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点子ちゃんとアントン

2009年12月26日 00:54

エーリヒ・ケストナー』著 池田香代子 訳 岩波少年文庫 204ページ

ケストナー三連発。
電車の中で読むと、児童文学の表紙丸出しなので、ちょっと恥ずかしい。
「エーミールと探偵たち」「エーミールと三人のふたご」の二作の間に書かれたもの。

<あらすじ>
お金持ちで、想像力が豊かすぎる元気な女の子、点子ちゃん。
(本名はルイーゼ。生まれて一年、全然大きくならなかったので、点子ちゃんというあだ名がついた)
お父さんはステッキ会社の社長で、お母さんは自由気ままに贅沢暮らしをしている。

点子ちゃんには、アントンという男の子の友達がいた。
アントンのお母さんは病気でベッドから出る事が出来ない。
アントンは料理や家事をして、夜中にこっそりお金も稼いでいる。

夜中にどうやってお金を稼ぐかと言うと、靴ひもを街頭で売る仕事だ。
点子ちゃんも、夜中に養育係のアンダハトさんと街中へ出かけて、
アンダハトさんの彼氏にあげるため、マッチ売りの少女のお芝居をしてお金を稼いでいる。

ところが、点子ちゃんが物乞いでお金を稼いでいるところをお父さんに見つかってしまう。
同時に、アンダハトさんの彼氏が、点子ちゃんの家に強盗に押し入ろうとしている事実も
発覚して、最後には善良な人が救われて、悪い人はそれなりの罰を受ける結末に終わる。
--------------------------------------------------------------------------------------
点子ちゃんのおちゃめぶりが、キュート。
ケストナーはどうしてこうも、キャラ作りが上手なんでしょうね。
壁に向かって、マッチ売りの少女の練習をする女の子…という設定は面白い。

この物語は、16の章からなっていますが、それぞれの終わりに「立ち止まって考えたこと」という、
ケストナーの人物や人生に対する考察が、子供に語りかけるように書かれてあり、それが特に面白い。
「義務について」、「誇りについて」、「空想について」、「勇気について」…という具合。
ケストナーがナチスに圧力をかけられていた…というのは前に少し触れましたが、
平和に何が必要なのか、ケストナーはやんわりとこの「立ち止まって考えたこと」で伝えています。

この物語は、結局は悪人が裁かれて、善人は幸せになるという結末を迎えますが、
彼の時代では、現実は必ずしもそうではない。将来、公正な世界が実現するために、
「みんなは、ぼくたちおとなのほとんどよりも、きちんとした人になってほしい。
 正直な人になってほしい。わけへだてのない人になってほしい。かしこい人になってほしい」
と、最後の考察、「ハッピーエンドについて」で述べています。

こんな明るい話が、ナチス政権下で描かれていたのかと思うと、すごいなあと思う。
エーミールのシリーズにしてもそうだし、彼の描く作品には、「正しい子供」が、
将来を担ってほしいという気持ちが込められているのだなあと感じます。

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エーミールと三人のふたご

2009年12月24日 00:34

エーリヒ・ケストナー』著 池田香代子 訳 岩波少年文庫 297ページ

「エーミールと探偵たち」の続編。エーミールの物語は、この第二作目で完結です。
前作とは、少し印象も変わって、ちょっと大人の要素も盛り込まれていました。

<あらすじ>
前回の事件から、2年後の物語。
あの後、彼らの活躍は有名になり、映画として上映されることにもなった。

一作目ではほんのわき役だったイェシュケ巡査は、警部になっていて、
エーミールのお母さんと結婚したいと申し出ていた。
(エーミールのお父さんは、彼が小さい頃に亡くなっていた)
複雑な気持ちに揺れていたある日、かつての探偵仲間の教授から手紙が届く。

そこには、教授の大叔母さんが亡くなって、彼が海辺の屋敷を相続した事、
夏休みにみんなでまた、集まって泊まりに来ないかという事が書かれていた。
かくて仲間は再開し、たのしい休みを過ごすことになった。

ところが、そこでまた、ある事件が持ち上がり…。
------------------------------------------------------------------------------------
個人的には、前作の方が好きでした。
お金が盗まれて、仲間が集って、捕まえて…というストレートな進行が、
二作目になってから、大人たちのコペンハーゲンの旅が語られたり、
再婚騒動が持ち上がったり…と、少々騒がしい感じがしました。

主人公たちは、相変わらず良いキャラだしてますし、
大人たちの素敵な包容力は、作品に魅力を与えているのですが、
今回は大人に捨てられて置いてきぼりになる少年とか、
(結局、置いて行った方はそのまま逃げてしまう)
再婚する母親の幸せを考えて、自分悲しみを我慢するエーミールとか、
「人生ってつらいもんだなあ」というセリフが、しみじみと語られるあたり、
「少年たちの大冒険」!といった、前作とは違っています。

2年たって、少し大人になった少年たちを書きたかったのかな。
母親の再婚に悩むエーミールに、教授がこっそり相談に乗るシーンなんか、いいなと思います。
「おれたち、ずっと友達でいような、長い髭のじいさんになっても」
これはグスタフのセリフですが、この後の続編が無いのは非常に残念。

岩波のケストナー全集は、高橋健二氏の翻訳ですが、
高橋訳は「~です」「~ます」で、
池田女史の方は「~した」「~なのだ」という訳。
どちらがいいかは分かりませんが、また読み比べをしてみようと思います。


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エーミールと探偵たち

2009年12月22日 00:35

エーリヒ・ケストナー』著 池田香代子 訳 岩波少年文庫 230ページ

小学4~5年生向けの文庫です。高橋健二氏の訳では、
岩波からケストナー全集として全8巻+別巻で出版されてます。
作品自体が児童向けに書かれていますが、大人でも充分楽しめます。

<あらすじ>
おばあちゃんを訪ねて、一人ベルリンへ出かけたエーミール。
しかし列車の中で、お母さんから預かった大切な140マルクのお金を、
グルントアイス氏という人に盗まれてしまう。
エーミールは泥棒を捕まえてお金を返してもらうため、
一文無しで、知っている人も誰もいないベルリンに飛び出します。

まず彼を助けてくれたのは、いつも車のクラクションを持ち歩いているグスタフ。
事情を聞いた彼は、クラクションを鳴らして少年たちを集めてきます。
少年探偵たちは、電話センター班、待機班、追跡班と役割分担を決め、
それぞれの持ち場について、泥棒を見張り続けます。

はたして、エーミールが取られたお金は、無事に帰ってくるのでしょうか。
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妙に背伸びした子供たちが本当にかわいい。
「だって、僕のものは僕のものだもん。他の誰かのポケットに入ってたってさ」
「道徳的には、お前が正しいよ。だけど、裁判所はお前を有罪にする。
 ここんとこ、大人だって分かってないやつはいっぱいいる。だけどそういうことなんだよ」
こういう、ちゃんと正攻法で取り返さなければならないと知っているところが、純粋だなあ。

深読みする必要がないので、やっぱり児童文学だな~とは思うのですが、
ファンタジーとか○○姫…ではなく、普通の日常生活が舞台で、
ここまでイイ作品が書けるのは、何が他と違うんだろう?と思う。
一つはキャラクターが極めて引き立っている事かな。
子供が、子供の域をでないで、登場人物たちのバランスが取れている。
頭のいい司令塔の教授、「てやんでい」が口癖の大胆なグスタフ…。
ズッコケ三人組のバランスの取れ具合と行ったらいいだろうか。あんな感じ。

もう一つは話のまとまり方。起承転結のつけ方が非常にうまい。
セオリー通りですが、子供のころのわくわく感が持続してライトに終わります。
ケストナー自身も作品中に出てきたり、物語構成を考案する模様を描いた序文など、
小気味いいポイントをいくつか入れてくれています。子供も飽きずに読み終わりそう。

作品の中では、理容師をしている母親が登場しますが、ケストナーの母親も理容師。
彼はマザコンであったらしいですが、この作品中にも母親への愛が溢れています。
ナチ政権下で圧迫を受けるも、亡命せずに活動を続けたことなど、興味深い作家です。
彼の生涯については、ケストナー(ナチスに抵抗し続けた作家)が参考として面白そうですね~。
とりあえず全集に収録されている話を全部を読んでみて、気になるようなら買ってみようかしら。
この作品の続編「エーミールと三人のふたご」は、次回紹介します。


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人魚の姫 童話集Ⅰ

2009年12月20日 23:22

アンデルセン』著 矢崎源九郎 訳 新潮文庫 259ページ

寒過ぎて、パソコンデスクの前に座るのが億劫だわぁ…。
本は読んでるんですが…更新頻度が遅くてすいません。

12月はクリスマスも迎えるという事で、優しくなれる本が読みたくなりますね。
…と言っても、アンデルセンの童話は悲しい結末の方が多いですが…。

いわずと知れた人魚姫。子供向けの本で誰でも読んでいる作品ですが、
実際今読んでみても、ちょっと涙ぐんでしまうほど悲しい話です。
あらすじは、いまさら紹介する必要もないですね。
私が読んだ新潮のは、最後に泡になって終わるのではなくて、
人間の魂を手に入れるために、空気の精として生まれ変わるという結末でした。

この本には、全部で16話が収録されています。
・すずの兵隊さん    ・ナイチンゲール
・のろまのハンス    ・イーダちゃんのお花
・モミの木         ・雪だるま
・アヒルの庭で      ・人形つかい
・幸福な一家       ・ペンとインキつぼ
・ほんとにそのとおり!  ・いいなずけ
・わるい王さま(伝説)  ・眠りの精
・アンエ・リスペット   ・人魚の姫

タイトルから分かりますが、人間が主人公でないもののほうが多いです。
ツリーや雪だるまなど、季節もので、人に忘れられてゆくものなど、
それらの視点から見れば、悲しい定めな事に気が付きます。

アンデルセンは、そういった悲しい物語を、ラストに救うことなく、
「そういうものなのです」と半ば諦めのような結末で描く。
読み終えた後に、幸せになった物語はほとんどなかったので、なんでかなぁと思ったのですが、
もともと貧しい家の生まれで、失恋も何度か経験していた…という作者の生い立ちを読んだときに、
なるほどなぁ~と思いました。アンデルセンが信心深い印象を受けるのも、
「死んで天国に行く」、「現世はつらい事ばかり」という所へ行き着く前提なのか。

ユーモアに関しては、小説ならではの醍醐味でした。
本文一ページ目の「すずの兵隊さん」の書き出しから印象的。

「あるところに、二十五人のすずの兵隊さんがいました。
 この兵隊さんたちは、みんな兄弟でした。
 なぜって、みんなは、一本の古いすずのさじをとかして作られていましたから」

児童書では省かれてしまうような比喩や揶揄が、盛りだくさんで楽しめました。


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赤毛のアンの世界 作者モンゴメリの生きた日々

2009年12月17日 00:52

『M・ギレン』著 中村妙子 訳 新潮文庫 205ページ

あと半月で、今年も終わるだとぉ…。
若い頃は一日が短くて一年が長い、年をとると一日が長くて一年が早い…。はぁ。

気を取り直して、モンゴメリ
「赤毛のアン」作者の一生と、彼女を取り巻いた社会、
そして風景などを写真を多数掲載して紹介する本。
材料は作者の日記や手紙をもとにしたものが多く紹介されています。

あんな作品を描く人だから、幸せいっぱいの人だと思っていたんですが、
母親の病死、父親の再婚、継母との不調和と、小さい頃から苦労ををしていたようです。

結婚後も、夫と心の底から分かりあえるという事は無かったようで、
夫が牧師なのに対して、モンゴメリ自身はキリスト教に独自の解釈を持っていました。
宗教は信じるが、基本はドライ。しかし、世間体もあるので、
それら素直な気持ちはペンフレンドにしか明かしていません。

ここらへんのモンゴメリの価値観と言うのは、非常に独立しています。
「私が自分をクリスチャンと呼ぶのは、キリストの教えを信じ、
 それに従って生きようと、自分なりの努力をしているからです」
アンも作品の中で、純粋に宗教に疑問を持ったりする場面がありますが、
そこらへん、作者に似ているのかな?と思ったりもしていました。
が、意外な事にモンゴメリ自身は「アンシリーズ」には、二冊目から飽き飽きしていたらしいです。

