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アラジンと魔法のランプ

2007年12月31日 21:48

『エロール・ル・カイン』絵 アンドルー・ラング 再話 中川 千尋 訳 ほるぷ出版

エロール・ル・カインは「アーサー王の剣」でも紹介した絵本作家。
アーサー王は暗い目の色彩で、おどろおどろしい感じがしていたんですが、
打って変って、鮮やかなアラビア風の細かい模様で、違う作家の作風のよう。

有名すぎるほど有名な話なので、今さら解説する必要もないかもしれませんが、
アラジンが魔法のランプを手にいれ、魔人に頼んでお姫様とラブラブになる話です(?)。

宝石を出してれと言えば、籠に山盛りの宝石。
宮殿を出してくれと言えば、目の前に壮大な建物が。
昔っからこのテの話には胸ふくらませて読み入りましたね。

悪い魔法使いが、何故かアラジンしか取ってこれないというランプを取りに行かせ、
手に入れるはずがすんでのところで、アラジンがよこさない。
怒った魔法使いはアフリカへ帰ってしまう。

家に帰ったアラジンは、ランプを売りに出そうと磨き始める。
するとあら不思議、巨大な魔人が現れて、「おのぞみのものは何でしょうか」。
そこで、欲張らないのが主人公のお約束で「食べ物を持ってこい」。
アラジン、結構えらそうにものを言うんです(笑)。

そして、アラジンはお城のお姫様に恋をして…。

絵の具に砂を混ぜたような?色彩で、少し濁りがあるのが特徴。
とても美しくて味のある絵。独特さはアーサー王に劣るものの、
私はどちらかというと、こっちの方が繊細で好き。

見開きの半分が文章、半分が絵で、文字は絵本にしては多め。
お子さんのいらっしゃる家庭に絵本はたくさんあると思いますが、
結構一冊が高いんですよね。
でも、これは1400円の価値はあると思いますよ。


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ミルドレッドの魔女学校 魔女学校の一年生

2007年12月30日 16:32

『ジル・マーフィ』著・絵 松川 真弓 訳 評論社 109ページ

遠い昔、小学校の図書館で借りた事を思い出して、アマゾンで検索した本。
ほんんんんっっっっっとに懐かしい!!!!!

記憶の中では、小学生が読むにしては割りと分厚い本のように思えたけれど、
家に届いた本を見てびっくり。こんなに薄かったっけ???って感じ。
成長したんだなあ~自分(笑)。

私の中で、魔法のお話といえば、ハリー・ポッターではなく、こっちが元祖。
黒いトンガリ帽子に、黒猫、ほうき、こわ~い先生。
内容は小学生向け?で、ひらがなが多く、20分くらいで読めるもの。

どじな魔女のミルドレッドは、カックル魔女学校の一年生。
校内一の劣等生で、何をやってもドジばかり。
帽子は後ろ前反対にかぶっているし、靴ひもはいつも片方引きずって歩いてる。
おすまし屋の同級生エセルには、いじわるされてばかり。
とうとうハロウィンパーティでもトラブルを起こしてしまい、学校を抜け出すことに…。

絵が多くて、読んでいて楽しい。
髪の毛をおそろしく後ろにひっぱってまとめ、いつもおっかない顔をしている
ハードブルーム先生。ぽっちゃりした親友のモード。
なぜか黒猫が足りないからという理由で支給された、トラネコのトラチャン。
2ページに1つくらいは挿絵があるので、イメージが湧きやすい。

子供のころに相当おもしろかったという期待通り、
今読んでも、夢中になれる作品です。


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老人と海

2007年12月27日 23:08

『アーネスト・ヘミングウェイ』著 福田 恆存 訳 新潮文庫 134ページ

老人は運が向いていなかった。
魚は84日間釣れない。
一緒に船に乗っていた少年も、親の指示で老人の船を降りた。

私は商売柄、年配の方と接する機会が多いのですが、
皆さん「もうあと何年生きれるか分からん…」とおっしゃいます。
若造なので、老いていく感覚は分かりません。けれど、生きたい!動きたい!と思っても、
体がついていかない現状になっていくというのは何となく分かります。
自分はなんて運が向いていないんだろうと、後ろ向きになるのは自然な事かもしれない。

