スポンサーサイト

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

チャタレー夫人の恋人

2008年11月30日 02:38

『D・H・ロレンス』著 武藤 浩史 訳 ちくま文庫 616ページ

今月のテーマ月刊の最後は、王道でいくことにしました。
昭和32年の「チャタレー裁判」で有名なこの作品。
参考→Wikipedia「チャタレー事件」

今回は問題になった伊藤整氏の訳ではなく、砕けた文章で読みやすい武藤氏の訳にしました。
書評なんかを見ていると、伊藤氏の訳はお堅くて、とっつきにくい感じというのが、
皆さん共通する意見のようですが、それぞれに良い部分と悪い部分があるなという印象。
エッチなのを期待して読むなら、だんぜん武藤訳ですが、そういう見方でなく純文学として読んでほしいところ。

自然の描写などの、美しくてみずみずしい表現は、読んでいる限り
これが猥褻物頒布罪で訴えられて、出版社側が敗訴した作品だとは思えません。
そもそも、そんなに猥褻な表現とも感じませんしね。
マルキ・ド・サドの「ソドム百二十日」の方がよっぽど猥褻です。

上流階級のクリフォード・チャタレーと結婚したコンスタンス(コニー)。
しかし、二人の密月は夫の戦争による下半身不随によってあっけなく終わった。
二人は知性的な生活に没頭して、それに満足しているように見えた。
人間が性の営みを放棄したときの苦しさは、彼女を徐々に悩ませ、空しくさせた。

ある日、散歩の途中で猟番メラーズに出会い、やがて激しい情愛の歓びを知るようになる。
彼女は今までの反動のように、自分をとき放った。
「だめっ!行かないで!私から離れないで!私に怒らないで!ねえ抱いて!強く抱いて!」

ロレンスが残した傑作は、日本でも反響を呼び、戦争、階級、メディア、セクシュアリティの問題を提示する。
割と「いやらしい小説」というイメージでしか見られていない側面があるのは、非常に残念。
最後に武藤訳と、伊藤訳の違いを参考までに、12章から引用しておきます。

<伊藤訳>
「彼女は彼のペニスが彼女のからだに無言のふしぎな力を示し、主張をしているのを感じたが、その主張に自分を委(マカ)せた。
 彼女は死を思わせるような痙攣に身をゆだね、彼に向って全身を開いた。
 ああ、もし今彼が彼女に優しくしてくれないならば、それはどんなに残酷なことであったろう。
 なぜなら彼女は彼に向って自分のすべてを開き、まったく無力になっていたからだ」

<武藤訳>
「女はみずからを解き放った。男のペニスが驚嘆すべき無言の勢いで断固勃起するのを体に感じると、
 女はみずからを解き放って男にひらいた。死に似た小さい震えと共に屈服して、男にすべてを投げ出した。
 ああ、すべてを男にひらいて無力になったこの時に男が優しくしてくれなければ、なんと残酷なことになるだろう」

伊藤氏の訳は「完訳 チャタレイ夫人の恋人」新潮文庫から出版されている。


参考になった!という方はゼヒ押してくださいッ →  にほんブログ村 本ブログへ

スポンサーサイト



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。