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シッダールタ

2009年04月25日 23:57

『ヘッセ』著 高橋 健二 訳 新潮文庫 164ページ

シッダールタというのは仏陀の名前(ゴータマ・シッダールタ)。
仏陀は「悟った人」という意味で、名前ではない。

このタイトルからして、仏陀の話かと思いましたが、違ったみたいです。
これはヘッセ自身の物語である。

主人公シッダールタは、生まれ故郷を出て親友ゴーヴィンダと沙門となる。
苦行を重ね、真我へ至る道を探し続けた。
ある時、彼等はゴータマという聖人に出会う。
ゴーヴィンダは彼の弟子になり、そこへ留まる。
しかし、シッダールタにはゴータマが真我を語っているとは思えなかった。
彼は親友と別れ、遍歴を続ける。

シッダールタが行きついたのは川であった。
川の流れからすべては過去も未来もなく、ひとつの完全体であることを悟る。

インド仏教は詳しく知らない身には馴染みが薄い思想ですが、
ヘッセの作品を通して涅槃とは、解脱とは…というのが少し理解できました。
参考までに→仏教(上)第一部
         仏教(下)第二部

ヘッセは「人間の奥底の心理」を書きだすのがすごいなあと思います。
デミアンでもそうでしたが、つまるところ人間は「「自分」を一番知らない。
そういうところから始まって、見ようとすればするほどそれが見えにくくなるという事を説く。
この基本からスタートして、仏教思想へ繋がるのはとても自然な流れのように感じる。

ヘッセ自身も、この境地へすぐにたどり着いたわけではなく、
三年の禁欲の後に、作品にまですることができたのだそう。
私的には、少し難しいかな…というのが正直な印象。
詩人ヘッセの言い回しが(訳者の言い回しか?)少し合わないのもあり、
読むのに時間がかかってしまった一冊でした。


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デミアン

2009年03月12日 21:05

『ヘッセ』著 高橋 健二 訳 新潮文庫 233ページ

「私は自分の中からひとりで出てこようとしたところのものを
 生きてみようと欲したにすぎない。なぜそれがそんなに困難だったのか」

本書の冒頭にある言葉は、この本を読み終わったときに読み返すと感慨深い。
この小説は自我を追求する主人公シンクレールの物語。
哲学的な話で最初はテーマが分かりづらかったけれど、
すこしニーチェ的な、下手をすれば危険な思想に結びつきそうなテーマ。

少年シンクレールは、友達同士の集まりでよくある「悪いことの自慢話」に加わっていた。
不良の一人に目をつけられないよう、とっさに嘘の話をでっちあげてしゃべるが、逆にその嘘をゆすりに使われる。
今更、嘘ともいえずに従うしかない彼は、毎日つらい日々が続言いていた。

しばらくたってのち、シンクレールはデミアンにであう。
デミアンはとても早熟していた。周りの者を寄せ付けず、先生に対してさえ自分の意見を言い、
時にはやり込めることもあるほどの大人びた子どもだった。
彼はシンクレールの悩みを、何がしかの行いによって解決した。
つらい日々、それは突然に終わりを告げたのだった。

物語の最初の方で、シンクレールは世界には2種類あることをデミアンに教えられる。
1つは規律や戒律、祈りが支配する善の世界で、そこには父母、やさしい姉たちが属していた。
もう1つは反対に俗なもの、犯罪などを包含する悪の世界。すなわち、前述の不良が属す世界だ。
この考え方を知ったシンクレールは、青年になるとそれがいっそう明確な心理だと感じられた。

神は半分だけに存在してはいけないのだ。世界の善だけを要求する神は本当ではない。
「汝の欲することをなせ」、という理論に通じるところがあるかもしれない。
たとえば、子孫を生み増やすことは称賛されているのに、性行為自体はけがらわしい扱いを受ける。
その矛盾に気がつけば、自我を追求する真理に流れるのは当然だ。しかし、たいていの人間はそれができない。

「ぼくは自分の夢の中に生きているんだ。ほかの人たちも夢の中に生きてはいるが、
自分自身の夢の中ではない。それが違いだ」

彼があこがれた女性をモデルに絵を描いたとき、その姿はデミアンに見え、自分にも見えた。
シンクレールはデミアンに影響されていたのではなかった。
つまるところ、彼の思想は最初から自己から出てきたものだったのだ。
すべての人間の生活は自己自身への道である。どんな人もかつて完全に彼自身ではなかった…。

そして冒頭の一文へ繋がる…。
この本はできたら二回読んだ方がいいと思う。
自分に立ち迷う青春時代に読むと、大きな影響を受けていたかもしれない。
戦後という地盤の上で、ドイツの青年たちに与えた影響を考えると、
この本がキリスト教よりも救い求めるに値する書物となる事は頷ける。


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青春は美わし

2008年10月31日 23:07

『ヘルマン・ヘッセ』著 高橋 健二 訳 新潮文庫 121ページ

暖かな田舎の情緒と、みずみずしい青春を表現した2編を収録。
主人公の年齢がはっきりと書かれてないので推測によるけれど、
だいたい15、6歳の設定でいいのかな。

少女マンガのヒロインは、16歳が王道らしいですね。
それなりに理由があるのだろうと考えてみたことがありますが、
今回ヘッセを読んでみて、なんとなく分かりました。

ここで突然話は脱線しますが、シェイクスピアのロミオとジュリエットは何歳だと思いますか?
ロミオは16歳。そしてジュリエットはなんと13歳。うひょー(!)。
その頃で言えば、結婚してもいいくらいの年齢だったんでしょうが、
13歳といえば中学1年生ですよ。パリス伯爵にロリコン疑惑が…!

この「青春は美わし」の主人公も、ロミオと同じような年齢でしょうが、
ロミオはもともと物語の最初でロザラインという女性に恋い焦がれている。
けれど、ジュリエットを一目見た瞬間に恋に落ちて、ロザラインの事はキレイさっぱり忘れてしまう。

参考までに「ロミオとジュリエット」↓
http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-70.html

主人公のヘルマン(自分の名前なのか?)は、久しぶりに帰郷して昔恋したクルツに出会う。
けれど、新しく現れた女性のアンナへ簡単に心変わりしてしまう。
ロミオも言っていたけれど、本人たちに言わせれば、「あれは本当の恋じゃなかった」と。

ははぁ、そういう心の目まぐるしい変化、ある意味若いからできる変化が、
少女マンガの題材に持ってこいな訳ですな。(結局そこに落ち着く)

まあ、それは冗談としても、非常に懐かしく思える作品。
若いうちにヘッセを読んでも感動が薄いかもしれませんね。
それはもう、青春のセの字も忘れたような年齢になってから読んだ方が、
より深く味わえると思われます。


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