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ツァラトゥストラはこう言った(下)

2008年03月11日 22:41

『ニーチェ』著 氷上 英廣 訳 岩波文庫 365ページ

ついにツァラトゥストラから「永遠回帰」の思想が語られる。
上巻の紹介はこちら→http://hihidx.blog115.fc2.com/blog-entry-54.html

キリスト教批判から始まり、ニヒリズムが漂うヨーロッパ社会。
彼の考えは、権力への意志へ及び、超人の創造、永遠回帰へと繋がっていく。
じゃあ、永遠回帰とはなんぞや?

現に生きてきた人生を、今一度さらに無限にわたって生きねばならないとしたら。
そこに新たなものは何もなく、苦痛、快楽、思想、嘆息、ことごとく同じ順序と脈絡に従って…。
これを耳にしたとき、あなたは人生を呪うだろうか?それとも、喜ぶだろうか?

永遠回帰は非常に伝えにくい。これはニーチェ本人も認めていたくらいで、
この本を読んでいる限り、何通りの意味にも取れるから厄介。
ここは以前紹介した「ニーチェ入門」の竹田氏の言葉を借りて、順を追って紹介してみよう。

まず、世界が永遠に回帰する事。神という非現実な想像から、物質的・科学的に物事を捉える社会へ変わり、
エネルギーの有限性が主張され始める。その上で、時間は始まりもなければ終わりもない事から、
世界は永遠に回帰すると考えられる。竹田氏の例えを借用すれば、

「ビリヤード台の上で、多くの球が摩擦によって力を失う事無く永遠にぶつかりあって動き回っている。
 時間は無限にあるから、一定の空間の中で、一定のエネルギーが減じる事無く運動していると、
 いつかある時点で、以前のどこかの時点で存在したと全く同じ物質の配置、配列が戻ってくる可能性があるはずだ。
 すると、その次の時点から一切が何から何までことごとく、同じ順序と脈絡で反復する事になる」

なるほど。例えは分かりやすいが、現実問題としては発想がぶっ飛びすぎてて、凡人には分からない。
まあ、天才がそう言うんだから、あえてここは次へ行こう。

神様がいた時代は、感謝感激アメアラレ…いい事をして死んだら、永遠に天国で幸せに暮らせますという
キャッチコピーのもと、みんなで頑張って隣人を愛していた訳ですが、ニーチェは
「いやいや、違うがな」と。卑小な人間も、阿呆な人間も、永遠に回帰して巡りめぐってまた
阿呆な生き方をするんだよ…という訳で。ああ、吐き気、吐き気、吐き気!相当、まいってます。

世界はあるけど、意味はないんじゃ、生きてる理由がなくなるじゃん。そう思う事は然り。
でも、根強い神様の存在は、徹底的なニヒリズムを植えつけないと払拭できない。
ここが近代思想でニヒリズムを展開していた哲学者と、ニーチェの大きな違いなんだろうなあ。

あなたの人生、これから永遠に全く同じのを繰り返すんですよ。悲しいかもしれないけれど、
まずはそれを受け入れることが必要だよ。そういう象徴としてはツァラトゥストラの目の前で、
蛇に巻きつかれる男が、その頭を噛み千切り、凛然と立ち上がる姿で描かれている。
永遠回帰の事実を受け止めた人間は、初めて(神に頼らず)自分の力を発揮する。

でも、問題はそこからで、意味無い世界で、しかも人生は決定事項で繰り返されるだけとなったら、
いったい何をして生きたらいいのか。そこの矛盾がニーチェの思想の最大の難関と言われる。
解説書を見ていても、それはもう色々な解釈があって千差万別。
私の父なんかは、昭和30~40年代の学生の時、ニーチェの思想は危険だから読むなと大学教授から言われたらしい。
たしかに大衆心理的には、危険な方向に働く可能性は大いにある思想に違いない。

はたして…ニーチェはそれを望んでツァラトゥストラを書いたのだろうか。
本書は、ニーチェが晩年、突然降って湧いたように思想が浮かんで、わずか10日で書き上げた作品だとされている。
(とてもそうは思えないが、はたして…)
ツァラトゥストラに至るまでも色々な著書を残している。

私の感想としては、「ツァラトゥストラは最後に読むべきだったな」。
きっと彼もここに行き着くまでにいろいろな考えの変化があったろう。
ショーペンハウアー思想の同調から始まり、ワーグナーとの出会い、そして独自の思想へ…。
それはもう葛藤もあったろうし、恋愛関係の問題も見逃せない。

そんな彼の軌跡を辿って、初めてニーチェの伝えたかった思想を理解し、
自分なりの解釈が持てるのではないかなあ…と、素人は素人なりに哲学を楽しんでみたり。
そんな風にして、私とツァラトゥストラとの旅も終わりをつげた。


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ツァラトゥストラはこう言った(上)

2008年01月09日 23:56

『ニーチェ』著 氷上 英廣 訳 岩波文庫 275ページ

「神は死んだ」

って、突然言われても、訳分からんよなあぁ…。
ニーチェの思想は、言葉は難解だし、深く果てしないし、
説明する私は勉強不足だしで、ホント紹介するのに気を揉みます。
分かりやすく、本書に載っている言葉を例に出して説明していきますが、
至らない点と、それちょっとニュアンス違うんじゃない?等は、大目に見てやってくださいませ。