「赤毛のアン」が成功し、出版社から続編を求められていた作者は、
その後に「アンの青春」「アンの愛情」…と言われるままに作品を書く。
しかし、「どうして読者は、嫌気がささないのか不思議だわ」という発言をするくらい、
作者自身はアンにうんざりしていたようで、「あのにくらしいアン」とまで言っています。
アンのずばぬけた想像力や、自然を愛する姿なんて言うのは、
この本を読む限り、モンゴメリ自身とかなり類似しているので、
自分をモデルに描いた作品…というのは誰でも感じるところだと思うのですが。
印象が違うミュージカルの出来栄えや、この作品で有名になった事で
引き起こされる苦労、読者の捉え方の違い…色々原因はあるのかもしれません。

そう考えると、モンゴメリは色々な「仮面」をつけなければ生きていけなかった人ですね。
「こんなの、私の作品じゃないわ」と感じながらも、人気作家としてアンを書き続け、
牧師の妻として、慣習に従った宗教を人に説き…。そして子育て…。
空想の世界と、現実世界のはざまを、行き来して過ごす苦労人という印象を受けます。

かなり沢山の写真は収められており、なかなか楽しめました。
モンゴメリ自身や、彼女を取り巻く人々、それら以外にも、
アンの舞台、グリーンゲイブルズの生活がビジュアルで体験できます。


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小公女

2009年12月10日 23:45

バーネット』著 川端康成野上彰 訳 角川文庫 294ページ

まず、訳者にびっくり。昭和33年の初版です。今は新潮のがメジャーでしょうか。
別に、TBSでドラマが始まったから読みたくなった訳じゃありません。
イジメ、恋愛…面白味を出しやすい素材を前面に押し出してる印象を受けるので、なんか違うなと(笑)。

<あらすじ>
公女のように裕福な家庭に育ったセーラ・クルー。
彼女の母親は小さい頃に無くなり、大尉の父親とインドで生活をしていた。
物語は、セーラがロンドンのミンチン女子学院に入学するところから始まる。

大金持ちの令嬢とあって、寄宿舎では特別待遇を受け、それを妬む人もいたが、
想像力豊かで面白く、誰にでも優しく接するセーラは学校中の人気者だった。

しかし、11歳の誕生日に突然、父親が死んだ事が告げられる。
父親のクルー大尉は、ダイヤモンド鉱山の事業に失敗し、全財産を無くして死んだのだ。
セーラの生活は一転、屋根裏部屋に住まいは移され、召使いとして働くことになる。

毎日がつらく、叱りつけられたり、あざけりを受けるセーラ。
しかし、彼女の想像力はつらい日々の生活に負けず、自分が小公女のつもりになったように、
激昂せず、罵られても丁寧に受け答え、優しさを忘れないようにふるまうのだった。

ある時、隣の家にインドから紳士が引っ越してくる。
この富豪はセーラの父親とダイヤモンド鉱山を共同経営した友人だった。
父親は死んだあと、鉱山は一転して成功し、セーラの財産は何倍にも増えていたのだ。
インドの紳士は、そんな事を露とも知らずに生活しているであろうセーラを捜し求めていた。
運命は二人を引き合わせた。セーラは父親の友人に引き取られ、再び幸せを手にしたのだった。
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書く事がないくらい、有名で、王道な話ですから、ちょっとイヤラシイ角度で感想を書いてみます。

この作品は使いやすい。子供向けにも、大人向けにもすることができる。

まずは「理想像」に仕上げる事ができるセーラ。
どんなに理不尽な怒られ方をしても、「公女はこうあるべき」という信念に基づいて、
常に凛々しく、腹を立てることをせず、怒っている相手ではなく、自分の憎悪との戦いをする。
そんな事が11歳まで、夢のような生活をしていた女の子にできるはずは無い。
子供の教訓小説としてなら、この「理想像」が一番わかりやすくていい。
しかし、世の大人が読むには「ホントに、こんな事が出来るかな?」と穿ってしまう。

この学校の経営者、ミンチン先生はセーラを学校の評判のために、おだてにおだてる。
実費で誕生日のパーティーやプレゼントを用意し(父親の破産で、その立て替えたお金は返ってこないが)、
父兄たちの前ではセーラにフランス語を朗読させたり、行進のときには一番前に立たせたり。
このミンチン先生の姿は、経営者として「あたりまえ」で、当然の行動。
ミンチン先生は作品の中では「悪者」の役柄だけれど、これが現実世界では「普通」。
むしろセーラの人間離れした、年齢にふさわしからぬ振る舞いに違和感を覚える。

そこを埋めてくれるのが「人間味」のあるセーラ。
人形を投げつけて、「お前なんかただの人形だ!」と八つ当たりをしてみたり、
意地悪をいうクラスメイトを、思わず殴ってみたくなったり、
こういうシーンが入ることで、セーラがぐっと身近になる。
父親が死んだと知る直前に、クラスメイトと交わした会話が、印象的。

「あんたがこじきで、屋根うらに住んでいるとして、それでも空想をしたり、何かになったつもりになれて?」
「もしこじきなら、なおさら、いつも何かを空想したり、何かになったつもりでいなきゃ、ならないわ。
 でも、そんなにやさしいことじゃ、ないでしょうけど」

世界名作劇場」の「小公女セーラ」なんかは、前者の「理想像」部類に入り、
原作は後者として読むことができるが、詰まる所どちらがいいのかと言えば、もちろん後者。
完璧は違和感を覚える。反対に、不完全さゆえに読者は共感を持つ事が出来る。

私に、この考えがふっと浮かんだのは、作者バーネットの
「一生涯わたしの作品が、売れなかったためしはない」という晩年の言葉による。
およそ小公女を書いた作者が言ったセリフとは思えない印象を受け、
人は分からんものだなあ…と、作者のミンチン先生的な一面を見たかなと感じたもので。


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ドイル傑作集3 恐怖編

2009年12月07日 21:51

コナン・ドイル』著 延原謙 訳 新潮文庫 175ページ

ドイルが晩年にまとめたというテーマ別作品集も、これで最終巻。
「ミステリー編」「海洋奇談編」で、正直パッとしない作品も多々あったのですが、
「恐怖編」で持ち直したか。本来のドイルらしい良作が拝めたので嬉しい。

収録は以下の6作品。
・大空の恐怖     ・革の漏斗
・新しい地下墓地  ・サノクス令夫人
・青の洞窟の怪   ・ブラジル猫

「恐怖」と一言に言っても、どういうタイプのものが登場するかと言えば、
一つは「怪物」のような非現実的なもの。もう一つは「人」の怖さ。
前者は「大空の恐怖」「青の洞窟の怪」で、他の作品が後者に分類しても
いいのではないかと思われます(かなり無理やりですが)。

ドイルの時代なら、「怪物」が出てくる小説は他にいくらでもあっただろうし、
それらの土台がある事を考えれば、「怪物」のストーリーに典型すぎるところがあると思う。
「大空の恐怖」に関しても、ハードボイルドヘミングウェイ的)な領域まで及ぶわけでもなく、
「結局何だったんだろう、この話は?」となってしまう。

注目したいのは、「人」の恐怖。
「新しい地下墓地」、「サノクス令夫人」などは、オチが読めるものの、
いわゆる「期待通り」に話が進んでも飽きさせない内容で見事。

特に「サノクス令夫人」に関しては、100ポンドのお金に浅ましく惹きつけられ、
思いもよらない手術をしてしまう医者の、ちょっとした心境など巧みに捉えています。

さらに注目したいのは、舞台設定。
古代ローマの地下墓地、考古学的資料が散乱したような部屋…など、
ゴシック趣味が話にとてもマッチしていて、作品としての雰囲気が良い。
「ミステリー編」「海洋奇談編」と、中途半端なイメージしか描けないような、
作品もありましたが、ここにきてやっと本家がお目見えした感じですね。
さくさく読んで、印象にも残る傑作が揃っていると思います。


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世界の支配者

2009年11月30日 23:55

ジュール・ヴェルヌ』著 榊原晃三 訳 集英社文庫 267ページ

集英社のジュール・ヴェルヌ・コレクションの最後の翻訳。
ヴェルヌが亡くなった年の、前年に書かれた作品。
ひっぱった挙句に、アッサリ終わる感じで、拍子抜け感はあるけれど、奥が深い。

<あらすじ>
アメリカ、グレート・エアリー山で、謎の事件が起こる。
火山性ではない地面の揺れが起こり、山の頂に噴火のような火を見たという証言が起こった。
また、周辺の村人たちの中には、「鳥が羽ばたくような音」を聞いたという者もいた。

警察官のストロック警部は、グレート・エアリー山の調査に乗り出す。
その山の内輪を調査し、現象の原因が火山なのか、それともまた別の理由なのかを調べるためだ。
しかし、山は岩壁がそそり立ち、結局はその内輪を見る事は叶わなかった。

その後、あいついで奇妙な事件が次々と引き起こされる。
ミルウォーキーでの自動車レースでは、300キロの速度で競争車を追い抜く、謎の自動車が現れた。
海上では、どんな船も出す事ができないスピードの高速船が現れた。
また、山に囲まれた湖の底では何かが水の底で振動し、水面を波打たせていた。

アメリカ政府は、それらの現象を、一つの乗り物だと断定した。
すなわち、高速の自動車であり、船であり、潜水艦であると結論付けたのだ。
それはなんという科学力、原動力だろうか!各国政府は乗り物を高額で買い取るため、
その未だ謎の人物に、正式に声明を発した。その乗り物の原理を知る事が出来れば、
どれほど軍事力の強化につながるだろうか。競り値は上がる一方だった。
しかし、謎の人物は傲慢な態度で、その申し出を断る手紙をアメリカ政府に送りつけた。

「わが輩の乗物を獲得するために提示された価格を絶対的かつ決定的に拒否する。
 新旧両大陸は知るべきである。わが輩には絶対に対抗できぬ事を -世界の支配者-」

この返答に、彼は「悪」とみなされた。逮捕状が出され、指名手配となった。
ストロック警部はこの事件にあたった。そして、乗物が接岸したと報告が入った湖へでかけていく。
しかし、乗物に乗っていた乗組員と撃ち合いになり、警部は乗物に連れ去られてしまう。
彼がその中で出会った人物…それこそ、かつて飛行船「あほうどり号」で時の人となった、征服者ロビュールだった。
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「征服者ロビュール」に引き続いた続編。また、拉致されてます。ヴェルヌは誘拐が好きだね。
1作目の「あほうどり号」から、さらに進化し、「エプヴァント号」という乗物になっています。
陸、水上、海底、空と4つのモードで対応可能で、まさに夢の機械。
ヴェルヌはこれまで色々な発明品を登場させていますが、これは最上、最強クラスです。
動力は、やはり電気。その仕組みは、空気中の微量な電気を動力にしているのだとか。
ちなみに、ノーチラス号もその原理で動いているらしいです。初めて知りました。

今回感じたのは、ヴェルヌの科学に対する考え方の変化。
元来、科学の発展に期待を持てるような小説を書いていたヴェルヌですが、
晩年になるにつれ、その科学を「悪用」する人物が増えていきます。

本作では、ロビュールは「エプヴァント号」を「悪用」はませんが、世論には「悪」とみなされます。
各国は軍事力のために(科学を戦争に使うために)、乗物を手に入れようと競り合いますが、
ひとたび、「エプヴァント号」が手に入らないと分かれば、手のひらを返して指名手配をかけるのです。
当時の戦争を見て、「科学は悪用されるものだ」とヴェルヌは痛感していたのでしょう。
1作目「征服者ロビュール」の中の、「諸君はまだおのれの利害しか考えない。国と国とが手を結ぶには、
まだ機は熟していないらしい」というセリフは白眉。二作目にして活きてきます。
この人間の愚かさをさりげなく描いているヴェルヌはさすが。晩年の心境も如実に表れています。

そして、もう一点はロビュールを見たときの、自然に対する科学の限界。
ロビュールは1作目では、若年気質のいやみっぷりを見せるような人物でしたが、
今回は打って変わって、セリフもほとんど無く、狂人チックなキャラクターへ変貌しています。
彼は、科学に対する傲慢な自信を持ち続け、最終的に嵐に挑んで乗物もろとも墜落して死んでしまう。
今でもクローンなどの科学のタブー分野は一つの論点になるけれど、
すでにヴェルヌもこの科学が侵してはいけない自然の境界線を感じていたのだろうと思う。
そして、ヴェルヌの答えはロビュールの死という形で明確に出ています。

