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トニオ・クレエゲル

2009年05月12日 21:37

『トオマス・マン』著 実吉 捷郎 訳 岩波文庫 98ページ

難しいテーマであります。

真の芸術家は、「アウトサイダー」としての一面をまぬがれえない。
したがって芸術家は、その性格の根柢において病人や狂人や
犯罪者と数々の面でつながりをもつことになる。

それゆえに芸術家は、つねに「やましい良心」を持たなければならないし、
また同時に「尋常で端正で貞潔な」平凡な人々に対して、
「つまり凡庸性の法悦へ向かっての、ひそかな烈しい憧憬」を抱き続けなければならない。
「あるとことのもの」、すなわちありのままの自分に完全に「満足」しきった
芸術家などというものは、真の芸術家にとって「嘔吐」の対象でしかない。
                                (解説より:実吉 晴夫)

んー…なんじゃ??これだけ読むと、なんのことか分からないですが、
内容を読むうえでは、このテーマの意味がしっかり生きてくる。

芸術を愛するトニオの少年時代から物語は始まり、
親友ハンスや金髪のインゲボルグへの恋心などが語られる。
しかし、彼の芸術気質はそれらの好意を寄せていた人々には相合わずに終わってしまう。

彼の父は堅気の平民気質だったが、母は南のボヘミアンな気質を持った女だった。
父が死んでからほどなく、母は他の男と再婚し、彼方へ去ってしまった。
トニオは作家として有名になりつつあったが、真の芸術家になりきれずにいた。
つまり、「芸術と俗人」との間で揺れ動いていたのだった。
彼は作品の中で、女流画家のリザベタへ手紙でこう告白している。

「僕の父は、御存じでしょうが、北方的な気質の人でした(中略)。
 母は漠然と外国的な血があって、美しく官能的で無邪気で、
 投げやりであると同時に情熱的で、また衝動的なだらしなさを持っていました。(中略)」
 この混合から生まれ出たのはこういうものでした。芸術の中に紛れ込んだ俗人、
 よき子供部屋への郷愁をいだいているボヘミアン、やましい良心をもった芸術家でした」

そこらへんのジレンマが上の解説のようなテーマへ繋がってくるというわけです。
結局、トニオは故郷へ帰ってきて、そこでかつてのハンスとインゲボルグに会い、
そこで再び彼ら、いわゆる「俗」への嫉妬を覚えるのでした。
つまり、自分が目指していた「真の芸術家」には、なりきれなかったのです。

芸術と俗との間で揺れる作家、トオマス・マンの自画像がそこにはあります。
そういった悩みを持つことが無益だと感じるならば、この作品は全く面白くないでしょう。
訳は全体的に美しく、定評のある実吉訳はマンはじめにはお薦めできます。


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