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ハムレット

2009年09月27日 19:35

『シェイクスピア』著 福田 恆存 訳 新潮文庫 246ページ

今まで紹介してなかったのが不思議ですね。だいぶ前に読んだのを、再読したので紹介を。

<あらすじ>
デンマーク、エルノシア城。王子ハムレットは鬱々としていた。
父親である先王が死に、その弟クローディアス(ハムレットの叔父)が今は王位につき、
あろうことか先王の妃(ハムレットの母)を、喪も明けぬうちから妻に迎えたのだった。

ハムレットは夜な夜な歩廊に現れる、先王である父親の亡霊に会う。
父親は、現王が自分を暗殺し、その地位を奪ったのだということを語る。
固く復讐を誓ったハムレットは、表面上は狂態を装い、その機会を待つ。

旅の一座が演じる暗殺劇を通して、叔父の犯行を確信したハムレット。
しかし、誤って宰相ポローニアスを殺害してしまう。
ポローニアスの娘であり、ハムレットが愛していたオフィーリアはそれが基で狂死。
ポローニアスの息子、レイアーティーズはハムレットに恨みを抱き、
決闘の席で毒を仕込んだ剣により戦う。その刃にハムレットは倒れるが、
戦いの途中で剣が入れ替わり、レイアーティーズも死に絶える。
-----------------------------------------------------------------------------
四代悲劇では一番有名ですよね~。作品として一番イイのは「リア王」らしいですが。
ハムレットに関しては、非常に解釈も分かれていて、難しい作品であります。

結局のところ、憎むべきは先王を殺したクローディアス王だけなのであり、
宰相ポローニアスはじめ、母親、オフォーリア、レイアーティーズなどは、巻き込まれただけ(悲劇!)。
ハムレットは、父親に「ちゃんと復讐するからな!」と誓うものの、例の有名なセリフ、
「To be, or not to be: that is the question」(生か、死か、それが疑問だ)と、
ちょっと弱気な発言をして、狂態を演じて殺害を先延ばしにしている。
(「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」の方が有名ですかね)

ハムレットの感想を読んでいると、「ハムレットは悩みすぎ」という意見が多い。
しかし、復讐のため人を殺すのは、簡単に行えることではない。
ならば自分が死ぬべきか…と苦悩するのは、むしろ当然のことのように思える。
そういう意味で、ハムレットは全く「狂っていない」。こんな腐った世の中でいいのか、
デンマーク王国はどうなってしまうんだ、そういう嘆きを作品中にばら撒いている。

つまり、個人的な悩みだけではない。例えば、愛するオフィーリアへの言葉で有名な、
「Get thee to a nunnery!」(尼寺へ行け!)は、解釈が分かれるところだけど、
私は「あなただけは穢れないように」と、告げているように思える。
狂態を装い、一見何を意味するのか分からない言葉の裏に、ハムレットの誠実さ、愛情が溢れる見事なセリフだ。

要はかなり正義感が強く、「人間らしい」ヒーローだったという事。
ただ、最後には死に向かう覚悟もでき、復讐を遂げる。が、自らも死ぬ。
祖国はノルウェーの手に渡るしと、イイとこ無しのまさに悲劇。

こんな作品だからこそ、「俺、かなり不幸!!」という感じを出すセリフの味は大切。
福田氏はいつも「シェイクスピアは日本語にしたら、その時点で90%の美しさは死んでる」というが、
韻を踏んだり、(狂態に交えて)皮肉をいうハムレットのセリフを、なんと料理していることか。
そりゃ劇団四季でも使用しますわなー。原文知らないけど、よくぞ日本語でここまで…と思います。

今回は巻末にシェイクスピアの執筆年代と、福田氏による「シェイクスピア劇の演出」という考察が載ってました。
(私が持ってるのは改装前ので、表紙に何も絵が書いてないヤツです。今のにも載ってるのかな…?)
福田氏、すごいっす。世間のシェイクスピア論を真に受けず、自分の解釈で、しかも無理がない。
シェイクスピアの解釈なら、この人についていきたいなあ~と思わる説得力をお持ちです。


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リチャード三世

2009年09月16日 23:08

『シェイクスピア』著 福田 恆存 訳 新潮文庫 202ページ

15世紀イングランドを舞台として、繰り広げられる政権争い。
シェイクスピアはエリザベス女王時代の人間だから、今でいえば、
今の日本人が時代劇を見ているようなもの。

シェイクスピアには前にも紹介したように、「○○時代」という作品の流れがあるのですが、
このリチャード三世に関しては、初期の方の作品で、時代でいえば「習作時代」。分類は「史劇」。
物語は薔薇戦争を題材にして、リチャード三世の兄、エドワードが国王に就いた後からスタートする。

<あらすじ>
せむし、びっこのグロスター公(リチャード三世)は、国王が病死するに合わせて、実兄を暗殺する。
本来であれば国王の息子である王子たちが得るはずだった権利を、
陰謀と暗殺を繰り返すことによって、ついに王権を手に入れる。

