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ビルマの竪琴

2008年03月25日 19:43

『竹山道雄』著 ポプラ社文庫 254ページ

今年に入った2月、新聞にこんなニュースが出ていた。
「映画監督、市川崑さんが肺炎のため、東京都内の病院で死去」
毎年のようにやってる金田一シリーズの「犬神家の一族」を始め、テレビでは「水戸黄門」など、
数々の名作を残してきた市川さんが亡くなられたニュースに、朝から驚かれた方も多かったのではないでしょうか?
そんな私は正直なところを言うと、市川さんの作品を全くもって、いやそれはもう申し訳ないほどに観ていないので、
ここで遺影を偲ぶ資格も無いのです。もちろん「ビルマの竪琴」が市川さんの作品だという事も知りませんでした。

なので、そんなにショックも受けずに会社に出向いたわけですが、社内では話題になっていました。
ほうほう、そんなに凄い人が亡くなったのですか。これは話についていけなくてはいかん。
どんな作品があるのかな。パソコンですぐに主要新聞社のニュースが拾える仕事上の特権を利用して調べてみると、
「ビルマの竪琴」でアカデミー賞云々…。ん?ビルマの竪琴なら家にあったような気がするぞ…。
案の定、去年のクリスマスのプレゼントにもらった古本群の中にありました。
日本文学だからなあー。いつもの苦手先入観が入り、引いてしまったものの、
最初の軍艦に乗って帰国した日本兵が合唱している場面が特異に見えたので、何と無く読み進めてみました。

場面は3章。1章は歌う事が好きな日本部隊があり、ビルマ(ミャンマー)からシャム(タイ)へ敗走しているシーンから始まります。
彼らの作戦は、部隊の中でも竪琴の上手な水島上等兵にビルマ僧の姿をさせ、
進行方向の安全を、そのかき鳴らす竪琴の音で知らせるというものでした。
水島はビルマ人に顔立ちが似ており、怪しまれることなく進むことができたからでした。

国境を超えるのが間近に迫ったとき、彼らはイギリス兵に取り囲まれます。
しかし、彼らは「はにゅうの宿」の歌を歌う事で、イギリス兵の心を和ませ、そして終戦になったことを知ります。

2章は捕虜になってからの生活です。しかし、まだあちこちに日本の残兵が残っており、戦闘は終わっていないとの事でした。
水島はこの残兵達を説得する役を買って出て、再び戦場へ出かけていきます。しかし、彼はなかなか帰ってきませんでした。
抵抗していた日本兵も、降参したという情報は入ったものの、肝心の水島だけは収容所へ帰ってこないのです。
みんなは心配して待ちわびました。

そんなある日、水島に瓜二つのビルマ僧と隊員たちはすれ違います…。
あれは水島なのか?ならばどうして戻ってこないのだ?一緒に日本に帰ろう。
みんな切実に日本に帰りたがっています。帰って国のために尽くして働こう。そう一緒に誓い合った仲だったのです。
日本に帰る前日、彼らは収容所の柵の中で、声の限り「はにゅうの宿」を歌います。
すると、くだんのビルマ僧はいつも水島がかき鳴らしていた懐かしい竪琴を弾いたのでした。

3章では、ついに捕虜生活も終わりを迎えた隊員たちが、日本に帰るところです。
あの僧は水島には違いなかった。しかし、彼は日本に帰らずビルマに残る決心をした。
その理由は何か?隊員たちにあてられた一通の手紙にその一部始終が書き留められてありました。

…この後に語られる水島の決心も心を打つものがありますが、どうして彼がビルマに残る必要があったのか、
その根本を考えた時に、やっぱり戦争があったから、という結論になるのだなと私は思います。

作品の中で、ビルマは未発達で不潔で不便で、学問や労働によってひとり立ちになろうという意思のない国民が多数であるという事が語られます。
しかし、はたしてそれが悪いのでしょうか。文明の利器を持つことが大切なのではなくて、それを扱う人間がどうあるべきなのか。
水島が残兵に降参を勧めに行ったとき、死ぬのは怖くない、日本のために立派に最後まで戦うと豪語した日本兵達。
彼らは発達した人間といえるのか?