作品の中で、ストロック警部がロビュールに、自分をどこへ連れて行く気だ?と
問いかけるシーンがありますが、その時、ロビュールは無言で空を指差します。
嵐に飛びこんでいくときに、ストロック警部は「法の名のもとに…!」と彼を止めようとしますが、
上を目指しすぎた科学(者)を、「これ以上いくな!」と引きとめようとする姿にも見えます。

テーマが重い内容なだけに、やはり人間描写の苦手なところが目立ちました。
晩年になって、読みやすさもさすが円熟してきた風がありますが、
その円熟と共に、人間味の部分も合わせて描きだして欲しいのが残念なところ。
ロビュールが狂人になってしまったのも、描きやすい「狂人」というキャラで終わらせてほしくなかった。


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征服者ロビュール

2009年11月29日 02:14

ジュール・ヴェルヌ』著 手塚 伸一 訳 集英社文庫 265ページ

海、地底とくれば、「空」をテーマにしないわけにはいかないでしょう。
おそらく、読んだら誰もが「海底二万里の空ヴァージョン」だと感じると思います。
登場人物が拉致されて、世界中を引き回されるというパターンも酷似してます。
発表順から行けば、「地底旅行」、「海底二万里」、そして本作となります。

<あらすじ>
世界各地で、空からトランペットの音色が聞こえてくるという事件が起きた。
各国天文台は、その正体を突き止めようとするが徒労に終わった。
また、これまた各国の尖塔に旗がくくりつけられるという珍事件が起こる。
誰もこの真相を突き止めることはできず、推測が飛び交うだけだった。

ある日、アメリカのフィラデルフィアで、気球主義者たちの集会が開かれていた。
彼らは、気球につけるプロペラを、前につけるか、後ろにつけるかで言い争いをしていた。
そこへロビュールと名乗る男が会場の中に、さっそうと現れた。
彼は熱狂的な気球狂たちを前にして、「私は空気より重いもので空を支配した」と宣言する。

彼は今にもリンチに合いそうな状況だった。非難され、怒号を浴びせられた。
その事件があった夜、さらに大きな事件が起こる。
会場から帰宅している途中に、気球主義者の代表格である、
プルーデントとエヴァンズ、そして召使いの一人が突然誘拐される。

彼らが連れていかれた先は、空の上だった。
すなわち、空の征服者ロビュールの飛行船、「あほうどり号」の客人となっていた。
そしてフィラデルフィアを飛び立った「あほうどり号」は、大空の世界一周旅行へ出かけるのだった。
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「飛行」は人類が昔から夢見てきた事ですから、古代から神話や物語でも多く語られてますが、
ファンタジーや、超自然的な力ではなく、現実に人間自らの力で飛ぶ可能性が
広がったのがちょうどヴェルヌの生きた時代。気球はとっくに成功していたし、
ライト兄弟ライトフライヤー号で初飛行に成功したのは、ヴェルヌの死ぬ2年前。

ポーや、シラノ・ド・ベルジュラックも飛行機械の登場する小説を書いてますが、
ヴェルヌが先人に影響されて、さらに進化した飛行機械「あほうどり号」で物語を作ったのは、
空想科学小説の父としては、当然の成り行きだったのでしょう。

さて、今回の注目ポイントはもちろん、この飛行機械「あほうどり号」。
ヴェルヌを沢山読んだ人なら、この「あほうどり号」のエネルギーが何によって動いているか、
早い段階で分かってしまうと思います。もちろん、そう、電気です。
船体は紙でできており、現代でいえばパルプにみたいなものでしょうか。
独立した推進プロペラと、上昇プロペラで走行はコントロールされ、時速200キロまで出力可能。
何十日も燃料補給なしで飛び続ける飛行船…という設定だから、現代の飛行機械で、
「あほうどり号」に匹敵するものは無い。現実的に電池でこれを作るのは無理な話だけれど。

ロビュールは、気球主義者の二人に「空気より重いもの」の方が、空を駆ける事に適していると、
認めさせるために拉致するわけですが、作品の中で気球をこれでもかと、こき下ろしています。
「気球に乗って五週間」という作品があるように、気球自体は決して嫌いな訳ではないと思うのですが、
その操作方法や、風の抵抗力などに、すでに限界を見ていたのだろうと思います。
そして、いつかは機械が飛ぶだろうと確信していたに違いないヴェルヌ。
事実、現代では飛行機が世界中を飛び回り、ロケットは月まで人類を運んでいます。
手塚治虫さんがエスカレーターが無い時代に、それらを描いていた…というエピソードが思い出されますね。

面白い事には面白いのですが、「海底二万里」に比べて、単調になりがちなのは致し方ない。
サイクロンや、火山噴火、雷などの予想できる範囲の現象が描かれるので、
人類がまだ完全に知る事が出来ない海底に比べると、小説の材料が少ないのだろうと思う。

また、ロビュールがどうして空を飛ぶのか、拉致した二人を最後にはどうしたいのかなど、
結局「よく分からない」で終わってしまう。続編の「世界の支配者」でもロビュールという人物は謎のまま。
ネモ船長は、世捨て人になった理由などの設定や、人間像も描かれているが、今回それがない。
このままでは、気球主義者を拉致したのも、「気球より飛行機の方がいいのだ」ということを、
無理やり分からせるために、いつまでも船から降ろさない強情っぱリな印象だけが残ってしまう。

ロビュールは最後に、「科学といえど、人間の理解を越えて先に進んではいけないらしい」と
皮肉を言って去っていきますが、読者からすれば結局、お前こそ何だったんだ、となる。
「彼は未来の科学者である」とヴェルヌは最後に答えとして書いているけれど、
それ以上の人間像を設定していなかったとすれば、単に飛行機と旅行の話で終わってしまう。
舞台設定ができている作品だけに、そこがしっかりしていれば「海底二万里」クラスの小説に
昇格できていたと思われるのが残念。「海底二万里の空版」と二番煎じに評価されてもしょうがない。

全体的には、先日紹介した「銃撃事件」の前に書かれた作品で、さっぱりした明るさもあって、
私個人の意見では、ヴェルヌらしいな~と思えるので好きな部類に入りました。
山脈の説明がえんえんと続くところも多く、趣味が分かれる作品かもしれません。
話は飛びますが、ヴェルヌのアメリカ揶揄は今回も炸裂しちゃってます。ありゃ~。
ヴェルヌの作品を読んで、アメリカの人は怒ったりしないのか心配です。


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カルパチアの城

2009年11月27日 00:42

ジュール・ヴェルヌ』著 安東 次男 訳 集英社文庫 255ページ

先日紹介した、「甥に打たれた銃撃事件」の後に書かれた作品。
この事件があった1886年を挟んで前後に作品を分けたときに、前半に「海底二万里」や、
「地底旅行」「気球に乗って五週間」などの壮大な冒険作品が揃っているのに対して、
後半は「地軸変更計画」、「世界の支配者」など暗い(というか、穿った姿勢の)作品が多い。
事件があった後は、「もうアミアンからでない」と妹へ手紙を書いたヴェルヌ。
旅行好きだったにも関わらず、自家用ヨットも売り払って、内にこもる生活へシフトしている。
今回も、その後半の作品の一つに数えられるもの。

<あらすじ>
トランシルヴァニア地方に、打ち捨てられたカルパチアの城。
極端に迷信を信じる封鎖的なこの土地では、何年もこの城には幽霊が住んでいると信じられ、
人々を寄せ付けていなかった。しかし、ある日、羊飼いのフリックは城から煙が上がっているのを発見する。

この城の探索に名乗り出たのは、若き林務官のニックだった。
彼が、村の代表たちを前にして出立を宣言したとき、部屋には不気味な忠告がどこからともなく響き渡る。
「城ニハ行クナ…サモナクバ、オマエニハ、不幸ガフリカカルダロウ!」
かくして城にたどり着いたニックに、本当に不幸が訪れる。
彼は人間には理解できない奇怪な現象によって、意識不明の痛手を負った。

折にこの地方を訪れていたテレク伯爵は、この事件を村人から聞き出す。
その際、カルパチアの城の持ち主が、ロドルフ・ド・ゴルツ男爵だったという事を知る。
テレク伯爵は、その名前に驚愕する。なぜなら、その昔、伯爵はイタリアのナポリで、
ラ・スティラという歌姫をめぐって、ゴルツ男爵とは因縁の関係にあったからだ。

テレク伯爵は、ナポリに滞在していた当時、ラ・スティラとの結婚を控えていた。
彼女の舞台へは気味が悪いほど毎日顔を出していた、男がいた。
それはまさしく、カルパチアの城の末裔である、ゴルツ男爵だった。
引退を前にした最後の舞台で、終幕のセリフを言い終わったラ・スティラは、突如吐血して死んでしまう。
数日後、ゴルツ男爵から、テレク伯爵に届けられた手紙には、「彼女を殺したのはお前だ」と書かれていた…。

真相を確かめに城へ潜入したテレク伯爵は、そこで死んだはずのラ・スティラの歌声を聴くのだった。
-----------------------------------------------------------------------------
楽天的な雰囲気は前期に比べて無いものの、講義的なところが抜けて読みやすくなった後期の典型。
城に入る頃には、本の4分の3くらいは終わっているので、最後があれれーというアッサリな感じでした。

トランシルヴァニア地方の迷信深さは、本当なんでしょうか。物理学で証明できない事は無いという
スタンスのヴェルヌには、こういう迷信深い村人たちを登場させてるのは、皮肉にしか見えません。
最後の段階で、科学によってすべてのネタは明らかにされるのですが、結末と差をつけるためか、
作品中に、「こういう迷信深い人たちは、いくら説得してもしょうがない」というくだりも多く見られます。

そういう意味では、「ほーらね、摩訶不思議な事はいくらでも科学で作り出せるのさ」という、
ちょっと嫌味な印象を受けますが、それもそのはず、本書の最初にヴェルヌ自身明言しています。

「わたしたちはいまや、なに一つ、不可能なことはない、なに一つ不可能はなくなった、
 といってまずさしつかえない時代にいる。たとえわたしたちの物語が、
 今日はまだありそうでなくとも、明日になれば、未来の財産たるさまざまな科学的手段によって、
 ありうるものにかわるかもしれない。(中略)もはやこれ以上伝説がつくりだされる気づかいはない」

ルーマニアの古城…といって思いつくのは、「ドラキュラ」ですね。
作品の第一印象は似てますが、ストーカーの書いたこの作品の3年前に、すでに本書は書かれていました。
解説で矢野浩三郎氏が述べているが、同じ題材でもストーカーの書いたドラキュラとは反対に、
ヴェルヌは迷信の闇に科学の光を当てようとする姿勢を崩さない…という意見は的を得ています。

よくヴェルヌはSFの始祖と評価されているのを見かけるけれど、私はちょっと違うかなと感じてます。
上記の文章にしてもそうだけれど、あくまでも「科学的可能性」の範囲からヴェルヌは飛躍しない。
つまり、科学で証明できないような、異次元ワープや、タイムマシンなどは登場しない。
(ここらへん、ウェルズと対比している論文を読んだら面白いのだろうなあ)

電気があれば、なんでもできる!と言っていたヴェルヌは、これからの科学の発展を見据えて、
空想を膨らませて小説にしていた。科学の可能性を信じて、実現を確信していた。
人類がいつか月に行くだろうということを、「月世界へ行く」で。
潜水艦で海底を冒険するだろうということを、「海底二万里」で。
SF小説と、空想科学小説は、同義ではない。あくまでもヴェルヌは「空想科学小説の父」だという事です。

話が飛び過ぎてしまいましたが、今回も近代的発明品として映写機が出てきたりしています。
物語構成をもった映画が1902年に作られたことを考えたら、この先見の明はすごい。
晩年になって、悪者が科学を用いるという作品が増えて、傾向は変わったのものの、
発想の原点は、やはりヴェルヌらしいと思わせる作品でした。


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必死の逃亡者

2009年11月24日 23:31

ジュール・ヴェルヌ』著 石川 湧 訳 創元推理文庫 281ページ

お次の舞台は中国。ヴェルヌ自身は旅行も頻繁にした人ですが、
中国に行ったことは無く、地名間違いなども見られる作品。
(と言っても、読んでる分には何が間違いなのか分かりませんが…)

当時の先進国がこぞって中国へ進出している時代のこと、
まだ未知の世界だった中国は大衆の関心を引いたでしょうね。
「八十日間世界一周」にしてもそうだし、ヴェルヌの小説が成り立つ理由は、
「中途半端にしか世界が知られていない」というのがポイントになるのだと思います。

