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人間失格

2008年04月26日 23:19

『太宰治』著 新潮文庫 166ページ

太宰治の完結した作品としては、最後のもの。
39歳という若さで自殺した作者が、人生で一度だけ自分の事を正直に描いた自叙伝。

久々に大きな感銘を受けました。ドストエフスキーの「罪と罰」を読んだ時も、
何とも言えない感動…いや、読み終えてからしばらくボーっと壁を見詰めてしまうような
不思議な感覚に陥ったのですが、この「人間失格」も同様でした。

太宰治の作品は、人によって本当に意見が割れるそうですね。
好きか、嫌いか。その真ん中がない作家として有名ですが、私は前者のようです。
沢山の作品を残している中でも、この「人間失格」だけは、先に触れたとおり、
その人生の中で自分のことをありのままに書いた作品であり、作風も他のとは全く違います。

物心がついてから、ずっと自分を見せず、おどけてばかりいた葉蔵という人物に
自分を反映させて書いた作品で、精神病院に入れられたことや、
女と入水自殺したことなど、その経験上の事がそのまま手記として表現されています。

金持ちのお坊ちゃんで、一人暮らしを始めて金がなく、女に養われて酒を飲む…。
まるで、人生のダメ人間の典型ですが、違うところは葉蔵が「生きるためにおどけていた」ということ。
他人が何を考えているのか分からない、どこで笑っていいか分からない。
だから、道化になって人を笑わせることで繋がりを保つことにした。
けれど、それは表面上の事。いつ、その仮面が破られるのかひやひやしながら生活している。

…ここまで読んでみると、なんだか他人事には思えない。
私もどちらかというと人見知りな方なので、沈黙が辛い。
ついつい変な事をしゃべってしまって失敗することも多々ありました。
そういう人間の距離って、確かに測りにくい。現在は幸いな事に、だいぶマシになってきましたが。
でも、それは人との関係の構築をうまくできるようになった訳じゃなく、
適当な距離感を置いて付き合うことができるようになってきたからなのであって…。
葉蔵の場合、その点がうまくできなかったのではないだろうかと思う。

葉蔵は内縁の妻を貰うが、彼女は全く自分にないものを持っていた。
酒を飲んだら結婚しないというのに、飲んでしまった自分に対し、
「ウソでしょう。飲むわけないわ。だから結婚しましょう」と無垢に信頼してくれる妻。
そう、「無垢に信頼」してくれるのだ。今まで人を欺いてばかりいた自分にとって、
それは全くの憧れだった。この人は自分を装って誰かを騙すなんて罪を犯さない人なのだ。

しかし、その妻がある日、他の男に犯されてしまう。
とても人を信じる女。信じるが故に、男に騙されて犯されてしまった。
葉蔵は衝撃を受ける。無垢に信じても、それが罪になることがあるのだ…。
憧れていたものがいっきに崩れ、汚い水に変わった。

責めることなんてできない。責めることのできる浮気は何と幸いだろう。
離縁をするか、夫が黙って我慢すれば解決できることじゃないか。
騙し続けた自分が悪いのだ。人は不幸を抗議できるが、自分にはその資格はない。
なぜなら、その原因を作ったのはすべて自分の欺きなのだから。

葉蔵は自殺を図るが失敗。
アルコール・モルヒネにはまり、その日その日のお金を春画のコピーで稼ぐだけ。
そう、ただ一切が過ぎていくだけなのだ。

「人間失格」

とても興味の持てる作家です。ここで紹介する必要もないほど有名なのでしょうが、そこはご容赦ください。
相手のためだからと、自分に嘘をついて振舞うのがいけないのでしょうか。
しかし、この世知辛い都会の中では、誰しも二面性を持ち合わせているのではないでしょうか。
人間が人間らしく生きたら、廃人になってしまった。
そう訴えるような、作者の声が聞こえてくるようです。

今更…と思われるかもしれませんが、ぼちぼち日本文学にも興味がわいて来たところです。
特に今回は強烈な印象でした。もっと沢山読まないといけないなあ…と再確認です。


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やさしいダンテ<神曲>

2008年04月26日 00:12

『阿刀田高』著 角川書店 295ページ

先日紹介した、ドレ画の神曲。岩波文庫の難解な「神曲」を諦め、
まずは絵を介してその迫力を感じたわけですが、今度は阿刀田さんのシリーズで入門編という事に。
前回のドレ画「神曲」はこちら↓
http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-76.html