湧きあがるような感動がある作品ではない。
ふ~ん、これが有名なヘミングウェイの「老人と海」か~。
正直どういいのかが分からないなあ…という感じ。
読み込みが足りないんでしょうか。。。。

老人が一人、巨大マグロと4日間戦い続ける。
なんども目の前がぼやけて、意識が遠のきそうになる。しかし、彼は負けない。

「人間は、負けるようには造られていないんだ」

しとめた魚は、想像を絶する大きさだった。船に引き上げることもできず、
へさきにくくり付けて、ひっぱって帰る。
港まで帰る途中、その血の匂いにつられて鮫が襲う。
体に鞭打って老人は戦った。しかし、無情にも残ったのは口と、骨と、そして尻尾だけだった。

「魚なんか釣れないほうが良かったんだ…」

港に帰ってきた老人は、一人家へと引き上げていった。
次の日、残骸をくっつけている船を見て、港の漁師たちは仰天した。
こんな大きな奴は見たことがない。獲物は確かに食い散らかされたかもしれない。
しかし、老人の戦った証は残ったのだった。

老いた体で魚と格闘する事は、老人を戦士へ変える。
ヘミングウェイの特徴はハードボイルド・リアリズムというものらしい。
空間表現が中心で、老人の言葉も他人事のような感じで進んでいく。
簡単に言うと、感情移入がしにくく、登場人物の厚みが感じにくい。

読みやすくて、親しみやすい作品ばかり読んできた私には、少しとっつきにくい作品でした。


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透明人間

2007年12月26日 19:54

『ハーバート・ジョージ・ウェルズ』著 南山 宏 訳 フォア文庫 204ページ

と~うめ~い人間~現る現る~♪
透明になれたら何しよっかな。
お金盗み放題だし、好きなあの子のリコーダーも吹ける。何だってし放題っ!
こんな素敵でアホな想像を小さい頃しなかっただろうか?
いや、私は今でも、日本銀行の紙幣発行工場に潜り込んで…と作戦をめぐらせたりしている。
世の中に、大人でこの本気バカな妄想をして楽しんでいる人が、大勢いると信じて…。

人間が透明になる…このアイデアはSF小説の第一人者、ウェルズが考え出したものです。
おなじみのタイムマシン、宇宙戦争、異次元空間などは、たいていがこの人の発想の産物。
偉大な作家の割りに、あまりよく知らなかったので、今回初めて読んでみることに。

前にジュール・ヴェルヌを「空想科学小説の父」と紹介しましたが、それに似た感じ。
http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-32.html
主人公の科学者グリフィンが、透明人間になる薬を作るところなど、本格的で読んでいて楽しい。
SFはそのリアリティを出すために、細かいところまでが綿密に説明される傾向にある。
それが行き過ぎると、逆に「訳の分からなさ」が前面に押し出されてしまう。

この作品は舞台が近未来ではなく、作者の生きた1866~1946年の間くらいだろうか。
苦労して編み出した透明になる方法を、三冊のノートに暗号化して書くなど、
泥臭い、現実的な設定が読みやすく、親しみやすい。

物語は包帯で顔をぐるぐる巻きにして、オーバーを深く着込んだ男が、宿屋に泊りに来るところから始まる。
異様なその姿に村の住人は興味をそそられて仕方がない。
しばらくの間、そこへ滞在することになった男は、何やら怪しげな実験道具を持ち込んで、
昼夜問わず研究に明け暮れていた。

