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罪と罰(下)

2007年12月05日 23:03

『フョードル・ドストエフスキー』著 江川 卓 訳 岩波文庫 431ページ

自分は許されない罪を犯したのか…。
ラスコーリニコフが最後に行き着いた答えは。

長編小説がついに完結。下巻でいっきに視界が開ける面白さ。
今までの経緯は、長くなるので下記を参照して頂ければと思います。
上巻→http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-21.html
中間→http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-31.html


「ナポレオン理論」は間違っていない。自分が殺したのは何の役にも立たない老婆だ。
その老婆の金で基盤を固め、将来自分が多くの人を救えるとしたら、
たとえ自分は罪を犯したのだとしても、償っていけるのではないか。

自分はそこいらにいるような能無しではない。ナポレオンのように「壁」を乗り越えれる人間だ。
自分は…間違っていない。間違っていないんだという答えが知りたい。

彼は孤独だった。その理論は我々の生きていく世界ではあまりにも孤立していた。
彼は自首をした。けれどそれは自分にとって有利だったからだ。
事実、死刑は免れ、たった8年の服役で判決は下りた。

自分の理論は間違っていない。
彼は刑務所の中でも頑なに信じ続けた。
「あなたは理論を考え付かれたが、それが挫折して、あまり独創的でないから恥ずかしくなったのだ」
ポルフィーリィは、彼の犯罪を追い詰めた上でこう言った。

彼が最初に懺悔をしたのは、娼婦をしているソーニャに対してだった。
私的には、ここが一番見どころではないかと思う。

ラスコーリニコフは、自分が孤独なことに気がつき始めていたのだと思う。
前回ソーニャに対して、神様は娼婦をしている哀れな自分を救ってくれると本気で信じているのかと、
ラザロの復活を読ませることで問いかけていたのだろう。

「どうせ軽蔑するんだろう」という気持ちと交錯しながら、事実を話し始める。
この苦しみを分かってほしい、誰かに聞いてほしい、解放されたい。
そんな時、深い愛情のこもった目で見つめられたら。。。
哀れんでくれる人を見つけたなら。。。

私は読んでいる最中、自分が犯罪を犯したわけではないのに、
哀れんでくれる人を探していた。そして見つけた時の安心した気持。
ソーニャは言った。
「ああ、あなたは世界のだれよりも、だれよりも不幸なのね!」

ラスコーリニコフがシベリアへ送られることになっても、
ソーニャは彼の後を追ってきた。
獄中で、彼は改めて自分が孤独な事に気がついた。
ソーニャが面会に来る。それすらもぶっきらぼうにあしらっていた。

しかし、彼にも変化が訪れた。
今こそ、ラスコーリニコフはソーニャを必要としていた。
ドフトエフスキーはそれを明確な言葉で書いている。
「彼は彼女を愛している、かぎりもなく愛している、
 そして、とうとう、その瞬間がやってきたのだ」と。

私の語学力では、筆舌に尽くしがたいが、相当な深みのある作品である。
二回目を読むとより面白く、三回目はまして感じるものがあるだろう。
まず、読むことが一番近道だ。是非手に取っていただきたい。
本当に価値のある作品を読ませていただいたと思う。天才に感謝します。


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罪と罰(中)

2007年11月07日 23:09

『フョードル・ドストエフスキー』著 江川 卓 訳 岩波文庫 364ページ

名作の中巻。上巻までのあらすじは下記を参照して頂くとして、
http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-21.html

殺人を犯したその後の話が進んでいく。

田舎から結婚のために出てきた妹の婚約者とひと悶着起こし、
さらに心配する家族にも警戒心を持ち始める。
その後の展開としては、娼婦をしている娘のソーニャと関わりを持つようになるのだが。。。

一番おもしろかったところは、殺人事件の捜査官とのやり取り。
あきらかに主人公のラスコーリニコフはスレスレの証言をしている。
しかし、彼は犯罪がバレると見越してやけっぱちになってる訳でもない。

「あの殺人の部屋に行って、血のことを訊ねたのは、
 熱に浮かされてやったことじゃない。ちゃんと意識があってやったことです!」

こんな風に罪を犯した人が、自分の事をあからさまに主張するだろうか。
ひとつは彼が頭脳明晰であるという事も考えられるが、
罪の意識に対してドストエフスキーの意見が反映されているようにも思える。

「プラトンやニュートンの発見を世間に公表することが妨げられるのなら、
 数十人、数百人の犠牲はいとわない。むしろ、犠牲があっても、
 それは世に出すべきものである。ナポレオンやマホメットといった
 人類の法を作り上げてきた人達は、少なからず犯罪者である」


作者に関しては、刑務所に入っていた経験が作品にも生かされている。
刑務所の生活で、自分の罪とは?という問いかけがなされていたのではないか?