「神」というのは、当時ヨーロッパの基盤にあった宗教、つまりキリスト教の神を指します。
「信じる者は救われる」、「右の頬を殴られたら、左の頬も差し出しなさい」。
こういった言葉は日本人の私たちにも馴染み深いものですね。
死んだら最後の審判があって、その人の生き方で天国へ行くか、地獄へ落されるかが決まります。

近代の思想では「最後の審判やら、天国やらある訳ないじゃん」と、批判し始めます。
ニーチェの場合、その近代思想とは異なるのですが、あえて触れず先に進みます。

・「私は身体であり、魂である」
この文章は、キリスト教を痛烈に批判しています。
欲を持たず、自己を犠牲にして、質素を美徳とし、右の頬を殴られたら、
むしろ相手の心を哀れみなさい。そして左の頬も殴らせてやんなさい。
おお、あなたはきっと天国へ行けます。大切なのは体でなく、精神なのです。

…なわけねーだろっ!!
と、ニーチェが言ったかは知りませんが、彼は「ケガして痛いから子供が泣くように、
体あってこその精神で、まして身体を軽蔑した自己犠牲なんてとんでもない!」と、
真っ向から反対し、忌み嫌ってさえいます。

そもそも、裕福な人が神に感謝するのはたやすい事なのです。
金持ち貴族たちを妬む平民に、「彼らは欲に目がくらんでる愚か者です。
欲を持たず質素に生活できるあなた方こそ、天国に行ける。皆で神を信じましょう」、
こう言ったら彼らはどう思うだろう。喜びいさんで信仰に加わったかはともかく、
ヨーロッパの基盤を形成するまでにキリスト教は発展した。
服従は命令より簡単で、宗教は「支配」の手段でしかない。ニーチェの批判はだいたいこんな感じ。

自分に正直に生き、体の求める欲を受け止め、生を肯定する。
捉え方を間違えば恐ろしい思想になる。実際この思想はヒトラーに影響を与えている。
ニーチェの思想はキリスト教批判から、超人思想、永遠回帰と進んでいく。
上巻では超人思想までが読み取れるが、およそニーチェの思想の集大成ともいえるこの作品を、
私はざっと目を通して、30%でも理解できていれば良い方だと実感した。
一つ言えることは、必ず入門書を先に読んでおくこと。
「」のような言葉のみで書かれているので、非常に、いや非情に難しい。

話自体は、主人公ツァラトゥストラが思想を語っていく。
彼は人々が崇拝して、心の支えにしていたもの(神)はいないと教える為、山を下りる。
「神は死んだ」と叫ぶツァラトゥストラを、人々は嘲笑した。しかし、彼は語り続けた。
上巻の最後に、彼はまだ自分が人々に思想を教えるには未熟すぎると悟り、また山へ隠れてしまう。

ツァラトゥストラは言う。
・「しかし、私は人間を愛しているのです」
この一言がニーチェの原点であると私は思う。
下巻でツァラトゥストラは、また山から下りてくる。そして再び語り聞かせるだろう。

「神は死んだ」と。


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ニーチェ入門

2007年08月07日 21:34

『竹田青嗣』著 ちくま新書 237ページ

ニーチェはどうして、こうも特色ある哲学者なのか?
彼の生きた時代背景は、宗教は?という基本スタイルから入る入門書。

一度、「ツァラトゥストラ」のページをめくってみて、「ああ、こりゃダメだ」と感じ、
本書でもってまずは思想の外郭を理解しようと試みました。

ニーチェを代表する書、「権力への意志」や「人間的、あまりにも人間的」など、
その思想の変容とともに時系列で追っていく。
解釈がいかようにも取れるニーチェを、「入門」というに相応しく、
一番スタンダードであろうと思われる見方で解説してくれるので嬉しい。

キリスト教を社会的弱者の「ねたみ」の宗教と言い切ってしまう点など、
なんともまあインパクトの強い説明文で、分かりやすい。

では、なぜキリスト教を批判するのか、その上での超人の思想、
そして「永劫回帰」へ繋がるまでの関連性が理解できます。
全部概略を説明するのは難しいですが、無理のない流れで自然と納得がいく感じ。
これを読んだ後に、「ツァラトゥストラ」を読むと、このベースの解釈で読んでしまいますが…。

全体的にニーチェ思想のみスポットライトが当たっているわけではなく、
プラトンショーペンハウエルなどの影響のもと、思想の変遷を追うので、
哲学全体の繋がりも若干理解できたように思います。

しかし、竹田氏の考え方がすべてではないし、永劫回帰をする人間たちの
行くべき場所は何なのか、生きる理由は何なのか。
最後の最後で答えが分からなかった、矛盾が払拭されなかった印象。
(私が理解できてないだけかも…すいません!)

書評を見る限り、この本とライバル格扱いされてる、永井氏「これがニーチェだ」よりかは、
竹田氏の本書の方が、概要を理解するのには向いてるようですね。


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