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家畜人ヤプー5

2008年06月26日 18:32

『沼正三』著 幻冬舎アウトロー文庫 387ページ

やっとこさ最終巻へ突入。中断されていたまま未完だったものを完結させ、全49章。
1~4巻までの参照は、ブログ内検索「家畜人ヤプー」からお願いします。

本人もこの本が有名になり、部数を伸びたことを、
「猟奇への傾向は一時的な風俗現象にすぎず、万を超えた冊数も
 明日は覆醤の反故となり果てるのではないか。ただ、本来予定された、
 選ばれた少数の読者だけが、二度読んでくれるのではないか」
こうおっしゃっておられる。確かに私は喜んでこの本を二回読むかといえば疑問に思う。
人が本を選ぶというが、本も人を選ぶのである。

クララのセッチンになることを決心したリンは、彼女に無条件降伏を誓う。
かつての恋人の排泄物を受け止める事はもちろん、恋敵であったクララの新しい婚約者ウィリアムの
便器にもこれからはならなければならないのだ。しかし、彼はもうそれを「嫌だ」とは思わなかった。
彼の遺伝子からくる家畜人因子が誘発した決心だったのか、それは分からない。

クララはウィリアムとの婚約発表を、イース上流階級の人間が集まるパーティーで行い、
イース人としての仲間入りを果たした。そしてその夜、彼女はリンと二人きりの時を過ごす。
「かつては恋人であった」ことから、リンへ最後の憐れみを垂れようという気持から出た行動だった。

「リン、お前戻っていいわ。戻してあげる」

思わぬ慈悲。もう一緒にいられないが、リンを元の地球面へ帰し、
「人間として」生きる事が出来た時代へ、元の暮らしへ戻らせてもらえるというのだ。
…リンの出した答えは…。

今まで家畜人ヤプー1~4巻で色々な事を紹介してきましたが、最初は読み慣れないせいか、
漢字や読み仮名の羅列に飽きが来てしまうこともありました。5巻まで来ると、もう支障がありません。
ヤプー世界へのシンクロ率が高まったのでしょうか。

白人の入ったお風呂の排水が、黒人の貴重な飲料水扱いになって、
そこに混じっている毛が立った日には、「毛柱が立つ」といっていい事があるとか。
魚のようにヤプーの首をつけて出すヤプーステーキ。生きたままの肉をそぎ落とされ、
その苦痛から出る成分が、さらに肉の味を引き立てる。
他にも釜ゆで、フライパンの上で踊らされる料理法、サシミ、フォアグラ、脳みそのスプーンすくい。

考えれば私たち人間が動物にする残酷な料理に(多少の憐れみを感じる事があるとはいえ)、
グルメを求めるのと同じで、ただその材料が人と同じ形をしているだけというのなら、
何も問題はないのかもしれない…(?)。

「家畜人ヤプー」は世間から見れば圧倒的な少数派である。
しかし、こういった小説を必要としている人がいるということも事実であり、
作者もそういった人たちに支持されればよいと考えて発刊している。
リンの答えも、ヤプー存在理論も、とうてい理解の及ぶところではないが、
この小説は決して世の中から消えていくことがないであろうことは、推測が及んだ次第である。


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家畜人ヤプー4

2008年03月09日 11:33

『沼 正三』著 幻冬舎アウトロー文庫 354ページ

「まあ、一物、大歴史家の…」
クララが司馬遷の男根を、アマテラスから贈られて思わず呟いた言葉。大爆笑しました。
なかなかもってして面白い本です。このセリフは正確には3巻での出来事で、これまでの経緯は、
カテゴリー「沼正三」のリンクからご参照下さい。

アマテラスのところから、ジャンセン家の別荘に帰ってきたクララ達一行。
ウィリアムとクララの仲は親密度が高まり、家畜のリンは大人しく二人の後について来ていた。
時には犬のようにクララの靴を舐め、よしよしと可愛がられるリンは、
今や家畜に成り下がり、犬として至らない自分を情けないと思うようになっていた。

リンをどのような家具に仕立てようかと思案しているクララは、ふと「セッチンにしたら…」と考える。
あの、ほんの少し前まで恋人として接吻していた口を、私の股間に押し当てて、汚らしい排泄物を喜んで食べるリン…。
自分の想像に不快さを覚えて、思わず顔をしかめるクララ。
しかし、その考えも次第に変化を見せ始める。