ある日、村に不思議な事件が起こる…。

と、ここからは想像に難くない流れになっていくのだが…。
しかし、面白いのはその現実性。透明になれるのは体だけだから、
もちろん服を着たら宙に浮いて見えるし、寒くて風邪もひきかねない。
物を食べれば消化するまでブラブラ漂っているし、怪我をすれば血が見えるようになる。

考えたら、犯罪を行うのもひと苦労。冬なら外を歩くのもままならない。
誰にも見えなくなるという事は、人間でありつつ人間でなくなるという事だ。
自分の存在もこの世から消え、話をしたくても誰にも相手にされず、気味悪がられる事になる。

そしてグリフィンは人間性を無くし、非情になっていく。
犯罪を通り越し、恐怖政治を行おうと企み始める。。。

…世紀の発見で喜びに溢れる研究者の末路が、少し哀れに思えた。
そして、科学の果ての世界も、少しだけ垣間見えたような気がする。


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ふたり

2007年12月25日 21:00

『赤川次郎』著 新潮文庫 304ページ

交通事故で死んだ千津子は、妹の実加の心で生き続けていた。
生きること、死ぬこと、家族、生活、愛。読み終えて、本を閉じ、思わず拍手。
これまで読んできた赤川次郎作品で、最も感慨深い作品。

千津子と実加は仲のいい姉妹。エスカレーター式の同じ学校に通う、中学生と高校生だった。
姉の千津子は面倒見のいい優等生。妹の実加の方は、才能はあるけれど甘えん坊。
その日も、いつもと変わらない日常だった。朝ごはんを食べ、母親に急かされて家を出る。
毎日二人で歩いてきた駅までの道を急ぐ。そこに身を潜める悲劇に気付かずに。

突然トレーラーが姉の千津子の前に現れた。瞬間、細い体は何倍もの質量に押し潰される。
わずかに支えていた雑貨屋の梁が、残された姉妹の時間だった。
残酷に過ぎていく残りの時間を、千津子は冷静に受け止めていた。
自分が死んだ後、母親の事を頼む、と姉は言った。
そして、妹に「また、二人であのお好み焼きを食べたいね」と告げて逝った。

家族一人がいなくなるという事の大きさを、考えた事があるだろうか。
およそ14歳の女の子に、そんなことが想像できるはずがない。
ガラリと変わった家の雰囲気を、極力明るくしようと努める実加。
しかし、家族の負った傷はあまりに大きかった。

姉が亡くなってから二か月、実加は夜道で暴漢に襲われる。
必死にもがく彼女の体を押さえつけ、男は馬乗りになる。
「殺される…!」そう思った瞬間…

「実加!私よ!」
お姉ちゃん?
「しっかり!左手を伸ばして、石を取って!」

姉の声を頼りに石をつかみ、振り上げる。
ガツン!鈍い音と共に、男の腕から力が抜けていった。

その日以来、実加の頭の中には姉の声が聞こえるようになる。
生前のように変わらず言葉を交わす二人。
しだいに前向きに明るくなっていく実加。
暴漢事件後から、家族はしだいに明るさを取り戻していった。

実加は高校へ入学し、姉が亡くなった年齢になりつつあった。
家族を取り巻く環境も変わり、姉へ話しかける事も少なくなった。
実加はそんな自分が薄情に思えて後ろめたかった。

「いいのよ。私の事、いつまでも忘れないようにしようって、努力しなくても」

千津子の言葉に怒りをあらわにする実加。死んだ人を忘れていくのは酷い事なのか。
前向きに生きる事=悲しい事を忘れること。それは違うんじゃないのか。
実加が姉の力を借りず、自立の一歩を踏み出し始めた時…千津子は…。