やっぱり先に阿刀田さんを読んでて良かったなあ~という感じ。
この人は本当に知識が深いですね。それが資料に基づくものであっても、簡単にこういった類の本を書けるものではないと思います。
シェイクスピアにしろ、コーランにしろ、日本文学にしろ…。特に「神曲」は聖書も神話も歴史も、解説には大いに知識を要する文学なので、
生半可に物知り…というだけでは網羅できないところでしょう。

まず大前提として、「神曲」は超キリスト教中心文学であるということ。
地獄・煉獄・天国の三つの世界を、ダンテが旅していくのは周知のところですが、イスラム教の始祖、マホメットが
地獄で切り裂かれてるところなんか、もうちょっと多宗教に対して寛容なところがあってもいいのになあ…と思ってしまう。

順を追って話すと、ダンテは1300年頃にこの冥界巡りを経験し、およそ丸一日かけて三つの世界を旅し、現実世界に戻ってきた。
その目で見た事を著書にしたのが神曲なのだけれど、その中には当時の友人から政敵、はたまた神話の人物から、
歴史上の皇帝まで、ありとあらゆる人がキリスト教、もといダンテの善悪判断で死後の世界をさまよっている。

私たちからすれば、この人ってそんなに悪い人かなあ?と思えるパターンや、
え?この人天国に入れないの!?という人も多く、その基準は推察しがたい。
まあ、そこは神様が決定したことだから、私たち人間の推し量れない領域なんでしょう。
地獄では前回の解説通り、悲惨な状況の中をダンテとウェルギリウスが見聞していく。
そもそも、なんでダンテが冥界巡りをする事になったのか…?

彼が生涯の中で本気であこがれ、愛した女性は一人だけだったようだ。
それは、彼を冥界巡りに導いた女性、ベアトリーチェ。生前、彼女に会ったのは、
二回ほどだったようだが、その神秘的な美しさの虜になってしまったようだ。
現在の私たちからすれば、それっていわゆるストー…げほっげほっ…な訳ですが、
ダンテにしてみれば、ベアトリーチェは天国の最上階に召されるほどの人だったらしく、
彼女が若くして死んだあと、ダンテはその御心に導かれて見聞の旅に赴く…といった筋書きのよう。

ウェルギリウスはその案内役を仰せつかってやってきた訳だが、何でも知ってるもの知り屋さん。
悪魔に襲われそうになっても、ウェルギリウスがいれば安心そのもの。
「私につかまってれば大丈夫。心配することはない。神が守ってくれる」と頼もしい。
そんなことで、まずは地獄を下へ下へと進んでいく二人。
地獄の裁判官(日本で言う閻魔大王のような感じ)ミノスが、罪人を裁いている。
そのしっぽを何回体に巻きつけるかで、その罪人が第何層の地獄へ落されるかが決まる。
地獄については前回紹介したので、そちらを参照して頂ければと思います。
ただ、阿刀田さんの解説する「神曲」の世界は、筆者の筆舌をもってしても簡単に説明するのは難しい様子。

そりゃそうだよなあ、だって歴史の政治問題とか、神話のマイナ~な話とかがわんさか出てくるんだから…
と、読者側もそこはそんなもんだろうと納得して読み進めていくしかない。

地獄の最下層、コキュートスから脱出して煉獄に入った二人は、そこに高名な詩人たちが集まっているのを見る。
話は脱線するかもしれないが、キリスト教が普及する前の世界の扱いは、「神曲」ではどうなっているのか?
なんせキリスト中心の世界なんだから、キリストが生まれていない時代は帰依することができない。
なので、アダムやイヴ、ダビデといった英雄たちは、キリストが生まれるまでは天国に入れなかったらしい。
キリストが天に召されてからのち、煉獄にいた彼らが神の御心で天国へ引き上げられたらしい。
そこまで徹底して天国へ導いていく人を選別しているのだから、煉獄に著名な人が集まってても不思議ではない。
彼らは天国に昇るためにここで罪を浄化しなければならないらしい。そこが煉獄の定めだ。