どうして家畜に排泄を恥じる必要があるの、私ったら。

反対に、まだ人間だった頃の誇りを多少なりとも残しているリンは、クララがセッチンを使う姿を見て、
自分がいかに白人(人間)と違うかを思い知らされる。女子トイレに入る事に抵抗があるリンを、
クララは「あなたは人間じゃないのよ?言うなれば、婦人がトイレにハンドバッグを持っていくのと同じよ」と一掃する。

公衆トイレのセッチンがクララの股に張り付き、食べ物をいただいている間、リンはそれを眺めながら、
同じヤプーであるそのセッチンに親近感を感じると共に、自分が女子トイレに感じる抵抗感すら、間違いなのだと気づかされる。
いや、家畜となった今、考えたらセッチンのように彼女の秘部に接吻できるなんて、幸せだ。
そう思えばセッチンになれるのは幸せかもしれない…。

相変わらずハードな内容で進んでいくヤプー4巻。
自分でもよくここまで読んでこれたなあと感心します。
最近、食事しながらでも読める自分が少し嫌になったりしますが、そこはまあ、慣れですね(笑)。

読むのに時間がかかるのは、内容をイメージするのが大変なのもさることながら、
当て字が多いので途中から面倒くさくなってきます。
3巻くらいになると、その面倒さがピークに達しますが、
4巻になるといい具合に慣れてくるので、苦痛ではなくなりました。

ヤプーは全5巻ですが、話が全く進んでいない。大丈夫なのか…(笑)。
むしろ、ストーリー性を楽しむ物語ではないのかもしれませんね。


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家畜人ヤプー3

2008年01月21日 21:23

『沼正三』著 幻冬舎アウトロー文庫 402ページ

麟一郎は人間ハンモックとなり、宙吊り状態でクララへの祈りをささげていた。
クララはその時、人間スキー(プキー)に跨り、黒人狩りをしていた。

未来世界イースに連れてこられた恋人たち。彼らの関係は順調に?「家畜とヒト」へ変化していた。
戦後最大の奇書、第三巻。前回までのあらすじはこちら↓
家畜人ヤプー1巻→http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-17.html
家畜人ヤプー2巻→http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-27.html

家畜としての洗礼を受けたリンは、クララへの信仰を強要されていた。
前述したハンモックは、両手両足の力で宙吊りの体を支える。
当然ながら痛む体が、クララへの思念によって和らぐという装置で、強制的に信仰を植えつけられる。
思念が一定以上に満たされていると、クララの装着しているブローチを通して、
彼女の見るもの、聞くものが脳に送られてくる。まさに彼女と一体となる訳だ。
しかし、一たび雑念を生じると、ハンモックの苦痛が襲いかかる。

彼がクララを通して知った事実は、信じがたいものだった。
日本神話の天照大神は、未来のイース人であったこと。
また、イザナミ、イザナギに至るまでが、未来人が実験的に放ったヤプーであった事。
信じがたいが、これは事実なのだ…。リンは次第に人間としての自覚を失っていく。

一方、クララはポーリーンの子宮畜(ヤプム)選びのため、フジヤマへ降り立っていた。
子宮畜というのは、白人の出産を替わりに行うヤプーである。
女性の身体的苦痛を取り除くという意味では、イースの女権制に拍車をかける契機になった。
しかし、その方法は必ず帝王切開で行われる(卑しいヤプーの性器を通過して人間が生まれる事があってはならない)。
その選び方も強烈で、放尿演技やら、逆立ち状態から大開脚しての局部検査など。

後半は、黒人奴隷の食生活事情。白人の放屁を含んだ尿ビール。
(食糧配給管に、尿成分が酩酊効果を発生させる薬を入れてあるため、尿がおいしく感じる)
嘔吐物ソース、さらに白人の衣料を調理加工した下着ステーキ等々。やりたい放題(笑)。
白人のアンドロイドが、放尿・放屁という形でビールサービスするが、そのロボットの名前が
「バッコちゃん」という。何故か、私が星新一さんに申し訳なくなってしまった…。
まあ、説明はこれくらいにして、あとは本編を参照されたい。

説明が長すぎて、ストーリーが進まない。三巻を終えて、二人がイースに来てまだ3日もたっていない。
少し読むのに疲れが出てくるかな?一部の作品評価を見ていても同意見が多いようです。