家族の大切さ、人間が成長するすばらしさを、
死を経験した、ふたりの姉妹を通して語っていく傑作です。
赤川次郎さんが、ますます好きになりました。


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お気に召すまま

2007年12月20日 20:27

『シェイクスピア』著 阿部 知二 訳 新潮文庫 194ページ

またまた恋のから騒ぎ…。
ということで、シェイクスピアの喜劇時代後半の作品。
例の如く人間関係がややこしく、最終的に4つのカップルが誕生というのだから、幸せ気分満載の作品。
西洋文学が苦手という人は、よく「カタカナの固有名詞が沢山出てくるから」と言う。
特にこの戯曲というのは、前置きなくいきなり話が始まるので、名前が馴染みにくい。
今回は更に輪をかけて、人間関係が複雑ときているので、
苦手な人にはちょっとややこしいかもしれません。
ただ、それさえクリアできれば、喜劇は比較的読みやすいと思います。

シェイクスピアの作品は、原作のあるのがほとんど。
巻末に書かれている解説によれば、それら原作を凌駕し、
劇作に作り変えている事が天才のなせる業だとか。

物語は公爵フレデリックが弟に爵位を奪われるところから始まる。
追われた兄(弟もフレデリックというからややこしい。本文では兄・弟で区別)は、
アーデンの森でアウトローな生活をしていた。
その娘であるロザリンドは、心無い弟の公爵に城を追われ、父を追ってアーデンの森へ向かう。
一方、弟のその娘であるシーリアは、ロザリンドと大の仲良しで、
彼女と一緒に城を抜け出すことを決意する。

しかし、貴族の娘2人が旅をするには何かと危険な世の中。
ロザリンドは髪を切り、男装をして出掛ける事にする。

一方こちらはロザリンドに恋する貴族の男オーランドー。
彼も似たような境遇で住まいを追われ、アーデンの森に逃れたものの、
愛するロザリンドの事が忘れられない。
恋をしている相手が目の前にいることも知らず、
男装しているロザリンドに、恋の治療を求めるオーランドー。
彼女はそれと知って、彼の愛を試そうとする。

最後には予想通り、男装を解いてめでたしめでたしという事になる。
しかし、そこまでにいくつかの人間関係も絡み合い、ロザリンドが
男装を解く事で、もつれた糸が一気にほどけて解決!という終わり方。

なんともシェイクスピアらしい結末といえばそうなのだが、
原作がある割に、毎回「シェイクスピアっぽい」と思えるのが、
前述した天才のなせる業というやつなのだろうか。


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旅ボン イタリア編

2007年12月17日 18:22

『ボンボヤージュ』著 ゴマブックス 158ページ

「ちびギャラ」のボンボヤージュさんが描く、イタリア旅行記。
旅行記といっても、ほとんどボンボヤージュさんの人となりと、イラストを楽しむ本。
全編オールカラー。漫画形式で進んでいく。文字が多めで見た目より読み応えあり。

トレビの泉や、ダヴィデ像など、独特のタッチで描くのがとっても可愛い。
私が一番気に入ったのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」。
キリストと使徒が猫キャラで描かれてる~っ!くっ…イヌ派の私だけど、これには参った…。

作者が一番最初に断言?している通り、イタリアもしくはヨーロッパに行ったことのある人には、
旅行の参考にはならない。初めての海外旅行での素人っぷりを笑う本なのか?
いや、むしろ作者のネタ人生を紹介する本なのか?(笑)といった感じ。
作者ボンボヤージュさんと、担当編集のSUZUさん、通訳のイセキ君の三人で、11日間の旅。
ローマから南のナポリへ、そして北のフィレンツェ、ミラノなど世界遺産が一番多い国イタリアの
名所を可能な限り満喫する大忙しの旅。

その昔、私も初めての海外旅行でドイツへ行きましたが、当時の青臭い思い出が蘇りました。
学園祭で酷使したスニーカーがあまりに臭くて、バスルームで洗ったところ、
今度はバスルームに匂いが充満して大ブーイングだったという…。
(ちなみに靴は現地で捨てました)

自分の恥ずかしい話はそれくらいにして…。
死ぬまでに一度は行っておけと言われるイタリア。すごく行きたくなります。
そして本場のマルゲリータが食べたい!食欲をそそられる一冊です。


