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桜の園

2009年02月17日 23:55

『チェーホフ』著 湯浅 芳子 訳 岩波文庫 101ページ

またまた、ロシア。アトーダ式チェーホフを読んだ後なので、
このタイトルを見たらつい手を伸ばしてしまいました。

阿刀田高→「チェーホフを楽しむために」

戯曲スタイルなので、若干名前がややこしいですが、なんとかクリア。
最初に”四幕のコメディ”と書いてあって、おや?と思う。

外国で経済的に行き詰まったラネーフスカヤ夫人は、実家へ帰ってくる。
故郷には「桜の園」という美しい領地があったが、それすらも競売にかけられようとしている。
そんな窮地にありながら、イマイチ貧しいという実感のない夫人は、
乞食に金貨を恵んでやったり、舞踏会を催したりと、金使いが荒い。

最終的に桜の園は、別荘地をして利用するため人手に渡ってしまう。
トントンと木に斧を当てる音が聞こえて幕が下りるのが何とも寂しげ。

哀愁…チェーホフを読む時のキーワードのようになってますね。
奴隷解放後のロシア、その社会変動を描く暗い物語…に見えるけれど、
読んでみると意外に軽かったりする。ところどころに笑いが散りばめられてる。
しかもちょっと高度で、笑うというよりかは苦笑に近いところもしばしば。

ラネーフスカヤ夫人を子供のころから慕ってきたロパーヒンは、もともと奴隷の子だったが、
今では商売に成功して大金持ち。夫人に世話になった恩から、桜の園を別荘にして利子を返すことを
ひっきりなしに提案するが、夫人はいまいち反応が鈍い。現状がわかっていない。

私が思うに”コメディ”なのはこの部分。どんなに深刻な問題としてロパーヒンが訴えても、
元貴族の緊迫感のなさといったら、その温度差が哀愁を通り越してコメディになってしまう。
最初から最後まで温度差、温度差、温度差…なのである。

お得意の微妙な男女関係も相まって、深読みを誘う作品。
一つ一つの会話の掛け合いが面白いので、地味な割には場面が活きてくる。
チェーホフの作品群では、完成度が1、2番と言われるのも、もっともなできばえだと思います。


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ワーニャおじさん

2008年08月31日 01:15

『アントン・チェーホフ』著 小野 理子 訳 岩波文庫 148ページ

シェイクスピア同様、戯曲という形で展開されていく内容。
これまたチェーホフの得意な「哀愁を残すような」作品です。

最初、通して読んだ時には「ふーん…」という感じ。
田園生活を四幕で描いた作品で、何か特別な事が起こる訳でもない。
しかし、当時公演された時には、すごい反響があったようで、意外に思えた。

その訳を知るためには、ロシアの歴史的事実を学ばなければならない。
世界史を知らないと、少し理解が及ばない作品なので、私には難しかったです。

夏の初め、ソーニャの父セレブリャコーフが教授の職を退き、
若い後妻エレーナを連れて(ソーニャの母は彼女が幼いうちに死んだ)、
田舎屋敷に戻ってきた。早起きの一家の生活は、夜中に教授の手伝いをさせられたり、
自分の老いと病を愚痴る身勝手なセレブリャコーフのため、すっかり変わってしまう。

主人公のヴォイニーツキイ(ワーニャおじさん)は、教授を崇拝して領地収入を貢いできたのだが、
最近彼に失望して、憤懣やるかたなく、その反動のようにしつこくエレーナに言い寄る。
後半、森林伐採を批判する医者アーストロフもエレーナに言い寄り、仕事そっちのけで屋敷に入り浸る始末。

ちやほやされた現役自体を忘れる事が出来ないセレブリャコーフは、
もう一度都会で暮らすため、領地を売って利回りの良い有価証券に変えようと言いだしたから、
ヴォイニーツキイの怒りが爆発する(かつてはこの領地は自分たち親族のものだったから)。
セレブリャコーフ目がけてピストルを打つヴォイニーツキイだったが、その弾ははずれる。