しかし、何物をも信じられなくなっているリチャード三世に臣下が付いてくるはずもなく、
ボズワースの戦いで、自らが手にかけた人々の亡霊に呪われながら死んでいくのだった。
-----------------------------------------------------------------------------
シェイクスピアでは、かなり悪者として描かれている。
身体的にハンディを背負っている負い目から、悪の権化となった…という、
「劣等感からくる悪」という俗っぽいものではなく、「悪」そのものを美しくさえ見せる、
奸智に長けた人物像を見事に描いている。習作時代でここまでのを描けるのは、やはり天才。
専門家によれば、後期の作品群に比べると、言い回しや構成などは劣るらしいけれど。

ここでも、福田さんの解題を一部紹介。
「リチャード三世」では、実に多くの人が死ぬ。
シェイクスピアの悲劇はもともとたくさんの人が死んでいくけど(ハムレットでは8人)、
この作品では、それが一つの「復讐」という繋がりを持っている。ヘンリー六世から王権を奪ったヨーク家。
そして、その弟が兄の王権を奪い…そして、さらにリッチモンドが…と、「復讐が復讐を呼ぶ」。
「リチャード三世はこんな悪いヤツだった」という物語ではなく、そこにあるのは「逆らえない運命の流れ」、
ということらしい…なるほど。この解説を読んでから、本篇を読めば良かった。さすが福田さん。

この作品の前に、「ヘンリー六世」(1~3部)が書かれている。
ようは薔薇戦争でヨーク家がランカスター家に勝利する時の話なので、
ちょうどリチャード三世の物語の前段階にあたる。個別でも楽しめるけれど、流れとして読むのもいいかも。

ちなみに実在のリチャード三世は、ここまで悪い人ではなかったようですね。
テレビでみるのと違って、水戸黄門は本当は筋肉隆々だった…というのに似て、
リチャード三世もイメージの固定化を図られた、可哀そうな人なのかもしれません。


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オセロー

2009年09月10日 23:01

『シェイクスピア』著 福田 恆存 訳 新潮文庫 214ページ

いわずと知れたシェイクスピアの四大悲劇の一つ、オセロー。
オセロゲームの名前の由来になった作品ですね~。
黒人のオセローと、白人の妻デズデモーナの物語が、二転三転するからなんだとか。

<あらすじ>
数々の武勲を立ててきたムーア人のオセローは、美しく貞淑なデズデモーナを妻をして迎えた。
しかし、彼を憎む旗手のイアーゴーは、奸策を用いて仲を引き裂こうと試みる。

オセローの副官を務めるキャシオーを罠にかけ、免職にさせてしまうと、
復職を望むなら、オセローの妻に取りなしをお願いするのが良いと、アドバイスするイアーゴー。
そしてオセローには、「奥様とキャシオーがデキている」とそそのかす。
猜疑心に囚われたオセローは、妻が必死にキャシオーを庇うのを訝しく思い始める。

さらに一計を用いたイアーゴーは、オセローが妻に送ったハンカチーフを、
キャシオーにあげてしまったのだと思わせることに成功する。
高潔な人物だったオセローは嫉妬に狂い、デズデモーナを絞め殺す。
そして、すべて罠であったことが判明すると、悲しみのあまり自殺をするのだった。
-----------------------------------------------------------------------------
ムーア人という位置づけがポイントになってるんですが、ムーア人といっても広範囲で、
もともとは北アフリカにすんでいた人種で、主に黒人のことを指していたようです。

人種差別とかそういうのではなく、「気性が荒い」とか、「真っ正直」とかいう性格的な部分で、
この作品では扱われているんですが、どうも読んでるとオセローの浅はかさが目につく。
いや、だって、すごい奥さんを愛してたんでしょ?いくら「正直」でも簡単に騙されすぎだなぁ…と。

相変わらず翻訳者の福田さんは良い仕事をされてて、解題がすごいこと、すごいこと。
オセローは個人的な嫉妬の物語であって、リア王マクベスなどに比べて、
スケールが小さいのだとか。悲劇の主人公らしくなく、イアーゴーに振り回されっぱなし。
リア王なんか、始終「俺はなんて不幸なんだー!」と独白しっぱなしだけど、
オセローには最後に詩的なセリフがあるくらいで、その「悲劇の主人公らしい悲痛な叫び」が無いんだとか。
シェイクスピアは限りなく解釈論が出てるけど、福田さんの解題は無理がなくて
いつも納得がいく。ちょっと「自分、シェイクスピア語れるかも…」とかいう生意気な気もしてくる。

逆にイアーゴーは「悪者らしい」いい味を出してる。
上手い具合に策略の手配が終わり、オセローを罠にはめる前のセリフ、
「やっとお身籠りあそばしたぞ。あとは地獄と闇夜の手を借りて、
 この化け物に日の目をみせてやるばかりだ」
なんてのは、私も結構気に入ってたりします(もともと悪役が好きなので…笑)。
ただ、あくまでもイアーゴーのセリフは脇役にすぎず、ひょうきんな俗っぽさが抜けない。