読書とは、その作品の意図、作者の主張を読み取るのが楽しみの一つでないかと思います。
カミカゼや、ハラキリなど、日本の負の文化を批判した作品であると思っていたのですが、
ここまでくると、単に日本文化を完全なるマゾ文化に仕立て上げる意図なのかと、勘違いしてしまいます。

しかし、作品の中で天照大神が語る「慈悲(チャリティ)主義」には、マゾの極域が読み取れます。
つまり、最初は肉便器(セッチン)を強要しても、嫌がって飲まない。
だが、白人崇拝を植えつけることによって、それが「快楽」へ変化するのである。
私達人間は、黄色人ヤプーに対して「信仰」を与えてやってるのであって、
本来苦痛な家畜の仕事に、快楽・誇りをもたせてやっている。
まさに、これこそ「慈悲」である…という主張だ。

う~ん、とってもS的ですねえ。。。
ヤプーの立場になってみると、初めて「人間とは何か」という哲学が、
「人間のため」だけにあって、他の動物の上に成り立っていると思い知らされます。
この物語、いつかクララはリンを迎えにきて…というハッピーエンドを期待してしまうが、決してそれはあり得ない。
最初こそ、クララが他の男にすぐ恋したのを、少しムカつきながら読んでいたが、
今ではそれも感じなくなってしまった。なぜなら彼は「家畜」だから気にすることはないのだ。

今ではもう、彼は全裸で局部にハンドバッグ用のチェーンをつけられ、犬のようにクララに引かれている。
そして、大人しく彼女の横に「お座り」している。
『これから、どんな家畜にしようか。家具かしら?それとも舌人形?肉便器はちょっと可哀想よね』

家畜として生きる、一生の行方を彼はまだ知る由もなかった。


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家畜人ヤプー2

2007年10月22日 22:02

『沼正三』著 幻冬舎アウトロー文庫 342ページ

すでに友人から、読み終わったら貸してコールが二件入っている奇作。
切実に待っている彼らがマゾなのか、サドなのかは追及しないでおきます。

前回までの内容は御面倒でも過去の記事を参照して頂くとして、
http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-17.html

麟一郎とクララが、白人女権専制社会の未来帝国イースに降り立ったあたりから始まる。

順調に(?)家畜としての処置を施されていく黄色人の麟一郎。
いや、麟一郎はもう過去の名前でしかない。彼はすでに家畜の「リン」として扱われていた。

唯一、恋人のクララに対してこの悪夢から救いを求めていたリンだったが、
彼女の内側にはすでにイース女性としての意識が芽生え始めていた。
そして、それはリンが調教として彼女の「月のもの」を食している姿を見ることで、
彼女のなかで決定的なものになる。

我が家畜の証明としての鞭打ちの儀式をクララから受けるリン。
そして彼女の小水の洗礼に、白人崇拝の信仰の植え付け。
今回もマゾヒスト要素のフルコースでお届けしております。

沼正三の話は、前回紹介したとおり。
今回の巻末の解説に、おもしろい事が載っていた。

「この小説は、サド的な本ではなく、間違いなくマゾ的な本である」
私は、常々この小説は「どちらに偏っていても楽しめる内容である」と考えていた。
それは間違いである。という事がこの解説を読むと思いなおす。

イース社会が下すヤプーへの要請に対し、彼らは「エロス的に」受け入れるのであり、
間違いなく彼らの視点から見れば、それが「幸せ」だからだ。
見方を変えれば、この文明は「ヤプーのエロス的文明」と言い換えれる。

今回の巻では、日本人の根底にある民族の歴史や、神話までマゾヒズムで侵されている。
万葉集や、浦島伝説、天照大神まで。作者は徹底して日本人の根底からヤプー論を植えつけている。
「そこまでやるか!?」と思わざるを得ない。淡々とリアルに説明をつなげていく文章。
一見すると、あまりにしつこい内容に退屈を覚えてしまうかもしれないが、逆にいえば
そこまで世界観を完璧に作り上げたことに、三島由紀夫らが称賛を送ったのだろう。


二巻を読み終えて…私の中で一つの変化があったことに気がついた。
一巻目を読んでた時、「これは、こういう物語なんだ」と、どこか一歩引いた
他人事の視点で見ていた。それが、今は無くなっている。

リンが可哀そうに思うこともなくなった。そういうものなのだ、妙な納得感。
これは、私がイース文明を当然のものとして受け入れたからなのか、
それとも黄色人種として「エロス的に」、家畜思考になり下がってきているのか。

