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失われたムー大陸 第一文書

2009年08月31日 23:37

『ジェームス・チャーチワード』著 小泉 源太郎 訳 ボーダーランド文庫 315ページ

ムー大陸とは…英国の退役陸軍大佐、ジェームス・チャーチワードの提唱した、
かつて高度文明を有していたとする、太平洋上に浮かぶ大陸のこと。

太平洋上に点在する島々、そこに残された謎の遺跡群。
それらの位置を基にすると、かつて海には大きな大陸が浮かんでいた事が分かる。
栄華を極めた大帝国は、地下のガスベルト爆発によって一夜にして海の藻屑と消えた…。

フィクションとしては、かなり楽しい話題ではあるけれど、
当時の科学者相手には一笑に終わる、途方もない提唱だったろうなぁ…。
この作品は記念すべきチャーチワードの一連の著作、第一作目。
日本語訳では、計5冊が4冊へ圧縮され「失われたムー大陸」
「ムー大陸の子孫たち」「ムー帝国の表象(シンボル)」「ムー大陸の沈没」が発売されている。

何を根拠にチャーチワードはムー大陸の実在を主張したのか。
それは、彼がインドの古い寺院を訪ねた時に見せてもらった秘蔵の石板に由来するのだという。
そして彼は「ナーカル碑文」と呼ばれる不思議な粘土板を解読した結果、かつてこの世には、
6万4千の人口とともに滅んだ大帝国があったという結論に達するのだった。

「ナーカル碑文」を前提として世界各国の碑文を読むと、いたるところに「ムー」の痕跡は見られる。
また、遺跡や紋章などに用いられているシンボルは、世界で何と共通性があることか。
作者の解釈によって各国のシンボル読み説かれ、共通点を拾い、「ムー」の実在性を説く。

…が。やはり無理が過ぎる内容。科学者だけでなく、素人が読んでも明らかに捏造が過ぎる。
そもそもチャーチワードという人物自体も謎に満ちている。英国陸軍に在籍した形跡はなく、
アメリカの作家だと言われている。そして肝心の「ナーカル碑文」も実物はおろか、写真すらない。
秘蔵の石板ということで、「インドの寺院の希望により」公開できないらしいが、はたして…。

物語ではなく、あくまでも提唱なので、説明調の文章が続く。解読に関しても、
“「3」はムーを表す数字。だから、この三つの羽模様は「ムー」を表している”
と、どれも無理のある解釈ばかりで、途中でうんざりする感じ。
しまいには、飛行機や、それを落とすための高射砲まであったとまで…。

発売当初には、かなり人気を博した本だったようだが、
信じた上で…という訳ではなく、ロマンがあったから人気が出たのでは?
たしかに面白い考え方も出てくることは出てくる。

「旧石器時代と、新石器時代で、道具の作りが向上しているからと言って
 必ずしも時代が旧→新へ変わっていったとは言い切れない。
 その間に大陸の沈没があれば、文明に慣れた人間は逆に退化することもありうる」
こういった考え方は、科学で「ありえない」と証明されたとしても、読み物としては十分面白い。
現代のアニメや映画に、「ムー」の名前がいたるところで見られるのは、彼が残した功績を証明している。

ただ、結論として「ムー」は実在しなかったのは事実。
それほど大きな大陸が沈没したというのであれば、世界の水かさが増え、
実質的にほとんどの大陸は水没してしまうから…なんだとか。


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NHKスペシャル 四大文明[メソポタミア]

2008年06月08日 00:34

『松本 健・NHKスペシャル「四大文明」プロジェクト』編著 NHK出版 254ページ

ようやく四大文明の2つ目に取り掛かる余裕ができ、手に取ったのはやはり「メソポタミア」。
前回のエジプトはこちらから→http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-52.html

バベルの塔に代表されるジッグラトや、楔形文字、ウルの秘宝、ギルガメシュ叙事詩などはメソポタミアの産物。
また、世界で最古の文明であることや、文字を最初に開発したのもメソポタミアと言われている。

「メソポタミア」とは、古代ギリシャ語で「二つの大河に挟まれた土地」と意味する。
チグリス、ユーフラテス川はどちらもトルコのアナトリア高原を水源としている。
イラクを南へ流れ、2つの川は合流してペルシャ湾へ注いでいる。
以前このブログでエジプト文明を紹介したが、エジプトはナイル川の氾濫をそのまま受け入れることで、川と共に生きてきた。
反対にメソポタミアは、川を整備し、水を引き、人が手を加えた文明であると言える。