戦争に対して経験のない自分たちに対しても訴えるように響く作品だと思います。
誰しもがこういう作品を読んで感動を経験したなら、戦争なんて起こらないと思うんですが。
悲しいかな、憎しみが憎しみを生む連鎖は止まらない。
どうすればいいんでしょうね、市川さん。


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四つの署名

2008年03月24日 20:13

『コナン・ドイル』著 延原 謙 訳 新潮文庫 196ページ

シャーロック・ホームズ第二弾。登場からいきなりコカインでラリってるホームズ先生です。
「何か面白いことないかな~」と思っているところへ、うってつけの事件が転がり込んできます。

もの静かな美しい女性、モースタン嬢は自分の身に起こっている不思議な出来事をホームズに打ち明ける。
毎年高価な真珠が一粒ずつ送られてくる事。送り主はまったく分らない事。
しかし、どうもそれが何年も前に失踪した父と関係がありそうな事。

「久々に面白い事になりそうだよ、ワトスン君」
ニヤリ。ホームズは頭を使っていないとまるで廃人のようになるが、仕事となれば別人のように眼を輝かせて生き生きする。

話の趣旨はこうだ。モースタン嬢の父は10年前インドへ行っていた。
現地からの帰りにロンドンから手紙をよこし、「父さんもうすぐ帰るからな~待ち合わせは…」と連絡しておいた。
しかし、ついに父は現れなかった。それから数年後、彼女のもとに大粒の真珠が毎年決まって送られてくるようになる。
それが数年続き、今年になって「あなたは不当な仕打ちを受けている。正義の補償を受けるべきだ。
疑わしかったら友人二人連れてきなさい。警察には決して言わないで下さい」という手紙が届く。
ホームズとワトスンは、二つ返事にその友人役を引き受けることにする。
どこへ連れて行かれるかも分からない馬車に揺られて、三人は暗闇の中を進む。

推理小説の紹介の辛いところは、どこまで書いていいか分からないところですね。
面白いところは書けないし、触りだけ過ぎると興味がわかない…。
感想だけ述べるなら、一作目の「緋色の研究」より面白かったと思います。
ホームズの人となりがもっとよく分かったので、満足かな。
手掛かりがつかめなくてヤキモキするところが可愛かったり、
犯人が逃亡するのを追いかけるシーンは、すごく迫力があったり…。

シャーロック・ホームズのファンをシャーロッキアンというそうですが、
彼らのように内容を分析したり…という楽しみ方ではなくて、
単にミーハーな気持ちで読んでました。
いやあ、かっこいいなあ~ホームズ。

もちろん内容もよかったですよ。
殺人現場に残された「四つの署名」という言葉。それに基づく深い憎しみ。
バックストーリーは推理小説につきものですが、ホームズシリーズはスケールがでかい…。
この作品の次に発表した「シャーロック・ホームズの冒険」から短編が始まりますが、
それとは違った長編ならではの味わいが出ていたのではないかと思います。


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蜘蛛の糸

2008年03月23日 19:45

『芥川龍之介』著 ポプラ社文庫 213ページ

子供向けの日本文学集シリーズの本で、ふりがなが多く読みやすいです。
いや~、日本文学て奥が深いですね(実はよくわかってないだけ)。
家に分厚い日本文学全集がありますが、教育熱心な父に読め読めと言われ、
それに反比例して日本文学が嫌いになっていきましたねえ~。
そもそも、小学生に大人でも難しいような漢字だらけの古書を読めと言っても、無理があるんじゃないでしょうか。ねえ?
まあ、遠回りしたものの、父親の期待通り今では読書好きになったわけで、万事めでたしめでたしです。
芥川龍之介の作品は、学校の教科書に載ってた「羅生門」「鼻」「トロッコ」くらいしか知りませんでしたが、
「地獄変」は今回初めて読んでとても面白いな~と感じました。
本書には、「蜘蛛の糸」「地獄変」「魔術」「舞踏会」「秋」「杜子春」「トロッコ」「漱石三房の冬」「雛」の九編が収録されています。