<あらすじ>
大金持ちの金馥(キンフー)は、何不自由しない生活を前に、人生に退屈を覚えていた。
婚礼を前に控えたある日、その全財産の大部分を占めるカリフォルニア中央銀行の株が
大暴落したという一報を受ける。しかし、彼は動揺しなかった。

まずは許嫁に、この哀れな男を忘れてくれるように手紙を出した。
彼は、裕福こそが許嫁を幸せにできるのだと信じて疑っていなかった。
そして、保険会社へ赴き、彼の自殺をも保障する(すごいな!)多額の保険に入る。
しかし、意外な結末は、今度は彼を死から逃げ出させることを余儀なくさせる。

やがて、金馥は苦労を知り、生きる事に幸福を見出す男へと変わっていく。
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人生に無頓着だった主人公が、苦労を通して幸福を知る…という筋立ては、
教訓小説として素直に面白いですし、スタンダードだったと思います。
ただ、人生に飽きて…という設定は、およそ中国人気質に合わない気がしますが…。
そして、「必死の…」というほど必死でもなかったですね~。サメと戦うところくらいでしょうか。
「チャンセラー号の筏」を読んだ後では、どうも悲壮さのレベルが違うので比べちゃいますね(笑)。

サブキャラクターの保険会社社員二人(アメリカ人。最後の別れの淡白さはまさにアメリカ的)、
召使いの孫(スン)を連れての4人旅。人間ドラマが苦手なヴェルヌらしく、今回も淡々としてます。
これはヴェルヌの良いところでもありますが、悪く言えば「単純」な傾向。
子供向けに編集されやすいという理由もそこにあるのかもしれないですね。
わずかに「アドリア海の復讐」や「チャンセラー号の筏」で、人間ドラマが描がかれるくらいでしょうか。

巻末の解説を書いてる石川布美さんは、翻訳をされてる石川湧さんの娘さん。
解説の内容はともかく、ヴェルヌの生涯について、簡潔にまとまってあったので、
ヴェルヌの少年時代から、晩年の変化についてざっと知りたい方にはお薦め。


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地軸変更計画

2009年11月19日 00:38

ジュール・ヴェルヌ』著 榊原 晃三 訳 創元SF文庫 242ページ

タイトルがまずインパクトありますよね。原題は「上もなく下もなく」。
とにかく無茶苦茶な計画と、呆れた登場人物たち、皮肉な結末。
夢とロマンの作家ヴェルヌらしくないと、発表当時から言われていた作品。
女性からバッシングうけそうな、「科学は男の世界だ!」的な態度も相変わらずです。

<あらすじ>
189×年、アメリカ政府は北緯84度より北の土地を(それを土地と呼べるのなら)競売に掛ける。
未だ北極が未知の世界だった時代。多数の冒険者の限界が北緯84度だった。
アメリカ政府は、「北極実用化委員会」という謎の集団を代理に立てる。
この奇妙奇天烈な競売に参加したのは、6カ国。特にすべての領土は自分たちのものだと
言わんばかりのイギリスが、アメリカに対して対抗意識を燃やしていた。

北極実用化委員会は、何を目的に北極を買おうと言うのか。
かつて陸であったと推測される北極には、今後人類がもっとも必要とする資源、
石炭の鉱床があるはずだ。彼らは、それを掘り起こすのが目的なのだ!
一平方マイル10セントから競りはスタートし、彼らは希望通り、イギリスを排して落札するのだった。

北極実用化委員会というのは、かつて月への宇宙旅行をなしとげた「大砲クラブ」の仮の姿であった。
会長バービケインをはじめ、ニコル大尉、そして書記のJ・T・マストンたちが主なメンバーだ。
落札に負けた各国は、挑発的に問いかけた。「どうやって人類未踏の土地へ行き、厚い氷を掘るのか!」
それに対し、バービケインはこう答えた。「地球の新しい支点を見つけ、地軸を立て直すのだ!」と。

「そう!木星にいるように」
軌道に対してほぼ垂直な自転軸を持つ木星のように。北極に行けないなら、北極に来てもらおうではないか!
地軸の傾きがなくなることで、季節の変化は無くなり、北極にも太陽が降り注ぐであろう!

当初、アメリカ世論はこの計画に歓喜の声を持って答えた。
しかし、計画の準備が秘密裏に進められるにあたって、人々の不安は募りだす。
地軸の大幅な変更に伴い、標高の変化による窒息死、水没による溺死という問題が出てきた。
世界は恐慌に襲われ、連邦政府は大砲クラブに調査委員会を差し向ける。
これらの計画すべての計算した天才数学者、マストンは逮捕され、手帳も押収される。
そこには、地軸を変更させる方法が、緻密な計算式とともに書かれていた!
-----------------------------------------------------------------------------
「大砲クラブ」のメンバーといえば、「月世界旅行」と「月世界探検」のシリーズもので登場。
今回はその主要メンバー、バービケイン、ニコル大尉ではなく、書記のマストンを主人公に設定。
前に紹介した「月世界へ行く」は、「月世界探検」にあたります。月へ同行したミシェルは登場しません。

ヴェルヌらしくない…と最初に書きましたが、主人公たちが「悪者」になっている珍しいパターン。
弾道学の追求や、資源から得る利益のため…という理由で地軸変更するわけですが、
その影響に比べて、それを行う理由が軽すぎる。石炭のために、地球が豹変していいのかってね。
ヴェルヌがわざとアメリカ人を「無茶苦茶」に書いて、滑稽にしているとしか思えない(笑)。
ちなみに今回のフランスは「いい立ち位置で様子を見ている」役。
各国のバカらしい争いに、祖国フランスを入れてないあたり、ちゃっかりしてますね。

今回は巻末の牧眞司氏の解説が、かなり参考になりました。
こんな夢あふれる作品を残しているヴェルヌも、甥に銃で撃たれた1886年の銃撃事件から、
編集者のジュール・エッツェルの死…と不幸が続き、晩年は人間不信の気があったそうです。
キャラクターの性格が、シリーズものの前後でかなり違う…という変化が作品に生じているとか。
たしかに、以前読んだ「月世界へ行く」と打って変わって、悪者の立場になった「大砲クラブ」のメンバーに、
戸惑いを感じえませんでした。人間描写もそれほど深くないので、一概に言えませんが。

そして今回もリアル主義が炸裂です。無茶な内容に真実味を持たせるためでしょうか、
気合入ってます。本作を書くため、必要な計算を大枚はたいて数学者に依頼したんだとか。
オチに関しては、勘のイイ人なら、読んでる最中に、だいたい見えてくるとと思われます。
ところで、私は未だに「月世界旅行」を読んでません。順番、また間違えてしまいました…あらら。


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チャンセラー号の筏

2009年11月16日 01:05

ジュール・ヴェルヌ』 榊原 晃三 訳 集英社文庫 286ページ

これも、今年に入って新装版になったもの。
カバーイラストは「気球に乗って五週間」に引き続き、別天荒人さんによるもの。

ヴェルヌの船好きが、大いに発揮されてる作品。生まれ育ったのは港町ですもんね。
トップマスト、トゲルンマスト、帆桁…と名称が出てくるものの、さっぱり分からない…。
「船の歴史事典」を本気で買いたくなった。ヴェルヌは勉強欲を書きたてる作家ですなー。

<あらすじ>
1869年、乗組員、乗客23人を乗せたチャンセラー号はアメリカを出発した。
しかし、積んでいた積荷に火災が発生。少ない空気で徐々にだが確実に火事は進行していく。
人々はギリギリまで乗船していたが、ついには筏を作り、船を捨てたのだった!

風のきまぐれに任せ、漂流する筏。刻一刻となくなる、水と食料。
「われわれの置かれているような状況にある遭難者について常に言われていることだが、
 それは本当だった。人は飢えよりも渇きに苦しむのだ。そしてまた、渇きによる死のほうが早いのだ」

極限状態まで落とされた人々は、動物性物質の帽子や、革の策具まで口に運ぶ。
そして、人間の最も野蛮な行為へも走り出すのだった。
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遭難して、飢えて、乾く…この黄金率、またも来ましたね!
ヴェルヌにしては、今回はバタバタと人が死んでいきます。
少年に読ませたいような冒険小説作家のイメージがありますが、
そういう類のものではなく、極限の人間ドラマを描くのが今回の主眼のようでした。

この作品には、実話のモデルがあり、ジェリコーが書いた「メデューズ号の筏」
影響を受けたヴェルヌが、その題材に持ってきたのだそうです。
メデューズ号は1816年にモーリタニア沖で遭難。147人の遭難者のうち、助かったのは15人。
その筏の上では、水や食料が尽きた事はもちろん、狂気や食人が横行していた。
絵画は最後の15人が助かるところを描いたものですが、子供の頃にヴェルヌはこの作品を見て、
強烈な印象を受けたそうです。そこから、この作品につながったのだとか。

日記形式で進んでいくのですが、最後らへんには日記という事を忘れてしまう。
ちょうど作品は前後に分かれ、前半が船が沈没するまで、後半が筏の漂流…という感じ。
王道ストーリーですが、この遭難につきものの要素は確実に面白いし、ヴェルヌには得意分野。
死んだ人間を釣りのエサに使うシーンなどは、胃が悪くなるような感じです。やはり見せ方が上手い。

ヴェルヌも、こういう作品を書くのだなあ…と思いました。
付き合うほどに、新しい一面を見せてくれる作家です。


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インド王妃の遺産

2009年11月13日 00:47

ジュール・ヴェルヌ』著 中村 真一郎 訳 集英社文庫 238ページ

普仏戦争でフランスがドイツ(プロイセン)に負けた後に書かれた作品。
ヴェルヌは超・愛国者ですから、もともとフランス贔屓なところがありますが、
かなりこの作品ではドイツに敵対心を持った書き方がされてます。

ソーセージと、酢漬けキャベツ、そしてビール…という典型的なドイツ食に対して皮肉ってみたり、
何かを新発明するということは、基本的にはゲルマン人には向いてないとか…あららら(笑)。
あとがきで三木卓氏も書いてましたが、ふとヒトラーが説いたゲルマン人の優秀性について、
作品を読みながら考えずにはおられませんでした。どっちもどっちな事してるなァ…(汗)。

<あらすじ>
インド王妃にまつわる莫大な遺産が、二人の相続人に山分けされることになった。
フランス人のサラザン博士は、その遺産を用いて、アメリカ東海岸に理想都市
(というより衛生都市…)を建設し、科学者、芸術家などの、あらゆる教育環境を整備した。

ドイツ人のシュルツ教授は、鋼鉄都市(シュタールシュタート)を創設し、
鉄を精錬し、大砲を生産し各国に兵器の供給を行っていた。

やがてシュルツ教授は理想都市を、ある新兵器で壊滅させる計画を立てる。
鋼鉄都市に潜入捜査のため潜り込んだマルセルは、その秘密を嗅ぎ付ける。
はたして、彼は生きて理想都市に帰れるのか。そして、その野望を阻止できるのか。
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印象としてはアッサリ終わった作品。冒険というより、ヴェルヌの科学趣味の典型。
人間関係の描写も浅く、潜入捜査、科学戦争を中心に置く、近未来SF。

何かの本で、ドイルホームズやヴェルヌの作品は、今から見れば設定が時代遅れ…
という解説を読んだことがありますが、「そりゃ、あたりまえでしょう!」と私は言いたい。
だって、19世紀ですよ。当時は未知の世界のSFという事で熱狂されたでしょうが、
それを現代に当てはめるのが無理だというもの。当時の世界観に合わせて読まなければ。

あらすじを読んでの通り、インドは全然関係ないです。
シュルツ教授が、理想都市を破壊するのが、「民族の自然な生存競争に従うため」という、
かなり一方的な恨みによるので、あまりストーリー性には期待できない。
おおまかに言うと、ゲルマン人がラテン人に理不尽な攻撃をしかけるという話ですから(笑)。

脱走シーンのアイデアとかは切迫感があってGood。
セリフではなく、淡々とした描写によってリアルさを描く、ヴェルヌの手腕が光ってます。


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アドリア海の復讐 下

2009年11月10日 20:38

ジュール・ヴェルヌ』著 金子 博 訳 集英社文庫 382ページ

上巻でアンテキルト博士の正体が判明し(まあ、誰でもわかりますが…)、下巻へ。
こういった復讐劇は、あまりネタバレしない方がいいですね。簡単に後半のあらすじを紹介します。