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[完訳]東方見聞録1

2007年12月16日 23:55

『マルコ・ポーロ』 愛宕 松男 訳 平凡社 476ページ

言わずと知れたマルコ・ポーロの旅行記。
手に入れるのに苦労した一冊。定価1300円以下でなかなか見つからない。
古本屋で探しまわった挙句、最終的には高値で購入。とても悔しい(笑)。

長年ドラクエを寵愛してきた私なので、こういう冒険談は大好き。
が、ストーリー性が乏しいのが残念なところ。
マルコは26年間ユーラシアを旅し、
ヴェニスに帰ってきてから戦争で捕虜の身になった。
その時彼が、牢獄で口述した事をまとめたものが東方見聞録だ。

私が思うに、寂しい牢獄で懐かしい旅の思い出を振り返って、随分ホラも吹いたことだろうと思う。
あの頃は色々あったなあ~。フビライ・カーンには厚くもてなされていたし…。
旅の途中、熱病にかかったこともあった。辛かった時もあるが、自由だったなあ。てな感じ。

作品は一巻と二巻に分かれているが、一巻ではマルコの父親のニコロと、
その弟であるマテオが東方へ旅するところから始まる。
そこからマルコがカーンに仕えたことや、カーンの宮廷の説明などが取り上げられている。

当時のヨーロッパではモンスターといわれる幻獣や、妖精たちが信じられていたのだろう。
マルコはそんな夢物語を織り交ぜて語っている。

例えば現在の中国西北にあるロプ市の話。
夜間この地方の砂漠を横断している際、たまたま眠り込んでしまったとか、
あるいは他の理由で仲間から遅れたり取り残されたりした時、
多数の精霊が彼に向って仲間のような声で話しかけてきたり、時には彼の名前を読んだりする。
すると旅人はこれに惑わされて、あらぬ方向に誘い込まれ、二度と姿を見せなくなってしまう。

なんとも奇妙な話で、にわかに信じがたい。
きっと、当時その話を聞いた人たちもそう思った事だろう。
最初に述べた通り、多少大げさに語ったかもしれないが、
明らかに非現実的なものを除けば、ある程度、姿形が合致する生き物は確認されている。

カーンに関しては、その宮殿の豪奢さ、権力の範囲、財宝の多さ、偉大さなどが語られる。
でも、もう規模がデカすぎて、笑うしかない。ホラ吹きマルコと言われてもしょうがない。

淡々と内容が綴られていくので、つまらないと感じる人も多いかと思う。
ただ、今は何でも情報が手に入る時代。昔とは違う。
地球の果てが未知の世界だった当時は、夢膨らむ冒険だったに違いない。
この本を読むにあたって大切なことはイメージである。
あなたもページを開いて、マルコと雄大な旅に出てみませんか。


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宇宙の声

2007年12月13日 20:59

『星新一』著 角川文庫 219ページ

ショートショートの神様、星新一さん。
友達に貸してもらった本ですが、翻訳でしか知らなかった作家だけに、
本家本元の分野!といった感じで読みました。
海外古典文学を読む比率が高いためか、こういうほのぼのした
ストーリーを読むと、息抜きという感じがして良いですね。

内容は2本のストーリーが入っていて、3~4ページくらいの区切りで進んでいく。
どちらも少年少女がスカウトされて、宇宙に旅立つというもの。
普段、SFは苦手な私ですが、まったく抵抗ありませんでした。


ノブオのお父さんは、宇宙の仕事をしていたけれど、
もうしばらくの間、行方不明でうちに帰ってきていなかった。

ひょんなことからスカウトされて、お父さんを探す旅に出ることになったノブオは、
座標の狂った宇宙船の自動操縦に運命を任せ、不思議に満ちた星々を渡り歩くことになる。

匂いを嗅ぐと記憶を失う花、やさしい恐竜、誰が作ったのか分からない宇宙の遊園地。
導かれるように、いろいろな冒険が待ち受ける。
はたして最後に宇宙船が行き着く星は?
そして誰が一体呼び寄せているのか?
その謎を解いたとき、お父さんに会えるのだろうか?