芥川龍之介といえば自殺したことでも有名なので、おどろおどろしい小説のイメージが強いですね。
そうじゃないのも沢山あるんですが…どうも先入観は抜けません。
地獄変に出てくる良秀は、堀川の殿様に仕えている絵師でした。
腕にかけては超一流ですが、性格が悪く、彼のもとから去っていく弟子も少なくなかった。
そんな良秀には、どこをどうやったらこんな子が生まれてくるのかというほど、器量よしで可愛らしい娘がおり、殿様に仕えていた。

良秀の描く絵はどんなものかというと、それがまるで不気味な話ばかり付きまとう絵ばかりで、
やれ描かれた女房たちが一人一人死んでいくとか、やれ絵から死人の腐臭が漂ってくるだのといった噂が絶えない。
本人もさして気にしていないようで、神様をテキトーに描いた絵を批判されても、
「いいじゃん、どーせ俺の描いた神様なんだし。俺の神が、俺を罰する訳ないない。ノープロブレ~ム」と気楽なものだ。

そんなある日、殿様から地獄変を屏風に描くようにと依頼があった。
さっそく取り掛かった良秀だったが、彼のモットーは自分の目で見たものしか描けないという事だった。
一人の弟子に声をかけて、
「ねえ、きみ、いま暇?ちょっと手伝ってほしいんだけど」
「何用ですか?師匠」
「うん、ちょっと服を脱いでくれたまえ」
師匠のモデルになるのなら、全裸だって気にしない。
忠実な弟子は着物を脱いで真っ裸になりました。すると、師匠はジャラジャラと鎖を出してきて、弟子の体をぐるぐる巻きにし始めます
「何をなさるんですっ」
「う~ん、いいよ~、すごくいいよ、そのポーズ。うへへ」
楽しそうに鑑賞、もとい模写する良秀。間違いありません。現代でいうSMです。

何だか最近師匠の様子がおかしいぞ。弟子の間でも噂が広がり始めたのではないでしょうか。
いや、もともと師匠はちょっとあっちのケがあったけど、最近はよりハードになってるぞ。
その後も何人かモデルが犠牲になり、ついに完成が近づいた頃でした。

良秀は殿に申し出ました。
「殿、どうしても最後に描けぬものがあります」
「なんじゃ、良秀。申してみよ」
「車に乗った上臈です。空から地獄の炎の中に落ちていく姿がどうしても描けません」
「じゃあ、どうすればいいのじゃ?」
「私の目の前で、女を乗せた車を燃やしてほしいのです」
んな無茶苦茶な。いくらなんでもそりゃ無理だろう。周りにいた者たちもびっくり。しかし、殿様は
「うん、いいよ」とあっさりOK。

ここらへんが、いまいち分らない。
お殿様は割と普通の人だったのに、最後の方はちょっと気が振れたかのように、こんな無茶なお願いを承諾してしまう。
車が用意され、いざ燃やされる時も、まるで楽しむかのような表情が文面から見てとれます。
どうしてだろう?実は、車に乗せられて焼け死ぬのは、良秀の愛してやまない娘その人なのですが、
車が燃え落ちる瞬間に、殿様の狂気は消え、替わりに良秀が苦悩の表情から恍惚感溢れる顔に変貌している。
ここらへん、何かが殿様から良秀に乗り移ったとしか考えられませんね~。

最終的に地獄変は完成する。あらゆる身分の人間が牛頭馬頭(ゴズメズ)という地獄の鬼に追い立てられ、
煙と炎にまかれ逃げ惑う姿。あるものは槍で突かれ、あるものは怪鳥についばまれ…
その中でも一際目立つのが、天から落ちてくる牛車の女だった…。

色んな意味にとれるこの作品ですが、芥川龍之介の意図したところは、何なのでしょうか。
しつこいようですが、日本文学は奥が深いですね~。

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若草物語

2008年03月19日 19:25

『ルイザ・メイ・オルコット』著 宮脇 紀雄 訳 ポプラ社文庫 214ページ

私事ですが、次の五月に資格試験を予定しておりまして、その追い込み時期を迎えております。
勉強自体は嫌いではないんですが、読書の時間を削らなければならないのは何とも辛いことです。