<第三部以降あらすじ>
アンテキルト博士は、エチューヌ・バートリの息子、ピエールを味方につけた。
しかし、その間に失踪してしまった、ピエールの母や、復讐の目的である
サルカニー、トロンタルの二人は、サヴァを連れてどこかへ姿をくらましていた。

博士は彼らを追い、地中海を渡り歩く。彼が拠点としているのは、莫大な金を持って買い取った
アンテキルタ島と名付けられた島だった。そこは防塞設備が整えられ、平和が保たれた理想郷だった。
シチリア、ジブラルタル、チュニジア…各地で博士は復讐すべき人間を追い詰めていく。
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地中海をあっちこっち回るには、エレクトリック2号という電気の船が使われるんですが、
今回はそれに限らず、いたるところでヴェルヌの電気至上主義が光ってます。
アンテキルタ島から各地に張り巡らされた電気配線での交信やら、
電気遠隔操作を用いての爆発システムとか…「これからは電気の時代だ!」と作中でも明言してます。

話の展開が後半に入って、少し早急すぎるところが目に付いてしまいました。
「いくらなんでも、そこには気が付くでしょ!」と突っ込みを入れたくなるところや、
偶然にしては都合が良すぎてしまうかな…という部分もしばしば。

私が思うに、ヴェルヌの「十五少年漂流記」とか、「冒険」を主題に置いた作品は、
結局は「めでたしめでたし」が来るのが当然であって、多少の「偶然」や「幸運」は許される。
むしろ、読む側はそれを楽しみにしている風もあると思う。
反面、今回のような復讐劇でこの「偶然」を多発してしまうと、作為が感じられて興を削ぐと思う。

また、ヴェルヌはいい意味でも、悪い意味でも優しい。
最後の最後で、復讐者として鬼になれない主人公たちもそうだし、ストーリーの中で残酷性が薄い。
ここまで執念を燃やして追いかけてきたのになあ…と、感じないでもない。

反面、新しいヴェルヌの境地が見れました。
「空想であるが故に、科学的な根拠を緻密に書いた方がリアルに感じる」
これはポーの影響を受けての作風ですが、そのためヴェルヌには「講義ちっく」な作品が多い。
「地底旅行」のリデンブロック教授、「グラント船長の子供たち」の地理学者パガネルなどが、
その講義の「先生役」として、作品に必ず知恵者として出てくるのはそのため。
あとがきで松村喜雄氏が「後期になるに従って空想科学小説が影をひそめ、
冒険小説の色彩が濃くなり…」と書いてるが、まさに今回の作品はその好例。

ただ、どの作品にも共通して言えるのは、ヴェルヌは友情やロマンに溢れているという事。
科学小説だけ、復讐劇だけ、というのなら、どれも中途半端にしかならなかったと思う。
やはり根底に人を熱くさせる要素が入っているから、ヴェルヌはイイんだよなぁ…。

ちなみに、下巻も博士の催眠術が炸裂。かなり作品の重要部分で用いてます。
研究者の名前も色々出てきていましたので、ヴェルヌは間違いなく信じていたんでしょうね。
空想科学小説の父のオカルティックな一面。まあSFといえば、SFになるんでしょうか。


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アドリア海の復讐 上

2009年11月06日 23:58

ジュール・ヴェルヌ』著 金子 博 訳 集英社文庫 364ページ

ヴェルヌ版、「モンテ・クリスト伯(巌窟王)」です。
これも、集英社のジュール・ヴェルヌ・コレクションの一つ。

冒頭に小デュマに宛てた手紙が紹介されてまして、そこに
「この作品で、わたしはマーチャーシュ・サンドルフを
 <驚異の旅>叢書における モンテ・クリストたらしめようと試みた」
と、書かれています。大デュマを尊敬してたんですね。

作品は全部で第五部。そのうちの、一部、二部が上巻に、三~五部は下巻に収録されています。

<あらすじ・第一部>
1867年、イリリア地方の中心都市トリエステにて、三人のハンガリー人が
独立を取り戻すために陰謀を企てる。その三人の首謀者とはつまり、
エチューヌ・バートリ教授、ラディシュラシュ・ザトマール伯爵、
そして主人公のマーチャーシュ・サンドルフ伯爵だった。

サンドフル伯爵が中心メンバーとなり、決起の合図が出されれば、
ただちに各地で指導者たちが立ち上がることになる手筈が整った。
そして実行に移される前夜、首謀者の三人は突然、警察に逮捕される。

利欲のため、彼らを密告したのは、ならず者サルカニーと、銀行家のシーラシュ・トロンタル。
世間には秘密裏に有罪の判決が出された後、裏切りの事実を知った三人は、復讐を心に誓い、脱獄する。
しかし、バートリとザトマールは再び捕えられ死刑に処せられる。
サンドルフ伯爵も、逃走中に弾丸を受け、アドリア海の藻くずと消えた。
彼らが誰によって裏切られたのか、どうやって密告されたのかは世間に知られる事なく、事件は葬られた。

<第二部>
事件から15年後。アドリア海の東岸のラグサの街に、アンテキルト博士という大金持ちがやってくる。
博士の過去は謎に満ちており、どこから来たのか、どこへ行くのか誰にも分らなかった。

彼はこの街に、かつて自分を陥れた一人、銀行家のトロンタルと、
さらには仲間だったバートリの息子ピエール、母親であるバートリ未亡人が住んでいることを知る。
運命の巡り合わせは皮肉なもので、ピエールと、トロンタルの娘サヴァは愛し合っていた。

アンテキルト博士は彼らの仲を引き裂く決心をする。よりによって父親を殺した人間の娘を愛するとは。
その頃にはすっかり密告の報酬を使いはたしていたサルカニーは、
身の安泰を図ろうと、トロンタルに娘との結婚させてくれと要求する。
お互いに過去の秘密と持ち合うため、トロンタルはそれに承諾せざるを得なかった。

サヴァがサルカニーという男と結婚する事を知ったピエールは自殺を図る。
しかし、そこにアンテキルト博士が現れ、彼を眠らせる催眠をかける。
一度死んだと思われたピエールは埋葬されるが、博士は彼を墓から救い出し、
自分が、かつて父親と共にハンガリー独立の陰謀を企てたサンドルフ伯爵であることを明かすのだった。
-----------------------------------------------------------------------------
いつも淡々としている冒険譚を読んでるので、およそヴェルヌ風ではないですね。
かといってデュマ風かと言えば、そうでもない。音の反響とか、危機迫る描写とか
細かいリアルさは、やはりヴェルヌ的。催眠術が出てきたことにはビックリしましたが…。
ここにきて、そういうオカルト的な手法使っちゃいますか…(笑)。

復讐劇なので、王道ではありますが、そのため土台となる人物の関係がより巧妙にできています。
ストーリー構成も熟成されてきている感じがあって、初期の作品より「文学的」になったイメージ。

モンテ・クリストの復讐劇はこれからが本番ですね。どうヴェルヌ風に料理されるのか。
興奮でハァハァしながら読んでる、気持ち悪い人にならないよう気をつけます。


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気球に乗って五週間

2009年11月05日 00:24

ジュール・ヴェルヌ』著 手塚 伸一 訳 集英社文庫 383ページ

集英社文庫のジュール・ヴェルヌ・コレクションの一つ。
今年に入って、漫画家の別天荒人さんの新カバーで新装版になりました。
イラストになると、人物のイメージが湧きやすい半面、一旦こびりついたら離れませんね。
それにしても面白かった…寝る間も惜しんで読むとはこの事ですね。

<あらすじ>
1862年、ナイルの源流を探るために、サミュエル・ファーガソン博士は
大胆な旅行計画を立てた。それは、気球に乗ってアフリカを東西に横断するというものだった。

多くの冒険者が命を落としたアフリカの地。北から向かった者、南から向かったもの、
未だ完全でない地図を一つにまとめ上げる事が、どれほど名誉があり、重要なことだろう。
博士は、猟銃の名手ディック・ケネディと、従者のジョーを連れて、
アフリカの東岸、ザンジバル島を4月18日に出立した。

ナイルの源流を調査するために、危険な野蛮人のいる土地に降り立つ博士。
「学問のために武器をとって戦った、というのははじめてではない」

はたして冒険者たちの地図は博士の発見によって繋がる事になる。
しかし、アフリカの地は旅人達に過酷な運命を課すことになる。
風のおもむくままに吹かれる気球は、一体どこにたどり着くのか。
-----------------------------------------------------------------------------
気球は熱気球ではなく、水素ガスを膨張させて上昇したり、加工したりするガス気球。
ヴェルヌが生まれた1828年にはガス気球の実験は成功しているし、
戦争にも利用されいたというから、ある程度の実用化はされていたんだろうけど、
行きたい方向に必ずしも進めるわけではない。
上空では色んな風の流れがあって、気球を上下させて進みたい方向の風の流れに乗れば、
ある程度の進路変更はできるらしい…。でも、やっぱり無謀な旅だわぁ…。

水の枯渇と野蛮人との戦いは…絶対出てくると思ってました。
思ってたのに…予想してたのに…うわーん、なんて面白いんだー!!
この緊迫感たまらないですね。これぞヴェルヌ。うん、ヴェルヌだ(何様…)。

ヴェルヌの作品は、史実に基づいているのが多く、バートンスピークといった人名が出てくる。
バートンといえば、あの「千夜一夜物語」の翻訳で有名な、リチャード・F・バートンです。
今回は特に、そういう色々な名前が出てきて勉強になりました。
ヴェルヌは科学にしろ、史実にしろ、かなりの勉強家だったそうです。

ちなみに、日本ジュール・ヴェルヌ研究会の会誌、「Excelsior!」は、「より高く!」という意味で、
ファーガソン博士が旅立ちの前に、ロンドン王立地理学協会の演説で言ったセリフ。
こういう、未だに忘れられないセリフが、ヴェルヌ作品の中にはいくつかあります。


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審判

2009年10月31日 23:32

フランツ・カフカ』著 本野 亨一 訳 角川文庫 313ページ

カフカの長編三部作、「アメリカ」、「城」、そしてこの「審判」。
前に「変身」を紹介しましたが、一貫して孤独がテーマになってます。

「変身」でも、カブトムシになった主人公を尻目に変わっていく家族たち、
そして最後に主人公が死んだときに、ピクニックに出かけるという結末、
こういったところで「孤独」が常に付きまとっていましたが、
今回はさらに「不安」というのが、その上に輪をかけていました。

<あらすじ>
ヨーゼフ・Kは、ある朝突然、逮捕される。何の罪かは分からない。
彼を捕まえに来た人たちも、何の罪に問われているのか分からない。

裁判所から最初に審判に呼び出されて応じ、大勢の傍聴人の前で、
逮捕を不当だ、処理が煩雑だと裁判所を批判して見せるも、その聴衆はすべて裁判所の役人だった。
一回目の審判からは、心理が進展を見せることなく、Kは通常通り銀行の重役として出勤する日々を送る。

叔父が裁判を受けていることを心配し、弁護士を紹介してくれる。
しかし、遅々として進展はみられない。弁護士は「そういうシステムだ」とか、
「勝機をつかむのは人脈だ」ということを、こんこんと説教して聞かせる。

裁判所の人脈に通じている画家を紹介されたKは、その人物ティトレリを訪れる。
そこで裁判には、「形式的な無罪か、進行妨害しか道はない」と教えられる。

物語は突然に終わりを迎える。二人の役人がKを石切り場へひっぱってゆき、
彼の心臓を一刺しにしてしまう。「犬のようにくたばる!」とKは叫び、死んでゆく。
-----------------------------------------------------------------------------
結局、Kの罪は何だったのか分からない。そして、裁判所の実態も分からない。
今行われているという審判が非常に不利な方向へ動いていること。
裁判所が得体も知れない組織で、Kは最初の入り口にしか到達していないこと。
遅々としている弁護士。5年も裁判を続けている商人との会話。完全な無罪を望めない事を教える画家。
実態が見えない中で、断片だけが延々と説明されていき、漠然を不安だけが募っていく。

「本当の犯人、つまり、高い地位にいる役人、まだ一度も彼の前に姿を現す勇気のない
 この連中が、厳罰に処せられるよう、尽力せねばならぬと決心した」

「この厖大な裁判組織は、いわば永久に浮遊の状態にあり、その上にいる我々が
 赤手空拳、なんらかの改革を試みたとしても、かえって自分の足場をはずして墜落する(略)」