これは2本目に収録されている「まぼろしの星」というお話。
イラストの可愛さ(片山若子さん)も相まって、
絵本をそのまま小説にしたような感じ。

宇宙戦争みたいなすごいことしている割に、可愛さの方が先に立つ。
仕事に、生活に疲れたら読みたい一冊。癒されますよ~。。。


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正義の教室 闇からの声

2007年12月10日 23:33

『赤川次郎』著 角川文庫 237ページ

赤川次郎作品では、初の推理小説以外のもの。
「大人になる」という事を考えさせられる作品。5本の短編を収録。

ポイントは登場人物の中心が中学生くらいの子供のだという事。
「子供は純粋」とよく言うけれど、「純粋」とは一体何だろう。
「大人は汚い」とよく言うけれど、「汚い」とはどういう事なのか。

シザーハンズという映画をご存じでしょうか?
手がハサミの人間…という設定のアレです。
「財布を拾ったらどうする?①自分で使う、②好きな人にあげる、③警察に届ける」
この問題に対して、主人公のエドワードは「②番」と答える。

純粋とはこういう事をいうのかな…ふと私はこのエピソードを思い出した。
人にあげるのは罪になるかもしれない。だがそれは、無邪気な罪だ。
それが子供の純粋さであり、怖さでもあると思うのです。

「正義の教室」という作品は、この逆パターンの話だ。
文部科学省の発行した「心のノート」という、ゆとり教育の産物のような教科書を読んだ少年が、
その中の「この学校に正義はあるのか」という文言をうけ、学内の不正を告発していくというもの。

少年の告発はエスカレートしていき、ついに先生と女生徒が関係を結んだ事まで、
マスコミに公表してしまう。
彼の告発は、「正しい」かもしれない。
だが、結果的に少年の心には後悔しか残らなかった。
彼は「大人」へ近づいたのではないだろうか。


小さい頃は、早く大人になりたいと思っていたけれど、どうだろう?
逆に人はいつまで罪に純粋であり、また正しい事を貫けるのだろうか。
そして、それが良いことか、悪いことかは、きっと誰にも分らないのだろう。


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竹取物語

2007年12月06日 19:30

『作者不詳』 星 新一 訳 角川文庫 190ページ

今は昔、竹取の翁といふもの有りけり。

このフレーズを聞いて、懐かしいと思う人は多いのではないでしょうか。
そう、日本最古の物語、そして最古のSF「竹取物語」です。

このお話、詳しいところまで知っていますか?
子供のころに聞かされた内容は、ロマンチックなイメージでしたが。。。

星新一さんの口語訳は、なんとも魅力的。
「われ朝毎夕毎に見る竹の中におはするにて知りぬ。子となり給ふべき人なめり」
というところが、
「竹とは長い付き合いだ。高いとこ、滝の近く、たくさんの竹、指にタコ。
 竹は私、私は竹。うちの子にしてもいいと思う」
となってしまうんだから、なんとも親しみやすい。
かといって、簡単すぎて陳腐になっているわけでもない。

話はご存じの通りだが、5人の求婚者たちがどのようにして、
かぐや姫の求めるものを持ってきたか、細かいところまで知ることができる。
姫の求めたものは、「み仏の石の鉢」「蓬莱山の黄金の枝」「火鼠の毛皮」「龍の宝玉」「燕の子安貝」。
どれも存在するかも分からない代物だ。

もう、これはあからさまに「私の事はあきらめて下さい」と言っているようなもの。
それでも、恋に焦がれた男たちは、偽の品物を用意したり、とりあえずは航海に出てみる。

かぐや姫は悪女といっても差支えない。いや、悪女なんだろう。
地球の人間とは価値観が違うのはしょうがないけれど、
無茶苦茶な要求をして男たちを死にそうな目にあわせたのは事実だ。