だから、現代人には楽しくすらすら読める代わりに、詩的美しさが、やや欠ける作品になってます。
私も、「なんかあっという間に読み終わってたな…」という印象。二回目というのものありますが…。
シェイクスピアの例によって、もとはツィンツィオの「百物語」に原作があるのですが、
イアーゴーの悪役っぷりがさらに輪をかけられて、劇作向きになってるようです。
シェイクスピアは、こういう超悪いやつを登場させるの大好きですねー。


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じゃじゃ馬ならし・空騒ぎ

2009年05月25日 11:53

『シェイクスピア』著 福田 恆存 訳 新潮文庫 310ページ

久しぶりにシェイクスピアを読みましたが、今更ながら言葉の美しさに感動しました。
この二作品は、どちらかと云えば初期の方ですが、すでに才能を余すところなく見せてくれています。

シェイクスピアは何度も紹介したとおり、いろんな話を盛り込んで
一つの作品に仕上げる傾向がありますが、それが最も顕著なのが喜劇。
ご多分にもれず、今回もストーリーがあちこちで展開されて賑やかな話になっています。
最終的にそれが一つにまとまって、ハッピーエンドになるのですが、
初期の作品ということもあって少し話のつながらないところなどもありました。

経歴でいえば、習作時代→喜劇時代→悲劇時代→浪漫劇時代になりますが、
「じゃじゃ馬ならし」は習作時代で、「空騒ぎ」は喜劇時代。
個人的には前者の方が楽しくて好きでした。
その名の通り、「じゃじゃ馬ならし」は手に負えない娘カタリーナを、
機智に長けたペトルーキーオーが良妻に変えてしまう恋の駆け引き。
他の恋模様も入り混じって、最終的に「どれが本筋?」となってしまう感はあるけれど…。

余談ですが、今回とにかく名前が覚えにくかった…(笑)
ヴィンセンショー、ルーセンショー、ホーテンショーあたりならまだしも、
グレミオー、グルミオー、トラニオー、あたりになるともうダメ。
最後の方になっても、巻頭の登場人物紹介を見直さないといけませんでした。

ところで、昔は何の気なしに読み飛ばしていた文章の美しさですが、
ここにきて福田訳はやっぱりすごい!と再確認しました。

おお、あの女の方こそ私を、木石の忍耐すら超ゆる程に侮辱したのです。
枯れなんとする檞の木も、梢になお一葉の緑を残していたなら、
恐らくこのまま黙って引っ込みは致しますまい(以下略)。
                            「空騒ぎ より」

訳者泣かせと言われるシェイクスピアですが、
福田氏は相変わらずいい仕事をされてます。


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アントニーとクレオパトラ

2008年08月04日 21:19

『シェイクスピア』著 福田 恆存 訳 新潮文庫 204ページ

『ジュリアス・シーザー』を読んだ後には、やっぱりコチラもチェックしたいところ。
シーザーが戦争や政権争いを中心に展開されていくストーリーならば、
『アントニーとクレオパトラ』は、愛の物語です。

第二回三頭政治が行われ、ブルータス陣営のシーザー暗殺を企てた元老院派を追軍し、
シリアへその進行を進めていた時、アントニーはクレオパトラに出会う。
舞台は二人がその冬をアレクサンドリアで過したあとから始まる。

三頭政治の当事者の一人である、のちのローマ皇帝一世、オクテイヴィアス(オクタヴィアヌス)と、
自分の妻ファルヴィアとが戦争を始めたという知らせがアントニーのもとに入り、
ローマへ帰還するアントニーを、クレオパトラが引き留めている。

どうもクレオパトラは政権を取るためにシーザー、アントニーと順々に男をたぶらかしたイメージが強く、
本当に愛した男は果たしていたのかどうか、疑問に思うところだけれど、
シェイクスピア劇では少なくとも、この2人は深く愛しあっていたようだ。

どうしても帰るというアントニーに拗ねてみせるクレオパトラ。
引き留めても無駄であろうことを分かっていつつも、ダダをこねてみせる。
大人の恋を知りつくした二人が見せる束の間の恋劇は、これからの悲劇の幕開けを思わせる。
歴史的事実でしか知らない美女が、シェイクスピア風味の女性に仕立て上げられているのが楽しい。
ラブラブっぷり全開で、他の史劇に比べると少し違和感があるけれど。

ローマへ帰ったアントニーは、オクテイヴィアスの姉と結婚し、一応は和平が成立したかのように思えた。
その知らせを聞いて、嫉妬に狂うクレオパトラ。
軍人として名を馳せたアントニーが、権力や政略を重視する本来の顔へ戻ったのだ。
しかし、アントニーが結婚をしたのはあくまでも政略上の事であり、結局はクレオパトラの元に戻っていく。