前者はKの心情、後者は弁護士のセリフですが、実態が分からずにもがいているKに対し、
弁護士が裁判組織の現状、長いものに巻かれろと諭している状態が伺えます。
Kは孤独な反駁を続け、最終的には「負けて」しまう。カフカはこの不条理に対して答えは出していない。

カフカの人となりが、巻末のあとがきで紹介されていますが、
家族や仕事など、あらゆるところで孤独な人だったようです。
「文学でないものを嫌悪する」人物で、くらだない仕事に日々を費やされ、
悪夢にうなされ、不眠が続く…そういう(彼にとって)不幸な毎日だったのだとか。
こういう明らかに「陰」オーラを出してる作家は、基本的に好きですが、中でもカフカは最強クラスですね。
解釈はいかようにもできるのは、「変身」のところで述べたのと同じ。参考までにですが、
ゲーテの「ファウスト」の散文訳でお馴染み、池内紀氏が解釈の書籍も多数出しておられるようです。

翻訳は、可も無く、不可もなく。淡々と綴られる組織の深遠さにはマッチしているほうかと思います。
岩波の方がメジャーのようですね。辻ひかる氏の翻訳は読みやすさに定評があるようです。
本書は未完の作品となっており、完成していない断片部分も収録されています。


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ドイル傑作集2 海洋奇談編

2009年10月28日 23:42

コナン・ドイル』著 延原 謙 訳 新潮文庫 221ページ

先日の「ミステリー編」に引き続き、第二弾の「海洋奇談編」へ。
その名の通り、海をテーマにした作品が収められているのですが、
ドイルが晩年になって、テーマごとにカテゴライズしたのは先日紹介したとおり。

経緯○○度、緯度○○度…といきなり言われても分からないような所もありますが、
さらっと読み飛ばすのであれば、問題はありません。
ドイルが医者として、一年間船医をしていた経験が生きた作品たちでした。

収録作品は以下の6作。
・縞のある衣類箱
・ポールスター号船長
・たる工場の怪
・ジェランドの航海
・J・ハバクク・ジェフスンの遺書
・あの四角い小箱

日本をテーマにした作品がある…というので楽しみにしてたのが「ジェランドの航海」。
横浜が舞台なんですが、うーん…別に日本でなくてもよかった内容かな。

面白かったのは、実話のメアリー・セレスト号(マリー・セレスト号)を取り扱った作品。
「J・ハバクク・ジェフスンの遺書」というタイトルですが、このジェフスン博士が、
未だに謎の解けていない、「無人で漂流していた船」、メアリー・セレスト号の客として乗っており、
どうして船が無人で漂流していたかという謎を、遺書によって解き明かすというもの。

全体としては、自由に作品書いてるなあ~~という、筆の進みが早い印象を受けました。
「ミステリー編」よりか、スケールが大きくてドイルらしいかなと思うので、こちらの方が好きです。
ただ、「これ!」と印象に残るようなのは少なく、面白いが、感銘は受けない。
あくまでも、ドイルの作品では、こういうのもあるんだな、という感じ。

残すところは、「恐怖編」のみですね。また、紹介します。


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ハツカネズミと人間

2009年10月27日 01:08

スタインベック』著 大浦 暁生 訳 新潮文庫 156ページ

文句のつけようがない名作を、久々に読んだ気がします。
前回の「赤い小馬」と同時購入しましたが、こちらの方が読みやすく入りとしてはお薦め。

<あらすじ>
大恐慌時代のアメリカ。多くの労働者たちは、日々長時間働き、
もらったお金は博打や、酒に使っては、また働くという事を繰り返していた。

ソルダードの農場へ労働者としてやってきた、レニーとジョージ。二人は対照的だった。
頭が悪くてすぐに物忘れをするが、心は優しく力持ちのレニー。
頭の回転が速く、いつもレニーの面倒を見ている小男のジョージ。

農場には黒人のクルックス、老人のキャンディなど、孤独な者ばかり。
その中で、二人はいつか力を合わせ自分たちの土地を買い、ささやかながら生活をする事を夢見ていた。
いつか自分の牧場でウサギを飼う事をレニーは夢み、その情景をジョージはいつも語って聞かせるのだった。
そんな二人の愚かしくも純粋な夢に、黒人と老人も、しだいに感化されていく。

しかし、レニーは農場の息子の妻を、悪気はないが手に掛けて殺してしまう。
ジョージはレニーがリンチを受けることを防ぐため、苦渋の決断をするのだった。
-----------------------------------------------------------------------------
中編小説の分類になるのでしょうけれど、非常に上手くまとめられています。
感想としては…後味が悪い結末ですが、温かさが残る作品。

労働の最下層にスポットライトを当て、その孤独な渡り者が多い中で、
二人の固い友情を詩的に描き、そして最後には現実を突き付ける。
単に「悲劇として落とす」のではなく、最後まで美しい友情を保つ所が一線を引く。
それは、登場人物の一人、黒人のクルックスと、二人の交わすセリフが対照的な事に表れる。

「黒人だから、飯場へ行ってトランプ遊びもさせてもらえねえとしてみろ。
 どんな気がすると思う?ここに閉じこもって、本を読んでなきゃならねえとしたら?(中略)
 人間には仲間が必要だ―そばにいる仲間が」(クルックスのセリフ 101ページ)

「だって、おれにはおめえがついてるし―」
「おらにはおめえがついている。おらたちゃ、そうさ、たがいに話し合い世話をし合う友達どうしなのさ」
(ジョージとレニーのセリフ 144ページ)

たとえ、ささやかな夢は叶わなかったにしろ、弱者へ共感溢れる優しいスタインベックの人柄が伺えます。
大浦さんの訳も、非常に読みやすくてイイです。
これだけ良い作品なら、当然他のものにも期待がかかるところですが、
スランプのような時期もあったらしく、結構作品には生みの苦しみを伴う作家だったのでしょうか。

ストーリーのまとまりから映画化しやすかったのでしょうか。
ゲイリー・シニーズジョン・マルコビッチ主演で「二十日鼠と人間」というタイトルで映画も出てます。


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オズのオズマ姫

2009年10月20日 23:02

ライマン・フランク・ボーム』著 佐藤 高子 訳 ハヤカワ文庫 232ページ

「オズの魔法使い」は、全部で40作もあるシリーズ。
本作は3作目で、2作目では登場しなかったドロシーが主役として戻ってきました。

前作の「オズの虹の国」で、正当な王位継承者オズマ姫がめでたく
オズの国を支配することになりました。今回の舞台はオズの西に広がる、
「死の砂漠」を越えた「エヴの国」。

<あらすじ>
ドロシーは乗っていた船が難破し、漂流した先がこのエヴの国でした。
旅のお供は、おとぎの国に入ってから言葉を話せるようになったメンドリのビリーナ。

ドロシーが訪れたとき、エヴの国は誰も治めていませんでした。
というのも、ノームの王様が女王と10人の子供たちを、自分の宮殿の飾り物に変えていたからです。
そこで、前作のオズマ姫と、かかし、ブリキの木こり、臆病ライオンなどおなじみメンバーと、
今作から登場のロボットのチクタクなどを加え、女王たちを救出に行くのでした。
-----------------------------------------------------------------------------
1作目の面々がまた出てくれるのは嬉しいですね~。ライオンの出番が少なかったような気もしますが。
前回の紹介で「皮肉を利かせる要素が多い」と紹介したんですが、今回はそうでもなかったかな。
どちらかといえば、純粋におとぎの国を冒険する、わくわく感にあふれた場面が多かったです。
ちなみに、2作目で美少女軍団を率いてオズの国を占拠した、ジンジャーも出てきますが、
今では奥さんになってダンナを尻に敷き、それなりに幸せそうです(笑)。

ノーム王から、どの飾り物がエヴの人々か当てられるか…という賭けを持ちかけられるんですが、
間違ってしまうと飾り物の一つになってしまう…という恐ろしい条件付き(笑)。
おとぎの国ならではの、子供が好きそうだなあ~と思える内容満載です。

ところで、巻末にオズシリーズの人気投票結果が載っていたんですが、293名の集計結果で
1位・「オズの魔法使い」、2位・「オズのオズマ姫」、3位・「オズの虹の国」だそうです。
こう見ると、ファンダジー色が強い順番に並んでいるように感じますね。
オズは哲学的なところも多いにあると思うので、そういう視点で斜めから
作品を読んだら、皮肉のスパイスが効きすぎの「オズの虹の国」が一番です(笑)。

さて、日本で翻訳されているのは40作品のうちハヤカワ文庫は14作です。
原作の発表順に翻訳がされていないのか、次は6作目の「オズのエメラルドの都」です。
4作目の「オズと不思議な地下の国」も翻訳されてますので、いずれはそちらも読んでみるつもりです。


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赤い小馬

2009年10月16日 23:07

スタインベック』著 西川 正身 訳 新潮文庫 156ページ

カリフォルニア州に、サリナスというところがある。
二つの山に挟まれた長い谷が続く土地で、作者はここで生まれる。
「赤い小馬」はサリナスが舞台となっている。

主人公ジョーディ少年が繰り広げる、日常のストーリー。
厳格な父、やさしい母、雇い人のビリー、そして遠い昔に思いをはせる祖父。
有名な「怒りの葡萄」とは違って、牧歌的な作品。

<あらすじ>
「贈り物」、「大連峰」、「約束」、「開拓者」の四つが収録されている。
赤い小馬が出てくるのは、最初の「贈り物」。
ジョーディ少年が父親から「自分の馬」を初めて買ってもらい、
乗れるようになるまで、丹精込めて育てていく。
しかし馬は途中で伝染病にかかってしまい、死んでしまう。
-----------------------------------------------------------------------------
一つ一つの短編の内容は繋がっているという訳ではなく、単独で読むことができる。
同じフレーズが出てきたりして、詩的な効果があったりアメリカ作家らしくない感じ。
どうもアメリカ文学と言うと、人間味ある作品ではなくハードボイルドなイメージだけど、
(ドイツ系の人だったからか?)とても丁寧な心理観察がされている作品だと思います。

ストーリーの流れは地味ではあるんですが、スタインベックはこの作品の解説で、
これを通して伝えたかった事を書いています。作家の家族の者に死が訪れ、
「子供はすべて不滅なものと信じていたことから、完全に打ちのめされてしまった」と。
また、「おそらく人は、男であれ女であれ、このようなことから初めて成人するのであろう。
初めて「なぜ?」という疑問に接して苦しみ悩み、それを受入れ、やがて子供は大人になっていく」
この姿を描きたかったんだとか。この作品は、スタインベックの自叙伝なんですね。

「スタインベック短編集」では、どういうものが収録されているのでしょうか。
この本と一緒に購入したんですが、それもまた読んで、作家の多彩なところを垣間見ようと思います。


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デカメロン

2009年10月15日 23:31

ボッカッチョ』著 大久保 昭男 訳 角川文庫 332ページ

「デカメロン」は、ギリシャ語で「十日」を表す。
高校の授業でこの名前を聞いた時は、おっぱいのことだと思ってた。
日本語で言うと、「十日物語」。

背景は1348年のペスト大流行。フィレンツェの郊外へのがれた10人の男女は、
(女7人・男3人)退屈しのぎに、一日に一人一話ずつ物語を話して聞かせることにする。
一日のリーダーを一人決め、テーマに沿った内容で10日に渡り計100話が語られる。
(この本に収録されてたのは、選りすぐった30話のみ)

<10日間それぞれのテーマを紹介>
一日目:各自が最も得意とする話
二日目:様々なことで苦しめられた人が思いがけない幸せな結果を迎えた話
三日目:欲しくてたまらなかったものを上手く手に入れた人、一度失ったものを取り戻した人の話
四日目:不幸な終わりを遂げた恋の話
五日目:残酷・不幸な出来事の後で幸福になる恋人たちの話
六日目:他人に挑まれてやさしい言葉でやり返したり、鮮やかな即答で危機や損害を免れた人の話
七日目:婦人たちが、恋のために、また自分の恋を守るために夫を欺いた話
八日目:女が男を、男が女を、男が他の男を愚弄する話
九日目:各自が自分で一番面白いと思う話
十日目:愛その他のことで立派な振る舞いをした人の話