若草物語といえば、世界名作劇場風の牧歌的で良い作品ですね。
面倒見のいいメグ、新しい物好きの文学少女ジョー、内気で物静かなベス、甘えん坊のエーミー。
四人姉妹が父親のいない間、生活する日常をリアルに描いたこの作品は、映画で大ヒットを飛ばしましたね。

ストーリーとしては、本当に何気ない日常を描いているだけで、
父親が戦場に行って帰ってくるまでの間の話で、隣のおじいさんとの出会いから、
誠実なローリー青年との出会い、姉妹喧嘩をしたり、新しい遊びを考えたり、
一つの大きな中核の目的へ進んでいくという流れではないので、
最初は何でこの話が人気があるのかなと思っていたものです。

貧しい中でも楽しみを見つけ、明るく生きる少女たちの姿は、生きていく上での大切な事を教えてくれます。
「つぼみはいつか花になっちゃうし、子猫はいつか親になっちゃうし…」
ジョーがメグの結婚について、母親に相談した時の言葉には、オルコットの人生に対する想いが感じられませんか?
この言葉が一番好きになりました。あしながおじさんの時も思いましたが、こういう少女をモデルにした話って、
どうしてこうも温かい気持ちになるんでしょう。女性の作家にとくに多い気がします。

他にも、夏休みを迎えた姉妹が、家の仕事をせずにのんびり過ごそうと試みますが、
いざ好きなことだけをしたいと思っても、どうもなかなかうまくいきません。
ああ、そうだな~と思いませんか?私も、休みの日に沢山本を読もうと思った時に限って、意外に読めないもんです。
辛い事があるから、楽しいことが楽しいと感じるのだという事に少女たちは気がつきます。
そんな子供たちを、優しく見守る母親…。
はあ、こんな母親になりたいなあ…しみじみ。

五月の試験が終わったら、きっと私も本を読むことがどんなに楽しいことか、
前より一層感じることができるでしょうね。そう思えば、勉強するのもいいかもしれませんね。


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ミルドレッドの魔女学校4 魔女学校、海へいく

2008年03月18日 22:11

『ジル・マーフィ』著・絵 松川 真弓 訳 評論社 220ページ

う~ん、ちょっとだけ絵の雰囲気が変わったかな?
ハードブルーム先生の恐ろしさが、和らいだ気がして残念です(笑)。

何だかんだで、毎回トラブルをくぐり抜けてきたミルドレッド。
今回は打って変わって?楽しい旅行のお話です。

前回登場して、ミルドレッドのおてがらで助けられた魔法使い、
ローワンウェッブさんから旅行に招かれた魔女学校の生徒たち。
海のそばのお城に滞在して遊ぶことができるのです。
楽しみの少ない学校生活の中で、なんて素敵なお誘いでしょう。

早速海水浴のために、校章の入った水着が作られることになりました。
生徒たちの予想通り、ダサダサで地味な水着も出来上がり、あとは当日を待つばかり。
だけど、ミルドレッドはちっとも楽しみなんかじゃありません。
1年生の時から一緒に生活してきたトラ猫のトラチャンが、できそこないの猫として台所に引き取られることになったのです。

ミルドレッドは悲しくてたまりません。いくらホウキに乗るのを嫌がっても、
黒猫のかわりに支給されても、自分にとってはもう家族も同然だったからです。
新しく支給される猫は、とっても賢くてトラチャンとは比べものになりません。

でも、何とかしてトラチャンを旅行に連れていこう!一緒じゃなきゃ楽しくないもの。
ミルドレッドはそう決心して、ある計画を立てます…。
うまうまと旅行には連れていけたものの、見つかるのは時間の問題。
どこかにトラチャンを隠す必要があります。
けれど、それがとんでもない事を引き起こすきっかけになって…。

ミルドレッドの魔女学校シリーズはこの4巻目で終わりですが、大好きなシリーズだけに残念です。
最後の巻だから?ハードブルーム先生の意外な一面が覗けたりします。
ミルドレッドの魔法も珍しく大活躍。さすが3年生になって成長したみたいです。
卒業したら、一人前の魔女になって仕事(?)をするんでしょうか。
いやいや、きっと彼女の事だから、また何かトラブルに巻き込まれてるに違いありません…。


