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グレート・ギャツビー

2009年01月20日 21:37

『フィッツジェラルド』著 野崎 孝 訳 新潮文庫 262ページ

ギャツビーて、あの整髪料の…?
調べてみたら、やっぱりそうでした。これが語源だったんですね。ダンディ~!(?)

アメリカ文学というのは、どうも抵抗がある…。
そう意識し始めたのは、おそらくヘミングウェイからだったと思う。
とても評価の高いものでさえ、どうにも人物像がつかみにくいというか…
終わってからも、「結局何だったんだ…」みたいな印象が多い。

グレート・ギャツビーも、最初のうち読んでいると、
「あ~、アメリカ的やなー」という感じで、情景は浮かぶんだけど、
どこか人間味が湧かないというか、私に合わないなあと思っていた。

面白くなってきたのは、先に後書きを読んでから。
私はいつも、本は最後のあとがきまで読んで、初めて読んだといえる!と思ってるんですが、
著者の生涯や、訳者の想い、時代背景などが綴られていて、
それが作品にどう反映されていたのか、そこを感じ取れるのが実にいいと思うからです。

フィッツジェラルドについては、その生涯が「グレート・ギャツビー」を作り上げたといってもいい。
著者の生きざまそのものであり、長い年月の末に気がついたことの集大成のような気がする。
フィッツジェラルドの生涯をここで語ることはしないけれど、
この作品を読むに当たっては知っておきたい情報だと思います。

謎の男、ギャツビーは絢爛豪華な邸宅に住み、夜な夜なパーティーを繰り広げていた。
深くつながり合うことをしない人々の群れ、楽しそうに見えて乾いている笑い声。
彼は何かのためにその催しをしているのだが…。

文章はアメリカ的なのに、内容はアメリカ的空虚感を皮肉っている。
常に付きまとう空しさが、払いのけようとしても粘っこくまとわりつくような感じで作品を覆う。
著者自身の感じていた上流社会の虚しさが、見事に書きあげられている作品だと思います。


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