大きく分けて、メソポタミアは4つの文明に別れる。シュメール、アッカド、バビロニア、アッシリアである。
初期の文明としてはシュメールが挙げられ、ウルやウルクはそこで栄えた都市である。
イラクといえば灼熱の乾燥しきった砂漠を思い浮かべる人は多いだろう。
何故こんな土地に、人類最古の文明が誕生したのか。この歴史に触れるとき、誰もが抱く疑問だ。

その答えは「麦」にあった。

人の手による耕作は、元は全てそうであったように、野生種からであった。
野生の麦を発見した人類は、人工的に栽培を始める。
しかし、川の上流で、天水に頼った農業は、気候による偏りが多い。
麦作技術を持った人々は、肥沃な河口の泥を求めて南下をはじめる。
そして、シュメール文明の原型が築かれたのだという。

しかし、文明が発展するために必要なことは、安定した食料が確保されるという前提がある。
南部へ移動するほど雨量が少なくなるイラクでは、気候の厳しさは増すばかり。
そこで生まれたのが灌漑農業である。運河を掘って大河から水を引き、安定的な食糧を確保していたことが、
当時の地図からも分かっている。つまり、気候に恵まれた場所では特に新しい発想は生まれず、
条件的に恵まれない場所の方に、かえって革命的な新技術が生まれたのだから、人間の知恵には驚きだ。

川と人との関わりは、このようにして形作られたわけだが、建物の方はどうだろう。
我が家にはブリューゲルの「バベルの塔」のパズルがデカデカと飾ってありますが、
モデルになったのはもちろんバビロニアのジッグラトである。
メソポタミア文明の王朝は、多くがこのジッグラトの建設を行っていた。

現在に残るウルやニップールのジッグラトの写真を見ると、何か違和感を覚える。
砂漠の中にポツンとある崩れたレンガの塊。そう、周りに建物の材料となりそうなものが無いのだ。
大河の河口の低地で栄えたシュメールには、石も木材も存在しない。
あるものは砂だけであり、人々は泥から作ったレンガを専ら建築に利用した。

今日でも用いられているレンガは、木の枠に泥を入れ、空き地に並べて天日干しにするだけという、いたって簡単なもの。
そして、レンガとレンガの間に塗りこめられ、セメントの役割を果たすものには、
地面から不気味にボコボコと噴出している「瀝青」だ。天然のコールタールである瀝青は、日本の別府の「地獄めぐり」の様子に良く似ている。
資源が少ない土地で、こうして人知によって都市が作り出されていくというのは、とてもロマンがあることです。
そして、レンガ作りに必要な水や、高度を増すための麦のおが屑。やはり根底にはそれを支える川の存在があったのです。

さて、メソポタミアで忘れてはならないのが、「ハンムラビ法典」の存在でしょう。
完全に残っているものとしては、世界最古の法典で、「目には目を、歯には歯を」で有名ですね。
現在ではパリのルーブル美術館所蔵になっています。この法典の内容を知るとき、
(奴隷などの差別的前提を除けば)、その完成度の高さに驚かされます。
例えば、製造物責任法。日本では1995年にPL法によって具現化されたものが、
この時既に取り入れられており、被害者救済の立場に立って法典が作られているのだからスゴイ。

土地柄、このように厳しい環境であるにもかかわらず、メソポタミアは多くの歴史的重要物を残してきた。
しかし、この国の治安は湾岸戦争に例を見るように、極めて不安定だ。
ウルのジッグラトに至っても、多国籍軍の戦闘機から発射されたミサイルが近くに着弾し、
破片が飛び散って出来た穴が400以上もあり、生々しい。
また、戦時中に駐在していたアメリカ兵らは、遺跡を掘り返し「土産物」を持ち去ってしまった。
今現在も入国チェックは厳しく、調査が再開されない遺跡も多い。

古代の遺産は人類全体の宝。古代メソポタミアでも数々の王朝が盛衰し、戦乱が繰り返されてきたが、
その姿は現代の私たちと、どれほどの違いがあるだろうか。


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NHKスペシャル 四大文明[エジプト]

2008年01月04日 13:58

『吉村作治・後藤健・NHKスペシャル「四大文明」プロジェクト』編著 NHK出版 254ページ

あけましておめでとうございます!おかげさまでめでたく新年を迎えることができました。
今年も一年、日々精進して文学の教養を深める所存です。本年もよろしくお願い致します。

さて!記念すべき2008年の第一冊目は、私のもう一つの趣味である「古代文明」に関する本の紹介です。
皆様は1日24時間という、何気なく使っているサイクルを、「起源はどこからきたのか?」と、考えた事があるでしょうか?