~有名な八日目の一話より~
隣同士に住んでいた夫婦がおり、片方の男と、片方の女がねんごろになった。
寝取られた方の夫は、自分の妻を責め、ある計画を手伝わせる。
妻は命令に従い、浮気相手の男を箱に閉じ込める。
夫は相手の女房を連れ込み、その箱の上で情事に及ぶ。
その後、事はすべて明らかにされ、男たちは互いの妻を共有することに合意する。
-----------------------------------------------------------------------------
ルネサンスで、ダンテ「神曲」を書いたけれど、それとは対極の位置における「人曲」とも言われる。
ダンテが厳格なキリスト文学を書いたのに対し、ボッカッチョは肉欲を自然の事と捉えて推奨してる節がある。裸の婦人像がバンバン作られたルネサンス時代なら、ボッカッチョの方がよりイメージに近い気がする。

ボッカッチョ自身は神様も信じてれば、背教徒でもない。ただ、当時の腐敗した僧侶階級に
皮肉をこめて「アナタ達も、肉欲に溺れてるでしょ」という意味を込めたかったのだとか。
「ほらね、人間は同じようにできてるんだよ」、「機知とユーモアで肉欲を楽しもう」的な、
根本から明るいスタンスで話は進められていくから、エロくない。嫌味がない。

全話読んでみたいなあーと思いました。
角川のは「古書」の扱いになるんでしょうか。Amazonでは検索にかからなかった…。
今、手に入るのは「ちくま文庫(上・中・下)」版と、「講談社文芸文庫(上・下)」版。
基本的に「ちくま」は、話を省くことなく収録するというイメージがあるけど、
今回のはどうなんだろう。「講談社」は完全な100話収録ではないらしい。
古本屋で見かけたらチェックしようっと。


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ドイル傑作集1 ミステリー編

2009年10月08日 23:39

コナン・ドイル』著 延原 謙 訳 新潮文庫 252ページ

ドイルって、ホームズしかイメージなかったんですが、
本当はそれ以外の作品の方が多いんですね。

特定の主人公いない短編集で、オムニバス形式。
天才探偵が登場するわけでもなく、告白によって事件の解明が行われるようなのが多い。

収録されている作品は、ドイルが死の前年に、これまでの短編集を
カテゴリーごとに再編集した中で、「ミステリー編」と名づけた作品集から取ったもの。
例外として「五十年後」はオムニブックに加えられていない。

・消えた臨急    ・甲虫採集家
・時計だらけの男  ・漆器の箱
・膚黒医師     ・ユダヤの胸牌
・悪夢の部屋    ・五十年後

異色を放つのが、「悪魔の部屋」。およそ結末が肩すかしで、ドイルらしからぬ。
「五十年後」に関しては、訳者が雑誌に掲載して反響が大きかったため、
今回の短編集にも収録されることになったが、これはミステリーではなく、
妻が夫の帰りを貞淑に待ちづづけて感動の再会を果たす、王道ストーリー。

ドイルらしいなぁ~と感じたのは、「消えた臨急」。
とある紳士が、臨時急行列車を大金はたいて運行させた。
しかし、臨急は予定の駅には到着せず、こつぜんと姿を消したのだった…。
「時計だらけの男」なんかも、ミステリー性があってよかったと思います。

ただ…、やはりちょっと物足りないかなぁ、という気がします。
アイデアや奇異性は、他の作品と劣ってはいないのですが、「勢い」がなくて残念。
いわゆる「ハラハラ・ドキドキ」が、無い。

贅沢言いすぎですかね~。ホームズばかり読んできたので、その印象から入ったから感じるのかも。
やっぱりホームズは、キャラクター性で小説の魅力を押し上げてたんでしょう。
ちなみに、シャーロック・ホームズのシリーズはカテゴリー「コナン・ドイル」より。

新潮文庫から出ている傑作集は、「海洋奇談編」「恐怖編」と続きますが、
こちらの紹介も、おいおいしていきたいと思います。


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獄中記

2009年10月06日 23:25

オスカー・ワイルド』著 田部 重治 訳 角川文庫ソフィア 117ページ

今回は「獄中記」読んでみましたが、私にどこまで理解できたのやら甚だ疑問…(笑)。
「同性愛の恋人にあてた未練の手紙」という感想をよく見かけますが、
うーん、そうでしょうか。それだけで片付く作品では無いと思うんですが。

医者であり考古学者でもあった父と、作家の母との間に生まれたオスカー。
生まれながらにしてエリート芸術家だったんですね。
大学では優秀な成績を修め、ロンドンに出てからというものは、
学生時代に影響を受けた唯美主義を体現するかのような生活を送る。

いわゆる唯美主義は、「美しさの追求が人生の目的」ということ。
「ドリアン・グレイの画像」なんかを読んでると、この人は本当に「美しく生きる」という事に、
すごい情熱を燃やしてたんだろうなぁと思う。反面、ドリアン・グレイが最後にスゴイ結末を迎えるのは何故か。
ここら辺の矛盾、美しさの儚さっていうのはワイルド自身気が付いていたはずだと思うのに…。

「獄中記」の中でも、
「自分はこの世の園のあらゆる樹木の果実を味わいたい(略)、
 そして実際その通りに世に飛び出し、その通りの生活をした」とある。
ただ、そのあとに、
「私のただひとつの間違いは、園の陽のよく当たる側と思われる木にのみ専念して、
 その反対側を日蔭と陰鬱とのゆえに嫌って避けたことであった」と続く。

この正反対の世界…というのは、ワイルドの人生そのもの。
妻を娶って、子供が二人でき、作家としてノリに乗ってた頃、
「サロメ」の英訳者であるダグラスとの同性愛が発覚し、二年の懲役を受ける。
(ダグラスの父を名誉棄損で訴えたけど、逆に自分が法に引っかかったらしい…)
転落、とはまさにこの事。一年間は涙にくれて過ごし、その後「獄中記」の執筆が行われた。

華々しい生活を送っていたワイルドが転落して「日蔭の世界」を知ることになった。
「獄中記」はダグラスへの手紙という形式になってはいるが、転落した身だからこそ
見つけることが出来た芸術についての真理がつづられている。いわゆる「芸術論」という印象を受ける。

彼は「獄中記」の中で、楽しみや快楽の裏には苦痛・悲哀が潜んでいる、
けれど悲哀の裏には悲哀しかない…、そして悲哀こそが芸術で一番必要なことだと書いている。
それらがダグラスへの未練…と言ってしまえば話はそれで終わってしまうが…。

ただ、キリストを詩人と評し、こんなことも述べている。
「(キリストは)罪と悩みとをそれ自ら美しい聖なものであり、完成の様式でもあると見ていた」。
「罪人は懺悔しなければならない。なぜその必要があろうか。
 そうでないと自分のやったことを切実に知る事が出来えないからという簡単な理由による」
変化のない獄中の生活において、キリストの救いへ芸術論を展開するほどの精神を持っていた…。
そう考えることはできないだろうか。想像もできない転落を経験した人間が、である。

まあ、「芸術について完全になったからには、自分は牢屋に入れられたことを恥に思ってない!」
なんて言いつつ、出獄したら名前変えてますし、内容も「くっそ~!」と負け惜しみ的なところもあって、
倒錯した精神状態で、胸につかえてたものを吐き出したような作品だったのだと思います。
以後の作品でも目立ったものはないですし、才能に比して寂しい死を迎えた天才…という感じ。
時代が許さなかったのでしょう。彼の小説は現代の私たちが読んでも非常に魅惑的ですものね。
若者にウケるのも納得できます。彼の墓は今なお、キスマークが絶えないようです。


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オズの虹の国

2009年10月03日 08:05

ライマン・フランク・ボーム』著 佐藤 高子 訳 ハヤカワ文庫 257ページ

「オズの魔法使い」の続編。作者がファンの子供たちから、
「もっと書いて!」という要望を受けて書いたものです。

<あらすじ>
ドロシーがカンザスへ帰ってしまった後のオズの国。
エメラルドの都は、かかしが王様となり、西のウィンキーの国はブリキの木こりが治めていました。
主人公は、チップという少年。意地悪ばあさんな魔術師のモンビに育てられましたが、
ある日、変身の術で大理石の像に変えられそうになったチップは家出をします。

魔法の粉で命を与えられた、かぼちゃ頭のジャックと、木挽き台と共にエメラルドの都を目指します。
途中、今しもエメラルドの都を奪うために反乱を起こそうとしている美少女軍団に出会います。
彼女たちは、手に手に鋭くとがった「編み棒」を武器として持ち、将軍のジンジャーという女の子のもと、
都のエメラルドを自分たちのものにしようと企んでいたのです!

はたして革命は成功し、かかしは王国から逃げ出します。
チップはかかしと一緒にブリキの木こりがいる西の国へ赴き、応援を求めます。
ジンジャーはモンビを味方につけて、何かとチップたちの邪魔をしますが、ことごとく失敗。
一度は彼らもエメラルドの都の奪還に成功しますが、今度は少女たちは城を取り囲み、兵糧攻め。

再び、城から脱出するために、魔法の粉で空飛ぶ乗り物のガンプを作ったチップ。
南のよい魔女グリンダに協力を仰ごうと空を飛んでいきます。
話を聞いたグリンダは了承し、もともとオズが治める前からの正当な王位継承者である、
オズマ姫を探し出して、その地位につけることを提案します。

オズマ姫は、その昔にオズがエメラルドの都を奪った時、
どこかに隠されてしまったのでした。その秘密をモンビが知っているようなのですが…。

ジンジャーは攻めてきた軍勢を見て、「こんな編み棒が、何になるの!」とビックリ仰天。
モンビは囚われの身となり、オズマ姫についての真相を語り始めます…。
-----------------------------------------------------------------------------
日本で翻訳されている14作品の、まだ序章ですね。これを書いた後に、ファンの子供たちからは、
「ドロシーはどこに行ったの?」(カンザスに帰ったんだヨ!)と質問が相次ぎ、
3作目からは再びドロシーが主人公として、活躍するんだとか(笑)。

前回も「哲学的な小説」という見方で紹介をしましたが、今回はさらにその上をいくレベルに感じます。
というのも、皮肉を利かせる要素が多く、当時の時代背景を揶揄した部分が多く見られるからです。
子供の要求にこたえて…という割には、大人も深読みできるオールマイティな作品に仕上がってます。

時代背景とすれば、婦人参政権運動があるらしいです。なるほどな、と思います。
そもそも、美少女軍団の武器が「編み棒」ですよ。軍勢が攻めてきて「こんな編み棒で何ができるの!」と
将軍ジンジャーは叫びますが、「編み棒」ですからね、大したことはできません。
また、革命のおかげで、女性優位になり、男たちが子育てや料理をするようになるのですが、
最後にジンジャーが失脚して、国が元に戻ると、女たちは男の作る料理に飽き飽きしていたので、
革命が終わったのを喜んだ…という結末。皮肉、利かせ過ぎですね。

最後の「え!」と驚くドンデン返しも、意表を突かれます。
「オズの魔法使い」に並んで、もっとたくさんの人に読まれてもイイと思う、良い作品だと思います。


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シャーロック・ホームズの叡智

2009年09月30日 22:51

コナン・ドイル』著 延原 謙 訳 新潮文庫 271ページ

ついに最後の文庫になってしまいました、新潮文庫での最終巻。
今までに紹介した作品群は、カテゴリー「コナン・ドイル」よりどうぞ!

最後の物語は「シャーロック・ホームズ最後の挨拶」を紹介した時に書きました。
「シャーロック・ホームズの叡智」という作品は、本来ありませんが、
文庫の容量に関する問題から(別に問題ないとは思いますが…)、
他の短編集から削ったものを、最終巻として新潮文庫が出したものです。
なので、ホームズとワトスンが過ごした時期も交錯しています。

以下、作品名を、本来収録されてる短編集名と共に挙げます。

「技師の親指」 「緑柱石の宝冠」 
           … 「シャーロック・ホームズの冒険」より
「ライゲートの大地主」 
           … 「シャーロック・ホームズの思い出」より
「ノーウッドの建築士」 「三人の学生」 「スリー・クォーターの失踪」 
           … 「シャーロック・ホームズの帰還」より
「ショスコム荘」 「隠居絵具屋」 
           … 「シャーロック・ホームズの事件簿」より

訳者の延原氏が言われるように、日本での出版において、これらの作品を短編集から
省いてしまったのは、決して他の作品の劣っているというわけではない。

特に「技師の親指」が非常に面白かったです。
ワトスンのもとに治療を願いに来た男は、親指を切断されていた…。
その男、水力技師のハザリーは、スターク大佐という人物から依頼された仕事で、
殺されそうになったのだという。ワトスンはホームズを紹介し、その事件のあらましを聞く…。
それによれば、儲け話のために極秘で水圧機の故障を見てほしいと依頼を受けたが、
現場に着いてみると、謎の婦人に「逃げなさい!」と警告される。
報酬額の大きさに、その警告を拒んだハザリーだったが…。

…この本で、ホームズシリーズは本当に最後になってしまいました。ガックリ。
初めて読んだ時、こんな面白い探偵小説があったのか!と、感動したのもまだ記憶に新しいです。
イギリスへ行った際には、必ずベーカー街へ行きます!ああ、行ってやるともー!
またホームズを読み返す日が必ず来る事でしょう。それまでは、本棚に重鎮として居座って頂きましょう!