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神曲

2008年03月14日 21:18

『ダンテ・アリギエリ』著 ギュスターヴ・ドレ 挿画 谷口 江里也 訳 アルケミア出版 309ページ

言わずと知れた不屈の名作。岩波文庫から山川さんの翻訳が出ていますが、
数ページ読んだところで辞めました。わけわかんねー!
古典というより、古文書解読に近い感じ。堅苦しかったです。

「神曲」は特にイメージが難しいと感じたので、絵つきので何か無いかな~と、
アマゾンで検索してみたところ、なんとまあ素敵な本があるじゃありませんか。

ドレの絵は数点しか見た事がなかったのですが、その圧倒的な画力は前々から気になっていました。
ミケランジェロの再来かと言われたのも頷ける迫力。今回の豪華版では「神曲」のために描かれた版画が、
完全収録されているので大満足でした。

キリスト教三大文学といわれる、ゲーテ「ファウスト」、ミルトン「失楽園」、そしてダンテの「神曲」。
ファウストは集英社文庫の池内さん翻訳を読んだのですが、聖書・ギリシャ神話の知識があれば苦痛なく楽しめます。
が、ダンテに関してはそれが出来なかった…。難しい。

何よりもまず、予備知識が必要ということで、阿刀田さんの「やさしいダンテ<神曲>」と、
今回の絵で見る「神曲」を読んでから、寿岳さん訳を読んで、そして初めて山川さん訳に取り掛かろうと思いました。
結果としては大正解だったと思います。煉獄・天国はともかく、地獄に関しては文章だけで壮絶さが分からないと思います。
地獄に落ちた悲壮な人間たちの表情、苦痛、叫びなんかは、食い入るように観ること必至。

ダンテはヴィルギリウスに連れられ、地獄・煉獄・天国と旅をする。
ヴィルギリウスとはローマの詩人。すでにこの世の人ではない。

地獄はすりばち状で何層にも分かれていて、最下層へ近づくほど罪の重い人が落される。
貪欲な大喰らいが落される地獄にはケルベロスが待ち受け、餌を待っている。
怒りに我を忘れたものが落される地獄は、黒くよどんだ沼で永遠に沈め合いをしなければならない。
異教徒たちは火焔が噴き出す墓に身を横たえ、自ら命を絶った者は枯れ木になって朽ち果てていく。

道中ではダンテの政敵なども登場する。最下層コキュートスでは堕天使ルチフェルが
氷の世界で罪人たちを噛み潰していた。

それから一転して場面は移り、今度は天国へ行くために身を清める人々が集まる煉獄になる。
夢とも幻想とも思える展開が続き、ついにダンテは天国への入口へ辿り着く。
ヴィルギリウスはいなくなり、ダンテの目の前には最愛の人、ベアトリーチェが現れる。
25歳の若さで天に召された彼女との再会で、涙を流すダンテ。
光の世界にはヨハネやサンピエトロなど、キリスト教の聖者たちの姿もある。
ダンテはあるがままに光を受け入れる。

クライマックスは壮大な天使たちの合唱で、光に満ちてラストを迎える。
ビジュアル的に映画を見ているような感覚になりました。
文章自体は簡単で、むしろ絵がメイン。
「神曲」の文章を楽しまないなんて、邪道かもしれませんが、
神話だの、聖書だのに慣れてない人は視覚から入るべきかなと思います。

ちょっと今回は絵の話ばかりしてしまいましたね。
「神曲」の内容の深さについては、また別の機会に語りたいと思います…。


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ツァラトゥストラはこう言った(下)

2008年03月11日 22:41

『ニーチェ』著 氷上 英廣 訳 岩波文庫 365ページ

ついにツァラトゥストラから「永遠回帰」の思想が語られる。
上巻の紹介はこちら→http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-54.html

キリスト教批判から始まり、ニヒリズムが漂うヨーロッパ社会。
彼の考えは、権力への意志へ及び、超人の創造、永遠回帰へと繋がっていく。
じゃあ、永遠回帰とはなんぞや?

現に生きてきた人生を、今一度さらに無限にわたって生きねばならないとしたら。
そこに新たなものは何もなく、苦痛、快楽、思想、嘆息、ことごとく同じ順序と脈絡に従って…。
これを耳にしたとき、あなたは人生を呪うだろうか?それとも、喜ぶだろうか?