それは、推測にとどめておくとして、気になるのは今後の展開。
タイトル通り、罰が待っているのか?捜査官との薄氷の渡り合いは続くのか。

この巻では、私がやったんだ!という他の人物が出てくる。
読者側としては、犯人が誰だか分かっているだけに、
それが捜査官の一つの手なのか、偶然なのか、すべてが疑わしくなってくる。

しかし、読んでいるうちに、この「殺人に対しての明確な罪」というのが、
何も刑法における処分だけではない事を思い知らされる。

ラスコーリニコフは不信感から家族をも捨ててしまおうとしているし、
どんな事にも疑惑の目でもって生きていかなければならなくなっている。

そして娼婦の娘との交流。作品の中でラスコーリニコフはこの娘に
聖書の「ラザロの復活」の場面を朗読させている。
ドストエフスキーの深い思惑は私には読み取れる訳ないが、
朗読している娘を同類、または上から見て優越感を感じるような気持で、
ラスコーリニコフが接していると思えてならない。

色々な見方ができ、さらに内容も先が気になってしょうがない。
ラスコーリニコフの罰はどういう方面へ展開していくのか。
次はいよいよ最終巻に突入します!!


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罪と罰(上)

2007年10月10日 20:06

『フョードル・ドストエフスキー』著 江川 卓 訳 岩波文庫 414ページ

言わずと知れた名作。私も国語で名前だけ習ってました!
関係ないけど、罪と罰っていうフレーズは日常生活でよくつかわれますね。

ドストエフスキーはロシアを代表する有名な作家で、
その経歴はかなりハード。一度は死刑になりそうになったり、
いつも借金に追われていたりと、人生経験豊富な文豪だったようです。

上・中・下巻の上巻しかまだ読んでいないので、
内容を推測するような感想は控えさせて頂いて、
簡単に話のさわりだけ紹介させてもらうと…

物語は主人公の青年ラスコーリニコフが、これから実行しようとする
ある恐ろしい計画についての下見に行くところから始まる。

大学も辞め、貧乏のどん底にいる自分に、
故郷の妹と母は期待を寄せている。けれど現実は、
家賃を払えずにおかみさんとも顔を合わせにくい始末。

これからやろうとしていることは、世間から見て決して許されることではない。
いやにビクビクして通りを歩いて行く。いや、ビクビクすることはない。
まだ下見の段階ではないか。今からそんな気持ちでどうする。
誰かが叫んでは、自分のことでもないのに一瞬体を震わせる。

複雑な心境で、やっと質屋のおばあさんアリョーナ・イワーノヴナの家につき、
何気ない会話を気取る。しかし、目はどこに何が置かれているかを注意深く追っていた。

そして運命のいたずらか、彼は偶然にもおばあさんが一人になり、
「あれ」を行うチャンスが目前にあることを知ってしまう。。。

こんな考え馬鹿げている、ああ、しかし下宿ではおかみさんが自分を警察に連れて行くと言ってる。
母親から手紙が届いた。妹が裕福な男と結婚すると書いてある。
愛してもないのに、自分のために?自分の貧乏のために、貧乏のために!

ほんとはこんなセリフないです。すいません。
簡単にいうとこんな感じです。というよりも、簡単に文章で表せない。
狂気迫るあの緊迫感は、ぜひ実際に読んで感じていただきたいところ。

上巻では罪を犯して、そこから数日間のところまでが収められています。
国籍の違いか、ロシア人の名前が馴染めなくて、最初は苦労しましたが、途中から慣れます(笑)。
とにかく、人間狂気に囚われると何をしでかすか分からない。
そんなヒトのドロっとした恐怖みたいなものを感じてほしいです。

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