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失楽園(下)

2009年09月30日 01:25

ミルトン』著 平井 正穂 訳 岩波文庫 431ページ

ついにサタンの誘惑に負け、禁断の実を食べてしまうイヴ。
前半とは打って変わって、サタンの出番はガックリ減ってしまいます。
天国とか、天使サイドの話は、サタンよりお堅いので、ちょっと残念(笑)。
下巻では、7~12巻(1674年出版された第二版は1~12巻だった)の内容です。

<七巻>
ラファエルとの会話が続いているアダム。どのようにして地球が創られたのかを問いかけ、
あの有名な旧約聖書の冒頭部分「光りあれ!」から始まる、天地創造の6日間が語られる。

<八巻>
今度はアダムがラファエルに自分が生まれてからのことを語る。
この人、どうしても天使に帰ってほしくないようで、何かと話題を考え出す。
神様に「自分はアナタのように完璧じゃないから、伴侶を下さい!」とお願いして、
神様ももちろん承知済みで、肋骨からイヴを創ったことなどが語られる。
ひとしきり話が終わると、ラファエルは念押しでサタンに警戒するよう伝えて帰っていく。

<九巻>
一方サタンは…虎視眈々と人間を陥れる機会を狙っている。
イヴはアダムに仕事を分担して、別々に働くすることを提案する。
アダムはサタンを警戒する余り反対するも、「私は騙されません!」と自信アリのイブ。
その説得に負けて二人は分かれて仕事をしたのが運のつき…。
サタンは蛇に乗り移ってイヴを誘惑する。イヴは人間の言葉を話す蛇に驚くが…。
「蛇の私が、禁断の実を食べて、人間の言葉を話せるようになったんだから、
 人間のあなたがこの実を食べたら、どんな素晴らしいことになるか。きっと神になれますよ」
こんな風に騙して食べさせてしまう。愕然となるアダム。しかし、死なばもろとも…と自分も実を口にする。
たちまち羞恥が彼らを襲い、イチジクの葉で恥部を隠すことに。こうなったのもお前のせいだ!
いや、アンタのせいでもあるのよ!と二人は罪をなすりつけ合う。

<十巻>
天使たちは、二人が禁断の実を食べたことを知り、天国へ向かう。
「自分たちは見張りをして、やることやってました」と神様へ報告。神様も「うん、そーだね」と納得。
神様の御子(キリスト)は、二人のもとへ行き、「食べたね?」と糾弾。言い訳もできない二人。
罰として、妊娠の苦しみやら、寿命やら、額に汗して働くことになる。蛇にも罰が与えられ、
今のような地を這う姿に変えられてしまう。地獄からは「罪」と「死」が地上にやってきて、世界は急速に変わる。
アダムはイヴに「この蛇め!どっかいけ!」(酷い!)と罵るが、従順なイヴを許し、神様へ一緒に祈りをささげる。
他方サタンは、嬉々として地獄へ凱旋し、万魔殿で「俺はやったぞー!」と演説するが、
なんと仲間の堕天使や悪魔たちは、みんな神様の呪いで蛇に変えられてしまう。そしてサタンまでも…。

<十一巻>
二人が悔い改めて祈りをささげているのを見て、キリストは神様に「ほら、あんなに反省してますよ」と言う。
神様も少し納得したようで、「うん。でも楽園は追放するよ、ミカエル、行っておいで」と命令する。
ミカエルは地上に降り、二人に楽園追放になる事を説明。絶望する二人に憐み、これから未来に起こる、
様々な歴史をアダムに見せることにする。(イヴは眠らされる)。
内容は旧約聖書のカインアベルの兄弟殺しから、ノアの方舟までが幻で展開される。

<十二巻>
引き続き、旧約聖書の内容。アブラハムモーセなどが語られる。
戦争、殺戮、飢餓、疫病、淫蕩など、ありとあらゆる悪が世の中にはびこる事が、
すべて自分が禁断の実を食べた原罪によるものだと知り、悲しみにくれるアダム。
しかし、ミカエルは最後にはキリストがイヴの子孫から生まれ、贖罪をすることを伝えると、
アダムは喜び勇んで「新たな地で、正しい行いをして生きていきます!」と宣言する。
目覚めたイヴも「アナタについて行きます!」とアダムに言い、二人は名残惜しそうに楽園を後にする…。
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サタン氏、蛇に変えられてからお見受けしませんが…(笑)。
最初はイヴの姿を見ただけで、「なんて美しいんだ!」と一瞬復讐すら忘れるサタン。
でも、結局は「人間も自分たちの境遇と同じ目にあわせるゾ!」という気持ちを思い出し、
禁断の実を食べさせる…何とも中途半端な彼が好きだったんですがね~。

罪のなすりつけ合いをする二人のシーンが、やはり印象的でした。
確かにイヴは罪を犯したけれど、本当に悪を知らずにいた方が良かったのか?
自分が王様だと思っている狂人は「幸せ」だろうが、幸せには見えない。
無垢に描かれるアダムとイヴの世界より、奈落の底のサタン達の愚かさが健気に見えてしょうがない。

ミルトンが生きたのはシェイクスピアと同年代のイギリス、ロンドン。
清教徒革命に翻弄され、その間に作品の方向性も変わっていったらしいですが、
一筋縄にキリスト教といっても、政治や宗派が絡み合っていた時代。
深く理解するには、まだまだ時間がかかりそうです。ちなみに、失楽園は失明したミルトンが口述した作品。
他の作品として、キリストが地上に生まれてから以降の「復楽園」(楽園の回復とも)、
「闘士サムソン」「言論・出版の自由」などがあります。


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ハムレット

2009年09月27日 19:35

『シェイクスピア』著 福田 恆存 訳 新潮文庫 246ページ

今まで紹介してなかったのが不思議ですね。だいぶ前に読んだのを、再読したので紹介を。

<あらすじ>
デンマーク、エルノシア城。王子ハムレットは鬱々としていた。
父親である先王が死に、その弟クローディアス(ハムレットの叔父)が今は王位につき、
あろうことか先王の妃(ハムレットの母)を、喪も明けぬうちから妻に迎えたのだった。

ハムレットは夜な夜な歩廊に現れる、先王である父親の亡霊に会う。
父親は、現王が自分を暗殺し、その地位を奪ったのだということを語る。
固く復讐を誓ったハムレットは、表面上は狂態を装い、その機会を待つ。

旅の一座が演じる暗殺劇を通して、叔父の犯行を確信したハムレット。
しかし、誤って宰相ポローニアスを殺害してしまう。
ポローニアスの娘であり、ハムレットが愛していたオフィーリアはそれが基で狂死。
ポローニアスの息子、レイアーティーズはハムレットに恨みを抱き、
決闘の席で毒を仕込んだ剣により戦う。その刃にハムレットは倒れるが、
戦いの途中で剣が入れ替わり、レイアーティーズも死に絶える。
-----------------------------------------------------------------------------
四代悲劇では一番有名ですよね~。作品として一番イイのは「リア王」らしいですが。
ハムレットに関しては、非常に解釈も分かれていて、難しい作品であります。

結局のところ、憎むべきは先王を殺したクローディアス王だけなのであり、
宰相ポローニアスはじめ、母親、オフォーリア、レイアーティーズなどは、巻き込まれただけ(悲劇!)。
ハムレットは、父親に「ちゃんと復讐するからな!」と誓うものの、例の有名なセリフ、
「To be, or not to be: that is the question」(生か、死か、それが疑問だ)と、
ちょっと弱気な発言をして、狂態を演じて殺害を先延ばしにしている。
(「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」の方が有名ですかね)

ハムレットの感想を読んでいると、「ハムレットは悩みすぎ」という意見が多い。
しかし、復讐のため人を殺すのは、簡単に行えることではない。
ならば自分が死ぬべきか…と苦悩するのは、むしろ当然のことのように思える。
そういう意味で、ハムレットは全く「狂っていない」。こんな腐った世の中でいいのか、
デンマーク王国はどうなってしまうんだ、そういう嘆きを作品中にばら撒いている。

つまり、個人的な悩みだけではない。例えば、愛するオフィーリアへの言葉で有名な、
「Get thee to a nunnery!」(尼寺へ行け!)は、解釈が分かれるところだけど、
私は「あなただけは穢れないように」と、告げているように思える。
狂態を装い、一見何を意味するのか分からない言葉の裏に、ハムレットの誠実さ、愛情が溢れる見事なセリフだ。

要はかなり正義感が強く、「人間らしい」ヒーローだったという事。
ただ、最後には死に向かう覚悟もでき、復讐を遂げる。が、自らも死ぬ。
祖国はノルウェーの手に渡るしと、イイとこ無しのまさに悲劇。

こんな作品だからこそ、「俺、かなり不幸!!」という感じを出すセリフの味は大切。
福田氏はいつも「シェイクスピアは日本語にしたら、その時点で90%の美しさは死んでる」というが、
韻を踏んだり、(狂態に交えて)皮肉をいうハムレットのセリフを、なんと料理していることか。
そりゃ劇団四季でも使用しますわなー。原文知らないけど、よくぞ日本語でここまで…と思います。

今回は巻末にシェイクスピアの執筆年代と、福田氏による「シェイクスピア劇の演出」という考察が載ってました。
(私が持ってるのは改装前ので、表紙に何も絵が書いてないヤツです。今のにも載ってるのかな…?)
福田氏、すごいっす。世間のシェイクスピア論を真に受けず、自分の解釈で、しかも無理がない。
シェイクスピアの解釈なら、この人についていきたいなあ~と思わる説得力をお持ちです。


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アンの友達

2009年09月22日 12:37

『ルーシー・モード・モンゴメリ』著 村岡 花子 訳 新潮文庫 317ページ

その名の通り、アンの物語から少し離れて、アヴォンリーに住む人々の物語。
合計で12のストーリーが展開されていきますが、
アンは名前こそ出るものの、ほとんど登場しません。
これを「アンの物語」とするかは難しいところですが、
訳者の村岡女史は「第四のアン・ブックス」と位置付けているようです。

<あらすじ:抜粋>
・15年間も婚約に踏み切れずにいたルドヴィックが、ついにプロポーズに踏み切った訳は…
                                             (奮い立ったルドヴィック)
・昔、愛した男の忘れ形見の子供を、陰ながら支え、最後には周りの人々の心まで変えてしまう物語…
                                             (ロイド老淑女)
・子供を思う余り、禁じていたヴァイオリン。その少年が、ある臨終の席に立った時に奏でた曲は…
                                             (めいめい自分の言葉で)
・ある喧嘩をきっかけに、婚約していた二人は15年間口をきかなかった。長い維持の張り合いの末…
                                             (ルシンダついに語る)

年齢を問わず、恋の話から、親子愛、夫婦愛などなど。
モンゴメリは長編作家ですが、短編に関してもこんなにイイ作品を書けるのかと驚き。
むしろ、気持ちのいい引き取り方なんかは、もともと短編専門じゃないの!?と思えるほど。

本編で少しだけ話題に出たことが、こうしてサイドストーリーとして細かく設定されているのは、
ファンとすれば本編を再度読む時に、ニヤリ…と思えて楽しいでしょうね~。
実際に出版された順番としては、「赤毛のアン」「アンの青春」「アンの友達」「アンの愛情」と続きます。

夢想家で、ユニークなセリフが多い本来のアン・シリーズもいいですが、
こういう個性派ぞろいの心温まるアヴォンリーの住民たちも、愛すべき存在ですね。
作者自身もかなり、お気に入りの物語たちだったみたいです。

ところで、話は飛びますが…「アンの友達」というカフェが栃木県宇都宮市にあるらしいですね。
外装が、アンの家であるグリーンゲイブルズに似ていて、とても素敵です。
うーん…栃木か…遠いなぁ~。


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