この三世界のなかで一番中途半端なのが煉獄。重い石を背負って懺悔している人たちや、
眼を縫い合わされて現世の罪を浄化している人、地獄と一見同じように責め苦に合っているように見えるが、
決定的な違いは、彼らがそれを喜んで受け入れているのであって、こうすることでいつかは神のもとへ行けると希望を抱いていることだ。
ダンテは彼らと話をしながら、これまた何層もある煉獄を、今度は上へ上へ昇っていく。

そして、ついに天国へ足を踏み入れるダンテ。
ベアトリーチェとの再会。その美しさにダンテは気を失いそうになるけれど、彼女は久々の再会なのに手厳しい。
「ダンテよ、かつて私を愛した人よ。私が死んでから、あなたは堕落しましたね」
これにはダンテも参った。自分を恥じてうなだれる。しばらくはお説教が続くけれど、その後はベアトリーチェの導きで天国の層を巡る。

ダンテも、筆舌に尽くしがたいと何度も著書の中で述べているように、天国の眩しさや喜び、美しさは表現できそうもない。
ただ、出てくる面々がすごい。ヨハネ、ペテロ、パウロ、マリアにガブリエル。
ベアトリーチェはその最上階の「すごい人たち」の一席に加われるほどの人物らしい。
あんた…二回しか会ってないくせに。
そういう突っ込みはなしにして、その最後の天上人たちが集まる場所を目の当たりにして、ダンテの旅は終わる。

長くなってしまったけれど、だいたいこんな感じ。
私でも一丁前に概要を説明できるくらいにはなれる本なので、ダンテを読む前には絶対読んでおきたい一冊。
ただ、やっぱりそれなりの宗教・神話の知識があった方が面白い。できたら歴史も…。
特に聖書は知らないと話にならない部分が多い。すこしだけ努力してそこは学んでからの方がいい。
「神曲」を読んだ芸術家、ダヴィンチ、ミケランジェロ。彼らの芸術作品にも影響を与えたダンテの「神曲」。
死後の世界が漠然としかなかった当時、明確なイメージをたたき出した彼の作品は、
キリスト教世界に旋風を巻き起こしたに違いない。ルネッサンスの先駆けになったのも頷ける。

まず、私たち日本人が天国に入るためには、キリスト教に帰依して洗礼を受けることから始まり、
欲望を捨てて貞淑に生き、食欲に負けず、嘘を付かず…と、やることが沢山ありそうですがね…。


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トム・ソーヤーの冒険

2008年04月24日 22:46

『マーク・トウェイン』著 岡上 鈴江 訳 ポプラ社文庫 206ページ

海賊ごっこをして、数日間行方をくらませたり、宝物さがしをしたり、
洞窟からの大脱出をしたり…。さながら、毎日が冒険の日々。

十五少年漂流記のようなものを想像していたんですが、
アメリカの田舎を舞台にて、普通に学校に通ってる少年の物語。
わんぱくで機転がきき、悪戯好きなトムには毎日が普通の日々なんて耐えられないようです。

友人のハックは、その後、「ハックルベリ・フィンの冒険」という著書にも登場しますが、
親なしで自由に毎日を過ごす少年。ある日、トムにいぼ取りのまじないを持ちかけ、
真夜中の墓地へ冒険へ赴きます。
しかし、そこで目にしたのは恐ろしい殺人事件だったのです。。。

その日見た事は決して誰にもしゃべらないという事を約束して、
トムとハックは血判状の誓いを立てます。
それが、なんとも可愛い。ちゃんとピンで指から血を出して押すのです。
ちょっと大人気取りで自分を大きく見せる少年たちが、最後に宝物を見つけるのは爽快。

ネコをいじめたことでおばさんに怒られたトムは、
「おばさんは僕よりネコの方が可愛いんだ」と思って、家での決意をします。
学校にも教会にも行かなくていい自由気ままな生活に憧れ、
トムと友達のジョー、そしてハックの三人はいかだに乗って海賊になろうと旅立ちます。

辿り着いた島で釣った魚を焼いて食べ、ウミガメの卵を取り、川で遊んで楽しく過ごす三人。
でも、街では少年たちが行方不明になって大騒ぎ。
いかだが流されているので、もう三人は死んでしまったとみんなは思います。

だんだん家が恋しくなってきた少年たちだったけど、海賊になった今、
寂しいなんてなかなか言い出せません。
そこで、三人のお葬式が行われる日曜日に帰ろうと相談が決まりました。

もう絶対家には帰らないぞ!最初はそう思っていても、だんだん不安になってくる…。
そんな無鉄砲な気持ちが、とても懐かしく感じませんか?

