スポンサーサイト

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

アンナ・カレーニナ(上)

2009年08月24日 00:30

『トルストイ』著 木村 浩 訳 新潮文庫 484ページ

<あらすじ>
俗物官僚のカレーニンを夫に持つアンナが、
青年士官のヴロンスキーと不倫の恋に落ちる物語。

モスクワへ兄夫婦の喧嘩の仲裁へ行ったアンナ。
ヴロンスキーはモスクワ駅でアンナに出会い、恋に落ちる。
最初こそ意にもかけないアンナだったが、今迄に見ようとしなかった
「愛のない夫婦生活」に気がつき始める。その事実に恐ろしくなった彼女は、
逃げるようにしてペテルブルグへ帰るのだった。

しかし、その帰りの列車の中、彼女を追ってきたヴロンスキーに再会した時、
純粋に彼女は喜び、これまでの人生の偽りの愛を悟ったのだった。

ヴロンスキーと結婚する予定だったキチイは、実質的に捨てられる。
その直前にキチイにプロポーズしたリョービョンは、失意のうちに田舎へ帰ってしまっていた。
その後、この二人の方でも進展を見せることになるのだが…。
一巻はアンナが夫のカレーニンに、ヴロンスキーを愛していることを打ち明け、
また、同時に懐妊していることが分かるところで終わる。

トルストイでも、「戦争と平和」よりかは、はるかに読みやすい。
アウトローなドストエフスキーと違い(笑)、社会事業などに熱心だった人だけに、
農村経営や政治についても言及している部分が多い。
その割には物語要素が強いので、何も考えずとも読めるのが嬉しい。

モスクワから帰ってきたアンナが、俗な社交場を好むようになったり、
愛する息子にすら「幻滅を感じる」ようになったりするのは、
それまで満足していたこと以上のものを知ったからだろう。
さらに良いものを知ったがために、過去のものの欠点を探し出すという人の性が印象的。

前に読んだ「クロイツェル・ソナタ」で、トルストイは
基本的に「女は夫に従え!」的な発言をしているので、
先行きがどうにも気になるところ。家庭でも暴君だったらしいし…。

映画やバレエ作品としても多い。日本では栗原小巻さんの舞台公演が大変好評だったとか。
一女性の悲劇が、題材として取り上げやすいのはいつもセオリーですね。


参考になった!という方はゼヒ押してくださいッ →  にほんブログ村 本ブログへ

スポンサーサイト

クロイツェル・ソナタ 悪魔

2009年03月22日 23:31

『トルストイ』著 原 卓也 訳 新潮文庫 215ページ

性について、トルストイのストイックな主張が読み取れる2作品。
どちらも言うことに理屈が通っているので、やっぱりすごいなーと思わざるを得ない。

クロイツェル・ソナタついて取り上げてみると、列車の中で数人の男女が
離婚問題について論じている。一人の男がその問題について、
「女は男を恐れるべきである」という主張をするが、周りの者は「古い考えだ」と反論する。
男はかつて、妻が不貞を働き、それが元で妻を殺したことを告白する。

彼はそこにいたるまでのいきさつと、人間は性に対してどうであるべきかということを語る。
後書きの解説で、男女の関係をまとめた文があったので、トルストイの言いたいことを要約すると、

第一は、男性に対する女性の隷属。
第二は、男性に対する女性の反抗。ここでは女性も権利の平等を要求する。
第三は、偽善の仮面を被った道徳。

つまり、男性が性的な対象として女性を見る→女性はそれを受けた上で、
(つまり要求にこたえ、隷属を承知の上で)引き換えに権利を要求する→
そして、その性の結びつきを世間は愛という言葉で飾り立てる。
と、簡単に言うとこういうことなのだが…。

人間は真の目的を求めて生きるのであれば、性欲や性行為は目的の妨げである…とトルストイは言う。
極論を言えば、目的を達した人間は死んでもよいのである。
かといって、逆に動物のように生み増やすことを目的とする人間はいない。
性欲が死に対する予防剤となっている…そんなニュアンスにも読み取れる。
しかし、死んでもいいほど高尚な目的を持っている人間など、本当にいるのだろうか?

