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津軽

2009年05月20日 23:24

『太宰治』著 新潮文庫 212ページ

太宰治にこんなにハマるとは思わなかったなあ。
彼の人生が作品に大きく影響していることを知れば、
一つ一つがとても面白くなることは前に書きましたが、
この「津軽」こそ、太宰治の人となりが分かる作品です。
今まで読んだ中では、一番面白かったです!

太宰治の人生については前回を参照↓
http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-293.html

津軽風土記を書くために帰郷し、東海岸から西海岸、北は竜飛まで
ぐるりと巡る旅であった。途中、生まれ故郷の金木へもより、
久しぶりに兄弟、親戚と再会している。

作品を読んだ上で津軽人の印象を述べるとすれば、「不器用」の一言に尽きる。
愛情表現が下手で、苦労の割には損をするタイプ。

たとえば蟹田のSさんなんかは、その気質を大いに表していて、
友人を接待するときに、どうしていいやらわからず気だけが急いて、
あれやこれやとチンプンカンプンな振る舞いをした揚句に、
後で行いを恥じて、すいませんと謝るようなことになってしまう。
太宰治も作品の中で読者に対して気を使っているが、
Sさんの不器用さと同じようなサービス精神が伺える。

故郷にも立ち寄っているが、そこでは気を揉み、よそよそしい。
しかし、旅の最後に立ち寄った小泊では、幼いころ母のように慕っていた
女中の「たけ」に会い、心の底から安心して何でも話している。
六男坊として生まれて、劣等感の塊のような生い立ちを持つ太宰の、
飾らないありのままの姿を見て、作品は幕を閉じる。

基本的に太宰治は酒飲みで堕落している自分に、
「俺はなんてダメな奴だ」と嘆いている節がある。
親類と縁の薄い太宰にとって、すべて受け止めてくれる「たけ」との再会が、
ひとしお感動を誘い、いつのまにか読む側までもが安心してしまうのだ。
よく、後書きなんかで「読者は太宰と同化し、魅了される」と書かれているが、
ああ、これがそうなのか、とやっと実感しました。

しかし、どうして、この太宰治という人…憎めないキャラだ。
この作品で「津軽人」の気性を知れば、なぜ彼が憎めないのかとても理解できます。


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斜陽

2009年04月21日 00:40

『太宰治』著 新潮文庫 206ページ

おもしろい。

太宰治で素直にそう感じたのはおそらく今回が初めて。
作品自体の出来がいいから…というのもあるでしょうが、
それ以上に作家の考え方がやっと自分に染みてきたのだと思います。

津軽のお金持ちの家に生れ、六男坊という家長制度下では
さして重要でない立場にいた太宰は、乳母や下男と親しみ育った。
周りからはお金持ちのことして特別扱いを受けるが、
やがてその地位が他人を搾取した上で築かれたものである事に気づく。

デモクラシーやマルキシズム運動の流れが主流になりつつある頃、
自分の立場が罪に感じ、その運動に参加することで紛らわしていた。
しかし、徐々にその運動にも違和感を覚え、残る道は自らの死だけであると思い、自殺を図る。

「人間失格」では、真に人間であろうとするほど、この世は生きにくいものなのだ…
という主張が読み取れたが、そこから分かるように元来この作家は純粋すぎたのだ。
ただ、太宰治は「負」の作家というだけではない。「走れメロス」のような人間の可能性、
希望を(それは理想に近いかもしれないが)見出そうともがいた作家だった。

さて、「斜陽」では4人の人物が登場するが、それが一人一人太宰治の姿なのだと分かる。
気高く最後まで「貴族」でありたいと願う自分(階級的な貴族ではなく、心の気高さをもつ意味の「貴族」)。
コンプレックスに悩み、デカダンに遊楽し逃げている自分。
それぞれが揺れ動く作家自身を投影している。

太宰治の人生を知ったとき、私たちは作品の中に彼自身を見つけることになる。
その悩みに同調し、かくもこの世は生きにくいと心は揺れ、その中でも希望を見つけたいと望む。
「斜陽」では、その悩みを映しているのが自殺をする弟、直治であったり、
流行作家だが虚しい放蕩の毎日を繰り返す上原であったりする。
逆に、気高く死んでいくママや、主人公のかず子なんかは「希望」であったりするのだろう。