軍人としてのアントニーと、愛に生きる人としてのアントニー、
両面の人間性が見られるが、最終的にアントニーは愛を選んだのであり、
その為に名誉も死も恐れずに行動したのである。
この作品の見どころは、何と言ってもこれに尽きる。

では、歴史の事実はどうだったかというと、アントニーに関しては確かにクレオパトラを愛していただろうが、
肝心のクレオパトラの方はよく分からない。推測で物語を描くしかないシェイクスピアが出した答えはどうだったのか。

その後、アクティウムの海戦でオクテイヴィアスに敗れたアントニーは、
クレオパトラが自殺したという誤報を受けて、自らの命を絶つ。
歴史の流れから見れば、クレオパトラはアントニーの死後、
できることなら勝者であるオクテイヴィアスをも利用して、生き抜こうとしたように見える。
つまり、シーザーやアントニーをたぶらかした魅力で、オクテイヴィアスをも虜にし、
利用してやろうという魂胆である。しかし、彼をたぶらかすことはできなかった。

クレオパトラが自殺した理由はいろいろな説があるけれど、どれも信憑性がない。
シェイクスピアの劇中では、クレオパトラがアントニーの死を知り、その後を追う。
オクテイヴィアスに対しては新しい主人と仰ぐけれど、それは誰にも邪魔されずに死ねるように、
従うそぶりを見せていただけの事…という具合である。

クレオパトラはオクテイヴィアスへ「死んだら夫のアントニーのそばの墓へ埋めてくれ」と、
遺言を残している。けれど、これも甚だ事実かどうかは怪しいものだ。
ただ、シェイクスピアは伝えられているストーリーをそのまま素直に引用したようだ。

結果的に、私はこの作品には満足している。
悲劇というカテゴリーでは、『ロミオとジュリエット』に近いものがあるけれど、
若い情熱が死に向かって一直線に走り抜ける物語ではなく、
成熟した男女が色々なしがらみの中で愛に生き、そして死んでいく。
そんなストーリーが、歴史と絡み合って悲劇を構成するのが、なんともシェイクスピアらしいからだ。


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ジュリアス・シーザー

2008年05月08日 22:35

『シェイクスピア』著 福田 恆存 訳 新潮文庫 188ページ

今まで読んだシェイクスピア作品では、最も私の趣味にあった作品でした。
とても面白く、民政から帝政へ移行するローマの動かしがたい歴史の流れを表した素晴らしい作品だと思います。

時はジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)がルビコン川を渡ってローマへ進軍した後の事。
あの有名な「賽は投げられた」という名ゼリフを残したあとですね。
彼の人気はすさまじく、民衆の心は彼一人に傾いていた。
ローマは成立してからというもの、民主主義を貫いていた。しかし、ここにきてシーザーが
終身独裁官に就任。事実上彼の肩に政治が担われる事になった。
そうなると必ず面白くない人間が出てくる訳で、それがシーザー暗殺の顔ぶれになってくる。

キャシアスはその一人で、ブルータスを唆す役割を担っている。ブルータスは高潔な人間である。
些細な事にも正義を貫く志であるから、彼を持ち上げてシーザーを倒せば、民衆に対して
「民主主義のためにはシーザーを倒すしかなかった」という大義名分を訴えやすい。

キャシアスは言う。
「われわれのローマ、貴様は昔ながらの高潔を絶たれてしまったのだぞ!いつの世にせよ、
開闢以来こんなことがあったろうか、すべての功績がただ一人の男に帰せられるというそんな馬鹿な話が?」
ブルータスの心は動く。

かくて暗殺は実行される。その前日までには不気味な予兆がいくつも現れる。
生贄の儀式に使われた動物の心臓がなかったり、光を放つ人間が大勢突進するのが報告されたり、
不吉な歴史の転換点を思わせる。シーザーの妻も元来現実的な性格だったが、今日ばかりはシーザーに
出かけるのを思いとどまらせようとする。しかし、シーザーはきかない。

話は飛んで、シーザーが倒されて帝政が一度は防がれたと思われるが、その後事実上の後取りにあたる
オクタヴィアヌスがローマ皇帝一世となる。シーザーが普通の人間だったなら、これだけ不吉な予兆が続けば
何かしら恐ろしくなり警戒するはずである。確かに彼は権力を持ち、傲慢になっていたかもしれない。
しかし、私にはそれ以上にこの暗殺が動かしがたい歴史の歯車に組み込まれていたのだと思えてならない。

「ブルータス、お前もか…ならばシーザーよ、死ね!」
我が子のように思っていたブルータスにまでも裏切られてしまうとは…ならばもう私は死ぬ以外になかったのだ。
合計23箇所の刺し傷を受け、シーザーは倒れる。すぐに民衆に向かって弁明の演説をするブルータス。
英雄シーザーが殺されたことに戸惑いを隠せない市民たち。ブルータスは訴える。