根本的なところで、地球にきたのは、何かあっちの世界で悪いことしちゃったかららしいし。
「しばらくの間、君は地球で頭冷やしなさい!」という訳だ。

いつだったか、こんな話があった。
本当はかぐや姫はすっごい悪女で、おしおきのために地球にやってきたのだ…というもの。
この発想はあながち間違っていないのではないか。
これで、指と指とを合わせて「ト・モ・ダ・チ~」とでも言おうものなら、ハリウッドもびっくりだ。

ちなみに、巻末には原文も載せてあるので、参考にできる。


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罪と罰(下)

2007年12月05日 23:03

『フョードル・ドストエフスキー』著 江川 卓 訳 岩波文庫 431ページ

自分は許されない罪を犯したのか…。
ラスコーリニコフが最後に行き着いた答えは。

長編小説がついに完結。下巻でいっきに視界が開ける面白さ。
今までの経緯は、長くなるので下記を参照して頂ければと思います。
上巻→http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-21.html
中間→http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-31.html


「ナポレオン理論」は間違っていない。自分が殺したのは何の役にも立たない老婆だ。
その老婆の金で基盤を固め、将来自分が多くの人を救えるとしたら、
たとえ自分は罪を犯したのだとしても、償っていけるのではないか。

自分はそこいらにいるような能無しではない。ナポレオンのように「壁」を乗り越えれる人間だ。
自分は…間違っていない。間違っていないんだという答えが知りたい。

彼は孤独だった。その理論は我々の生きていく世界ではあまりにも孤立していた。
彼は自首をした。けれどそれは自分にとって有利だったからだ。
事実、死刑は免れ、たった8年の服役で判決は下りた。

自分の理論は間違っていない。
彼は刑務所の中でも頑なに信じ続けた。
「あなたは理論を考え付かれたが、それが挫折して、あまり独創的でないから恥ずかしくなったのだ」
ポルフィーリィは、彼の犯罪を追い詰めた上でこう言った。

彼が最初に懺悔をしたのは、娼婦をしているソーニャに対してだった。
私的には、ここが一番見どころではないかと思う。

ラスコーリニコフは、自分が孤独なことに気がつき始めていたのだと思う。
前回ソーニャに対して、神様は娼婦をしている哀れな自分を救ってくれると本気で信じているのかと、
ラザロの復活を読ませることで問いかけていたのだろう。

「どうせ軽蔑するんだろう」という気持ちと交錯しながら、事実を話し始める。
この苦しみを分かってほしい、誰かに聞いてほしい、解放されたい。
そんな時、深い愛情のこもった目で見つめられたら。。。
哀れんでくれる人を見つけたなら。。。

私は読んでいる最中、自分が犯罪を犯したわけではないのに、
哀れんでくれる人を探していた。そして見つけた時の安心した気持。
ソーニャは言った。
「ああ、あなたは世界のだれよりも、だれよりも不幸なのね!」

ラスコーリニコフがシベリアへ送られることになっても、
ソーニャは彼の後を追ってきた。
獄中で、彼は改めて自分が孤独な事に気がついた。
ソーニャが面会に来る。それすらもぶっきらぼうにあしらっていた。

しかし、彼にも変化が訪れた。
今こそ、ラスコーリニコフはソーニャを必要としていた。
ドフトエフスキーはそれを明確な言葉で書いている。
「彼は彼女を愛している、かぎりもなく愛している、
 そして、とうとう、その瞬間がやってきたのだ」と。

私の語学力では、筆舌に尽くしがたいが、相当な深みのある作品である。
二回目を読むとより面白く、三回目はまして感じるものがあるだろう。
まず、読むことが一番近道だ。是非手に取っていただきたい。
本当に価値のある作品を読ませていただいたと思う。天才に感謝します。


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