永遠回帰は非常に伝えにくい。これはニーチェ本人も認めていたくらいで、
この本を読んでいる限り、何通りの意味にも取れるから厄介。
ここは以前紹介した「ニーチェ入門」の竹田氏の言葉を借りて、順を追って紹介してみよう。

まず、世界が永遠に回帰する事。神という非現実な想像から、物質的・科学的に物事を捉える社会へ変わり、
エネルギーの有限性が主張され始める。その上で、時間は始まりもなければ終わりもない事から、
世界は永遠に回帰すると考えられる。竹田氏の例えを借用すれば、

「ビリヤード台の上で、多くの球が摩擦によって力を失う事無く永遠にぶつかりあって動き回っている。
 時間は無限にあるから、一定の空間の中で、一定のエネルギーが減じる事無く運動していると、
 いつかある時点で、以前のどこかの時点で存在したと全く同じ物質の配置、配列が戻ってくる可能性があるはずだ。
 すると、その次の時点から一切が何から何までことごとく、同じ順序と脈絡で反復する事になる」

なるほど。例えは分かりやすいが、現実問題としては発想がぶっ飛びすぎてて、凡人には分からない。
まあ、天才がそう言うんだから、あえてここは次へ行こう。

神様がいた時代は、感謝感激アメアラレ…いい事をして死んだら、永遠に天国で幸せに暮らせますという
キャッチコピーのもと、みんなで頑張って隣人を愛していた訳ですが、ニーチェは
「いやいや、違うがな」と。卑小な人間も、阿呆な人間も、永遠に回帰して巡りめぐってまた
阿呆な生き方をするんだよ…という訳で。ああ、吐き気、吐き気、吐き気!相当、まいってます。

世界はあるけど、意味はないんじゃ、生きてる理由がなくなるじゃん。そう思う事は然り。
でも、根強い神様の存在は、徹底的なニヒリズムを植えつけないと払拭できない。
ここが近代思想でニヒリズムを展開していた哲学者と、ニーチェの大きな違いなんだろうなあ。

あなたの人生、これから永遠に全く同じのを繰り返すんですよ。悲しいかもしれないけれど、
まずはそれを受け入れることが必要だよ。そういう象徴としてはツァラトゥストラの目の前で、
蛇に巻きつかれる男が、その頭を噛み千切り、凛然と立ち上がる姿で描かれている。
永遠回帰の事実を受け止めた人間は、初めて(神に頼らず)自分の力を発揮する。

でも、問題はそこからで、意味無い世界で、しかも人生は決定事項で繰り返されるだけとなったら、
いったい何をして生きたらいいのか。そこの矛盾がニーチェの思想の最大の難関と言われる。
解説書を見ていても、それはもう色々な解釈があって千差万別。
私の父なんかは、昭和30~40年代の学生の時、ニーチェの思想は危険だから読むなと大学教授から言われたらしい。
たしかに大衆心理的には、危険な方向に働く可能性は大いにある思想に違いない。

はたして…ニーチェはそれを望んでツァラトゥストラを書いたのだろうか。
本書は、ニーチェが晩年、突然降って湧いたように思想が浮かんで、わずか10日で書き上げた作品だとされている。
(とてもそうは思えないが、はたして…)
ツァラトゥストラに至るまでも色々な著書を残している。

私の感想としては、「ツァラトゥストラは最後に読むべきだったな」。
きっと彼もここに行き着くまでにいろいろな考えの変化があったろう。
ショーペンハウアー思想の同調から始まり、ワーグナーとの出会い、そして独自の思想へ…。
それはもう葛藤もあったろうし、恋愛関係の問題も見逃せない。

そんな彼の軌跡を辿って、初めてニーチェの伝えたかった思想を理解し、
自分なりの解釈が持てるのではないかなあ…と、素人は素人なりに哲学を楽しんでみたり。
そんな風にして、私とツァラトゥストラとの旅も終わりをつげた。