アメリカ開拓時代の面影を残す舞台で、少年たちの小さな冒険が次々展開されます。
ポプラ社文庫は、小学生向けの本なので、内容も簡単に描かれていますが、
本当はちゃんとした小説なので、ハックの方は岩波で読んでみたいですね。


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天使よ盗むなかれ

2008年04月21日 23:45

『赤川次郎』著 角川文庫 259ページ

前作「天使と悪魔」の続編。落第した天使と、成績不良の悪魔。
なんだかんだで仲のいい?二人は今日もゆく。

前回の参照はこちら↓
http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-26.html

ネタばれしてしまうと、天使は人間の事をもっと勉強するために下界へやってきている。
悪魔は地獄へ戻るためには、「堕ちた天使」を道連れにしなくてはいけない。
それには、天使が「人間なんて信じられない」と言う事が条件になっている。
この世知辛い世の中を、世間知らずの天使が渡っていくのだから、
人間なんて…というセリフを吐く機会はあるだろう。
しめしめ。いっちょこいつに付いてってやるか。

こんな感じで行動を共にしている二人。
天使は十代の女の子に身をやつし、悪魔は何故か黒い犬の姿でいる。
もちろん、生身の体である以上、お腹も空いてくる。
そこで、二人はある一計を模索して、大会社の社長の家に転がり込むことに成功する。

しかし、そこでまたまた事件は勃発し…。

赤川次郎さん作品は、ミステリーとして読むよりも、
登場人物の魅力で楽しむ方が個人的には好きですね。
主人公の凸凹コンビも好きですが、そこに絡んでくる人間関係も、
皆愛すべきキャラクターばかりです。

特に今回は、大財閥の恋多き女社長、できそこないの刑事。
そして「夜の紳士」と名乗る泥棒と、魅力あふれる登場人物ばかり。
天使は巻き込まれつつ、やっぱり人間の温かさを再確認するのでした。。。

裏事情があるとはいえ、前回に引き続き悪魔の出番が少ない~…。
「夜の紳士」という怪盗ルパンのような人物が出てきているくらいだから、
どちらかというと少年向けの小説のような感じがする。
だからこそ、悪魔にはもっと超能力的な事を期待していたんだけど、
したことと言えば尾行ぐらい?あとは、傍観してるか食事をしてるくらい…。

次回の舞台は新興宗教の総本山。
今度はどんな冒険が待ち受けてるのか楽しみです。
そして、悪魔がどんな活躍をしてくれるのかも…。


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ジーキル博士とハイド氏

2008年04月20日 22:43

『ロバート・ルイス・スティーヴンソン』著 田中 西次郎 訳 新潮文庫 130ページ

医学、法学の博士号を持つ高潔な紳士、ジーキル博士。
彼が弁護士であり、友人であるアタスンに預けた遺言状には、

「ヘンリー・ジーキルが死亡の際にはその財産の一切を、
 友人にして恩人たるエドワード・ハイドの手に譲渡すべき」

こうしたためられていた。

エドワード・ハイド氏。
彼は醜悪で凶暴。その風貌を見たものは、何か生理的に嫌悪感を覚える。
いつの頃からかジーキル博士の家に立ち入るようになり、何か問題が起こった際には、
ジーキル博士の名前で慰謝料を払ったり、謎の行動をしていた。
友人のアタスンは、ジーキル博士がこの凶暴な男に弱みを握られているのだろうと考え、興味を覚える。

しかし、実はその凶悪なハイド氏は、薬によって姿を変えたジーキル博士その人だった…!