「私はシーザーを愛していた。しかし、それ以上にローマを愛していたのだ」

ここだけ見たら、ブルータスすごい狡猾…。しかし、苦悶の末に暗殺を決意した姿は、彼の正義感あってのこと。
ジュリアス・シーザーというタイトルだけれど、マルクス・ブルータスという題名に変えた方がしっくりくるような気がするくらい、いい人なのです。

閑話休題。ブルータスの演説が終わり、民衆が「民主主義万歳!ブルータスよ、よく支配から救ってくれた!」と称賛した後、
アントニーが壇上に立つ。世界史ではアントニウスと習ったかもしれません。立場としてはシーザー側の人間。
暗殺の時にアントニーも一緒に殺してしまおうという案が出たが、そこは正義を愛するブルータスのこと、
ヘッドを倒せば充分だろうということで、余計な血は流さない主義。
アントニーは懇意にしていたシーザーが殺された事を、民衆に対して
「本当に彼はあなたたちを支配するような人間だったのか!?」と問いかける。
彼はブルータスの事を高潔な志と呼びつつも、巧みに民衆の心を動かしていく。
民衆がどちらの側につくか、決定的にしたのはシーザーの遺言状であった。
それはつまり、彼の遺産はすべての市民に分割され、それが一人につき75ドラクマずつになること。
1ドラクマは現在の価値に直すとだいたい1万円くらい?になるので、一人75万円ずつ。すごい!!

それを聞くと、それいいのかと思えるほど民衆はコロっと態度を変え、シーザー側に立つ。
こうなるとブルータスは反逆者扱いである。民衆は暗殺に加担した人間を殺すため、暴徒と化す。
その後は第二部的に、ブルータス対アントニーの戦争へと場面は移る。

以降は本編を参照して頂きたいのですが、これは本当に世界史好きにはたまらない一冊。
文体も美しく、歴史を憂うブルータスのセリフなんか重みを感じます。さすが福田訳!
シェイクスピアのお得意の寄り道ストーリーも少ないので、さらっと一本道で読めます。
シーザー、ブルータス、アントニー、オクタヴィアヌス…ローマに名だたるメンバーの
素顔、人間性を心行くまで堪能したい方は、是非読んでみてください!


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ロミオとジュリエット

2008年02月26日 23:00

『シェイクスピア』著 中野 好夫 訳 新潮文庫 267ページ

某友人は藤原達也のファンでして、彼の演劇のDVDは私も何度か観せてもらった事があります。
ロミオとジュリエットもその内の一つなんですが、若々しさに溢れた作品で、
3時間という長丁場をよくあのテンションで保っていけるなと感心しました。

ロミジュリには私も想い入れがありまして、高校時代最後の文化祭を、
脚本兼パリス役で出演しました。宝塚の台本があったので、それを元にした脚本でしたが、
30分という短い中で、どう縮めりゃいいのよ!?と奮闘しましたが、結局50分オーバーで大ブーイング(笑)。

シェイクスピアの演劇はセリフが美しいのが特徴ですが、その長さも大したもの。
当時の舞台装置が今のように屋内ではなく、青空のもとでセットされた事に関係しているようです。
昼間に真夜中のシーンを演じたりする必要性から、各章冒頭に背景や時間を説明する言葉を入れる必要があったとか。
高校程度の文化祭なら背景も陳腐そのもの。条件的に似通っているためか、削るに削れないセリフが多かったのを覚えています。

そうした思い出から、今回読んだ中野氏の翻訳は非常におもしろかったです。
四大悲劇を読んだ時は、その情景が分からずに終わってしまいましたが、今回は
「ああ、このセリフはこんな風に言うんだな」とか、
「ここで二人は固く抱き合うんだった」とか、
頭の中でロミオとジュリエットが走り回っていました。

内容はディカプリオさんが映画でやってたので、シェイクスピア作品の中では一番有名ではないでしょうか?
ヴェロナの街を舞台にして、互いに憎み合う一族がありました。
モンタギューとキャピュレット。名高い両家は何かというといがみ合い、
騒動を起こし、街を治める大公は「今後このような騒動があれば、即刻死刑を申し渡す」と言いつける。

恋する男ロミオは、ロザリンドへの届かぬ想いに悩み苦しんでいた。
友人の誘いでキャピュレット家の宴会に忍び込んだロミオは、そこでジュリエットと出会う。
一目で恋に落ち、熱い口付を交わす二人。

しかし、たった一つの愛は、たった一つの憎しみから生まれたものだった。
ロミオはモンタギュー家の一人息子。
ジュリエットは宿敵キャピュレット家の一人娘。
運命に弄ばれる二人の恋人は、人目を忍んでバルコニーで愛を語り合う。
「ああ、ロミオ、ロミオ、あなたはどうしてロミオなの?」

これをきっかけにして、両家の間に横たわる憎しみを取り払えるかもしれない。
僧ロレンスはひっそりと二人を結婚させる。しかし、二人が神の前で結ばれた数時間後、
ロミオの友人マキューシオが、ジュリエットの従兄ティボルトに殺される。
怒りに駆られたロミオはティボルトを殺し、その場から逃げ去る。
事情を聞いた大公は、ロミオを追放とし、ヴェロナの街で見かけた場合は即刻死刑にすると申し渡した。