「馬はね、一度増長させたら癖馬になってしまうのよ。こちらのほうが強くて
偉いんだということを、馬にのみ込ませるまでは、徹底的に責めつけなくちゃ」

クララの家畜論はさらに第三巻へ向け、増していく。


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家畜人ヤプー

2007年09月26日 01:21

『沼正三』著 幻冬舎アウトロー文庫 358ページ

ブログに感想を書くべきなのか迷った一冊。
漫画にもなっているので「知ってるわ~」という人も多いかもしれない。
知らなくても「よく知らんけど、エロいやつだ~」という印象の人もいるでしょう。
まず言っておく。この本は「エロい」の一言で片づけられない。

最っっっ強のドM本であり、ドS本であり、奇想天外SFであり。
興味本位で読んだらエライ目にあうこと間違いない。

沼正三という著者から話を進める。
彼の存在は全くの謎で、出版社にも原稿は代理人を通して届けられた。
当時、SMを題材にした雑誌「奇譚クラブ」に掲載されたこの小説は、
三島由紀夫らに大絶賛され、作者はどういった人物なのかが噂された。

なにせ右翼からも左翼からも攻撃されそうな内容、
作者も老人なのか、女性なのか、権力者なのか、科学者なのか、全く謎に包まれていた。
※代理人である天野哲夫氏が本人であり、天野氏の名義での著書も出版されている。

簡単に書くと、要するに未来の世界の話なのだが…。

時は1600年ほど未来の世界、宇宙帝国『イース』では、白人帝国が成り立っていた。
黒人は奴隷として扱われ、そしてその下には、家畜と同類に黄色人(日本人)が「飼われて」いた。

その世界では黄色人は「ヤプー」と呼ばれ、人ではなく家具や、食肉、便器として「使用」され、
その用途に応じた人体改造がなされていた。

知性のある家具としてテレパスを有するヤプーは、
人(白人)が「トイレしたいな~」と心に思うだけで
主人の股の間にスルリと入り込み「食べ物を頂く」。
イースには「下水道」がない。最終的な汚水処理場は「ヤプー」であり、
ヤプーの体内には「エンジン・ワーム」と呼ばれる寄生虫がいて、
その虫がすべてを消化してしまうからである。

「そんな事して、知能をもってるのにイヤじゃないのか?」

そんな事を考えるのは、ヤプー理論を理解してないから。
ヤプーは神である人(白人)から、食べ物を直接頂けるのであり、
肉便器(セッチンという)家具に関しては、それを他の家具より誇りとしているくらいだ。

分かりやすくトイレを例にとってみたけれど、話を元に戻すと、
タイムマシンで時間旅行をしていた貴族のポーリーンは、
196×年のドイツにマシンの故障で着陸する。

日本人の麟一郎は、恋人であるドイツ人のクララと乗馬を楽しんでいた。
麟一郎が、泳ごうと裸になったところでUFOが着陸、
船内に足を踏み入れたのが運のつきだった。

途中省くが、あれやこれやでイースに行くことになった二人、
だんだんヤプー論が芽生えてくるクララと、ヤプー扱いされる麟一郎。
皮膚を強化され、二度と服を着れない体にされ、さらに去勢まで…。
また、このやり方がエグい。詳細は本編を参照されたい。

この本のすごいところは、最初に『人(白人)』と記載されていたのに、
読んでいくうちに『人』だけで白人のことのみを指すのだと、
自然に思えてしまうところ。人=白人、ヤプー=黄色人。
この感覚が勝手に植え込まれてしまっている。恐ろしい!!!

そして、そんな価値観が「そうあるべき」と自然に思えてくる。
世界観もリアルで、まるで作者が本当にその世界の住人であるような
錯覚に陥る。社会構造も将来的には科学で実現できそうだから怖い。

一つ一つの説明がくどすぎる!という批判もあるけれど、
わざわざ、文章の最後に「~議事録より」とか参考文献まで
作り上げて記載しているのだから、リアリティ抜群。
ただの、マゾヒズム小説で片づけるにはもったいないSFでもある。

日本人をこんなに腹立たせる小説は、めったにない。
けれど、それなのに人を惹きつけるこの内容に、危険な領域を垣間見てしまう。
この時、シンガポールという国で一人旅していた私は、
白人、黒人、黄色人のそろうこの地に、イース社会を少しだけ…
いや、かなり連想せずにはいられなかった。。。。


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