「ジキルとハイド」の名前の方が日本ではポピュラーな作品。
二重人格で一方は高名な紳士、一方では凶悪な犯罪者という設定は好まれそうなところです。
現代小説でもそういった類の内容は多いのですが、それ以上に人間の深層心理を探ることができる作品だと思います。

薬を飲むと、別の人格が現れるだけではなく、身長や風貌まで変わり、
まったくジーキル博士には見えないから、そこがまた始末が悪い。
ハイドになって何をしようとも、一度元に戻る薬を飲んでしまえば、
彼はこの世に存在せず、そこには代わって高貴顕栄のジーキル博士がいる。

子供は罪に対してとても無邪気ですが、成長するにつれてそれを罪として意識していく。
ジーキル博士の世間での評判は高く、彼に限って悪い噂が立つようなことはなかった。
しかし、生まれながらに持っていた残酷さは、意識の中からいなくなってしまったのではなくて、
ひた隠しにされて抑え込まれているだけだったら…。

ある日、そんな凶悪さを全く自分に被害が及ぶことなく表へ出すことができたら。
ジーキル博士は一度この薬を飲んだ際に、二度と飲むまいという決心をした。
しかし、時の経過にその鋭い意志も鈍り、誘惑に駆られて手を出してしまう。
それはさながら、アルコールやドラッグからどうしても抜け出せない人間のよう。

ジーキル博士は、人間が持つ二重人格性を薬の完成より前に薄々感づいていた。
凶悪な性質をその身に秘めている事は、おそらく人類共通であろう。
しかし、薬の服用を重ねているうちに、いわば劣勢であった人格のハイド氏が、
本来の顔であるジーキル博士を脅かすようになる…。
それはあたかも、欲望のまま悪に生きる人間に対する警鐘に思える。

二重人格という現代風の設定で、人間の暗い部分に焦点を当てた作品としては、
純文学のような感じではないけれども、ただの陳腐なミステリーとは質が違う。
日本でも演劇として公演されているように、その問いかけの深さが感じられる。

作風がシャーロック・ホームズのコナン・ドイルに似ていると感じたけれど、
彼もエディンバラ生まれでドイル氏とは同郷にあたる。
推理小説の事を「文学ではない」という人もいるみたいだが、
こういった有名な作家たちの書く推理小説やミステリーは、
間違えば幼稚になってしまうところを、その手腕で文学まで確立したのだと思う。
ただ、文学の領域までいきつかない作品が跋扈しているという指摘には閉口してしまうが…。

コナン・ドイル風の作品がお好きな人にはとてもお薦めの作品だと思います。


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シンドバッドの冒険

2008年04月17日 00:55

『ルドミラ・ゼーマン』文/絵 脇 明子 訳 岩波書店

シンドバッドの冒険は、千夜一夜物語、いわゆるアラビアン・ナイトの中の一つのお話です。
そもそもの千夜一夜物語の話が始まった経緯は、ブログ内検索「千夜一夜物語4」を参照にしていただければと思います。

ルドミラ・ゼーマンは前回も「ギルガメシュ王物語」で紹介させて頂きましたが、
絵本業界では有名な方で、その独特なタッチと歴史を感じさせる背景などが印象的です。
作品は三部作になっていて、
「シンドバッドの冒険」、
「シンドバッドと怪物の島」、
「シンドバッドさいごの航海」の三本立て。

荷物担ぎのシンドバッドが、ある日通りすがりに大商人と出会います。
その人が召使に呼ばれた名前は、自分とおなじ「シンドバッド」。
一方は大金持ちで、一方はしがない荷物担ぎ。世の中、なんて不公平なんだ。

そんな不平を洩らす荷物担ぎのシンドバッドを、商人のシンドバッドは家へ招待します。
「君ねえ、私はこれでも昔は生きるか死ぬかの苦労をしたんだよ。
 最初っからずっと、こんな裕福な暮らしばかりしてきた訳じゃないんだから。まあ、お聞きなさいよ」
こんな感じで、若かりし頃の話を始める。

これがいわゆる「船乗りシンドバッドの冒険譚」。
最初はクジラの島に行き着いて、知らずにその背中をナイフで刺しちゃったから、クジラが怒ってさあ大変。
結局タルにしがみついて、一人漂流するハメになり、ロック鳥という巨大な鳥の島へ。
故郷へ帰るために、ロック鳥の足へしがみつき、どこかの谷へ下りたものの、そこは蛇の巣窟。
しかし、谷底にはダイヤモンドの絨毯。すばらしいものばかり。