絶望にくれるロミオとジュリエット。そんな中、彼女の苦しみを払拭するため、
父親のキャピュレットはパリスとの結婚を早める事にする。
重婚に抵抗するジュリエットだったが、どうにも回避できないと分かると、
ロレンスに自殺を打ち明ける。その覚悟を聞いたロレンスは、強力な眠り薬を彼女に手渡し、
「これを飲みなさい。仮死状態になって、あなたは墓場に入れられるだろう。
 私はロミオに手紙を書き、その事を知らせておく。目覚めたところを二人で街を抜け出すがよい」
と、妙案を思い付く。

喜んでその作戦に乗るジュリエットだったが、ロミオへ宛てた手紙は不慮の事故で届かず、
ジュリエットが死んだと思いこんだロミオは、彼女の墓場で自分も後を追おうとヴェロナへ戻ってくる…。

情熱だけで死へと突き進む姿は、美しいけれど理解しがたいものがあります。
自分は絶対に死なないし、死んだら何にもならないと思うしなあ…。しかし、最後の大公の言葉で、
「世に不幸な物語も数々あるが、このロミオとジュリエットの物語、それにまさるものがまたとあるであろうか?」
というのがあります。本当にその言葉が胸に迫ります。

いつも福田さんの翻訳が多いのですが、中野さんの手腕も凄いです。
本人は「絶望してペンを止めたこともあった」とおっしゃるくらい、翻訳には苦労なされたようですが、
私はすばらしい翻訳になっていると思います。
一度舞台を見たことのある人も、無い人も、ぜひお薦めしたい一冊です。


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お気に召すまま

2007年12月20日 20:27

『シェイクスピア』著 阿部 知二 訳 新潮文庫 194ページ

またまた恋のから騒ぎ…。
ということで、シェイクスピアの喜劇時代後半の作品。
例の如く人間関係がややこしく、最終的に4つのカップルが誕生というのだから、幸せ気分満載の作品。
西洋文学が苦手という人は、よく「カタカナの固有名詞が沢山出てくるから」と言う。
特にこの戯曲というのは、前置きなくいきなり話が始まるので、名前が馴染みにくい。
今回は更に輪をかけて、人間関係が複雑ときているので、
苦手な人にはちょっとややこしいかもしれません。
ただ、それさえクリアできれば、喜劇は比較的読みやすいと思います。

シェイクスピアの作品は、原作のあるのがほとんど。
巻末に書かれている解説によれば、それら原作を凌駕し、
劇作に作り変えている事が天才のなせる業だとか。

物語は公爵フレデリックが弟に爵位を奪われるところから始まる。
追われた兄(弟もフレデリックというからややこしい。本文では兄・弟で区別)は、
アーデンの森でアウトローな生活をしていた。
その娘であるロザリンドは、心無い弟の公爵に城を追われ、父を追ってアーデンの森へ向かう。
一方、弟のその娘であるシーリアは、ロザリンドと大の仲良しで、
彼女と一緒に城を抜け出すことを決意する。

しかし、貴族の娘2人が旅をするには何かと危険な世の中。
ロザリンドは髪を切り、男装をして出掛ける事にする。

一方こちらはロザリンドに恋する貴族の男オーランドー。
彼も似たような境遇で住まいを追われ、アーデンの森に逃れたものの、
愛するロザリンドの事が忘れられない。
恋をしている相手が目の前にいることも知らず、
男装しているロザリンドに、恋の治療を求めるオーランドー。
彼女はそれと知って、彼の愛を試そうとする。

最後には予想通り、男装を解いてめでたしめでたしという事になる。
しかし、そこまでにいくつかの人間関係も絡み合い、ロザリンドが
男装を解く事で、もつれた糸が一気にほどけて解決!という終わり方。

なんともシェイクスピアらしい結末といえばそうなのだが、
原作がある割に、毎回「シェイクスピアっぽい」と思えるのが、
前述した天才のなせる業というやつなのだろうか。


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真夏の夜の夢

2007年11月28日 23:17

『シェイクスピア』著 三神 勲 訳 角川文庫 187ページ

ブログでも何冊か紹介しているが、シェイクスピアの翻訳で有名な福田恆存さん。
今回の「真夏の夜の夢」は、三神勲さんだけど、巻末の解説では福田さんの言葉が取り上げられていた。

「シェイクスピアは日本語に訳された時点で、その美の90%は死んでいる」

私は英語がてんでダメで、海外に行っては「勉強しよう!」と意気込むが、
だいたい一か月で忘れてしまって、未だに「聞くだけで話せる英語」のCDは、
最後まで通して聴いた事がない。