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家畜人ヤプー4

2008年03月09日 11:33

『沼 正三』著 幻冬舎アウトロー文庫 354ページ

「まあ、一物、大歴史家の…」
クララが司馬遷の男根を、アマテラスから贈られて思わず呟いた言葉。大爆笑しました。
なかなかもってして面白い本です。このセリフは正確には3巻での出来事で、これまでの経緯は、
カテゴリー「沼正三」のリンクからご参照下さい。

アマテラスのところから、ジャンセン家の別荘に帰ってきたクララ達一行。
ウィリアムとクララの仲は親密度が高まり、家畜のリンは大人しく二人の後について来ていた。
時には犬のようにクララの靴を舐め、よしよしと可愛がられるリンは、
今や家畜に成り下がり、犬として至らない自分を情けないと思うようになっていた。

リンをどのような家具に仕立てようかと思案しているクララは、ふと「セッチンにしたら…」と考える。
あの、ほんの少し前まで恋人として接吻していた口を、私の股間に押し当てて、汚らしい排泄物を喜んで食べるリン…。
自分の想像に不快さを覚えて、思わず顔をしかめるクララ。
しかし、その考えも次第に変化を見せ始める。

どうして家畜に排泄を恥じる必要があるの、私ったら。

反対に、まだ人間だった頃の誇りを多少なりとも残しているリンは、クララがセッチンを使う姿を見て、
自分がいかに白人(人間)と違うかを思い知らされる。女子トイレに入る事に抵抗があるリンを、
クララは「あなたは人間じゃないのよ?言うなれば、婦人がトイレにハンドバッグを持っていくのと同じよ」と一掃する。

公衆トイレのセッチンがクララの股に張り付き、食べ物をいただいている間、リンはそれを眺めながら、
同じヤプーであるそのセッチンに親近感を感じると共に、自分が女子トイレに感じる抵抗感すら、間違いなのだと気づかされる。
いや、家畜となった今、考えたらセッチンのように彼女の秘部に接吻できるなんて、幸せだ。
そう思えばセッチンになれるのは幸せかもしれない…。

相変わらずハードな内容で進んでいくヤプー4巻。
自分でもよくここまで読んでこれたなあと感心します。
最近、食事しながらでも読める自分が少し嫌になったりしますが、そこはまあ、慣れですね(笑)。

読むのに時間がかかるのは、内容をイメージするのが大変なのもさることながら、
当て字が多いので途中から面倒くさくなってきます。
3巻くらいになると、その面倒さがピークに達しますが、
4巻になるといい具合に慣れてくるので、苦痛ではなくなりました。

ヤプーは全5巻ですが、話が全く進んでいない。大丈夫なのか…(笑)。
むしろ、ストーリー性を楽しむ物語ではないのかもしれませんね。


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幸せの記憶(下)

2008年03月06日 22:00

『ダニエル・スティール』著 天馬 龍行 訳 アカデミー出版 561ページ

昼ドラ小説(失礼)の下巻。前半の内容はこちら↓
http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-69.html

予想していた展開とずいぶん違ったのでビックリ。
こわ~い母親のマーガレットの嫌がらせが、どういう方向へ効いてくるのかと思ったのですが、
心配していた方へはあんまり進まずで、ホッとしたような、残念なような。。。

話が次世代まで進んでいくんですが、なんだかちょっとありがちなストーリー展開かなあ。
精神的なトラウマがどうとか、男女のもつれがどうとか、それでいて強烈すぎず…。
どうせやるなら、もっといびりまくって欲しかったなあ。
昔見た「牡丹と薔薇」のインパクトがでかすぎたんでしょうか。
「あなたは牡丹じゃなくて、豚よ!」知ってる人どれくらいいるんだろう。

アメリカへ帰郷したブラッドとセレナは、夫側の一族からの冷たい仕打ちを避けて、
サンフランシスコへ新居をかまえます。娘のバネッサも生まれて幸せな日々が続いていく。
テッドも新居から近い学校の医学生として勤め始め、バネッサをこれでもかというほど可愛がる。
たまに母親マーガレットからの小言もあるけど、ニューヨークから離れたこの地ではさして気にならない。