どうかしてこの谷から抜け出せないかと思案しているところへ、目の前に羊の生肉が降ってくる。
落ちた勢いで生肉にダイヤモンドが刺さって、それをロック鳥が餌と思い、拾い上げたところを狙って
人間が手に入れるというという作戦のようだ。
これだ!とばかりにシンドバッドは生肉に体をくくりつける。

ロック鳥がやってきて、上手い具合に空中へ舞い上がった。
どうやって降りようかと思案しているときに、ドラや鐘の音がやかましく響いた。
驚いたロック鳥は肉を離してしまう。まっさかさまに下へ落ちていったシンドバッドだけれど、
なんとか木の枝に引っかかることができ、一命を取り留めた。

しかしまあ、びっくりしたのはダイヤモンドを拾おうと生肉を仕掛けた人たちだ。
人間がおまけについてきた。しかも、見たことのない大粒のダイヤモンドを手に持っている。
シンドバッドは事情を説明し、船に乗せてもらって故郷まで送ってもらうことにした…。

まだまだ冒険は続くのですが、一巻はここまで。こんな感じで他にも色々な島へ漂流します。
気になったのは二巻の怪物のいる島ですが、どうも背景がカンボジアのアンコールワットに見えます。
というかそのままなんですが、これも興味深いところです。
当時のアラビアの感覚では、アジアは未開拓の未知世界だったのでしょうか。
ちなみにダイヤモンドの谷はどこらへんなのかという疑問ですが、地図ではスリランカの沿岸あたりのようです。
クジラの島はさらに南、インド洋の中腹あたりでしょうか。そういう推測も楽しいものです。

そして、相変わらずクオリティが高い絵本です。


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クリスマス・カロル

2008年04月10日 23:57

『チャールズ・ディケンズ』著 村岡 花子 訳 新潮文庫 151ページ

季節はずれですが、今更クリスマス・カロルを読んでみる事に。
よく聞くけれど、あんまり知らなかったなあ…。

絵本って、何かしら教訓になるテーマがありますが、クリスマス・カロルは分かりやすい。
小説になると、多少歪曲した表現と、文章のつながりが読みにくいところが残念かな。

ケチで冷酷で人間嫌いのスクルージ老人は、誰もが喜ぶクリスマスを憎々しげに思っていました。
一銭の儲けになる訳でもないし、慈善団体は寄付を求めてくるし、雇い人は休みを要求するし…。

クリスマスなんて、何がめでたいっていうんだ。

ふてぶてしい気持ちで家に帰ったスクルージは、その夜、仕事上の相棒だったマーレイの亡霊と対面する。
何しに来たんだ。びっくるする彼に、マーレイは明日の晩に幽霊が訪れると予言する。
半ば本気、半ば疑いの気持ちで次の夜を迎えたスクルージだったが、幽霊は本当にやってきた。

最初は、過去のクリスマスの幽霊。
子供の頃の、楽しかったクリスマス。幸せだったとびっきりの日。

二番目は、現在のクリスマスの幽霊。
周りのみんなは嬉しそうにクリスマスの準備をしている。ゲームをしたり、冗談を言ったり。
そして何より、誰にでも祝福を与えている。もちろん、スクルージにも。
みんな、スクルージの事を「可哀相な人」だと憐れみを感じている。

三番目は、未来のクリスマスの幽霊。
スクルージは死んで、みんな喜んでいる。
あのごうつくばりの高利貸しが死んでくれた。使わずに意地汚く貯めこんだ資産は山分けにされた。
どうせ死んだんだ、死体に着せてやる服はどんなものでも一緒さ。死体から布をはぎ取る人たち。
誰も悲しんではくれやしない。

三人の幽霊に教えられたことで、さすがのスクルージも、心を入れ替える。
お祝いをしよう、慈悲を垂れよう、すべてのものに祝福を与えよう。
明るく挨拶を交わし、寄付をし、知人と楽しく過ごし、雇い人の賃金も上げてやった。
彼の見た、将来の結末は免れるだろうか?きっと、神様はきっと良い方向へ導いて下さるに違いない…。