そんな私だから、英語の舞台は観れたものではないし、日本語のすら観たことがない。
しかしまあ、シェイクスピアは読めば読むほどに舞台への誘惑に駆られます。

踊りが激しさを増していくような展開、舞台を観ていなくてもワクワクして高揚する。
題名の「真夏の夜の夢」の通り、まさに一夜の夢のようなお話。

幻想的な妖精の世界と、人間たちの世界が入り混じって展開されていく。
ハーミアは親が決めたディミートリアスと結婚させられそうになる。
しかし、決断を迫られた前夜、愛しい恋人のライサンダーと駆け落ちする事に。
ディミートリアスは、ハーミアを愛していたが、以前にヘレナというハーミアの友人にも言い寄っていた。
ヘレナは今ではディミートリアスに振られ、それでも彼の事が忘れられない。

ハーミアは、駆け落ちすることをヘレナに打ち明けるが、ヘレナはそれをディミートリアスに漏らしてしまう。
そして4人は月夜の晩、妖精たちの舞う森へ入り込むのだった。

この物語では、人間と妖精の世界の橋渡しをするキャラクターが登場するが、
それが悪戯好きのパックという少年の妖精である。
ロビングッドフェローともいい、お調子ものでカワイイ。

眠っている時、目にたらせば、起きて最初に見たものの虜になってしまうという、
ほれ薬をライサンダーにたらすパック。たちまち彼は、駆け落ちしてきたハーミアをほったらかし、
ヘレナにほれ込んでしまう。
ハーミアとしてはびっくりだ。いきなり恋人が違う女の尻を追っかけてるんだから。
ヘレナもヘレナで、「ハーミア!あんたまでグルになって、私をからかってるんでしょ!」てなもの。
しかもパックは、ディミートリアスにもほれ薬をたらして…。
何が何だか、わあわあ、ぎゃあぎゃあ。そして彼らは疲れて眠りについて。。。

起きた時には、あら不思議。魔法は解けて夢でも見ていたよう。
そしてディミートリアスだけはほれ薬にかかったままで、二つのカップルができてめでたしめでたし。

最初から最後までスピードに乗って、全速力で駆けていく。
頭の中で、登場人物たちが動き回って、さぞ役者も大変だろうといった感じ。

シェイクスピアの喜劇はヴェニスの商人に続いて2冊目だが、
悲劇よりも喜劇の方が気に入ってます。舞台も喜劇をより観てみたい。
今回は特に、ファンタジー色溢れていて、とても楽しめました。

そして、毎回思うことだけれど、海外文学というのは聖書とギリシャ神話の内容を知っているかどうかで、
随分とその楽しみ方が変わるものだなあと。
これから海外文学を読む人は、まず簡単な聖書と、ギリシャ神話から読むことをお勧めします。


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ヴェニスの商人

2007年11月19日 22:43

『シェイクスピア』著 福田 恆存 訳 新潮文庫 169ページ

シェイクスピアで初めて読んだ喜劇。四大悲劇から攻めていったため、
これがシェイクスピアの作品??と、最後のめでたしめでたしの結末に違和感を覚えてしまった。

常々このブログを書いてて思うことがある。
私は感想を述べれるような文学通ではない。
でも、こんなに面白い本が世の中にはゴロゴロしている。
感想は述べれないけれど、せめて紹介し、多くの人に本に興味を持ってもらいたい。

「へ~、この本おもしろそう、アマゾンで検索してみようかな」
こうなれば、私にとって至福の事なのです。

だから、このブログは本をあんまり読まないけれど、
有名な本の簡単なストーリーくらいは知りたいな、という人向けです。
沢山文学を読んでる方は、素晴らしい文学評論サイトが沢山あるので、ぜひ!えへへ。

あくまで紹介という事を中心において、手短にストーリーを紹介して…
そしてちょこっとだけ、つたない素人の感想を… 

そして、今回のヴェニスの商人な訳ですが。なぜ、こんな事をちんたら述べたかというのも、
この作品に関しては手短にストーリーを紹介して…というのが難しい。。。
大きな見せ場が四つ。どれも紹介から外すのが惜しいのです。

「じゃじゃ馬ならし」や、「空騒ぎ」といったシェイクスピアの有名な喜劇は
まだ読んだことがないので、彼の喜劇がどういうものかまだ掴めてないのも事実。
ただ、本ではなくて是非、舞台を見てみたい!と強く思う作品。

ヴェニスの商人アントーニオーは、友人から求婚の為にお金を貸してほしいと頼まれる。
船で商売をしていたアントーニオーだったが、今は航海に出ている船が帰ってくるまで、手元に金はない。

シャイロックは高利貸しのユダヤ人という事で、アントーニオーには
幾度も商売の邪魔をされていた。いつかは彼に復讐してやると思っていた彼は、
これはしめたとばかりに、金を貸す。そして、証書には担保として、
「期限までに返せなかった場合は、心臓スレスレに肉を1ポンドもらいうける」と書く。

シャイロックが気持ちいいほどに悪役に徹してくれているので、
特にユダヤ人でなくてもいいんじゃないか?と思うけれど、
ここは歴史的背景も大いに関係してくるところ。

ここでは紹介しきれないが、この後のどんでん返しの名裁判や、
指輪をめぐっての、男女の楽しいやり取りも見逃せないところ。
そして、最後は予想通り気持ちよーく、めでたしめでたし♪

1ポンドの肉ってどれくらいなんだろうか?ちょっと調べてみたところ、なんと450グラム!
スーパーで450グラムの肉っていったら結構多い方だよね??
ということは、当時の医療技術ならおそらく出血多量で死ぬ確率大ですね。
携帯電話の重さが私の標準の機種で100グラムといえばイメージが湧きやすいかな?