最終的に、セレブリャコーフとエレーナは、逃げるように都会へ行ってしまった。
ヴォイニーツキイは今まで通り働いて、領地収入を貢ぐことを約束する。
かくして彼らは元の生活に戻り、単調な日々を繰り返すことにしたのだった。
幕が閉じる最後の場面で、ソーニャはこうヴォイニーツキイに語りかける。

「ワーニャおじさん、生きていきましょう。長いながい日々の連なりを。
 果てしない夜ごと夜ごとを、あたしたちは生き伸び、運命が与える試練に耐えて、
 今も、年老いてからも、休むことなく他の人たちのために働き続けましょう。
 そして寿命が尽きたら大人しく死んで、あの世に行き、
 「私たちは苦しみました。泣きました。ほんとにつろうございました」と申し上げましょう」

ロシアの圧政の事情から鑑みると、「出る杭は打たれる」ような時代、
ただもくもくと生き続ける事を皮肉った様子がうかがえるけれど、私見だけでは定かでない。
フェミニズムや森林伐採反対などの内容が盛り込まれているあたり、
当時の若い知識人に強く訴えかける作品だったことは間違いないようだけれど。

ロシアの歴史と、人名とがなかなか馴染めないので、難しいかもしれない。
阿刀田高氏の解説書シリーズでチェーホフを扱ったものがハードカバーで出ていたので、
そちらを読んでからだと、より理解が深まるのではないかと思う。

しかし、奥が深い。日本文学の奥の深さと少し通じるところがあるように思えた。
一度読んだだけでは理解できないと思う。読んで、背景を知り、また読んで…くらいがちょうど良いのでは。
ただ、派手さがないので、どうしても繰り返し読むことに飽きが来てしまう。
世界の文豪相手に大変失礼ですね。申し訳ありません。


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可愛い女・犬を連れた奥さん 他一篇

2007年11月29日 22:38

『アントン・チェーホフ』著 神西 清 訳 岩波文庫 122ページ

・犬を連れた奥さん
・ヨーヌィチ
・可愛い女

三作を収録。どれも短い話だが、切り口からじわりと血が溢れるように、
面白さが滲み出てきている。一作だけここでは「可愛い女」を紹介してみよう。

チェーホフは初めて読んだけれど、何か他の作家と違う印象を受けた。
もやもやしたものを感じつつ、読み終わった時、
「…なんか普通の話だったな…」こう思った。

そう、普通なのです。何か特別ドキドキするような事もないし、
言葉が美しく飾られているわけでもない。しかし、もやもやが残るこの感じ…。


オーレンカは誰からも愛される女だった。
そして彼女もいつも誰かを愛していなければ生きられなかった。

劇場を営んでいるクーキンと結婚した時は、
「この世で一番大切なものは、この芝居よ!」と知り合いに話していた。
そして、その夫が死んで木材屋と再婚した時は、
「木材を運ぶ運賃が大変なのよねえ」と話す。
まるで、今まで長い間、木材屋をしていたかのような話しぶりである。
そして、芝居に関しては「あんなもの、観る暇なんてないわ」と答える。

木材屋が死んでしまうと、次は獣医に恋をして、
「馬や、牛からも病気が感染なさったとか…」とくる。

誰も愛する人が周りにいなくなったら、彼女は抜け殻のように話すことがなくなる。

さて、はたして彼女のどこらへんが「可愛い女」であるか。
たしかに、周りからは「可愛い女(ひと)ねえ~」と言われている。
しかし、彼女はいつも夫のコピーである。

夫が寒いと思えば、自分も寒いと感じ、
夫が愚痴を言えば、自分もその愚痴を他人に聞かせる。

アイデンティティをまるまるコピーしているのである。
そして、それについて何も疑問に思わず、自分は幸せだと思っている。

話はそのまま、少年に対して母性愛が目覚めて…という終わり方。
最後になって、ようやく「あれ?可愛いってコピーすること?」と思った。

女性問題等も見え隠れする部分があるけれど、そこは置いておいて、
とにかく物語は、普通に終わってしまった。

残された私といえば、何かやっぱりもやもやを感じつつ本を閉じた。
この作家は、哀愁や、悲しみを残すことで有名らしいが、
もしかしたら、チェーホフの思惑にまんまとはまったのかもしれない。


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