太宰は40歳を手前に自殺するが、最後の作品となった「グッド・バイ」や、
ひとつ前の「人間失格」が物語るのは「かくもこの世は生きにくい」ということだ。
最終的に彼の行きついたところは、やはり「希望はあくまで希望であった」ということか。
はたしてそれは定かではないが。


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ヴィヨンの妻

2009年03月24日 00:47

『太宰治』著 新潮文庫 173ページ

なんだか知らないけれど、不思議な魅力のある作家。
今回ので太宰の本は、新潮文庫にして3冊目になるけれど、
楽しい気持ちになる作品が少ない割に、妙に気になる作家だ…。

収録作品は以下の8作品。

・親友交歓   ・トカトントン
・父        ・母
・ヴィヨンの妻  ・おさん
・家庭の幸福  ・桜桃

正直、私の読みが浅いので、太宰が何を言いたかったのか、
8作品を通してあんまり理解することができなかった…。

表題作の「ヴィヨンの妻」は、放蕩者の夫がしでかした盗みをきっかけとして、
妻は料理屋で働くことになる。新しい生活に喜びを見出す妻と、変わらず酒を飲み続ける夫…。
最後に妻は他の男に犯されるが、「生きてさえいればいいのよ」と
夫に何も話すことなく、いつものように働き続ける。

暗いストーリーの割には、あっさりとした妻の態度が印象的。
太宰の作品はどれもそうだが、女がとても力強いと思う。
夫の遊楽にもめげず、子供を育て、なんとかやりくりしている。

戦争のさなかも芸術意欲を燃やし、作品を書き続けた作家というのは少ない…と、
どこかで読んだことがあるけれど、太宰はその数少ない作家の一人。
無条件降伏の後の虚脱感、それを作品にも読み取ることができる。

作品の中の女は力強いと書いたけれど、引き換えに男の方は変わらない。
戦後の新しい日本の歩む道、希望の道を女性の力強さに見る反面、
常に付きまとう虚脱感が、作家のもがいている心情を投影していると思った。
テーマが分かりづらいな…と思うのも、そこかもしれない。
迷っている気持ちが分かるからこそ、救いようのない夫の行動も憎めない。

太宰治の作品は、その作家の家庭生活を垣間見れるものが多いが、
もしまあ、これが半分でも実話だとすると、大変な人だったのだろうなあ…。
「家庭の幸福は諸悪のもと」と言ってのけるように、決して純粋に家庭生活を楽しめる人ではなかったようだ。


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走れメロス

2009年02月19日 22:09

『太宰治』著 新潮文庫 300ページ

太宰治の作品を読んでると、人生の浮き沈みがそのまま投影されてて面白いですねー。

自殺未遂して、ヤク中になって、今度は女と入水自殺。
自分だけ生き残るも、最後にまた自殺。
その経歴からくるインスピレーションは強烈なものだったに違いない。

今回読んだのは以下の9作品。

・ダス・ゲマイネ  ・満願
・富獄百景     ・女性徒
・駈け込み訴え  ・走れメロス
・東京八景     ・帰去来
・故郷

自伝と言ってもいい作品が多く、東京八景以下三作品は太宰治の人生を知る上で外せない。
文献的重要性もさることながら、その告白とも懺悔ともとれる語り口は、読んでいると時間を忘れます。
読者をその人生に同化させてしまうというか…この自伝のやり口はすごいなあと思いました。
とりわけまだ若いころの作品なんかは、太宰治の芸術にに対する葛藤なんかが読み取れるので興味深かったです。

代表作「走れメロス」は、自殺未遂後の再出発をした時に書かれたものだけど、
「この時はのびのびしてたんだろうなあ…」と苦笑してしまう。
暴君に対し、自分の親友を身代わりに立てるメロス。
「自分が三日目の日没までに帰ってこなければ、この友を殺せ」
と死刑の人質に置いていく。

これなんか、もし自殺前に書いてたらメロスは友を裏切ってたんじゃないか?(笑)
この時期だからこそ書けた…そんな気がします。

日本文学っていうのはこういうところも面白いんだな…。
有名作家同士のやり取りが作品の中に生きてたり、海外の影響を受けてたり・・・。
シェイクスピアが英語でないとその良さが分からないように、
日本文学はやっぱり日本人の体に合うのだろうなあ…。