物語は、予想通りに進んで「つまらない」と思う時と、
「待ってました!」と思う時と、「え!?そう来たか!」と思う時、
この三通りに大別できるのではないかと思う。

この喜劇は「待ってました!」と、「え!?そう来たか!」が二ついっぺんに楽しめる、
内容盛りだくさんの作品。シェイクスピアの新しい境地、これからも覗いていくのが楽しみになってきました。


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マクベス

2007年09月26日 00:25

『シェイクスピア』著 福田 恆存 訳 新潮文庫 158ページ

四大悲劇のひとつ。今更だけど、やっと4話とも読み終えました。
4つの中では比較的スムーズに勧善懲悪でストーリーが完結したもの。
やたら死ぬのは変わらないところですが。

簡単な内容を説明すると、
勇猛果敢で誠実だったマクベス将軍は、ある日三人の魔女に出会う。

「いずれはスコットランドの王になられるお方!」
魔女たちはマクベスの未来を不気味に予告する。
そして隣にいたバンクォーには

「その子孫が、スコットランドの王になる」
と告げるではないか。

かくして誠実だったマクベスの心には野心が芽生え始める。
忠誠を誓っていた王を暗殺し、バンクォーも手にかける。
そしてスコットランド王になったマクベスだったが。。。

「ハムレット」では、主人公の父親が暗殺され、
亡霊として最初のシーンで現れ無念を訴えるが、
マクベスの場合も邪悪な魔女が現れて予告をしている。

マクベスの名シーンでは有名な「マクベス夫人の夢遊病」。
夫人は「あんたそれでも男なの?さっさと殺しちゃいなさい!」と
暗殺を推し進めた張本人。

「まだ、ここに、しみが…
 ひとつ…ふたつ…おや、もう時間だ。
 地獄って、なんて陰気なんだろう…」

夜な夜な、幻覚を見て歩きまわっては手についた血を洗うマクベス夫人。
舞台では見たことがないけれど、私の中では一番見どころではないかと思う。
それにしても、女は強い。この時代でも夫の尻を叩いて
暗殺までさせちゃうんだから、真の悪役はこの人なんじゃないかと思ってしまう。

ローマの暴君ネロは有名である。しかし、ネロは本来、詩を愛する優しい
少年だったらしい。暴君と呼ばれる裏には、皇后ポッパエアの影が見え隠れしている。

なるほど。そう思えば、マクベスの責念も多少は薄らぐ…かもしれない。


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リア王

2007年09月09日 18:49

『シェイクスピア』著 福田 恆存 訳 新潮文庫 208ページ

言わずと知れたシェイクスピア四大悲劇のひとつ。
よく、四大悲劇といわれて、
「ハムレット」
「マクベス」
「オセロ」
「ロミオとジュリエット」

と、答えたもんです。
ロミオとジュリエットもそれなりに悲劇なんだし、
わかりやすく五大悲劇にしておきゃいいのになあと、
国語の授業の時に思ったもんです。

そんな若造のロミオ達に座を奪われそうなリア王です。

いや、若いもんにはまだまだ負けておれん!
悲劇に関してはワシも相当なものじゃ!!

てな感じで、リア王は残酷な二人の娘に城を追い出され
80歳の体に鞭打って、嵐の中を駆け回っていくわけです。
四大悲劇の例によって、「そして誰もいなくなった」
よろしく、みんな死んでいくわけです。

簡単に事の発端を話すと、リア王が引退を前にして、
三人の娘に領地を分け与えることになったという設定。
「お前たちの中で、誰が一番この父を愛しているのか。それを知りたい」
二人の姉達は、「とても言い尽くせませんわ、およよ」と、
言葉巧みに愛しているという事を並べ立てて、お父さんは大満足。
ただ、末娘だけは口下手で「特にありません」と言う。
怒った父は、末娘を勘当。そこから悲劇は始まる。

舞台は策略、不倫まで入り組んで、昼ドラかよ!と突っ込みたくなる。
それゆえ私たちからしてみれば面白い。他人の不幸の楽しいことよ!

王族というのは権力によって結ばれる特殊な親子愛という。
しかし、これを読んでると「はたして関係ないことかしら」と、
他人事ではなく思えてくる。
介護、遺産相続、孤独死、虐待、身近なニュースに多いことよ。

一番マイナーなリア王だけれど、一番身近に感じる四大悲劇…かもしれない。


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