たしかに性欲というものがなくなれば、そこから生まれるわだかまりや、問題もなくなり、
動物的に子を産み育てる行為のほかには、愛と名付けごまかす欲望的な気持ちもなくなるかもしれない…。
しかし、トルストイとて自分の浮気問題がなければ、この事を深く追求しなかったであろうし、
現に一夫一婦制を貫いている人間もいるのだから、私としては少し見方を変えれば、
まったく違った考え方が生まれる可能性もあったじゃない…と思う。

ただ、ここまで自分の主張を強く立派な理屈として、作品にするのは難しい。
トルストイは、この2作品以外にも、性についての考察に関するものを、いくつか書いており、
その生涯で大きなテーマになっていたことは間違いない。
一つの事柄にここまで深くつきつめて考える人だったのかなあと思うと、
やはりスゴイ作家だったのだなあと、尊敬を感じ得ない。


参考になった!という方はゼヒ押してくださいッ →  にほんブログ村 本ブログへ

イワンのばか

2008年01月19日 18:11

『レフ・トルストイ』著 木村 浩 訳 講談社青い鳥文庫 251ページ

トルストイが晩年になって書き上げた民話を3話収録。『戦争と平和』とか、
難しいのばっか書いてる人かと思ったら、牧歌的なものも書いてるんですね~。
イワンのばか。イワンのばか。イワンのばか。いやん、ばか。昔言いませんでした?(笑)
小学校時代にはやってたんですが…。イワンのばかって、意味不明な言葉だと思ってましたが、
文豪の作品でしたか。失礼致しました。

イワンは三人兄弟で、一番上の兄セミョーンは兵隊を指揮する将軍でした。二番目の兄タラスは商売人で富豪でした。
イワンはお父さんと口のきけない妹の三人で、畑を耕して暮らしていました。
ある日、悪魔小僧三匹が集まって兄弟の仲たがいをしようと企みました。
それぞれ一匹目の小僧は、セミョーンを戦争でボロ負けにし、二匹目の小僧はタラスを破産させました。
二人の兄は、農家のイワンのところを頼ってきましたが、イワンはそれを快く受け入れました。

さて、三匹目の小僧も同様にイワンの農作業の邪魔をしようと、腹痛をおこしたり、
犂を押さえたりしましたが、イワンは妨害にへこたれずに一生懸命働きます。
「このばかには参っちまう。いくら邪魔をしても仕事をやめない」
そのうち邪魔をしているところを悪魔小僧は見つけられてしまう。

「このやろう、憎たらしい奴め」
「ダンナ、許してくだせえ、何でもしますから」
「じゃあ、この腹痛を治してくれよ。痛くてたまらない」
悪魔小僧は、イワンにどんな病気も治す根っこのありかを教えてやる。
三つに割れた根っこの一本を食べると、あら不思議。瞬時に治ってしまった。
「じゃあ逃がしてやる。神様と共にあれよ」

悪魔に「神様」という言葉は、幽霊に「南無阿弥陀仏」というニュアンスと似てるのか、その言葉を聞くと悪魔小僧は死んでしまった。
兄弟達を陥れるのに成功した他の二匹の悪魔小僧は、仲間が死んでいるのを見てびっくり。
仇討ちだ~!とばかりに同じようにイワンの仕事の邪魔をするが、結局失敗して見つかってしまう。
どんな邪魔をされても、イワンはしゃにむに仕事をしてやめようとしない。
また悪魔小僧を捕まえたイワンは、兵隊を作る方法と、お金を作る方法を聞き出して、
「神様と共にあれよ」と言って悪魔を殺してしまう。無知ほど怖いものはない。

しまいには悪魔の親玉、悪魔じじいが出てきて「ふふふ、わしの出番じゃな」とばかりにイワンを苦しめようとする。
悪魔じじいはイワンに言う。
「お前さんはばかだな。そんな汗を流して働かなくても、頭で働いたらいいじゃないか」
そりゃそうだ。だってイワンは兵隊もお金も自由に作れるんだから。
しかし、イワンは兵隊は音楽隊のため、お金はキラキラしてきれいなものくらいの認識しかない。
「頭で働くことなんてできるんですかい?ひとつ教えて下さいよ」

そこで悪魔じじいは頭で働くことで、どれだけ楽かを懇々と演説し始める。
「何だ、あのじいさんは。早く頭で働いておくれよ。頭で働くと、もっと簡単にパンが食べられると思ったになあ」
しまいに悪魔じじいは空腹で演説台から落っこちて頭をぶつけてしまう。
「やや、じいさんやっと頭を使って働き出したな。どんな方法で小麦を育てるんだ?」

しかし、悪魔は落っこちて死んでしまった。
「なあんだ。また悪魔だったのか。ちぇっ、憎らしい奴らだなあ」
その後、イワンはこんな調子で幸せに暮らしましたとさ。

…金もいらない、人の物も欲しがらない。他人のために世話を焼く。
欲がなくて、価値あるものが分からないばかたち。
しかし、悪魔にはつけ込むスキが無いのです。
人間らしいとは何か。紙切れに振り回される人間は「賢い」のか。
イワンのようにはなれないが、ちょっと今の自分を振り返る良い機会になった本です。


参考になった!という方はゼヒ押してくださいッ →  にほんブログ村 本ブログへ




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。