを愛していたのだ」

ここだけ見たら、ブルータスすごい狡猾…。しかし、苦悶の末に暗殺を決意した姿は、彼の正義感あってのこと。
ジュリアス・シーザーというタイトルだけれど、マルクス・ブルータスという題名に変えた方がしっくりくるような気がするくらい、いい人なのです。

閑話休題。ブルータスの演説が終わり、民衆が「民主主義万歳!ブルータスよ、よく支配から救ってくれた!」と称賛した後、
アントニーが壇上に立つ。世界史ではアントニウスと習ったかもしれません。立場としてはシーザー側の人間。
暗殺の時にアントニーも一緒に殺してしまおうという案が出たが、そこは正義を愛するブルータスのこと、
ヘッドを倒せば充分だろうということで、余計な血は流さない主義。
アントニーは懇意にしていたシーザーが殺された事を、民衆に対して
「本当に彼はあなたたちを支配するような人間だったのか!?」と問いかける。
彼はブルータスの事を高潔な志と呼びつつも、巧みに民衆の心を動かしていく。
民衆がどちらの側につくか、決定的にしたのはシーザーの遺言状であった。
それはつまり、彼の遺産はすべての市民に分割され、それが一人につき75ドラクマずつになること。
1ドラクマは現在の価値に直すとだいたい1万円くらい?になるので、一人75万円ずつ。すごい!!

それを聞くと、それいいのかと思えるほど民衆はコロっと態度を変え、シーザー側に立つ。
こうなるとブルータスは反逆者扱いである。民衆は暗殺に加担した人間を殺すため、暴徒と化す。
その後は第二部的に、ブルータス対アントニーの戦争へと場面は移る。

以降は本編を参照して頂きたいのですが、これは本当に世界史好きにはたまらない一冊。
文体も美しく、歴史を憂うブルータスのセリフなんか重みを感じます。さすが福田訳!
シェイクスピアのお得意の寄り道ストーリーも少ないので、さらっと一本道で読めます。
シーザー、ブルータス、アントニー、オクタヴィアヌス…ローマに名だたるメンバーの
素顔、人間性を心行くまで堪能したい方は、是非読んでみてください!


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三姉妹探偵団

2008年05月07日 19:52

『赤川次郎』著 講談社文庫 291ページ

赤川次郎作品で新しい探偵たちが誕生。今度の探偵は三姉妹。
父親が出張でいないある夜…。次女の夕里子は奇妙な臭いに目を覚ます。

煙の臭い…火事だ!

慌てて姉の綾子と、妹の珠美をたたき起す。
命からがら窓から逃げ出した三人。
原因は放火。けれど事件はそれで終わらなかった。

なんと父親の部屋から裸の女性の遺体が発見される。
しかも、警察の調べでは出張だと思っていた父親は、なんと休暇届を出して行方不明。
当然殺人容疑で父親は指名手配されてしまう。

人のいいお父さんがそんな事をするわけない…。
三人姉妹は事実を解明するため、犯人逮捕に乗り出す。

誰が読んでも抵抗のない赤川次郎作品。
それは彼の作品に出てくるキャラクターの魅力が高いことと、
万人が共感できる生活感あふれる舞台設定。
この人の作品は、「すごい興奮した!」とか、「泣きまくった!」とか、
そういうのはないけれど、親近感が他の作家に比べてすごい。
数行読むだけでその世界に惹き込まれてしまうことは必至。

今回の主役の姉妹も相当キャラが濃くて、一番上の姉、綾子はおっとり屋さん。
極度の方向音痴で、うぶ。今時の子にしては珍しい。アルバイトで得意な事はコピー取り。
逆に末っ子の珠美は現実主義者。同じ親からよくもこんなタイプの違った子供が生まれてくるのかというくらい。
探偵業を営むにつき、お金の管理をするのも珠美で、切り詰めた末に「売春でもするか…」とつぶやく始末。
そうなってくると、一番まともなのが次女の夕里子で、探偵業も主に彼女が中心になって動いていく。
そのフットワークの軽さは一緒に行動する刑事の国友も一目置くほど。

そんな三人三様の姉妹が、なんだかんだで犯人を追いつめていく様は、
なんだか現実離れしているようで、身近な感じがするから不思議だ。
やっぱり赤川次郎氏は推理小説作家という感じではないよなあ…と毎回思います(笑)。


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