誰しも仕事に追い立てられ、サンタさんを信じていたクリスマスの夜の記憶は遠のいていくでしょう。
スクルージ老人は、私たちにとって「身近」の存在。毎年、笑顔でお祝いできるとは限らないのです。
辛い事が続けば、クリスマスなんて…と思うこともあるでしょう。

スクルージ老人は、忘れてしまっていた幸せを、プレゼントしてもらったのです。
幸せは自分で作れるもの。クリスマスは、それをよりいっそう高める日なのでしょう。
ディケンズを読んで感じるのは、この人はとても現実主義者なんだろうなということ。
作者自身が借金に苦しみ、辛い生活を続けてきたからこそ、苦しい時も慈悲を忘れず、
斜めから世の中を見てしまう自分を戒めるために、こういう物語が生まれたのではないかなと思います。

絵本でも多くの種類が出版されている本作品ですが、沢山の家庭に心の豊かさを、クリスマス・プレゼントとして贈っているのでしょう。


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フランダースの犬

2008年04月08日 23:27

『ウィーダ』著 村岡 花子 訳 新潮文庫 164ページ

♪ ラララ ラララ ジングン ジングン クレーヌ ブリンダース
  ラララ ラララ ジングン ブリンダース ラーラ 口笛はなぜ~

必ずハイジと混じってしまうのは、私だけではないはず…。
「ぼく、なんだかとても眠いんだ…」あの不屈の名作アニメに、ボロ泣きしてしまった人は多い事でしょうね~!

画家を目指す純粋な少年ネロは、おじいさんと犬のパトラシエ(パトラッシュ)の三人暮らしで、貧しい生活をしていました。
でも、村一番の権力者にボヤ騒ぎの疑いをかけられて、みんなから煙たがられます。
ネロは飢えと寒さに耐えながら、必死に生きていきますが、悲しい事におじいさんも死んでしまいます。
借りている小屋からも追い出され、さ迷い歩いた揚句に教会のなかで、パトラシエと寄り添い、死んでしまう…。

ううう…こんな悲しい物語、どうやったら思いつくんだ…。
徹底的に弱者に焦点を当ててますよね。
一度、ネロが描いた女の子の絵を、そのお父さんが1フランで買い取ろうとしたシーンがありましたが、
私ならもっとせびってますよ。強いってことは、ある程度悪いってことも必要になってくるのかもしれません。
自分に自信があるのなら、ミルクの荷車引きなんて職業じゃなくて、道端で絵を描いて売ってもいいわけですから。

朝になって、教会で死んでいるネロとパトラシエが見つかりました。
そこへ、画家が弟子にしたいとネロを探しにくる。
ピカソは死んでから認められた画家ですが、死んでしまったらその人にとって
後世がどうなんて関係ないんじゃないでしょうか。その子孫がどうとかは別にして…。
弱者として虐げられて死んでいった人が、後になって感謝や愛情を注がれても、
その遺体が語るのは「もう遅い」という言葉だけ…。そんな気がしてなりません。

本書では、フランダースの犬と、ニュールンベルクのストーブの二編が収録されています。
どちらも少年文学で、貧しい少年が主人公です。後者の作品はハッピーエンドで読んでいて楽しくなりますよ。


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絵のない絵本

2008年04月07日 22:29

『ハンス・クリスチャン・アンデルセン』著 大畑 末吉 訳 岩波文庫 111ページ

絵のない絵本…開いてみたら、絵があった…。
ちょっとびっくり(笑)。

ある少年は友達がいませんでした。せせこましい小路に住んでいて、
窓から見えるのもといえば、灰色の煙突ばかり。
ふと、ある時、悲しげな気持ちで窓から顔を出すと、懐かしい友達が現れました。

「これから、毎日短い時間ではあるけれど、きっとあなたの窓を覗いていくことにするよ。
そして、色々なお話を聞かせてあげよう。それを絵に描いていくがいいよ」

懐かしい友達はそう約束してくれました。それはお月さまだったのです。
次の晩から、雲の出ている日は別にして、友達は約束を守って沢山の話をしてくれました。

これは、月が語った物語の一つです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ある熊使いが、熊を宿屋の下につないでおきました。
一度だって人に危害を加えたことのない、やさしい熊でした。