「エジプトはナイルの賜物」。ギリシャの歴史家ヘロドトスは、有名な言葉を残しています。
これほどエジプト文明を端的かつ、的確に表した言葉はありません。
アレクサンドロス大王のヨーロッパ・アジア統一を機として、東西の文化が融合したヘレニズム文化。
エジプトの1日24時間と、メソポタミアの365日の概念が融合し、現在の暦が誕生しました。
そこにユリウス・カエサルが閏年をくわえ、現在はさらに修正を加えたグレゴリウス暦が使われています。

古代人は、現在に通用するほど時間を正確に知ることができました。
その驚くべき事実は、ナイル川の氾濫に大きく関係しています。
四大文明を世界史で勉強する時、「文明は水のあるところ、つまり川の流れる土地に興る」と習います。
事実、四大文明は川と切って話すことはできません。が、これほど川の周期と密接に結びついて
発展しているのは、エジプトをおいて他にありません。

ナイル川は南のエチオピア・ウガンダから地中海にかけて、全長6695kmに及ぶ大河です。
上流で6月に降る雨が、7月頃からエジプトで氾濫し、水の引く11月頃には肥沃な大地を毎年甦らせます。
氾濫期後の8ヵ月間は、種まき刈入れの季節になり、このサイクルが文明を発達させていったのです。
その為、エジプトでは氾濫期を正確に知ることが必要でした。
古代人達は、おおいぬ座のシリウスが空に輝く時から日数を数え、正確な暦を知ったと伝えられています。
また、ナイルの水量を測るため、沿岸に設けられたナイロメーターや、
氾濫後に区画を再整備する必要から、測量・度量衡が発達していきました。

通常、川の氾濫は堤防を築くなどして、制御することが多いのですが、
エジプト人はその氾濫による恵みを享受するかわりに、自然のままの川と共存してきたのです。
結果として、数学や暦が発達したのは、むしろ当然の事だったと言えるでしょう。

もうひとつ、エジプト文明を象徴するものにピラミッドがあります。
いちばん有名なギザの三大ピラミッドは、カフラー王、メンカウラー王、クフ王のもの。
クフ王のピラミッドは高さ147m、約40階建てのビルに相当するというのだから、その巨大さが分かります。

この偉大な事業を成し遂げたのは、ヘロドトスの著書「歴史」によれば、奴隷であったとされています。
しかし、近年になって労働者たちの墓が発見され、長年信じられてきた説が覆される事となりました。
人口の99%を占める農民が、氾濫時の失業期間に公共事業として参加したのが、ピラミッドの建設であるというのです。
テレビでも特集が何本も組まれているほど有名になったこの話は、今や通説となってきています。
現代に生きる私たちが、その科学力をもって歴史を解明していく…何とも言えないロマンではないでしょうか。
また、エジプト王朝最後のファラオ、クレオパトラ(7世)の住んでいた宮殿が、今もアレクサンドリアの海に沈んでいます。
公害で汚れた海の底、発掘は困難を極め、私たち現代人を皮肉っているようでもあります。

最後に、何故これほどまでエジプト文明が人々のロマンをかき立てるのか、その1つの根拠を挙げておきましょう。
エジプトの古代語といえばヒエログリフ。その美しい象形文字は、王朝の衰退とともに忘れ去られていました。
しかし、かのナポレオンがエジプトに遠征した際、持ち帰ったロゼッタストーンにより
解読が試みられ、シャンポリオンによってその偉業は成し遂げられたのです。

エジプト文明は、王墓やパピルスに多くのヒエログリフが残されています。
しかしながら、それまでは解読が進まずに、大量の古文書を目の前にして、
学者たちは指をくわえて見ている事しかできなかったのです。
シャンポリオンの開いた突破口により、エジプト文明は飛躍的に研究が進み、
今日、私たちがこれほど身近に感じるまでに解明が進んだのです。

世界に古代文明は数多くあれど、まだ謎に包まれているものが大半と言ってもいいでしょう。
その中で、その気になれば5000年も前の文章が読める!というエジプト文明は、
まさにロマンをかき立てる文明と言えるのです。

この本は、そんなエジプト古代文明への足掛かりとなるものです。
人類のたどってきた軌跡を追う。遠い砂漠の地に想いを馳せながら、今年最初の一冊を紹介させて頂きました。


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