そして、ブラッドは軍の命令で、朝鮮への視察にでかけていくが…。

ここまできたらもうお分かりかと思います、ハイ、旦那さんはご臨終しちゃいます。ちーん。
話が急展開なわりに、文章表現はあっさりしてて、え?旦那死んだのに、こんなスルーの仕方でいいの!?と拍子抜け。
その後は、心に傷を負ったセレナの立ち直りと第二の人生のスタートが描かれます。
今までブラッドに依存してきたセレナは、自立という道を歩みだします。
彼女は、本来持って生まれてきた美しさを生かしたモデルという仕事に就く。
天職といえる仕事。テッドはもっと大きな可能性を示唆して、ニューヨークへ出ないかと勧める。

スーパーモデルへの道、まだまだ続く義母の嫌がらせと、支えてくれる周りの環境。
新しい恋人との出会い、そして挫折。セレナの人生って呪われてるとしか言えません。

色々な要素を詰め込んだ意味では面白かったけど、進行スピードの減速感が残念でした。
アカデミー出版つながりで、どうもシドニィ・シェルダン氏と比較してしまう感があって、
私にはラストスパート型のシェルダン氏の作品の方があってるみたいですね。
そこは、読んだ人それぞれというところでしょうか。


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[完訳]東方見聞録2

2008年03月03日 00:07

『マルコ・ポーロ』 愛宕 松男 訳 平凡社 476ページ

マルコの旅も後半戦。

お母さんを探し回って三千里歩き回るアニメのマルコも大したものですが、こっちのマルコも負けてません。
1里って3.92kmくらいなので、3000里といえば1万1760km。地球の全周の10分の3くらいですか。
子供がそんな距離を移動してたのは驚嘆しますね。我らがマルコ・ポーロ氏はどうかというと、
ヴェニスから中国まで往復しているので直線距離でも地球の3分の2ぐらいでしょうか。

前回の内容は一巻を参照してください↓
http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-44.html

しゃべりすぎて疲れてきたのか、旅の最後の方の解説が適当になっていくのが素敵です。
黒海の説明に入る時、「やっぱり知ってる人多いと思うから、飛ばしまーす」と一章分、軽々飛ばしてしまいます。
そういうの、私大好き(笑)。

後半は中国の天津辺りから、故郷イタリアまでの行程。
前半がシルクロードの紹介にあたったのに対して、帰りはユーラシアの南側、
ジャワ島やスリランカ、インドなどを経由していきます。
中国の都市の説明は、データの羅列の様で退屈です。
カーンに隷属してて、手工業が盛んで、紙幣は…と、正直あんまり面白くないかも。
脱線するけれど、この本って注釈が本当に多くて、しかも読んでもあんまり意味のない注釈だもんだから、
すっとばして読んでいきました。まあ、こういった類の本ではしょうがないことですが。

気になるのはやっぱり、日本国の話でしょう。
「黄金の国ジパング」といえば、有名ですからね~。
しかし、住んでる私たちからすれば、「国人は誰でも莫大な黄金を所有している」という紹介のされ方は、
甚だ疑問を感ぜざるを得ない。いや、持ってないし。むしろ欲しいし(笑)。
マルコ氏自身は日本に行っていないので、中国で聞いた話によれば…という感じなのでしょうが、
建物は黄金でできていて(それは金閣寺だけや~っ)、偶像教徒で、人肉を食す…とは、遺憾ですねえ。
他にも、海外側から見た蒙古襲来の話も面白く、興味深いです。

他にはユニコーンの話で、
「乙女の膝元に寄ってくるといわれるユニコーンだが、とんでもない。
でかいし、ずんどうだし、恐ろしい猪みたいなヤツだ」との評価。
地域的に見て、野生のサイのことを指しているのでしょうが、
ヨーロッパの人たちは、これを聞いたらショックを受けただろうなあ…。
後は全裸のバラモン修行僧の話とか(笑)。

後半になってくると、マルコさん牢獄生活でボケが早まったのかな?(失礼)
戦争の話で、何度も同じフレーズが出てくるのは、おばあちゃんの話を何回も聞かされた子供の気分になりました。
そんなこんなで、とにかくマルコ氏の旅も終り、後には偉大な見聞録が残された訳ですね。すばらしい!
ストーリー性は無かったんですが、世界史好きの私には興味深い部分の多い本でした。


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