年端もいかない少年たちが三人、屋根裏部屋で遊んでいました。
そこへ、バタンバタンと音がして何かが登ってきます。
一体何でしょう?それはなんと、その熊でした。

少年たちは部屋の隅っこで縮こまりました。
熊は鼻をクンクンさせて、匂いを嗅いだだけでした。
少年たちは、これは大きな犬のようなものなんだ、と安心しました。

少年たちは熊を仲間にして遊び始めました。
隊列を組んで、おいっちに、おいっちに。
そこへ、三人の母親が部屋に入ってきました。
その驚いた顔と言ったらありません。真っ青になりました。

一人の少年がすかさず言いました。
「僕たちね、兵隊ごっこをしているんだよ!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「旅することは、生きることである」
楽しい物語、悲しい物語、不思議な物語、国は方々へ移り替わり、
月が話してくれる物語は、旅を愛したアンデルセンの、人生そのもののような気がします。

ちょっとニュアンスの伝わりきらない物語もありますが、翻訳の難しいところと言えるでしょう。
絵のない絵本と言っても、影絵がたくさん掲載されているので、雰囲気だけでも楽しめます。

ちょっと非現実的な、ロマンチックさに惹かれてみたい時は、アンデルセンを手に取ってみては…?


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シェイクスピアを楽しむために

2008年04月01日 22:29

『阿刀田高』著 新潮文庫 400ページ

久々…でもないかな。の阿刀田作品。
阿刀田さんの作品ってミステリー読んだこと無いから、こういう教養書ばかり書いてる人かと思ってました。
読めば読むほど知識の深さに驚かされますが、それを鼻に掛けない書き方をするのがGOODです。

シェイクスピア作品は、このブログでも何回か紹介してきました。
大きく分けると、悲劇、喜劇、史劇の三つに分かれるんですが、そういや史劇は紹介してないですね。
やっぱり難しいし、名前がややこしいし、喜劇とか悲劇とかの方が読んでて楽しいですもんね。

内容は四大悲劇、ロミジュリ、喜劇が数本に史劇、それにジュリアス・シーザー。
有名どころをだいたい網羅して紹介されてます。
シェイクスピアを全く読んだことが無いとか、知りたいとは思うけどなかなかね~という人にはお勧めです。
お手軽にそれぞれの作品の概要をつかめます。ただ、知ってる人にはちょっと物足りないかな。

シェイクスピア作品は、阿刀田さんも本書の中に書いてるとおり、寄り道が多い。
とりあえず盛りだくさんに要素を詰め込んで、それで大衆にウケたらOK!みたいなところがある。
だから、紹介する方も大変だったろうなあ…と思う。本書も、紹介に文を取られてしまって、
その分、内容を知ってる人には飽きてしまうところがあるだろうと思います。

ところで…西洋文学を読んでていつも感じるのは、
…キリスト教とギリシャ神話ってすげえ浸透力だな。ということ。
前に読んだ神曲にしても、いきなりローマの詩人ウェルギリウスが出てきたりして、
いや、知らんがな、あんた誰?みたいな場面が多々あって…。
そういう時代背景とかを知らないと、海外の文学って手が出しにくくなるんだと思います。
その点、阿刀田さんの解説書シリーズは親切丁寧に教えてくれるので、とっつきやすい。

他にも当時の舞台設定とか、シェイクスピアの生涯とかもよく分かるので、
奥さんはいたの?子供は?どんな身分の人?という疑問に答えてくれます。
印象としては、あんまり家族思いじゃなかったのかな?という感じ。
出来ちゃった婚で結婚して、故郷を飛び出して役者になって、儲けてから地元に帰って余暇を過ごしたようです。

そういう裏話的なところまで余すところなく紹介してくれているので、初心者の方には楽しいところ。
私も読んだことのないジュリアス・シーザーや、ウィンザーの陽気な女房たちはとても読みたくなりました。
「旧約聖書を知っていますか」と「新約聖書を知っていますか」をセットで読んだあとに、
できたら「ホメロスを楽しむために」を読んで、解説書シリーズに取り組むとなお良いかもしれません。


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