あの富獄百景だってそう。昔から富士山になじんで、
どこかで心の誇りにしているであろう日本人でないと、あの良さは分からないんじゃないか…。

まだまだ日本文学には未熟な私ですが、徐々に…
「おもしろくなってきたなあ…」と実感するのです。


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人間失格

2008年04月26日 23:19

『太宰治』著 新潮文庫 166ページ

太宰治の完結した作品としては、最後のもの。
39歳という若さで自殺した作者が、人生で一度だけ自分の事を正直に描いた自叙伝。

久々に大きな感銘を受けました。ドストエフスキーの「罪と罰」を読んだ時も、
何とも言えない感動…いや、読み終えてからしばらくボーっと壁を見詰めてしまうような
不思議な感覚に陥ったのですが、この「人間失格」も同様でした。

太宰治の作品は、人によって本当に意見が割れるそうですね。
好きか、嫌いか。その真ん中がない作家として有名ですが、私は前者のようです。
沢山の作品を残している中でも、この「人間失格」だけは、先に触れたとおり、
その人生の中で自分のことをありのままに書いた作品であり、作風も他のとは全く違います。

物心がついてから、ずっと自分を見せず、おどけてばかりいた葉蔵という人物に
自分を反映させて書いた作品で、精神病院に入れられたことや、
女と入水自殺したことなど、その経験上の事がそのまま手記として表現されています。

金持ちのお坊ちゃんで、一人暮らしを始めて金がなく、女に養われて酒を飲む…。
まるで、人生のダメ人間の典型ですが、違うところは葉蔵が「生きるためにおどけていた」ということ。
他人が何を考えているのか分からない、どこで笑っていいか分からない。
だから、道化になって人を笑わせることで繋がりを保つことにした。
けれど、それは表面上の事。いつ、その仮面が破られるのかひやひやしながら生活している。

…ここまで読んでみると、なんだか他人事には思えない。
私もどちらかというと人見知りな方なので、沈黙が辛い。
ついつい変な事をしゃべってしまって失敗することも多々ありました。
そういう人間の距離って、確かに測りにくい。現在は幸いな事に、だいぶマシになってきましたが。
でも、それは人との関係の構築をうまくできるようになった訳じゃなく、
適当な距離感を置いて付き合うことができるようになってきたからなのであって…。
葉蔵の場合、その点がうまくできなかったのではないだろうかと思う。

葉蔵は内縁の妻を貰うが、彼女は全く自分にないものを持っていた。
酒を飲んだら結婚しないというのに、飲んでしまった自分に対し、
「ウソでしょう。飲むわけないわ。だから結婚しましょう」と無垢に信頼してくれる妻。
そう、「無垢に信頼」してくれるのだ。今まで人を欺いてばかりいた自分にとって、
それは全くの憧れだった。この人は自分を装って誰かを騙すなんて罪を犯さない人なのだ。

しかし、その妻がある日、他の男に犯されてしまう。
とても人を信じる女。信じるが故に、男に騙されて犯されてしまった。
葉蔵は衝撃を受ける。無垢に信じても、それが罪になることがあるのだ…。
憧れていたものがいっきに崩れ、汚い水に変わった。

責めることなんてできない。責めることのできる浮気は何と幸いだろう。
離縁をするか、夫が黙って我慢すれば解決できることじゃないか。
騙し続けた自分が悪いのだ。人は不幸を抗議できるが、自分にはその資格はない。
なぜなら、その原因を作ったのはすべて自分の欺きなのだから。

葉蔵は自殺を図るが失敗。
アルコール・モルヒネにはまり、その日その日のお金を春画のコピーで稼ぐだけ。
そう、ただ一切が過ぎていくだけなのだ。

「人間失格」

とても興味の持てる作家です。ここで紹介する必要もないほど有名なのでしょうが、そこはご容赦ください。
相手のためだからと、自分に嘘をついて振舞うのがいけないのでしょうか。
しかし、この世知辛い都会の中では、誰しも二面性を持ち合わせているのではないでしょうか。
人間が人間らしく生きたら、廃人になってしまった。
そう訴えるような、作者の声が聞こえてくるようです。

今更…と思われるかもしれませんが、ぼちぼち日本文学にも興味がわいて来たところです。
特に今回は強烈な印象でした。もっと沢山読まないといけないなあ…と再確認です。


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